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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.23

兄の持ってきた銀細工を見て、お楽は泣き崩れる。 西條奈加「隠居おてだま」#6-3

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「これは……! 兄さん、これをどこで? 誰から?」
 今日は少し加減が良いようで、伏せってはいなかったが、やはり顔色はかんばしくない。食が進まぬようで、目に見えてせている。悪阻つわりであることは明白だった。
 ただでさえ青白いのに、蝶の細工を見るなり、さらに血の気が引いていく。
 店先で、千代太が受けとったと、政二郎は事のしだいを妹に語った。
「誰かは、私も千代太も知らないよ。でも、お楽、おまえは承知しているのだろう?」
 藍の布ごと、兄の手から細工を受けとる。指先も唇も、震えていた。
「お腹の子の、父親かい?」
 こたえる声は、えつにかき消えた。細工を両手で胸に押しつけて、涙をこぼす。
「……ごめんなさい、あきさん……ごめんなさい……!」
 ききたいことも確かめたいことも、山ほどある。それでも妹の悲嘆が収まるまで、政二郎は辛抱強く待った。下手ななぐさめもかけるつもりはなく、好きなだけ泣かせてやるのがいちばんだ。縁に出てしばし庭をながめ、嗚咽がどおになった頃、政二郎は座敷に戻った。
「その細工について、ききたいのだが」
「秋治さんのことじゃないの?」
「職人の人となりは、喜介からきいているよ。人柄も仕事ぶりも、間違いのない男だとな」
「そうなの……とってもいい人なのよ」
 泣きらした目が、庭に向けられる。四方を座敷に囲まれた坪庭だが、縁先に黄色い花が咲いていた。晩秋の今頃に花をつける、つわぶきだった。
 石蕗は、妹を思わせる。鮮やかな黄色は、ぱっと人目を引く。花は派手だが、つやがあるのはふきに似た葉の方であり、「つやぶき」からいつしか「つわぶき」に転じた。
 石の蕗との名も、妹に似つかわしい。我を通す強情は、石のごとく硬い。
「もう一度、細工を見せてくれないか?」
 ともにながめていた石蕗から目をらし、妹にう。胸に抱いていた細工を、お楽は兄に差し出した。藍の布からつまみ上げ、裏に返す。
「これがいったい何なのか、見当がつかなくてな。金具からすると、留め金とわかる。こうして外すと……このとおり、表と裏のふたつに割れるからな」
 蝶の細工の裏には金具がついていて、縦に割ると、片方に穴が、もう片方に突起がある。これをぱちりと嵌めれば、表裏が一体となる。そして表の右側と、裏の左側に、同じ形のがついている。たんの取っ手をうんと小さくしたような、えんの輪っかであり、おそらくはひもを通すための金具であろう。そこまではどうにか察しがつくが、肝心の正体が、さっぱりつかめない。
「ああ、これはね、帯留よ」と、お楽はさらりとこたえる。
「帯留? 帯を留める道具か? 初めてきくな」
「世間ではあまり、知られてないから。小間物屋の主人の話だと、出始めたのはたぶん、ぶんの終わり頃だろうって」
 勘定すると、十年から十五年前といったところか。たしかに道具としても新しいが、広まらないのには、別の理由があった。
「帯留はね、お年寄りのための道具なのよ。ほら、歳をとると、帯を締めるのもおつくうになるでしょ。手間をかけず、容易に締めるために作られたの」
「これでどうやって、帯を締めるんだ?」
「両側の手に紐を通して、帯の上から結ぶだけよ。みっともないからって、うわぎぬを羽織って隠したり、目立たぬように紐を帯と同じ色にして、留め具も地味に作ったり。どのみち好んで使う人は少ないわ」
 母のおにも勧めてみたが、帯も締められぬほど衰えているのかと、あなどられるのは気がとがめる。丁重に断られたと、お楽が明かす。
「世間に広まらないのは、何よりも野暮ったいからよ。年寄りくさい無難な細工ばかりで、ちっともあかけないの」
「ご年配のための道具なら、それも仕方がないさ」
「そもそもそこが、間違っているのよ。帯締めが、若妻や娘のあいだで流行はやり出しているのよ。帯締めに金具をつけた帯留が、流行らぬ道理がないわ!」
 小さな雷が、政二郎の背中を駆け抜けた。お楽の言うとおりだ。紐の色柄に、留め具のあでが加わるのだ。若い女たちをきつける一品と、なり得るはずだ。
 新奇な商売は、いつだって政二郎を夢中にさせる。いますぐ喜介を呼んで、あれこれと相談したい衝動に駆られた。どうにかこらえたのは、お楽の表情が変わったからだ。
「前にね、秋治さんにさんざんこぼしたの。どうして帯留の細工は、こんなに野暮なのかって。もっと粋で艶やかな意匠なら、あたしも締めてみたいのにって」
 兄の手から、ふたたび細工を受けとって、ふっとため息をつく。
「だったら、おれがこしらえてやるって。あたしに似合いの意匠で、留め具を作ってくれるって……秋治さん、覚えていてくれたのね」
 赤い目許に、また、涙がにじむ。表情には、思いの深さがけていた。
 ふたりは互いに思い合っている。ならば添わせる方途はないものか。最大の難敵は徳兵衛だ。隠居とはいえ父が認めねば、妹は嶋屋を追い出される。嶋屋との縁を切らせることなく、お楽と秋治を一緒にさせるには──。

▶#6-4へつづく


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