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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.20

着道楽かお腹の子か。現実に向き合ったお楽の決断は。 西條奈加「隠居おてだま」#5-4

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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 すっと、お楽の顔から色が失せた。ろうのように白くなり、唇がかすかに震える。
 己の腹を見下ろして、かばうように両手で覆った。
「お腹の子が、己より大事だと思わなければ、産むことなぞできません。お産は命懸けですし、子を育むのは、己の生を差し出すことに等しいのですから」
 途方に暮れているのだろうか。両手で腹を囲ったまま、お楽はぼんやりと宙に視線を投げる。やがて唇が動き、声が漏れた。
「月のものが止まってから、ずっと怖かった。秋治さんにも言えなくて……からだがね、少しずつあたしのものじゃなくなるようで、気味が悪くも思えたの」
 すでに母であるふたりが、察せられるというように深くうなずいた。
 新たな命とは、前触れもなく宿った異物でもある。つきものあいだ、互いにからだを作り替えながら、母と子は共存する。若い母親が、戸惑うのもあたりまえだ。
「でもね、昨日の晩、初めて思ったの。この子を守ってやらないとって」
 喜介が迎えに行き、お楽は手代とともに夜道を急いだ。途中で足がよろけ、転びそうになったとき、とつに腹をかばっていたという。幸い喜介が支えてくれて、大事には至らなかったが、このときに初めて気づいた。
 お楽にとっては、いきなりふってわいた災難であり、悩みの種でしかなかった。それが思いの外しっかりと、からだの芯にしがみつき、懸命に訴えている。
「この子を守ってやれるのは、この世でたったひとり、あたしだけなのよ! 放り出すなんて、できないわ!」
 お登勢の目許が、思わずゆるんだ。着飾って遊ぶことより他に、関心を寄せない娘が、責めを負おうとしている。いまは熱に浮かされていて、色恋と大差ない一時の熱情かもしれないが、それでも娘の成長が好もしかったのだ。
 むろん、顔にはちらとも出さず、淡々と娘に問う。
「では、洒落は断じて、錺師のもとに嫁ぐのですね?」
「意地悪ね、お母さん。諦めきれないから、困っているのよ」
「先ほども言ったでしょう。どちらかひとつしか、えらびようがないと」
 母娘のあいだで、押し問答が続く。しばしながめていたお園が、口を開いた。
「ひとつ、伺ってもいいかしら? ややができたことを、この子の父親は知っているの?」
 義姉に問われて、お楽が困り顔をする。
「いいえ、まだよ。どんな顔をされるか、少し怖かったし……秋治さんはいい人だけど、子供のこととなると、殿方はとたんに薄情になるもの」
 言い得て妙だと、姑と嫁はさっきよりも大きくうなずく。商い一辺倒の徳兵衛なぞ、こうまで我が子に無関心になれるものかと呆れるほどであり、吉郎兵衛とて多少は父親よりましながら、やはり自分のことに手一杯で、子を構う余裕がない。
「私たちには、嶋屋の内儀としての務めもありますし」
「子守りや女中がいなければ、とても子育てなどできませんわね、お姑さま」
 この一点においては、姑と嫁の意見が見事に一致する。
 子供をもつ父親ですら、この体たらくだ。ましてやこの世に生まれていない我が子に対しては、愛着はおろか嫌悪する男はいくらでもいる。お楽の迷いももっともだった。
「お相手が知らないのなら、打つ手はいくつもありますわよ、お姑さま」
「まことですか?」
「ええ、まずはちゆうじようりゆうを頼るのも、ひとつの手ではありますが」
 お楽が青ざめて、義姉を見る眼差しが険を帯びる。
 中条流は、とよとみひでよしの家臣であった、中条たてわきを祖とする産科医の一派だが、二百年以上が過ぎたいまでは、中条流といえばたい医のことだ。
 ほおずきを用いた堕胎薬を処方し、処置もしてくれる。いまの世では、もっとも負担の少ない方法だが、支払うきんはとんでもなく高額で、庶民にはとても賄えない。
 とはいえ他の堕胎法といえば、冬に冷たい水にかる、腹を強く圧する、高い所から飛び降りるなど、いたって危ないやり方ばかりで、首尾よく運ばぬことも多く、何よりも母体への負担が大きい。田舎ではもっぱら、産んだ子の息をふさぐ間引きが行われていた。
 嶋屋の身代なら、中条流に頼むこともできようが、お楽にその気はないようだ。
「わかっているわ、お楽ちゃん。そんな顔しないで」
 お園はにっこりと笑みを浮かべたが、口はなおも遠慮がない。
「産まれた子を、里子に出すのはどう? お腹が目立つあいだは、そうね、湯治場にでも行ったことにして、に家を借りてお産を済ませるの。お舅さまにも、隠しおおせるでしょ?」
「お義姉さん、面白がってるでしょ!」
「とんでもない。おそらく江戸では、いちばん多いやりようのはずよ」
 お登勢とお楽が、顔を見合わせて面食らう。世間知らずのお嬢さまのはずが、どうしてこうも詳しいのか、合点がいかなかったのだ。ふふ、と笑って、お園は種を明かした。
おおだなにも、型破りな娘はいくらでもいるのですよ。久賀屋くらいになると、親類縁者の裾野も広がりますから。お楽ちゃんと似たようなことで、本家に尻をもち込んできた者は、私が見知っているだけでも四人はいるわ」
 何とも豪儀な話である。毒気を抜かれて、半ば感嘆の目をお園に注ぐ。気をとり直し、お登勢は改めて娘の真意をたずねた。
「里子には、出したくないわ。十月十日も一緒にいたら、情が移って離れがたくなりそうだもの」
「でしたら、最後の手を使うしかなさそうね」
 お楽がこっくりと唾を吞み、お登勢にも緊張が走る。
「お義姉さん、きくのが怖いけれど、最後の手ってどういう?」
「縁談よ」
 お園は明快にこたえたが、母と娘にはさっぱり吞み込めない。
「お楽ちゃんのために、新たに縁談を仕立てるの」
「でも、この子のお腹にはややが……」
「ええ、お姑さま、もちろんお腹の子も一緒に、縁付いてもらいますわ」
「もしや、子供のことは告げずに、相手をたばかって嫁入りしろということ?」
「いいえ、そうではないわ、お楽ちゃん。ちゃんと先さまに説いた上で、納得ずくでお嫁入りするのよ」
「そんな都合のいい相手が、どこにいるというの?」
「いくらでもいてよ。だって跡継ぎを求める家は、いくらでもあるのだから」
 あ、と出そうになった叫びを、お登勢が辛うじて止める。お園の言うとおりだ。
 子を授からない妻は、三年を相場に離縁される。中には何度妻をめとっても、長らく子宝に恵まれない主人もいた。
「養子を迎えるくらいなら、たとえ血が繫がらなくとも、赤ん坊の頃から世話をして、家風に馴染ませたい。そう考える家もあるわ。実は武家に多いのだけれど、着道楽を通すなら勧められないわね。お武家はどこもお金に窮屈だし、家風も何かと厳しいし」
 先ほど話に出た親戚筋の四人のうち、ひとりはお腹の子供とともに武家に嫁いだと、お園が語る。
「大丈夫よ、お楽ちゃん。物持ちの商家にも、跡継ぎを望む家はあるもの。ただ、お相手の歳はどうしても上がってしまうし、色男とはいかないかもしれないわ。それでも久賀屋の広いを頼れば、財に見劣りのない家を見繕ってくれるはずよ」
 まことに頼もしく、お園が請け合う。
「どうします、お楽? お内儀を通して、久賀屋さまにお頼みしますか?」
 眉間をすぼめて、お楽はしばし考える。口許をひとたび引きしめて、顔を上げた。
「子供と洒落、どちらも手放さずに済むなら、心を決めるわ。お義姉さん、どうかよろしくお願いします」
 殊勝に三つ指をついて、義姉に頭を下げた。
 三つ目の縁談は、徳兵衛をの外にして、密かに進められた。

▶#6-1へつづく


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