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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.36

【連載小説】高校2年になった茅森と坂口の関係は――。 緑瞳の少女と寡黙な少年の恋が世界を変える物語! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#5-1

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

生まれつき緑色の目を持ち、施設で育った茅森良子は映画監督の清寺時生に引き取られ、制道院学園に転入した。坂口孝文と出会った茅森は生徒会長を目指すと宣言、先輩・荻を次期生徒会長にするべく動く。坂口は拝望会を変えるために親友の綿貫を利用しようとした教師の橋本を嫌っていたが、自分を変えようと橋本と話し合う。拝望会当日、自分なりの方法で参加する綿貫を見つけた坂口は、橋本の手助けもあり、綿貫と共にゴールの展望台に辿りついた。

第2部 一七歳

第1章

1、坂口孝文

 放課後の廊下をひとり歩く。
 梅雨の合間のよく晴れた日だった。
 夏を感じさせる鋭い光が窓の形に切り取られて射し込み、くすのきの影を廊下に映す。僕は少し背を丸めて、視線を落として進む。
 前方から、大きくはない、だが軽快な足音が聞こえた。それはかやもりりようの音だった。彼女は繊細に作り込まれた微笑を浮かべ、背筋を伸ばして、後輩ふたりを引き連れて歩いてくる。彼女の足元で楠の影がかすかに揺れた。
 茅森は落ち着いた声で「こんにちは」と僕に声をかけた。
 僕はちらりと彼女の顔を確認しただけで、なにも応えずすれ違う。
 高等部二年の六月。僕が一七歳で、彼女の誕生日を二か月後に控えたころ。
 茅森良子はせいどういん学園を支配していた。

 昨年の秋にあった生徒会選挙は、茅森の圧勝だった。
 それは考えられる限りで最高の勝利だった。生徒会長に立候補したのが、彼女ひとりきりだったから。他のすべての寮は──うんまで含めたすべては、敗北を認めて対立候補を立てなかった。
 中等部二年の秋に生徒会選挙でおぎさんが勝ったときから、この展開は計画されていた。生徒会長の腹心という立場を得た茅森は、着実に発言力を高めながら支持者を増やし、圧倒的な優位を背景に紫雲やせいげつと繰り返し交渉して話をまとめた。夏休みに入る前にはもう勝負がついていた。彼女ひとりが立候補した選挙では、信任、不信任を問う投票が行われ、九割を超える生徒が彼女を信任した。
 制道院において、緑色の目をした女子生徒が生徒会長に就くのは初めてのことだった。だが全校集会で挨拶をする茅森の姿に不自然なところはひとつもなかった。彼女は美しい姿勢でマイクの前に立ち、自信に満ちた完璧な笑みを浮かべ、よく通る理性的な声で新たな生徒会長に選ばれたことを報告した。彼女の言葉は制道院の伝統と呼ばれるものに対して、充分に配慮されていた。目の色にも性別にも触れはしなかった。それでも茅森良子の姿は劇的だった。彼女が制道院の生徒の代表になったことで、この学校の時代がひとつ前に進んだのだと強く感じた。
 それは僕だけの印象ではなかったはずだ。
 制道院の生徒会なんてものは、多くの生徒からみれば内申点と有名大学への推薦枠を勝ち取るためだけにあるもので、これまでは取り立てて話題になることもなかった。僕が中等部一年だったころの生徒会長の名前を答えろと言われても出てこない。当時だってろくに覚えていなかったのではないかと思う。
 でも、茅森は違う。
 おそらくこの校内で、彼女の名前を知らない生徒はひとりもいない。校長先生の名前を知らなかったとしても、茅森良子はフルネームで答えられる。彼女の里親がせいときで、将来は総理大臣を目指しているのだということだってたいていの生徒が知っている。
 誰の目からみても、茅森は特別な生徒だった。成績は常に学年のトップを維持し、昨年の生徒会でも主力のひとりで、公開討論の全国大会では最優秀賞を獲得した。茅森がひとつ成果を出すたびに、彼女の味方が増えた。
 一方で、茅森を嫌う生徒もいないわけではなかった。選挙でも、一割近くは不信任に投票しているのだ。とくに紫雲寮には──選挙では勝ち目のない戦いを避けたとはいえ──茅森を目障りに思う生徒も多いようだ。紫雲にはやはり発言力があり、それに従う他の寮の生徒もいる。純粋に目立つというだけで眉をひそめられることだってある。
 茅森良子は、自身の味方にも敵にも同じ笑みを向ける。
 少なくとも表向きは、三年前に制道院にやってきたころから変わらず、完璧な優等生であり続けている。

2、茅森良子

 昨年の夏ごろから、さかぐちは私を避けるようになった。
 私は表向き、すべての生徒を平等に扱う。だから坂口をみかけると、丁寧にほほんで挨拶をする。彼が素っ気なくすれ違っていくと知っていても。
 今日も放課後の廊下で坂口に無視されて、私は生徒会室に向かった。
 初めてその部屋に踏み込んだときには、ずいぶん緊張したものだった。
 私が制道院に入る前の年までは、生徒会室には別の部屋が使われていたと聞いている。でも、そちらは全国大会で優秀な成績を残した数学部に部室として明け渡すことになったそうだ。以前生徒会が使っていた部屋は、たった数人の執行役員には広すぎたのだろう。代わりに生徒会には、教室の半分ほどのサイズの日当たりが良い部屋が与えられた。それは以前、清寺さんが使っていた部屋だった。
 制道院の客員講師だったころの清寺さんは、空き時間をこの部屋で過ごし、個人的な仕事を進めていたという。もともとは清寺さんの部屋だった場所が生徒会室になっていることを、私は運命と呼ぶことに決めた。本心じゃ、運命なんてものを信じてはいない。でもある種の偶然に運命と名づける価値は知っている。
 役員ではないが、生徒会を積極的に手伝ってくれているふたりの下級生──共に、こうぎよく寮の生徒だ──を連れて生徒会室に入った私は、まっすぐに部屋の奥にあるデスクに向かう。すでに着席していた役員たちから「お疲れ様です」と声をかけられ、私も「お疲れ様」と応える。
 席に着くと、部屋の中の視線がすべて私に集まるのがわかった。右手に副会長、左手に書記と会計、向かいには何人かの下級生。決して人数が多いわけではない。だが間違いなく制道院の生徒の代表が、ここに集まっている。
 その全員に軽く目を向けて、私は口を開く。
「今日もよろしく。なにか報告はある?」
 左手の書記──さくらことが言った。
「清掃ボランティア同好会から、課外活動の申請がありました」
 私は彼女に目を向ける。
「いつものことでしょう。なにか問題?」
「問題ってわけじゃないけど──」桜井はしばらく言葉を途切れさせ、眉間にしわを寄せて続ける。「やっぱり、奇妙な集まりだから」
 まあ、たしかにその通りではある。
 清掃ボランティア同好会はおうえんの高等部一年生が設立した、会員が四人の小さな集まりだ。でも彼女たちが主催する、制道院の近隣の清掃活動には決まって一五人前後の生徒が参加する。会員ではない生徒たちも自由に参加できる、気楽な社会貢献を、という名目の会ではあるから会員の数を参加者数が上回ってもおかしくはないけれど、学校が主導しているわけでもない、ただ掃除をするだけの活動に安定した求心力があるのは不思議にみえても仕方がない。
「書類に不備はないんでしょう?」
「ええ。まあ」
「なら通すしかないでしょう。別に悪いことをしているわけではないんだから」
 制道院の近隣の清掃は、私たちにとってもありがたい。はいぼうかいという学外の協力が必要な行事を抱えているのだから、外面を良くしておいて悪いことはない。
「でも、あの同好会には変なうわさがあります」
「そう。どんな?」
「会長も知ってるでしょ。うちが嫌いな生徒たちが集まっている、っていう」
 私は素直に苦笑する。
 もろちん、その話は知っている。清掃ボランティア同好会は、実は現在の生徒会に反対する勢力の集まりであり、生徒会の転覆を狙っている、なんてユニークな噂だ。そして私は、噂以上のことも知っている。
 あの同好会は、坂口が作った清掃員組織の表向きの顔だ。
 清掃員はその数を、すでに六〇名ほどにまで増やしている。だからボランティアに参加する十数名というのも氷山の一角でしかない。そして清掃員の三分の一ほどは、私たちの生徒会に不満を持つ生徒たちだというのも真実だ。
「放っておけばいいじゃない。そんなの」
 私が軽くそう告げると、桜井は不機嫌そうに口を曲げた。
「でも」
「私たちを嫌う生徒が集まって意見をまとめてくれるなら、それは有難いことでしょう。誰もが無関心な生徒会よりずっといい」
「勝手なことを言っているだけよ。私たちの仕事量も知らないで」
「それでいいよ。なにも問題ない」
 私は桜井に向ける笑みの種類を変える。より生意気で、より挑戦的なものに。その表情が今の生徒会室では許される。
「上に立てば、下の方からは好き勝手なことを言われるものだよ。私たちは、そのすべてを許せばいい。誰がなにを言おうが、私たちが完璧であればかまわない。だって今の制道院とは、私たちのことなんだから」
 桜井が言う通り、この生徒会は仕事の量が多い。これまでの生徒会よりも五割近くは多いはずだ。それは私たちが大きな権限を持っていることを意味する。
 これまで学校側がなんとなく決めてきたことを、私たちが奪い取り、検討し、ひとつひとつより正しいものに変えてきた。各部活動の予算の配分だって、校則で定められる服装の規定だって、いちいち生徒会の意見が反映されている。今の生徒会は制道院に意見する力を持っている。
「制道院に私たちの敵はいない。なら、誰が相手でも優しく見守っていればいい」
 しっかりと目をみてそう告げると、桜井は小さくうなずいた。
「では、手続きを進めておきます」
 よろしく、と私は応える。
 胸の中で自分の言葉を繰り返した。
 ──制道院に、私たちの敵はいない。
 もしも敵と呼べる相手がいるなら、それは制道院の外側だ。

 この学校の卒業生たちで構成されている制道院の後援組織──学友会は、今もまだ私に肯定的ではない。中等部二年の拝望会の経路選択制以降、私が制道院の在り方を少しずつ変えようとするたびに彼らはネガティブな反応を示してきた。そもそも、緑色の目をした女子生徒が生徒会選挙で圧勝すること自体が、彼らにとってはかんだろう。学友会を取りまとめている連中には紫雲寮の出身者が多い。
 学友会は、私にとってないがしろにできない相手だった。彼らはつまり「地元の有力者」の集まりだから、卒業後、政治家を目指す私にも有益だ。できることならなんとか気に入られておきたい。
 慌てることはない、と私は自分に言い聞かせる。
 学友会に気に入られる方法はシンプルだ。結果を出し続ければ良い。彼らは制道院の名前がポジティブなニュースになるのが大好きだ。全国の高校生が集まって公開討論を行う大会で私が最優秀賞を取ったときには、わざわざ甘ったるい祝電をよこしてきた。
 それから、学友会が好きなものがもうひとつある。
 世界的な名声を得た制道院の卒業生、清寺時生だ。
 だから私は尊敬するあの人の名前を使って、学友会にこびを売っておくことに決めた。
 今年の学園祭──しようめいさいは、清寺さんに頼って、多少は世間的なニュースバリューがあるものにする。
 つまり私は、「イルカのうた」を章明祭で上演しようと決めていた。

3、坂口孝文

 中等部二年のころからの三年間で、僕の生活で変わったことといえば、大まかにはみっつだけだった。
 ひとつ目は清掃員組織が巨大化し、その活動内容を多少変えたこと。ふたつ目ははくの寮長になり、細々とした雑用が生まれたこと。みっつ目は暇なばかりだった寮の夜に、ある習慣が生まれたこと。
 あとはとくに変わりはない。歴史のテストを白紙で出すのは、あの年の拝望会でやめにしたけれど、はしもと先生と和解したともいえない。多少は背が伸びたほかは成長らしい成長もないまま、白雨寮の一室で綿わたぬきと共にだらだらと過ごしていた。たまにスプラウトをやっては打ちのめされて、彼の戦利品のリストばかりが長くなった。そのくせ綿貫は甘味が苦手なものだから、「気が向いたら請求するよ」と言ったきりそれを取り立てる様子はなかった。
 六月のぶ厚い雲が月を隠していた夜に、ベッドに寝転がった綿貫が言った。
「大学はもう決まったのか?」
 進路希望調査があったのは先月のことだ。
 僕は学習机の椅子をきしませて答える。
「なかなか難しい。京都か、東京か」
「場所で決めるのか?」
「他のことは入ってみないとわからないでしょう」
 大学で学びたいことは、おおよそ決まっている。でも希望の学部に入れるなら、大学の名前なんてなんでも良い。僕の学力で届きそうな中で、できるだけ偏差値が高いところを選べばよいのだろうという程度の考えだ。
 総合的に考えて、卒業後は東京に出るのではないかという気がしていた。でも両親は関西圏に残ることを期待している。そのままうちの会社に就職させたいのだろう。
 僕は父さんや母さんを嫌っているわけではなかった。はっきり好きだと言えた。ふたりの期待に応えられるなら、それも良いなという思いはある。でも妹の片方が、将来はうちの会社を継ぎたいと言っていて、なら僕よりもやる気がある彼女に任せるのが正当なのではないかという気もする。引いた視点ではそもそも、創業者の一族が順に会社を継ぐことに否定的だけれど、妹たちのことは条件なく愛しているから反対するつもりはない。
「君は悩まなかったの?」
 と綿貫に尋ねてみた。

#5-2へつづく
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