menu
menu

連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.14

商いの仲間と夢中で語り合う徳兵衛だったが……。西條奈加「隠居おてだま」#4-2

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

「わしもこの機を逃したくないのは同じです。ただ、商いを無暗に広げるのではなしに、まずは足許を固めておきたい」
 ふうむ、と佳右衛門が、しばし思案に専念する。
 商人としての方向の違いであり、どちらが良策かは年月しか決められない。
「つまりご隠居が目指すのは、景気に左右されない、手堅い商いというわけですな」
「さようです。わしの気性もありますが、商いの回りようが職人たちの目にも捉えられる。多少のんびりでも、納得ずくで仕事に励み、自ら手応えを感じられる。綺麗事とのわきまえもありますが……」
「いやいや、仰ることはよくわかりました。つい先走ってしまうのが、私の悪い癖で」
「石橋を叩き過ぎるのも、わしの悪癖でしてな」
 はは、と互いに苦笑を交わし合う。将棋で言えば、攻めと守り、どちらにより傾くかは棋士によって千差万別だ。将棋なら勝敗の決着が必ずつくが、商いは違う。
 大儲けすればたしかに勝者だが、五十六屋の基盤が職人の手仕事である以上、品薄の折に荒波を越えてかんを運んだという、くにぶんもんのようなばくめいた商いはできようもない。
 作り手はあくまで、質や出来、工夫にこだわる。組紐師の誇りや気骨こそが、五十六屋の芯であり、ぐような真似はしたくなかった。
 一方で佳右衛門の焦りもまた、とくしんがいく。遠からず偽物は出回ろうし、その前に少しでも利を得たいと欲するのは、しごくまっとうな商人の姿だ。
「長門屋、柏屋、両店の邪魔をするつもりはありません。いっそのこと、長門屋さんが抱える職人にも、角切紐を作らせてはいかがかと」
「ですが、それでは五十六屋が損をすることに」
「おはちの趣向料として、わずかばかり納めてもらえると有難いが」
「趣向料……いや、待てよ。それなら卸と小売りにも、同じことができるのでは……?」
 何事かひらめいたようだ。佳右衛門がしばし考えを巡らせて、顔を上げた。
「いまは思いつきに過ぎませんが、うまく運べば、紛い物を封じる奥の手となり得るやもしれません」
「ぜひ、おきかせ願いたい」
 佳右衛門の策は、まさに妙案と呼べる代物で、徳兵衛の興を大いにそそった。
「それは面白い。ならば、もう一手踏み込んでみてはどうか」
「なるほど、悪くない。しかしそうなると、あちらをどう立てるかが鍵となりましょうな」
 新しい差し手を模索する棋士同士さながらに、夢中になって語り合う。
 商いの上で仲間とは、同時に敵でもある。味方のふりをしながら、水面下では足の引っ張り合いも茶飯事で、他者を出し抜いて保身に走るのは、あたりまえの人の弱さとも言える。徳兵衛とて似たようなもので、しまの主人であった頃は誰ひとり信じようとせず、出し抜かれてなるものかと疑心に凝り固まっていた。
 しかし隠居の身となって、少しずつ疑心の殻が堅固を失っていった。重い立場から退いたこともあろうが、それまで縁もゆかりもなかった者たちが、まわりに集まるようになり、何十年ものあいだ傷ひとつつかなかった殻に、いとも容易く隙間を作る。
 佳右衛門もまたそのひとりで、得難い好敵手のような手応えがある。互いにあれこれと語り合い、思案が形になってきたときには、すでにいとまごいの刻限を大きく過ぎていた。
「では近いうちに、柏屋の番頭を交えて相談しましょう。三日後の昼四ツではいかがです?」
「結構ですな。いや、すっかり長居をしてしまいましたな。この辺でお暇せねば」
「ああ、商い事に夢中になって、肝心のことを忘れておりました」
 腰を上げようとしたが、佳右衛門に引き止められる。さいを説かれた徳兵衛が、にわかにうろたえる。
「ええと、何と申しますか……ひとまず嶋屋に持ち帰って、息子や妻と相談してみませんと何とも」
「むろんです。ではこちらも三日後に、お返事を伺います」
 佳右衛門の満面の笑みに、辛うじて苦笑を返す。
 これは困ったぞ、と内心で焦りがわいた。

▶#4-3へつづく


MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2021年12月号

11月25日 発売

怪と幽

最新号
Vol.008

8月30日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP