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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.21

嶋屋の様子を窺う若い男を見かけた千代太は……。 西條奈加「隠居おてだま」#6-1

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

前回のあらすじ

嶋屋の隠居・徳兵衛の娘に縁談話が持ち上がった。名前の通りお気楽で奔放な末娘・お楽は、次々に新しい男と浮名を流し、近頃は家にも滅多に帰ってこない。このありさまを徳兵衛に知られては大変と、慌てて当主の吉郎兵衛が連れ戻してみると、職人の子を身籠もったので一緒になると言い出した。結婚相手が若い職人では着道楽も通せないというお内儀の説得で、お楽は家格に見合う「新たな縁談」を受けることになったのだが――。

「おい、、妙な奴がいるぞ」
 まめじゆくからの帰り道、かんしちがふいに袖を引いた。声を潜めて、みみもとでささやく。
「道の右手、細い路地のあいだに男がいたんだ。あいつ、しまを見張っているぞ」
 そろりと肩越しにふり返る。嶋屋は道の左手にあるから、お向かいの側だ。向かいの店と、そのとなりの店のあいだに、路地というより細い隙間がある。男はそこにからだを押し込めるようにして、窮屈そうにたたずんでいた。
「うちに何か、用事かな?」
「おまえは頭がいいくせに、変に抜けてるな。真っ当な用件なら、正面から訪ねるだろ。後ろめたいことがあるからこそ、こそこそ隠れてうかがってんだろうが」
「後ろめたいことって? あの人に確かめてみようか」
「待て待て、かつに近づくな。危ない野郎だったらどうする。ひとまず店の者に知らせろ。男手を四、五人かき集めてから、追い払うのが上策だ」
「勘ちゃん……もう、遅いみたい。ひと足先に、なっちゃんが」
「何だと! おい、なつ、そいつに近づくな!」
 勘七が、妹に向かって猛然と走り出す。千代太も慌てて追ったが、怖いもの知らずのなつは、男を見上げて声をかける。
「おじちゃん、こんなところにはさまって何してるの? かくれんぼ?」
「……え? ええと……」
「もしかして、挟まって出られないの? 引っ張ってあげようか。なつもね、前にかくれんぼしたとき、たるはまっちゃって……」
「なつ! そいつから離れろ! この野郎、妹に悪さをしたら承知しねえぞ!」
「いや、おれは何も……」
「嶋屋をこそこそ嗅ぎまわってたのは先刻承知だ。このまま番屋にしょっ引いてやる!」
「勘弁してくれ! おれはただ、おらくさんに……」
「お楽おばさんに、会いにきたの?」
 千代太の顔を見て、男ははっと目を見張る。窮屈な隙間からからだを出して、改めて千代太にたずねた。
「坊は、お楽さんのおいっ子かい?」
「はい、千代太です」
ろんな奴に、やみに名を明かすんじゃねえよ」
「まあまあ、勘ちゃん。見たところ、悪い人じゃなさそうだし」
「おまえの目は節穴か! こんなところに立ちん坊して、嶋屋をのぞいてたんだぞ。怪しい以外の何物でもねえよ」
 勘七がようしやなくやり込める。男は怒ることはせず、意外にも、素直にびた。
「おめえらの言うとおりだ。何とも、みっともねえ真似をした。このとおり詫びるから、かんにんしてくれ」
 三人の子供の前で、しゆしように頭を下げる。改めてながめると、顔立ちの整った若者だった。身なりからすると、おそらく職人だろう。
「すぐに去るから、ひとつだけ教えてくれ。お楽さんは、その……達者にしているか?」
 実直そうな眼差しを、千代太に向ける。つい正直にこたえていた。
「あんまり……。お楽おばさんは、このところ加減がすぐれなくて。時々、床に就いてることもあって……」
「え! 本当か? 病なのか? ひどく悪いのか?」
 たちまち青ざめて、千代太に具合をただす。大丈夫、すぐに良くなると、祖母からきいた台詞せりふをそのまま伝えたが、不安は拭えぬようだ。しつこく何度も、千代太に確かめる。
「たぶん、心配要らないよ。だってお楽おばさんは、もうすぐお嫁に行くんだよ」
 瞬間、時が止まってしまったように、男の顔が固まった。瞬きもせず、口をぽっかり開けている。
「おい、大丈夫か? 息してるか?」
 男が大きく息を吐く。からだ中の息を出し尽くしたように、ひとまわりしぼんで見える。
「そうか、嫁に行くのか……なるほどな、ようやくてんがいった」
 とても悲しそうな笑みを浮かべた。千代太は見ていて、ちょっと切なくなった。
「おれにも読めたぞ。お楽さんにふられて、なのに諦めきれなくて、つきまとっていたわけか」
「勘ちゃん、その言い方は……」
「いや、そいつの言うとおりだ。ふいに別れるとの文が届いて、それっきり。どうにもとくしんができなくて、こんな情けねえ始末に」
「おじちゃん、泣いてるの?」
 涙がこぼれているわけではないが、なつにはそう見えたのだろう。
「泣いてねえよ。嶋屋のお嬢さんと、しがない職人だ。釣り合いが取れねえことは、もとより承知していた。縁付くお相手は、さぞかし立派な方なんだろうな」
「たぶん……申し分のない家だと、坊の母さまが大喜びしていたから」
「そうか、そいつは何よりだ。お楽さんが幸せなら、それでいい」
 大人は時々、子供以上にわかりやすい噓をつく。
「おじさんが来てること、お楽おばさんに伝えましょうか?」
 千代太が行儀よくたずねると、男は目許だけで笑い、ゆるりと首を横にふった。
「ありがとう、坊ちゃん。だが、これ以上、な真似はしねえよ。にも二度と、足を向けねえ。騒がせて、悪かったな」
 そのまま行こうとしたが、男はふと足を止めた。ふところに手を当てて、わずかにしゆんじゆんする。迷ったあげく、懐からあいの布包みを出して、千代太に差し出した。千代太の掌に収まるほどの、小さな包みだ。
「坊ちゃん、これを、お楽さんに渡してくれねえか。ささやかだが、おれからのしゆうだ」
 頼んだぜ、と告げて、男はいたばし宿しゆくの方角に去っていった。その姿を見送って、なつがませたことを言う。
「いまのおじちゃん、男前だったねえ。お楽おばちゃんは、どうしてふっちゃったの?」
「男はな、顔より財ってことだよ。何にせよ、案外あっさりと諦めてくれてよかったな」
「よかったのかなあ……」
 千代太は布包みを手に載せて、だいぶ小さくなった背中を見詰めた。
「おれたちも帰るよ。じゃあな、また明日」
「うん、色々ありがとう、勘ちゃん。あ、そうだ! 肝心なことを忘れてた。お楽おばさんの縁談ね、本決まりになるまで内緒なんだ……ことにおじいさまには」
「お、そうか。わかった、じさまにも外にも漏らさねえよ」
 とくの気性も、嶋屋の者の気遣いも、勘七はよく承知している。まつにはとんちやくせず、ふたつ返事で請け合った。手を繫いだ兄妹は、背中に夕日を浴びて、板橋宿とは逆の方角に遠ざかる。ひとりになると、急に手の中の包みが、重みを増したように思える。

▶#6-2へつづく


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