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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.16

末娘・お楽の口から飛び出した一言に、嶋屋の面々は仰天する。西條奈加「隠居おてだま」#4-4

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「ええ、私も、見合いについてはで伺いました」
 お登勢が戻ると早々に、吉郎兵衛はお楽について話し合った。
「見合いはやはり、お断りする存念のようですから、さほど案じることはないでしょう。それよりも、お楽は?」
「喜介を迎えにやりました。お楽にはこの際、とっくりと説教せねば。いまのありさまがお父さんに知れれば、どんな大騒ぎになることか」
「ですが、いつまでも隠しおおせるものでもありませんし」
「いいえ、このまま是が非でも隠し通して、事なきを得ねば。火遊びなら、これまでにもありましたし、そのうち熱も冷めましょう」
 お楽は二十四歳。窮屈な婚家にいた反動か、二十歳で嶋屋に戻ってからは、いたってのびのびと暮らしている。それでも徳兵衛がいた頃は、まだ大人しかった。義姉とともに買物や芝居見物に精を出していたが、男遊びのたぐいは、少なくとも母や兄の目に立つほどではなかった。
 しかしうるさい父親がいなくなると、奔放さが際立ってきて、最初は道楽者で有名なお店の次男坊だった。吉郎兵衛はたいそう気をんで、幸いほどなく縁が切れたものの、次に親しくなったのがとびの人足ときいて肝をつぶした。以来、次から次へとお楽は浮名を流し、吉郎兵衛は気の休まる暇もなかった。
 相手は髪結い、鮨売り、浪人とさまざまながら、いずれもまっとうな商家の娘とは釣り合わない手合いばかりだ。おまけにせいぜい三月ほどで、ころころと相手が替わる。
 もちろん吉郎兵衛は、家長として事あるごとに妹をたしなめた。しかしそのたびに、お楽は真剣な顔で、兄に物申すのだ。
「あたしはね、兄さん、これっぽっちも浮ついた気持ちなぞないの。この人とこの先一生、げていこうって思い決めているのよ」
 こぶしを握って力説する妹に、幾度もげんなりさせられた。
「いまのところは見る目がなくて、長続きしないのだけど、いつかきっと結ばれる運命さだめの殿方に巡り合えるはずよ。そのときは兄さんも、存分に祝ってちょうだいね」
りや浪人者が相手で、祝えるものか。せめてもう少し、相手を見繕ってはどうか」
「あら、物持ちばかりが偉いわけではないわ。髪結いだって鮨売りだって、立派な仕事じゃないの」
「おまえは仕事ぶりではなしに、見目の良し悪しだけで判じているだろうが」
 と、吉郎兵衛はにべもない。若い女が熱を上げるのは、粋でいなせな色男だけだ。よって見えない部分の一切を、両親と仲人、そして親類が判じて、縁談をすべて差配する。当人と周囲の判断が、重なることなぞまずあり得ない。それもひとつの道理である。
「肝心のことを忘れているようだが、お楽、仮にいまの看板書きと一緒になっても……」
「兄さん、看板書きとはこの前別れて、いまは表具師なの。まだ弟子の立場だけれど、三年もすれば、ひとり立ちが叶うって。そのときに晴れて一緒になろうって約束したのよ」
「お楽、おまえが三年待てぬのは、私がこの場で請け合うぞ」
 この手のやりとりを、何度くり返したことか。思い出しただけで頭痛を覚える。
「たまにはお母さんからも、ぴしゃりと言ってやってください」
「申したところで、行いを改めるとも思えませんし。一度嫁に出した以上、あの子もすでに大人なのですから」
 吉郎兵衛の下に、次男のまさろうがいるが、すでに分家のに養子に出た。
 お登勢は三人の子供たちに対しても、細かなことには口を出さず、日頃は黙って見守り、時折さりげなく手を差し伸べるような母親だった。もともとの性分もあろうが、徳兵衛が滅法口うるさい父親だけに、釣り合いをとった節もある。
 一方で、目だけは細かなところまで、よく行き届いている。
「いまのお楽の相手は、いたばし宿しゆくかざりでしたね」
「え? たしか、葉茶屋の手代ではなかったかと……」
「それは半年も前のお相手ですよ。今度はめずらしく、長続きしているようで。とはいえ、四月ほどですが」
「四月は長続きに入りませんよ。お母さんもよくご存じで。ここしばらくは、家にも滅多に帰ってこないというのに」
 喜介の話に、吉郎兵衛が慌てたのもそれ故だ。たとえ見合いを断るにせよ、当人抜きというわけにはいかない。喜介が即座に向かったのは、その錺師のもとである。
「お楽は私と喜介にだけは、何でも打ち明けますから」
 仲の良いお園に語らないのは、徳兵衛の耳をはばかってのことである。お園から千代太を通して、うっかり隠居家に伝わる恐れがあるからだ。
「お母さんはともかく、実の兄より手代に信を置くとは。何やら情けなくもなりますね」
「あなたは長男で、嶋屋の当代なのですから。何でもとはいきませんよ。喜介は政二郎から頼まれて、兄代わりを務めているのです」
「ああ、そういえば……あれが養子に行くまでは、とかく喜介と仲がよかった」
 喜介が一歳上になるが、政二郎とは歳も近く、主従の間柄ながら馬が合った。喜介が小僧として嶋屋に入り、政二郎が富久屋に養子に行くまでの五年ほどのあいだ、政二郎は何かと理由をつけて喜介を呼び寄せ、ともに遊んだり語り合ったりするのが常であった。
 どちらも子供時分から商いに興味を寄せたことも、ふたりを繫げた一因だろう。
「私はすでにお父さんのもとで商いを学んでいたが、跡継ぎの私よりもよほど入れ込んでいた。政二郎が突飛な策を案じて、喜介は実を重んじる。は違えど、商いへの熱心は同じだった」
 吉郎兵衛は、懐かしそうに目を細めた。長男の身ではいやおうなく商いの道を押しつけられるが、弟や手代は純粋に面白さに惹かれ、楽しんでいた。吉郎兵衛には、さぞかしふたりが眩しく見えたに違いない。
「政二郎とお楽は、九つ違いですから、あの頃はまだ幼くて。面倒見のいい喜介になついて、よくまとわりついていた」
「ええ、だからこそ妹を、喜介に頼んだのでしょうね」
 そうか! と突然、吉郎兵衛が膝を打つ。
「ならば、お母さん、いっそのこと、一生涯を喜介に任せては? 喜介をお楽の婿にえるのです」
 喜介なら、義弟としても申し分ない。ともに嶋屋をり立ててくれれば、主人としても有難い。我ながら妙案だと、吉郎兵衛はすっかりその気だが、お登勢は釘をさした。
「喜介には、その気はないと思いますよ。一から商いを起こすのが喜介の望みですし、お楽のことも、それこそ妹に対するような気持ちしか……」
「いいえ、これぞ一挙両得ならぬ、八方が丸く収まる名案です。相手が喜介なら、お父さんも否やはありますまい」
 長らく悩みの種だった妹を、手代に押しつけようというそくな手段である。いかにも胆力に欠ける長男らしいと、お登勢は細くため息をついた。
 しかし当人と周囲の思惑が嚙み合わないのが、縁談の常である。
 やがて喜介に連れられて、お楽が帰ってきた。吉郎兵衛が、嬉々として妹を部屋に招じ入れる。喜介は店に戻ろうとしたが、主人に引き止められて、部屋の隅に控えた。
「よく戻ったな、お楽。さっそくだが、おまえに格好の縁談が生じてな」
「兄さん、縁談はお断りするわ。どこぞの商家に、嫁ぐつもりなぞないもの」
「いやいや、そうではない。長門屋からの縁談は、お父さんも乗り気ではなくてな、断るつもりでいる。これはまったく別の話でな、何を隠そう当代たる私のきもいりなのだが……」
 目の前に座す妹と、離れて控える手代を交互にながめて、吉郎兵衛がそうごうを崩す。
「兄さん、もう一度言うわ。縁談はすべてお断りしてちょうだい。あたしの嫁ぎ先は、すでに決まったから」
「これこれ、おまえがいかにほうであろうと、縁談ばかりは勝手は許されない」
「勝手というより、否応なく、といったところね。あたしは、あきさんと一緒になるわ」
 きっぱりと、お楽は言い切った。秋治とは、いまの相手である錺師である。
 すでに心を決めているようで、堂々とした物言いながら、何故だか切羽詰まって見える。
「お楽、何かがありそうですね。話してごらんなさい」
 お登勢が促すと、お楽はいっとき視線を落とした。それから顔を上げ、母と兄に告げた。
「ややが、できたみたいなの……秋治さんの子よ」
「何だと! おい、まさか、お楽……」
 いまにも白目をいて倒れそうなほど、吉郎兵衛の顔から血の気が引いた。

▶#5-1へつづく


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