menu
menu

連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.15

出戻りの末娘の再縁話に、徳兵衛が頭を抱える理由とは。西條奈加「隠居おてだま」#4-3

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

「さすがは長門屋佳右衛門さま。一見、突飛ながら、行き届いた思案ですね」
「おまえもそう思うか、すけ。わしもまさに、膝を打ったわ」
 手代の喜介に向かって、上機嫌でうなずいた。徳兵衛が嶋屋六代目であった頃、喜介はお気に入りの手代であった。商い事で遠出する折は、未だにしばしば供をさせる。
 単に連れ歩くなら、下男のぜんぞうの方が、用心棒としてよほど役に立つ。しかし商いにおける事々を語るには、やはり喜介がいちばんだ。
 己の頭から出ぬうちは、どんな奇策も妄想と変わりなく、他人に明かすことで初めてりんかくが浮かび上がる。佳右衛門とのやりとりで、だいぶ肉付けができてきたが、まだまだ形が定まらない。広がった思案をもう一度とりまとめ、さらにくっきりとしたものに形作るには、この手代が欠かせない。
「あとは柏屋が、承知してくれるか否かだが。なにせ、本家本元たる面目があるからの」
「柏屋の番頭は、なかなかの商売人です。みすみす益を逃すような真似はしますまい」
「商売相手を探すのも、相応に苦労であろうな。そちらは長門屋に任せることになる。何やら濡れ手であわのようで、少々気が引けるが」
「意匠の思案はこれまでどおり五十六屋なのですから、大手を振ってようございますよ」
 巣鴨から、長門屋のある上野までは、で半時ほど。足腰のためにもなる上に、かきへのさかすら惜しむ徳兵衛だ。こうして行きと帰りに喜介と語るのは心愉しく、長門屋に出向く折には好んで同行させていた。
「実はもうひとつ、先さまから申し出があってな。こちらは商い事ではないのだが」
「どのような?」
「おらくにな、見合い話をいただいた」
「見合いですって!」
 斜め後ろを歩いていた喜介が、いきなり大声を出す。何事にもそつがない手代が、いつになくうろたえる。
「たかが縁談だ。そこまで驚くこともなかろう」
「すみません……なにやら、ふいを食らった心地がしまして」
「まあ、かれこれ四年も、家に居着いておるからの。出戻りにしてもさすがに長過ぎる」
 末娘のお楽は、十八で一度嫁いだが、二年後に亭主が病没し嶋屋に戻った。世間並みには、一、二年のうちに再縁するのが相場だが、四年ものあいだ実家に留まっている。
 お楽自身が、実家の安楽さを好んだためもあるのだが、父親の徳兵衛としても、おいそれと娘を出せない理由があった。
「ひとまず持ち帰って、当代やおと相談すると伝えたが……わしは断るつもりでおる」
「それはまた、せっかちな。お相手が、お気に召さなかったのですか?」
「いや、長門屋の伝手だけあって、申し分のない嫁入り先だ。かんかわちようの武具問屋の主人で、構えは嶋屋と同じほど。一年前につれ合いを病で亡くして、子はおらぬそうだ」
「悪くないお話かと存じますが」
「難があるのは先さまではなく、お楽の方だ。相応の店のおくむきなぞ、あれに務まるものか」
 武家では家計や家事を奥向と称するが、商家にもやはり奥の仕事がある。妻のお登勢は申し分なく嶋屋の奥を取り回していたが、あいにくとお楽は母の性質を受け継がなかった。名のとおり、いたってお気楽な娘であり、とても婚家で役に立つとは思えない。
「武具問屋といえば当然、客は武家であろう。折々の挨拶やら付け届けやら、嶋屋以上に気を遣う。お楽には、荷が勝ち過ぎる」
「向こうさまに、しっかりしたお姑さまや女中頭でもいれば、どうにかなるのでは?」
 はっきりと口にしないところは、さすが喜介だが、嶋屋でも同様だと暗に告げる。
 長男の妻たるおそのは、生粋の箱入り娘であり、気立ては悪くないが内儀としてはまったく使えない。お登勢のおかげで事なきを得ているが、お園のを待つよりも、十数年後に迎える千代太の嫁に託した方が、よほど安堵できそうだ。
 そしてお楽とお園にはもうひとつ、同じ短所がある。とかく金遣いが奔放なのだ。
「構えの大小にかかわらず、商家の奥はつましいというのに、まったくわかっておらんのだ。札差でもない限り、お楽のしやまかないきれんわ。おいそれと嫁に出しては、先さまにも長門屋にも迷惑がかかろう。いったいいつになったら、弁えが身につくのか」
 心安い手代を相手に、ついつい愚痴が長くなる。
「弁えとは所詮、世間からの押し付けでもありますから。お楽さまにはそぐわぬかもしれませんね」
「あの歳になれば、誰でも自ずと育つものだと思うておったわ」
 こぼされる不平を、喜介は苦笑しながら受けとめる。
 ほどなく巣鴨町にかかり、嶋屋が見えてきた。巣鴨村にある隠居家は、もう少し先になる。まめじゆくの手習いが、そろそろ終わる頃合いだった。
「お疲れでしょうし、店で少しお休みになられては? ほどなくお登勢さまも戻られましょう」
「いや、明日の朝、出直してこよう。お楽の件はその折に。喜介もここでよいぞ」
 この先の道を北に曲がると巣鴨村に入り、あぜみちを七、八丁分ほど歩くと隠居家がある。徳兵衛の足でも、さしたる距離ではない。
 喜介は店の前に立ち、徳兵衛の背が見えなくなるまで見送った。その姿が北の方角に曲がったことをたしかめて、急いで店へと戻る。
 真っ先に向かったのは、主人の座る帳場であった。
「おお、喜介、戻ったか。いつもながら、ご苦労であったな」
 七代目当主のきちが、にこやかに迎える。丸顔で福々しく、見た目どおりの温和な主人だ。父の徳兵衛とは、姿も気質も見事なまでに似ていない。
「旦那さま、実は少々困ったことに。長門屋さまを通じて、お嬢さまに縁談が」
「何だと! それは一大事ではないか。いつものせっかちが高じて、とんとん拍子に話が進めばとんでもないことに」
「いえ、その心配はございません。ご隠居さまは、お断りするおつもりですから。ただ、悩みの種は、当のお嬢さまです。何はともあれ、明日の朝までには戻っていただかないと」
「それもそうだな。喜介、すまんがこれから頼めるか」
「かしこまりました」
 喜介は疲れも見せず、また店を出ていく。しっかり者の手代は何とも心強い限りだが、心痛の種が消えるわけではない。
「お母さんが戻ったら、さっそく相談せねば。しかしお楽には、困ったものだ」
 丸顔の頰がこけそうなほどに、吉郎兵衛は長いため息をついた。

▶#4-4へつづく


MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2021年12月号

11月25日 発売

怪と幽

最新号
Vol.008

8月30日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP