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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.27

拝望会当日、親友のことが気になる坂口だが――。 緑瞳の少女と寡黙な少年の恋が世界を変える物語! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#4-1

河野 裕「昨日星を探した言い訳」


前回までのあらすじ

生まれつき緑色の目を持ち、児童養護施設で育った茅森良子は映画監督の清寺時生に引き取られ、制道院学園に転入した。茅森は坂口孝文に生徒会長を目指すと宣言し、まずは紅玉寮の先輩・荻を次期生徒会長にすべく動きだす。坂口は、拝望会を変えるために親友の綿貫を利用しようとした教師の橋本を嫌っていたが、橋本と話し合う。茅森の選挙活動を応援する坂口は綿貫に助力を求めるが、綿貫の協力条件は、坂口と茅森にとって困難なものだった。

第4章

1、坂口孝文

 はいぼうかいとは、つまり「もちづきを拝む会」だ。
 だからこの行事は毎年、中秋の名月に合わせて開催される。中秋の名月──旧暦の八月一五日は、今年は九月二五日だった。
 その日はよく晴れていた。青空に群れた羊雲が浮かんでいた。立ち去りつつある夏がふと足を止めて振り返ったように、しが強い。でも風は乾いていて心地よかった。
 学校指定のジャージを着た僕たちは、午後一時に校庭に集められた。校長先生の話が終われば、いよいよ拝望会の始まりだ。リュックを背負って、中等部の一年生から順に出発する。
 リュックの中身は、水筒、タオル、地図や注意書きがまとめられたしおり、そして軽食の類だ。拝望会のあいだだけは、僕たちは自由に飲食物を持ち歩くことが許される。
 この「軽食の類」をかつて先輩たちが拡大解釈して、カップ麵を持ち込む文化を作ったものだから、僕のリュックはずっしりと重たくなっていた。目的地の展望台に湯沸かし器なんて便利なものはない。だから湯を沸かすための道具を、友達同士で分担して運ぶことになる。じゃんけんで負けた僕はカセットコンロを背負っている。すぐ前を歩くひとりのリュックは、無理に詰め込んだ片手鍋で不かつこうにでっぱっている。
 せいどういんを出て山道を歩く。三キロほどの下り坂を、速いペースでたったと進んだ。最初の信号が、山道が終わる合図だ。信号の先は田園地帯で、木々でさえぎられていた視界がぱっと開ける。
 道路の傾斜がなくなるのに合わせて、僕たちは歩調を緩めた。田の上を風が吹き抜けるたび、順に稲穂が波打った。その波に揺られもせずに進むコンバインの赤色が遠くにみえた。
 学校を出たころはれいに整っていた僕たちの列は、すでにあちこちが千切れ、細長く伸びている。拝望会は四、五人の班で歩く。この班を崩さなければ、歩くペースまで指示されることはない。あんまり遅すぎると最後尾の先生たちに叱られるけれど、中等部は出発が早いから多少は時間に余裕がある。
 僕の班は四人組で、全員がはくの寮生だった。黒い目と緑色の目がふたりずつ。中等部二年の男子生徒で、瞳が緑色をしているのは七人だ。うちにふたり入れば、残りの五人でひとつの班を作れる。
 緑色の目のひとり──が言った。
「そろそろ始めるか?」
 僕はうなずく。
 野見たちを班に誘ったのは、かやもりのサポートが理由じゃない。もともと僕はこの班を作る予定だった。全員を白雨寮の「清掃員」で固めた班を。
 制道院では、拝望会に限り飲食物の持ち込みが自由になる。だから生徒間で流通するお菓子の価値が暴落する。清掃員は後払いで仕事を請け負うこともよくある。拝望会のあいだに、これまでの料金を回収する計画だった。
綿わたぬきもくればよかったのにな」
 と野見がささやく。
 僕たちの班が四人組なのは、もちろん最後の一席を、彼のために空けていたからだ。

 今年も参加しないのか? と僕は綿貫に尋ねてみた。
 二週間ほど前の、月のない夜のことだった。
 ベッドに寝転がっていた彼は不機嫌そうな声を出した。なんの言葉にもなっていない、ほんの短い一音だけだった。
 かまわずに僕は続ける。
「うちの班に入れよ。夜には集めたお菓子で豪遊できる。それに僕はカセットコンロの担当になったから、君の車椅子に積ませてもらえると楽だ」
 綿貫はようやく、瞳をこちらに向けた。
「いつの間に、はしもと先生の手下になったんだ?」
「そういうわけじゃないけど」
 あの人が熱心に綿貫を誘っていることは知っている。今回、新たに選択できるようになった拝望会の経路は、車椅子でもゴールまで辿たどり着ける。橋本先生は、綿貫がゴールすることで成果を証明したいのだろう。
「あいつに言われたよ。二年の全員でオレを運ぶ計画があるらしい。まったくなんて素晴らしいんだろうな。チェックポイントのたびに当番の班が替わって、みんなの力で仲良くゴールだ」
 僕は顔をしかめる。橋本先生は本当に、そんな提案で綿貫が喜ぶと思っているんだろうか。
「リレーのバトンが欲しいなら、体育倉庫にもっと軽くて持ちやすいのがあるって教えてやってくれ」
 と投げ捨てるように綿貫は言った。
 僕は意味もなく首を振る。
「気にするなよ、そんなの」
「ああ、どうでもいいと思っているよ。ただそんな話を聞いたってだけだ」
「君が参加するなら、僕が押す。誰にも譲らない」
「ひとりで三〇キロは無理だ」
「適当に棄権すればいい。歩けない理由があれば、先生が車で拾ってくれる」
 拝望会のゴールなんてどうでもいいんだ。月なんかどこでだってみえる。もしも拝望会に、なんらかの価値があるのなら、それは友人と一緒にへとへとに疲れ果てられることくらいだ。
 でも綿貫はささやくように言った。
「お前までオレの自尊心を、ずたぼろにするなよ」
 そんなつもりはない。本当に。
 僕は綿貫と歩きたいだけだ。その方が楽しいというだけなんだ。同情も正義感もない。もっと、僕のための話だ。
 でもそんなこと、綿貫だってわかっているだろう。わかっていないのは僕の方なんだろう。きっと僕には理解できない綿貫の感情があって、それで、彼は拝望会に参加するわけにはいかないんだろう。僕はその感情を、わかった気になってはいけないんだろう。
「すまない。言い過ぎた」
 と綿貫が言った。
 僕は首を振る。
「君が僕になにを言おうが、言い過ぎなんてことはない」
 思ったことをみんな、そのまま言葉にしてくれればいい。
 なのに綿貫は冷たく笑う。
「でもお前だって、オレに配慮してるだろう?」
 そう言われてしまえば、もう僕に言葉はなかった。

 用水路に並んで延びる道を、僕たちは歩く。あんまり雑な作りのかかしを笑ったり、意味もなく電線の影を辿ったりしながら。
 僕たちがずいぶんゆっくり歩くものだから、後から出発した上級生たちが次々に追い抜いていく。僕はその中の、清掃員への未払いがある先輩にそっと声をかける。「そろそろ約束の、チョコレートひと箱をいただけませんか?」なんて風に。今日はそこかしこにお菓子があふれているから回収も順調で、リュックがさらに重くなる。
 やがて前方の公園に、制道院の生徒が集まっているのがみえた。
 拝望会では、およそ五キロごとにチェックポイントが用意されている。そこには担当の先生がいて、班のメンバーが全員そろっていることを確認する。先に公園に着いた班が、そのチェックのための列を作っている。
 列の最後尾に僕が並ぶと、木陰のベンチから声をかけられた。
さかぐちくん」顔を向けると、水筒を手にしたさくらいがほほ笑んでいた。「二年生じゃ、私たちが最後みたいよ」
 そう、と僕は応える。
 実は僕は、桜井が少しだけ苦手だ。

2、茅森良子

 中等部二年の女子生徒のうち、六人が緑色の目をしている。
 つまり、五人組を作るとひとり余る計算だ。私は率先してその余りものになった。
 いっそ桜井の班に入ってやろうと思ったのだけれど、あっけなく断られてしまい、どうにか拝望会の運営委員会で知り合ったひとりに拾われた。もりさんという、よく日に焼けた小柄な生徒で、陸上部に所属している。あとの三人はみんな森さんの友人だと聞いた。
 目の色とは無関係に、仲の良い四人組にそうではないひとりが交じっているのだから、どうしたって私は余りものになる。できるだけ四人の邪魔にならないよう、班の最後尾を歩いていた。彼女たちは学校を出た直後から快活に話をしていたけれど、私の扱いに困っている雰囲気は伝わった。
 その様子が変わったのは、行程の三分の一──一〇キロほどを歩いたころだった。
 ふたつ目のチェックポイントは、例年拝望会のたびに場所を借りているお寺の境内だった。出発から二時間もたないうちに、私たちの班はそのお寺に辿り着いた。中学生の足で、坂の多い一〇キロを二時間で歩くのは、ややペースが速すぎるように思う。陸上部の森さんが健脚なのが理由だが、班員のひとりに疲れがみえ、お寺を出たところで「もう少しゆっくり歩かない?」と私が提案した。
 森さんがこちらを振り返る。
「疲れた?」
「かなり」
 おかしな返事をしたつもりはなかったけれど、それで四人がいっぺんに笑った。歩調が鈍っていたひとり──さんが言う。
「茅森さんは、疲れないんだと思ってたよ」
 返事に困ってしまって、私は苦笑する。
「そりゃ、一〇キロも歩くと疲れるよ。陽射しも強いし、リュックのカップ麵はかさかさ鳴るし」
 疲れがまると、さいな音が妙に気になる。あなたは背負われているだけなんだから、ちょっと静かにしてもらえませんかと乾麵に言いたくなる。
 カップ麵、と瀬戸さんが甲高い声を上げた。
「食べるの?」
「食べるよ。楽しみ」
 ずいぶん悩んで大盛りと書かれているものにした。大勢の信用を集めるには体形の維持も重要だと考えている私は、普段は体重計にこうべを垂れて生活しているけれど、今日は三〇キロも歩くのだから多少のカロリーは許されるだろう。
「瀬戸さんは食べないの? カップ麵」
「私は食べるよ。でも、茅森さんってカップ麵食べたことあるの?」
「もちろん」
 せいさんの家でも食べた。わかくさいえでは栄養管理に気が遣われていたからインスタント食品の類は滅多に口にしなかったように思うけれど、でもまったく機会がなかったわけでもない。施設のイベントでキャンプに行ったときの夕食はカップ麵だった。
 森さんが口を開く。
「お金持ちでも、カップ麵って食べるんだ」
 それは私もよく知らない。でも、清寺さんの奥様も食べていた。なんにせよこの子たちは勘違いしているようだ。
「施設で育った私が、お金持ちってことはないでしょう」
 ただ金持ちの家にもらわれて、四年ほど生活しただけだ。
 森さんが、ぴょこんと眉を持ち上げた。
「そうなの?」
「うん。私、両親がいないの」
「でも、清寺ときがお父さんなんだよね?」
「あの人は里親だよ。雨の日に、段ボール箱で身を丸めて泣いていたら拾ってくれたの」
「ほんとに?」
「うそ。もうちょっと良い箱に入ってたかな」
 なんて言い方をすると、若草の家の人たちは悲しむだろうか。あそこでの生活に不満はなかった。みんな良い人ばかりだった。私は手厚く守られていた。でも、外では冷たい雨が降り続いていた。
「茅森さんって、何者なの?」
 とまた別のひとりが言う。
 私は大雑把にまとめる。
「孤児で、施設で育って、一〇歳のときに清寺さんが里親になった。そして今年の春、制道院に転入した」
 だいたい、これで全部だ。そう複雑な生い立ちでもない。でも、どちらかというと希少な生い立ちではあるのだろう。彼女たちはずいぶん興味を持ったようで、それからしばらく、あれこれと質問を受けることになった。
 とはいえ森さんたちの質問は、ずいぶん配慮されたものだった。児童養護施設にいたころや、四歳で亡くした母のことには触れられなかった。私の母──つきしまなぎさと清寺時生の関係は、世間の関心も高い。彼女たちだって多少の興味はあるだろう。意図して避けてくれたのだと考える方が自然なように思う。
 三〇分も話していると、私たちはずいぶん打ち解けていた。おそらく打ち解けようと彼女たちが努力してくれた。
 きっとその努力の一環で、なんの悪意もない声で、瀬戸さんが言った。
「茅森さん、あだ名はないの?」
 仲良くなったのだから、いつまでも「茅森さん」では変だ、という話だ。
 なくはないよと答えて、私は笑う。まさかそんな質問が私を傷つけるなんて、彼女たちは考えもしないだろう。実際、傷つく、という表現は私にとっても過剰だった。以前あったことを思い出しただけだ。
 私が小学生のときに体験したいじめは、三通りに大別できる。ひとつ目が暴力を伴うもので、これはあまり頻度が多くない。私の場合、ごくまれにある、という程度だった。ふたつ目は無視されること。私は最長で四か月間、クラスメイトの誰とも、ひと言も会話を交わさなかったことがある。そして三つ目が、心のない言葉。あちらにはとくに深い考えもないのだろうけれど、やられる方はなかなかきつい。たったひとりのひと言であれば、別に傷つくほどのことでもない。いらつだけで済む。でも緑色の目をする言い回しというのは定型句があり、同じような言葉を、何人もの口から繰り返し聞くと、胸の中の敏感な部分にひびが入る。
 その言葉の暴力の筆頭が、あだ名だった。
 私にとってあだ名とは親愛の情を込めて相手を呼ぶものではなく、私の人格を無視し、親のいない緑色の目をした女というカテゴリに押し込み、現実に即していないレッテルを貼り、彼ら彼女らが気持ちの悪い笑みを浮かべるためのものだった。
「どんなあだ名?」
 と森さんが尋ねる。
 仕方なく、これまでに私に与えられたあだ名の中で、たったひとつだけ聞き心地のよいものを答える。
「やもりん」
 このあだ名にだけは、悪意はなかった。小学生のころにできた、黒い目をした友人が私につけてくれたものだった。彼女は私に優しかった。そして、当時の私を深く傷つけた人でもあった。
 わいい、と瀬戸さんが言うのが聞こえた。

#4-2へつづく
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