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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.12

勘七の一家は、元に戻れるのか――西條奈加「隠居おてだま」#3-4

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「じゃあ、勘ちゃんのお父さんが、たびたび雑司ヶ谷に来ていたのは、そのためだったんだね?」
 鬼子母神の堂は、畑の真ん中にあり、その周辺にぽつりぽつりと町屋が点在している。雑司ヶ谷町はそのひとつで、下雑司ヶ谷町よりもさらに田舎に思えた。
 教えられたとおりに道を辿たどり、一軒のもたに着いた。ここも裏長屋だが、二階屋で間口が広い。障子戸には、『組紐 ぞう』と書かれている。榎吉の兄弟子にあたる、組紐師の家だった。戸の一枚は開け放されていて、中のようすが見通せる。
「ほう、これは……思った以上に立派な組場ではないか」
 一階がすべて仕事場になっているようで、広い板間に、四、五人の職人がいて、いずれも手を動かしている。糸玉のぶつかる音がいくつも重なって、少々騒々しいほどだ。
 しかし徳兵衛が何よりかれたのは、奥に据えられた二台の高台だった。
 紐の組台としてはもっとも大きく、畳半分ほどもある。布を織る織機を小ぶりにしたような代物で、玉数が多いだけに、より多くの色と複雑な模様に加えて、高台でしかかなわない組み方もあった。
 二台が並んだ左手に、榎吉の姿があった。戸口で名を呼ぶと、榎吉が顔を上げる。驚いてみせたが、となりの台の職人に声をかけ、すぐに腰を上げた。おそらく親方の万知蔵であろう。
「まさか、こんなところまで、ご隠居さまが出掛けてくださるとは」
「いや、仕事の邪魔をしてすまなんだな。話をしたいのだが、少し構わぬか」
 榎吉は承知して、戸口の脇に据えられた腰掛けを勧めたが、何故だか千代太が口を出す。
「あっちの、木戸脇の腰掛けの方がいいと思うな。ほら、ここは糸玉の音が大きいし、おじいさまがきこえないかもしれないから」
「わしの耳は、まだ衰えてはおらんぞ」
 むっつりと返しながらも、ひとまず木戸脇へと場所を移して、榎吉と並んで腰掛ける。
「坊はちょっと、近所を見てくるね。さっき面白そうな店があったんだ」
 気を利かせたつもりだろうか。遠くに行くでないぞ、と声をかけ、孫を送り出した。
 それから改めて、榎吉をながめた。
「おまえはずっと、高台の修業をしておったのだな。いましがた、下雑司ヶ谷できいた」
「おきをに、お会いになったんですかい」
「ああ、ちょうど引っ越しの最中でな。今日のうちに、箕輪に移るそうだ」
「さいですか……」
 懐かしむような、遠い目をした。いっときは男女の仲になったのだ。物思いはあろうが、すでに過去になっている。榎吉の横顔から、徳兵衛はそう判じた。
「いまさらだが、よく戻ってきたな。雑司ヶ谷で暮らしていた方が、楽だったのではないか?」
「おれを引き戻したのは、あの角切紐でさ」
 ふり向いて、徳兵衛の視線を捉える。紛れもない職人の顔だった。
「あれを見たときは、からだが震えた。おはちの色柄だと、すぐにわかった。おれには女房からつきつけられた、果たし状のように思えやした」
 雑司ヶ谷で新しい所帯をもって、安穏と暮らす。榎吉にはその道もあったはずだ。日当たりのいい池に、ぬくぬくと浸かっていたところに、いきなり冷や水をぶっかけられた。そんなところだろうか。
 三年のあいだに女房は──、いや、おはちという職人は、さらに腕を上げていた。色柄はいっそう派手を増し、役者の帯締めとして売り出され、たいそうな評判をとっていた。自分がんでいた池がどんなに小さいか思い知り、負けるものかとの意地と誇りが、おはちの許へと引き寄せた。いわば職人としてのきようが、逃げ続けることを拒んだのだ。
「それで高台の修業を始めたのか?」
「いや、始めたのは、二年ほど前になりやすか。兄弟子の万知蔵親方を訪ねたときに、高台で組んだ紐を見せられて、これだ! と思いやした。おれがおはちと並んで歩くには、これしかねえと」
 色柄の趣向では、女房におよばない。榎吉が誇れるものは技であり、高台でさらに磨きをかけて、もう一度、妻子のもとに帰ろうとしたのだ。本当は、修業を終えてから戻るつもりでいたのだが、角切紐が一足早く、榎吉を妻子のもとに走らせた。
「この前は言いそびれやしたが、今年の内に修業を終えやす。来春から、あっしを五十六屋で雇ってもらえやせんか?」
「では、榎吉、おまえはおはちのもとに、戻るつもりでおるのか。ああ、なんだ、その、おはちの来し方については……いいのか?」
「応えてねえと言や、噓になりやす。ですが、この五日ばかりずっと考えて……仮におはちに好いた男がいたとしたら、おれはそっちの方が耐えられねえ」
 自分はその過ちを犯しておきながら、我ながら身勝手な話だと自嘲した。
「おはちや勘七が許してくれるなら、また一緒に巣鴨で暮らしてえと……ご隠居さまから、そう伝えてもらえやせんか」
 承知した、と告げるつもりが、それより早くこたえる声があった。
「おれは、許さねえぞ」
 ぎょっとして、ふり返る。声は背中側、そして何故だか上から降ってきた。
「勘七、おまえ、いつからそこに!」
 長屋の塀の上からにょっきりと、勘七の顔が覗いていた。
「もう、勘ちゃんたら、こっそりって言ったのに」
「これ、千代太、おまえもそこにおるのか?」
 声を張ると、木戸の陰からぴょこりと千代太が頭を出した。
「ごめんなさい、おじいさま。でも勘ちゃんに、お父さんのホントの気持ちを伝えるなら、これしかないって」
「盗み聞きしていたのは、いまだけか?」
「下雑司ヶ谷の長屋でも……えへへえ」
 徳兵衛とおきをの会話も、やはり家の外で勘七が聞き耳を立てていたと、千代太が白状する。徳兵衛は、塀の上から覗く顔に、下りてくるよう促した。
「勘七、すまなかったな。もういっぺんだけ、父ちゃんを許してくれねえか」
 父親からあからさまに視線を逸らし、勘七はむっつりと告げた。
「おれは、許さねえ……でも、母ちゃんが許すなら、大目に見てやる」
「ああ、十分だ。ありがとう……ありがとうな、勘七」
「うおっ、やめろよ! もう子供じゃねえんだから」
 榎吉が息子を強く抱きしめ、大きな腕の中で勘七がジタバタする。
 そのようすをながめて、うふふう、と千代太が嬉しそうに笑った。
「よかったね、おじいさま。これでまた、めでたしめでたしだね」
「わからんぞ。明日にも悶着の芽が、また吹くかもしれん」
 と、孫に向かって嫌味を吐く。家族とはそういうものだ。日常のそこかしこにいさかいの種は落ちていて、隙があればたちまち芽吹く。ひとつずつ丹念に摘みとっていくのが、長く営む唯一のけつかもしれない。
「ところでな、千代太。勘七をこっそり連れてくるとの策は、おまえの思案か?」
「え? えーっと、えーっと……」
 実にわかりやすく、千代太があわあわする。それだけで、徳兵衛には察しがついた。
「おまえではなく、他の誰かが思案したのだな?」
「はい、でも……」
 ちらりと祖父を見て、もじもじする。どうやら口止めされているようだ。
 もしも悪い方向にころがれば、よけいに勘七を傷つけることになる。前もって榎吉やおきをの事情をつかみ、そうはならぬと踏んだ上で、千代太を通して徳兵衛を担ぎ出した。
 こんな周到な真似ができるのは、ひとりしかいない。
「やれやれ、してやられたわ。まったく、我が女房ながら食えぬ女だ」
 頭に浮かんだ、能面のような妻の顔が、かすかに唇の片端を上げた。

▶#4-1へつづく


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