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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.11

孫の千代太がまた「妙案」を思いつく。西條奈加「隠居おてだま」#3-3

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

「おじいさま、早くう。もうすぐ長屋に着くよ」
 田畑を抜けて、こくの前を過ぎると、とたんに足が重くなった。向こうには、相手の女がいる。またぞろ修羅場と化すのではないかと、気が滅入る。
 けれども、徳兵衛の見当は、大きく外れた。
 しも雑司ヶ谷町の、おきをとはるが住まうという長屋に行ってみると、木戸の外に大八車がとまっていた。ふたりの男が家財道具らしき荷を積んで、縄をかける。男のひとりが、木戸の内に向けて怒鳴った。
「おきをさーん、これでしまいかね?」
 声に応じて、長屋の一軒から、ほこりよけの姉さん被りをした女が出てくる。
「はい、終いです。ご苦労ですが、みのまでお願いします」
 女は大八車を見送って、また長屋に戻ろうとする。その折に、声をかけた。
「おきをさんというのは、あんたかね?」
「はい、そうですが……」
「わしはがもの糸問屋、しまの隠居で、徳兵衛と申す。いきなり訪ねてすまなかったが、そのう、榎吉と少し話をしたくてな」
「榎吉さんと……」
 女が、丸い目を大きく広げて、徳兵衛を見詰める。
「引っ越しとお見受けしたが……もしや榎吉と、どこかで所帯を持つつもりか?」
「え? ああ、いえ……ここでは何ですから、どうぞお上がりください」
 長屋の中程にある一軒に、招じ入れる。中には何もなく、きれいさっぱり片付いていた。四畳半の座敷に、小さな風呂敷包みがひとつと、女の子がちょこんと座っている。
 なつと似ているところはどこにもなく、大人しそうな子供だ。
「はる、こっちにいらっしゃいな。狭いところですが、どうぞ……あら、どうしましょ、の仕度もできなくて」
 構いは無用と告げたが、近所の者に頼んでくるからと、いったん戸口から出ていった。
「千代太、この子としばし、外で遊んできなさい」
「はい、おじいさま。はるちゃん、お兄ちゃんと遊んでくれる?」
「うん!」
 相手のあんを生む穏やかな笑みは、孫の才のひとつだろう。初見にもかかわらず、はるは嬉しそうに千代太の手を握る。子供たちが出ていくと、入れ違いにおきをが、盆の上に茶碗を載せて戻ってきた。白湯ですが、と断って、徳兵衛の前に茶碗を置いた。
 結構な道程を歩いてきたから、湯が心地よく喉を通る。
「して、引っ越しの話だが……」と、気短に話を促す。
「あたし、再縁するんです。相手は、榎吉さんではありません」
 勇んで来てみれば、肩透かしを食らった格好だ。これには徳兵衛も、あんぐりと口を開いた。
「榎吉さんとは、とうにお別れしました。すまないと、詫びられて……」
 いまは巣鴨にいる妻子のもとに戻ると、榎吉は決心し、別れを告げた。少し切なそうに、おきをがまぶたを伏せる。
「あんたは、それでいいのかね? 得心はいったのか?」
「榎さんは、いちばん辛い頃に、あたしを支えてくれました。亭主の死を、乗り越えることができたのは、榎吉さんのおかげです」
 感謝こそすれ、恨むつもりはないと、有難そうに語った。いつか別れが来ることも、薄々感づいていたとつけ加える。
「榎さんは、ふたりの子供のことを、片時も忘れたことはありません。はるを可愛がってくれたのも、下の娘さんに重ねていたのでしょう」
 はるを通して思い出話がこぼれ、今年でいくつになった、どれほど背丈が伸びたろうかと、会えない我が子の姿を思い浮かべていたという。
「でも、それ以上に、おかみさんへの思いが強かった。単に女房恋しさではなく、もっと強いきずながあった」
「絆、だと?」
「組紐です。榎吉さんはずっと、組紐を通しておかみさんを追いかけていた……あたしには、そう思えます」
 組紐が、夫婦に別れをもたらし、一方で、ふたたび縁付くための赤い糸となった。
「職人の、ごうだな……」
 徳兵衛の呟きに、ええ、とおきをはうなずいた。それから問われるまま、伯父の世話で箕輪に縁付くことになったと語る。さっき大八車を引いていったのも、従兄である伯父の息子たちだった。
「本当は、亭主を亡くしてまもなく、伯父から再縁話をもちかけられました。でも、しばらくは、どうしてもそんな気になれなくて…」
 榎吉と別れたことでふんぎりがつき、話がまとまった。相手にも男の子がひとりいて、これからは四人暮らしだと、笑顔になった。
「ひとつきくが、榎吉は巣鴨に移ってから、ここには……?」
「一度も……いえ、何日か前に訪ねてきたのが、最初で最後です」
 寺野屋を通して、おきをの再縁や引っ越しをきいて、はるに土産を携えてきた。運の悪いことに、その一度きりに勘七は出くわしたのだ。
「そういえば、榎さんの息子が勘違いをしたようで……榎さんは大丈夫だと言ってましたが、もしかしてめたのですか?」
 いまさらおきをに、悶着を担わせるつもりはない。案じることはないと、話を収めた。
「それより、榎吉の行先に、心当たりはないか? 巣鴨に越してからも、足繁く雑司ヶ谷に通っていたそうだが」
「ああ、それなら、きっとあそこです」
 じんに近い、雑司ヶ谷町への道筋を、徳兵衛に説いた。

▶#3-4へつづく


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