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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.6

様子のおかしい父の後をつけてみると…… 西條奈加「隠居おてだま」#2-2

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

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「兄ちゃん、なに怒ってんの?」
「別に。怒ってねえ」
「変な顔だから、怒ってんの? ひょうちゃんと、喧嘩なんかするからだよ」
 妹に言われて、表通りに出る前に立ち止まった。
あざ、まだ目立つか?」
「昨日よりは、だいぶまし。でも、こことここは、まだ紫色」
 勘七の左目の下と左顎を、なつが指さす。家には鏡なぞないから、確かめようがない。いちばん貧乏だった頃、他の家財と一緒に売ってしまった。母は一時、濃化粧をして酒場で働いていたが、化粧は店でしていたし、とくの隠居家で組紐仕事を始めてからは紅すら差さなくなった。
「鏡……か。小っさくてもいいから、買ってやりてえな。おれのもらいで足りるかな。そもそも鏡って、いくらすんだ?」
 ぶつぶつとつぶやきながら、ひとまずなかせんどうを西に行く。巣鴨町は、上組、上仲組、下仲組、下組の四町からなり、中山道に沿って、西北から東南へと細長く伸びていた。
 考えに耽っていたから、巣鴨町のちょうど中程で、どん、と背中を叩かれて驚いた。
「はよ! なんだなんだ、抜けた顔して」
「なんだ、瓢か。脅かすなよ」
「何べんも声をかけたのに、すたすた行っちまったのは勘じゃねえか。にしても、ひっでえ面だな」
「いや、おまえも、人のこと言えねえぞ」
 妹のなつと、瓢吉の弟のいつろうが、しげしげとふたりの顔を見くらべる。
「兄ちゃんと瓢ちゃん、顔がおそろいだよ」
「ホントだ。痣の場所がおそろいだ」
 瓢吉の顔にも、昨日、勘七がつけた紫色の痣が残っていて、しかも痣の場所は、左目の下と左顎だ。
「……悪いと、思ってる」
「お互いさまだろ、気にすんなって」
 瓢吉が、にっかりと歯を見せる。涙もろくて気のいいところが、瓢吉の長所だ。
「それより、おやっさんは? 今日間違いなく、ぞうに出掛けるのか?」
「ああ、ちゃんと確かめてきた。たぶん半時くらい遅れて、家を出るはずだ」
「よし、じゃあ、手筈通りに後をつけるぞ。これって、おんみつみてえだな」
 父の榎吉もまた組紐師であり、いまは雑司ヶ谷にある小間物問屋、寺野屋から注文を受けている。榎吉は家で紐を組み、五日に一度ほどの割合で、寺野屋に品を納めにいく。
「そもそも、通いが多過ぎると思うんだ。前になが屋の仕事をしていた頃は、品納めは月に一度がせいぜいだった」
「罪滅ぼしのために、いっぱい仕事取って、いっぱい稼ごうって腹じゃねえのか?」
「父ちゃんも、そう言ってる。でも五日じゃ、あまりに短い。父ちゃんの行先は、寺野屋ばかりじゃねえのかなって」
「そうか……なら、その行先とやらを突き止めて……」
「兄ちゃあん、兄ちゃあん!」
 突然上がった逸郎の悲鳴が、相談事に水を差す。
「どうした、逸?」
「なつの奴が蟬を……うわあ、嫌だあ、こっち来んな!」
「こわくないよ、可愛いよ! ほら、逸郎、この羽とかきれいだよ」
 蟬をつかんだなつが、逸郎を追いかけまわしている。
「もう秋なのに、まだ蟬がいたのか。めずらしいな」
「秋蟬だろ。境内の林でも声がするからな。逸は、蟬だけは苦手でなあ。小さい頃に、顔の上で蟬に暴れられてな。以来、蟬には寄り付かねえ」
「そういうことか。おい、なつ、やめてやれ。逸郎は蟬が嫌いなんだとよ」
「どうしてえ? 蟬が怖いなんて、変なの。逸ちゃんは弱虫だなあ」
「なつの方こそ、猿女じゃねえか! 猿女! 猿女!」
「弱虫! 弱虫!」
 収拾がつかなくなってきた。兄同士が、やれやれとため息をつく。
「逸はたしかに、男のくせに甘ったれでな。いつまでたっても兄ちゃん兄ちゃんで」
「なつもいい勝負だ。なにせおれより、男勝りなところがあるからな」
 ふたりがぶつかるのは、いつものことだ。最近とみに増えてきたが、喧嘩の種があまりに他愛ないために、止める気もおきない。
「こうしてはたで見ると、喧嘩ってくだらねえな」
「おう、おれたちは、もうやめようぜ」
 同じ場所に痣のついた顔で、うなずき合った。その後もまた、別の件でひともんちやくした。
「どうして兄ちゃんは、境内に行かないの?」
「だからおれたちは、用があるんだよ。今日はおまえたちだけで……」
「いやだあ、なつも兄ちゃんと一緒に行く!」
「おれも兄ちゃんと一緒がいい。連れていってよお」
 駄々をこねるときだけ、息を合わせるのだから始末が悪い。道の真ん中で往生していたが、幸い助け船が現れた。
「おはよう、朝からにぎやかだね」
「あ、ちーちゃん!」
しま屋で待っていたんだけど、なかなか来ないから迎えにきたんだよ」
 巣鴨町の西の端にあたる上組には、の家である糸問屋、嶋屋がある。
 去年の三月まで、徳兵衛のご隠居が主人を務め、いまは千代太の父、きちの代になっていた。
「来てくれて助かった。こいつらがごねて、始末に負えなくて」と、瓢吉が訴える。
 千代太はにっこりと微笑んでから、なつと逸郎の前でぺこりと頭を下げた。
「今日はさんけい商いを、逸ちゃんやなっちゃんに教えてほしいんだ。どうぞよろしくね」
「え、おいらたちが?」
「ちーちゃんに、教えるの?」
「うん、頼めるかな?」
「おう、いいぜ! 任せとけ!」
「なつも! なつもちーちゃんの師匠になる」
 たちまちころりと機嫌が直る。嶋屋で弟妹たちを、千代太に託す手筈になっていた。
「ふたりとも、気をつけてね」
「そっちも、ちびたちの面倒任せたぞ」
「おい、急ごうぜ。だいぶ手間取っちまった」
 中山道を西へと向かう三人を見送って、瓢吉と勘七はきびすを返した。大急ぎで、いま来た道を戻る。中山道を南に折れて、下組と下仲組の境の道に入る。この辺は、ますがた横丁と呼ばれている。横丁が途切れる辺りに、大きな木があって、その陰に身をひそめた。
「親父さんは、本当にこの道を通るんだろうな?」
「うん、前にきいたから間違いないと思う」
 だが、しばらく待っても、父の姿は現れない。子供の常で、待つのは苦手だ。
「おれたちがもたついている間に、先に出ちまったんじゃないか?」
「もしかしたら、別の道を行ったのかな……」
「おれがおまえの長屋に行って、ようすを見てこようか?」
「待て! 来たぞ、父ちゃんだ!」
 風呂敷包みを手にした榎吉が、ふたりが潜む木の前を通り過ぎる。
 垣間見えた横顔が、思い出し笑いをするようにゆるむ。何故だか、嫌な予感を覚えた。
「行くぞ」と、小声で瓢吉に促され、勘七は父の姿を捉えて歩き出した。

▶#2-3へつづく


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