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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.17

徳兵衛の末娘・お楽が身籠もり、嶋屋の面々は頭を抱える。——西條奈加「隠居おてだま」#5-1

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

前回のあらすじ

嶋屋の隠居・徳兵衛の手掛ける組紐屋「五十六屋」は、これまでにない派手な色柄の帯締めを「角切紐」と銘打って売り出し評判となっていた。次の商いの算段に夢中になる徳兵衛だったが、商売仲間の長門屋から、娘・お楽の縁談を持ちかけられて狼狽える。さらに慌てたのは、縁談話を聞いた嶋屋の面々で、徳兵衛に知られる前にお楽の男遊びをやめさせなければと策を練る。しかし当のお楽の口から、驚きの事実が飛び出して――。

「おらく、おまえ、本当にややが……」
 きちの唇がわなわなと震え、妹の腹を見詰める。ふくらんでもおらず、まだ赤子の片鱗すら感じないが、見知らぬ男の種が宿っているときくだけで、吉郎兵衛には得体の知れない存在に思えてくる。
「間違い、ないのですか?」
 一方のおは、まったくろうばいするようすもなく、落ち着き払って娘にたずねた。
「まだ確かめてはいないけれど、おそらく」
 兄と手代の耳をはばかって、母にだけ耳打ちしたが、月のものがつき近く遅れていて、ここ数日は、悪阻つわりめいたむかつきもあるという。それならほぼ間違いなかろうと、お登勢も認めざるを得なかった。
「何ということだ……あろうことかしまの娘が、男とらちな関わりをもち、挙句の果てに身籠ったとは。ご先祖さまに、申し開きが立たぬわ」
「旦那さま、ご先祖さまより先に、六代目への申し開きを用立てねば」
「そうだった……お父さんに、何と言えば!」
 手代のすけに進言されて、吉郎兵衛は両手で頭を抱える。
 年寄りは総じて、若い者の無鉄砲に眉をひそめるが、とくは輪をかけて厄介だ。筋を通さねば気が済まず、理を重んじ、世間体にもやかましい。
 つまり、当人同士が色恋沙汰でくっつくなど不品行窮まりなく、縁付く前に子を授かるなぞ言語道断である。烈火のごとく憤る徳兵衛の姿が、すでに見えるようだ。
「お楽、このままでは勘当は必至だぞ。無一文で追い出され、二度と嶋屋の敷居はまたげない。少なくとも、お父さんの目の黒いうちはな」
「あのう、旦那さま……嶋屋の当代はすでにご隠居さまではないのですから。旦那さまが許すとおつしやれば、済む話では?」
「甘いな、喜介。お父さんの頑固と執念深さは人一倍だ。ここで当代として、筋を外れた断を下せば、お父さんの方こそへそを曲げて、この屋と縁切りしかねんぞ」
「そういえば、奉公人同士のあいだで、似たようなことがございましたね。かれこれ、ひと昔前になりますが……」と、喜介が思い出す。
 まだ徳兵衛が、主人であった頃の話だ。女中と手代が恋仲になり、隠れてつき合ううちに子を授かり、こっぴどく叱られた挙句、ふたりまとめて店をお払い箱になった。
 大方の商家では、手代に所帯を持たせることはしない。番頭に昇るまでは、住み込みの奉公人であり、妻子を得るというは通らない。
 番頭になるのは、早いもので三十過ぎ、遅い者は四十近くになろうか。数多あまたの奉公人の中で、ほんの一握りであり、耐え切れず店を去る者の方が多かった。
 出来物の喜介なぞは、とっくに番頭に昇って然るべきだが、あいにくと上がつかえている。番頭はすでにふたりいて、三人目として立てるべきかと徳兵衛も思案したが、当の喜介が望まなかった。
 もうしばらく手代として精進し、いずれ番頭格に上がった折に、れん分けの形で独立が叶えば有難い。喜介はそう申し述べ、徳兵衛も承知した。もっとも次代の吉郎兵衛となってからは、何かと気が利く上に、先代以来の番頭よりも使い勝手がいいとの理由で、いたく頼られている。後生だから向こう三年は傍にいてくれと、引き止められる始末だ。
 主人の期待を裏切らず、喜介は冷静に事を見通す。
「奉公人のつつかを厳しく処しておきながら、娘に目こぼしするというのは、たしかにご隠居さまの気性ではあり得ませんね」
「そうであろう? このままでは私自らが、お楽を勘当せざるを得ない。しかし兄としては、あまりに忍びない。どんなにものであろうとも、私にとってはたったひとりの妹だ」
「旦那さまも、また大げさな物言いを」
 喜介が脇で苦笑する。遠慮ない振舞いやろうぜきを、婆娑羅という。
「婆娑羅で結構。あたしも、腹をくくるわ」
「お楽、まさか……」
「ええ、兄さんに言い渡される前に、家を出るわ。しつこくて念の入った、お父さんの説教だけはご免だもの。赤の他人になれば、免れるでしょ」
「お楽、そう早まるものではない。三人寄れば、文殊の知恵というではないか。幸いここに三人……まあ、私は当てにならないが、お母さんと喜介ならきっと!」
「すみません、旦那さま、商い事ならともかくこればかりは」
「私も、ご隠居さまとこの子の気性を知っているだけに、手の打ちようがとんと」
「お母さん、喜介! あきらめないでください!」
 吉郎兵衛が、涙目になって懇願する。
 お楽はきつい表情で、唇を引き結んでいる。すでに決心はついたと言わんばかりだ。お登勢はそんな娘をしばし見詰め、それから口を開いた。

▶#5-2へつづく


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