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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.14

生徒会長を目指す茅森はある悩みの相談を坂口に持ち掛ける。 緑眼の少女と寡黙な少年が世界を変える物語! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#2-4

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

※この記事は期間限定公開です。

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3、坂口孝文

 六月の後半の、久しぶりに晴れた日に、茅森りようとふたりきりになった。
 図書委員の仕事を終えた僕たちは、寮に戻るために、校庭の外周にある小路を歩いていた。夕焼けの綺麗な放課後だった。一歩後ろをついてくる茅森は珍しく不機嫌そうで、口を固く結んだ顔つきは影の色が濃い時間によく似合っていた。
 やがて、彼女は少しくどい前置きを口にした。
「中川先生から聞いたのだけど。それに、あの人との約束があるから、口外するつもりはないのだけど」
 なに? と応えてもよかったけれど、とにかくしやべらないことが癖になっている僕は、黙って茅森の声を聞いていた。代わりに少しだけ歩調を緩めて、茅森の隣に並んだ。
「不要なものを、貴方が捨ててくれるって本当?」
 僕は頷く。
 内心では驚いていた。清掃員のことを、彼女から話題にするとは思わなかったから。
「なんでも捨ててくれるの?」
「物によるよ」
「乾電池は? 単一サイズの」
 僕は短い時間、考えて尋ね返す。
「数は?」
「とりあえず、一ダースくらい。できればそれを継続的に」
「継続的」
「できるだけ手元に置いておきたくはないから、一〇日ごとにふたつずつ回収してもらえるとうれしい」
「報酬は?」
「なにを払えばいいの?」
「とくに決まりはないよ」
 たいてい僕はお菓子の空箱を処理しているから、代わりにお菓子をもらう。捨てるものの五分の一が相場だ。チョコレートの空箱を五箱捨てる代わりに、新しいものをひと箱もらう。
 実のところ、乾電池は少し厄介だった。平たくできないから。でも、小さなものであれば捨てる手段は用意している。
「私には、これといって払える物がないのだけれど」
「理由次第で、ただでも引き受けるよ」
「物はないけれど、できることならあるかもしれない。たとえば、貴方と橋本先生の問題を解決する、というのはどう?」
 僕は足を止めた。
 寮に戻る小路の途中にはあずまがあり、屋根の下にベンチが置かれている。ちょうど、その前だった。茅森が狙ったロケーションのように感じる。
「座って話をしようか」
 僕の言葉に頷いて、彼女は微笑む。それは明らかに作り物の笑顔だったが、美しくはあった。最新の工業製品みたいな、機能を追求した美しさだった。
 僕たちは並んでベンチに腰を下ろす。校庭では野球部が練習を終え、三々五々に引き上げていく。その隣でバッテリーのふたりだけが居残って投球練習をしている。
「さて、どちらの理由から話をしましょうか。私の理由か、貴方の理由か」
「僕の方はいい」
 僕の問題に、他の誰かが関わることは望んでいない。
 でも彼女は意地悪に頷く。
「じゃあ、そっちの話からにしましょう」
 茅森良子は常に相手の上に立とうとする。僕はその姿勢が嫌いではなかった。彼女は相手よりも上位であるために充分な努力をしているから、むしろすがすがしい。でもその相手が僕になるなら、さすがに顔をしかめてしまう。
「なにを知ってるの?」
 僕と、橋本先生のことを。
「それほどは知らないよ。でもはたからみていれば、わかることもある。貴方は橋本先生の授業をボイコットしている。テストまで含めて。そして、きっとその事情には、拝望会が関係している」
「どうして?」
「そうでなければ、貴方が拝望会の運営委員になるはずがないから」
「ただの気まぐれだよ」
「それはない。橋本先生も拝望会の運営委員だもの」
 拝望会は教師にとっても重労働だ。だから若い先生が、優先的に運営委員に入る。橋本先生は「若い男性教師」なので、拝望会に関して多くの仕事が割り振られている。
 茅森は、まるで犯人を追い詰める探偵みたいに続ける。
「貴方は嫌っている相手に、わざわざ自分から近づいた。そこで拝望会と橋本先生について調べてみた。あの人は、拝望会の目的地を変えようとしている」
「うん」
「でも、私にわかっているのはそこまで。貴方が橋本先生に強く反発する理由はわからない」
 声が上ずるのも忘れて、僕は答えた。感情的になっていた。
「気分が悪いだけだよ。あの人の、考え方が」
「どうして?」
「月の下で、海を眺めて食べるカップ麵が、最高に美味いから」
 他に、話せることはない。

 橋本先生は、悪い人ではない。
 むしろ善良な人なのだと思う。心優しく、明確な正義感を胸に持っている。でもその正義感が、僕とは根本的にかみ合わない。
 橋本先生は拝望会を嫌っている。あのイベントの在り方を、より現代の価値観に即したものに作り替えたがっている。でもそれは容易なことではない。とくに卒業生たちで構成されている学友会は伝統を変えることを嫌い、彼らからの寄付を受けている学校側もそれに反対できない。
 事件が起きたのは、昨年の文化祭──章明祭のあとに行われた、卒業生たちとの交流会だった。交流会は、中等部は自由参加となっていた。でも綿貫が橋本先生に呼ばれ、僕も彼に付き合って参加した。
 その交流会で、橋本先生は言った。
「拝望会の経路変更に、ご賛同いただけませんか?」
 相手は落ち着いた、でも僕にだって高価だとわかるスーツを着た、白髪の小柄な男性だった。その人物が学友会の会長なのだと、あとから知った。
 橋本先生の声は会場内によく通った。だから離れた場所にいた僕や綿貫にも聞こえていた。彼は続ける。
「生徒たちの成長のために、ああいった行事に価値があるのはわかります。でもわざわざ目的地に、長い階段がある展望台を選ぶ必要はないでしょう。疲れ果てた生徒たちが、暗い時間に、あのコースを歩くのは危険です。それに生徒の中には、経路に階段があることを理由に、ゴールを諦めざるを得ない子もいます」
 橋本先生はこちらを──正しくは、綿貫をみた。会場でただひとり、車椅子に腰を下ろしていた綿貫を。
 あの人は説得の材料に綿貫を呼んだのだ。そう気づいたとき、僕の全身が小刻みに震えた。神経が混乱して筋肉が上手くいうことをきかなかった。橋本先生と学友会の会長は、しばらくなにか話をしていた。僕にはもうその声が聞こえなかった。
 やがて橋本先生が、こちらに向かって歩いてくるのがみえた。あの人は言った。
「綿貫。君を紹介したい人がいる」
 彼の言葉をさえぎって、僕は綿貫にささやいた。
「帰ろう。とても体調が悪いんだ」
 そのとき、綿貫がどんな顔をしていたのか、僕は知らない。僕は車椅子のハンドルを握っていて、綿貫はこちらに背を向けていたから。
 少なくとも僕の方の顔つきは、ひどいものだったのだろう。
 橋本先生は、純粋に心配そうな顔を僕に向けた。
「大丈夫か? 保健室に──」
 僕は口早に答える。
「大丈夫です」
 そのまま車椅子を押して歩き始める。
 後ろから、橋本先生が言った。
「綿貫まで帰ることはないだろう」
 僕はなんとか、足を止める。たしかに僕は綿貫の選択肢を奪う権利を持っていない。
 綿貫はようやく振り返り、僕に微笑んだ。
「行こう。オレも、気分が悪くなったところだ」
 僕はまた、車椅子を押して歩き出す。振り返らないまま会場を後にした。
 その交流会が行われたのは、昨年の拝望会の二週間ほど前だった。
 あのとき綿貫は、拝望会への参加を決めてはいなかった。車椅子でいけるところまでいくのか、初めから不参加を選ぶか、まだ迷っていた。僕たちはそのことで何度か話し合った。もちろん、いちばん重要なのは綿貫自身の考えだ。でも僕は、できるなら彼と拝望会を歩きたかった。綿貫は、どちらかといえば、できる範囲で拝望会に参加するつもりになっていたように思う。
 でも、けっきょく彼は、昨年の拝望会には参加しなかった。
 交流会の会場から寮までの帰り道に、彼は言った。
「お前が怒るなよ」
 まるであきれたような、場違いに明るい声だった。
「オレが悲しむ権利を、奪わないでくれよ」
 僕はしばらくのあいだ、無言で車椅子を押した。彼の言うこともよくわかったから。悩んで、悩んで、涙がにじんだ。でも頷けはしなかった。
「嫌だ。僕は、僕のために怒っているんだ。君は関係ない」
 そうか、と彼は、やっぱり呆れた風にささやいただけだった。

 あのときの綿貫との会話に、噓はなかった。
 僕は僕のためだけに怒っていた。それは僕にとって、ひどく当たり前で自然な怒りだった。
 でも橋本先生は、僕がなにに対して感情的になっているのか理解できないようだった。僕は何度か橋本先生に呼び出されたけれど、どうしても話がかみ合わなかった。僕の耳には、彼の言葉がひどくごうまんで矛盾したものに聞こえて、その冬から彼が作ったテストを白紙で提出することを決めた。
 これは、僕の個人的な感情の問題だ。第三者が関わることを望んではいない。
 だから僕が、拝望会の経路を変えたくない公的な理由はひとつだけだ。
 ──月の下で、海を眺めて食べるカップ麵が、最高に美味いから。
 もちろん茅森は、そんな説明で納得したわけではないのだろう。でも彼女はそれ以上、僕の事情を尋ねはしなかった。
「なんにせよ、橋本先生の意見には、ある程度納得できる」と彼女は言った。「拝望会は問題を抱えていて、その問題の一部は経路を変更することで解決できる」
「そうだね」
 ただそれだけであれば、異存はない。
 ゆうに照らされた茅森は、悪意のない瞳で僕をみつめる。
「貴方の目的はあくまで、海辺でカップ麵を食べることなのね?」
「違う。これまでと同じ展望台で、これまでと同じようにカップ麵を食べることだよ」
「場所というより、変わらないことが大切」
「うん」
 これは正確な説明ではなかった。もしも橋本先生が、学友会の説得に綿貫を使わなかったなら、僕の考えはまったく違っていた。正直、伝統なんてものに興味はない。必要であれば変えればいい。僕が本当に問題にしているのは、そこに至るまでの過程だ。
 茅森は言った。
「なら、簡単だよ。目的地をふたつにすればいい」
「ふたつ?」
「つまり、これまで通りの展望台とは別に、橋本先生が望む場所も目的地にする。参加者は好きな方を目指して歩けばいい」
 短い時間、僕は黙り込む。
 茅森の提案は、たしかにひとつの答えではある。僕が橋本先生に対して怒っていることの本質はなにも解決しないけれど、事情を説明していないのだから、彼女にそこまで求めるのは無茶苦茶だ。
 でも簡単に思い浮かぶ疑問が、ふたつあった。現実的なものと、感情的なものだ。
 僕は現実的な方から口にする。
「運営委員の数が足りない」
 もともと、拝望会には運営委員が足りない。教師は総出で見張りにつき、高等部の一部の生徒も手を貸すけれど、それでも長い行程のすべてに目が届くわけではない。ルートを増やすと、より人員が必要になるはずだ。
 茅森の方も、そんなことはわかっていたのだろう。簡単に頷く。
「運営委員の人数を増やしましょう。高等部からボランティアを募る」
「簡単に集まるかな?」
「集まるよ。必要な人数くらいは」
「どうして?」
「紅玉寮を使うから。それくらいの無理は通る」
 かもしれない。でも、足りない。
「子供を増やすだけなら、学校が納得しないよ」
「かもね。じゃあ大人も集めましょう。なんとかしてみせる」
 彼女にそれができるだろうか。ただの中等部の二年生に。不可能だ、という気もしなかった。茅森良子には具体的なプランがあるのだろう。できもしないことを思いつきで喋る子だとは思えない。でも。
 僕はふたつ目の疑問を口にした。
「それを、君が提案するのか?」
 そんなものを。拝望会に新たなルートを作るなんて提案を、君が。緑色の目を持つ茅森良子が。
 彼女は笑う。変わらず、綺麗に。無機質に。
「だからいいんでしょう。私が頼むから、橋本先生は受け入れざるを得ない。あの人はきっと、そういう人でしょう」
 僕はなにも答えなかった。
 おそらく彼女が言う通りだから。
 拝望会が抱えるもっとも大きな問題は、橋本先生が本当に解決したがっている問題は、展望台へと続く長い階段のことじゃない。車椅子で生活している綿貫が、決してゴールにたどり着けないことじゃない。
 いちばんの問題は、これまでの拝望会では、緑色の目の生徒たちがおしなべて途中で棄権していることだ。学校側だってその事情がわかっていて、宿泊施設まで歩けばその後の参加は自由、なんて苦しい言い訳を用意している。
 拝望会のルーツは、ある行軍だ。

#2-5へつづく
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