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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.13

隠居屋で始めた商いは好調。徳兵衛が次の一手を思案していると――西條奈加「隠居おてだま」#4-1

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

前回のあらすじ

老舗糸問屋の元主人・徳兵衛が巣鴨村に隠居家を構えて一年余り。風雅な余生を送るはずの隠居家は、孫の千代太が連れてきた子供たちでいつしか大所帯になった。徳兵衛の手掛ける組紐屋「五十六屋」と、孫たちが営む子供商い「千代太屋」のふたつの商いを回し、手習所も開くという八面六臂な仕事ぶりで大忙しの日々だ。千代太の親友・勘七一家の悶着もひとまずはおさまり、組紐商いに精を出す徳兵衛の、新たな悩みの種とは――。

二 三つの縁談

「ほう、えのきちが高台を! それは実に面白い」
 なが右衛もんは、とくから話をきくなり身を乗り出した。
「高台ならば、糸数も組みようも増えますからな。同じ紐でもおもむきが変わる。榎吉の腕なら、きっと申し分ない仕上がりとなりましょう。これはい機ですぞ、ご隠居。角切紐のあたいが、一気に上がるかもしれません」
「と、言いますと?」
「角切紐の評判は、お武家にまで広まっておりましてね。かしわさんの話では、さるお大名家の奥方からも、内々で問い合わせがあったとか。いまは品薄で応じきれぬ上に、そもそも下々向けの品ですから、大名家にお出しするには如何なものかと。二重にもったいない話だと、柏屋の番頭はため息をついておりました」
 これまでにない派手な色柄の帯締めは、角切紐とめい打って売り出している。
 帯締め作りは、徳兵衛が相談役を務めるろくが、卸は紐問屋たる長門屋が、そして小売は、しばちようの小間物屋である柏屋が、それぞれ担っていた。
 長門屋はうえいけはたに店を構え、榎吉とおはちの夫婦は以前、長門屋からくみひも仕事を請け負っていた。主人の佳右衛門は、徳兵衛の眼鏡に適うほど、熱心な商売人であるのだが、ひとつだけ困ったへきがある。
「高台を操る職人は、腕も相応。大名家に納めるに値する。いっそ高台を、五台でも十台でも、もっと増やしてはいかがです? 職人は私の伝手で探してみます。大名家まで知れ渡っているのなら、早々に江戸城大奥にも伝わるはずです。大奥の注文となれば、数も尋常ではありません。大口の注文が入るやもしれませんよ」
 佳右衛門が絡むと、とたんに話が大きくなる。理想や夢を語る佳右衛門は、どこかに似ている。佳右衛門が目を輝かせて語り出すと、やみに胸がドキドキする。徳兵衛にしてみれば、地に足のついていない思案なぞこうとうけい、つまりはでたらめに等しい。
「いやいや、ご主人。まだ仕事場のしんもできぬうちから、大風呂敷を広げるわけにも」
「普請はやはり急がせましょう。のんびりと構えていては、商いの機を逃しかねない」
「ですが、いまはそれこそ普請には間が悪い。先の四月の火事で、がも界隈では大工や左官の手間賃が高じていましてな、未だに下がる気配がなく」
「では、私がよく知る大工の棟梁を、巣鴨に行かせましょう。腕はたしかですし、手間賃も決して高くはありません」
「上野から巣鴨まで、毎日通わせるのも心苦しい。とはいえ寝泊まりさせるとなれば、相応の掛かりが要る。土地の大工や左官との、つき合いもありますからな。急に他所から引っ張ってくるというのも具合が悪く……」
 商い仲間としては非常に頼もしく、信用のおける相手ではあるが、各々の気質はむしろ逆で、商売のやり方にもおのずと表れる。機に乗じて即座に動く佳右衛門に対し、何事にも慎重と用心を欠かさぬのが徳兵衛だ。
「しかしご隠居、来年になれば雨後のたけのこのように、江戸の方々で偽の角切紐が出回りますぞ。派手な柄模様さえれば、やすく作れますからな」
 佳右衛門の忠告もまた、もっともだ。柏屋が商う角切紐こそが、本家本元たることは揺らがないが、もうけの匂いがただよえば誰も彼もが便乗する。
 徳兵衛とて、そのくらいの予見は立つ。むしろだからこそ、先行きをじっくりと思案したかった。五十六屋の主人は、徳兵衛ではない。図案を生み出すおはちが要であり、技の要はりゆうの姉妹や、ゆくゆくは榎吉も加わろう。
 流行りに乗じて一気にふくらませるのも、商いの一手ではある。しかしいまの五十六屋には、勘定に長けたくろうがひとりもいない。もちろん、佳右衛門や徳兵衛が商い事を引き受けて、組紐は職人たちに託すこともできる。しかしそれでは、商人に使われる職人という始末になりかねず、本末転倒である。
 五十六屋を始めたもともとの骨子は、はんりよを失った女たちに生活たつきの道を与えることだ。
 ひとりで子育てをしながら稼ぐのは、男女を問わず難しい。ことに女は稼ぎの面で苦労する。組場の手伝いをするおむらとおしんも、それぞれ娘を育てている。
 そして同時に、五十六屋はあくまで、職人が切り盛りする組紐店である。
 職人が商いを兼ねる店は、江戸にも数多ある。大工なぞはその典型であろう。棟梁たる親方ひとりでは家は建たない。弟子や抱えの職人を差配して普請を仕切り、施主との相談から工賃の回収まで、一切を目配りする。交渉や勘定のために番頭や手代を置く店もあるが、主人はあくまで大工たる棟梁である。
 一方で、ひとりから数人のつましい構えも多く、組紐なぞはこちらの方が大半だろう。
「ご主人、これはあくまでわしの存念だが……仮に角切紐の人気に乗じて、五十六屋を大きくしたとしても、職人たちを置いてきぼりにしては、かえって後々の障りになる」
「置いてきぼり……そんなつもりは」
 佳右衛門は、商いの腕がありながら情にも厚い。わずかながら傷ついた顔をする。決して責めているわけではないと、徳兵衛は言葉を添えた。
「肝心なのは、角切紐の人気のかんにかかわらず、五十六屋が末永く続くこと。わしが見据えているのはそれだけです」
 一代きりの店なら、二十五年といったところか。当然、徳兵衛は寿命が尽きていようが、いまの職人たちがつつがなく暮らしを全うできれば御の字だ。
 角切紐はたしかに、五十六屋にとっては最上の好機だ。しかし人気に踊らされ振り回されたあげ、流行りが絶えて底冷えを迎えれば、はち切れんばかりにふくらんだ商いは、針の一突きで無残にしぼみかねない。

▶#4-2へつづく


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