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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.29

坂口は歩きながら桜井の複雑な感情を受け止める――。 緑瞳の少女と寡黙な少年の恋が世界を変える物語! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#4-3

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

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 そんなものなのだろうか。
 私は恋というものをよく知らない。若草の家にいたころは、優しくしてくれる職員のひとりが大好きだったけれど、あのときの感情を恋心と呼ぶのは違うのではないかという気がする。相手は二〇歳も年上で、すでに結婚していた。その結婚相手に対する嫉妬心のようなものもとくになかった。どちらかといえば子が親に懐く感覚に近かったのだろう。
 切実な口調で森さんがつぶやく。
「やっぱり高等部からみると、私はちっちゃすぎるんだよ」
 森さんは背が低い。中等部二年の中でもずいぶん低い方だ。
 私はこんなとき、返事に困ってしまう。「身長なんて関係ないよ」と慰めるべきなのか「すぐに伸びるよ」と励ますべきなのかわからない。少なくとも無言が正解ではないことはわかるのだけど、つい悩み込んでしまう。
 疲れ果てているはずの、瀬戸さんが言った。
「小さい子が好きな人をみつければ?」
 これが正解なのだろうか。だとしたら私は、一晩考えても答えに辿り着けない。
 やだよ、と軽く答えた森さんは、こちらに顔を向けた。
「やもりんは誰と歩くの?」
「とくに決めてないけど──」
 経路選択制の成功を印象づけるためには、より多くの生徒が新たなゴールに向かう方が良い。こうぎよく寮にもサポートを頼んでいるけれど、私は緑色の目の生徒にできるだけ声をかけるつもりだった。
 そのことを別にしても、私には拝望会を一緒に歩きたい人がある。
「できれば、がしさんと」
 彼女ともう一度、話をしたかった。

5、坂口孝文

 男女ふたつの班が交じり合って歩く僕たちの列は、二〇メートルほどに伸びていた。
 先頭は、うちの班のふたりが歩いている。その後ろに桜井の班の女子が三人。さらに後ろに男女ひとりずつのペアがひと組。最後尾は僕と桜井だった。
 もうずいぶん長いあいだ、桜井は黙り込んでいる。僕は彼女の歩調が遅くなったような気がして、小さな声で尋ねた。
「休憩しようか?」
 桜井はしばらく、口を閉ざして歩き続けていた。
 やがて彼女は首を振って、でも僕の質問とは関係のないことを答える。
「茅森さんって、大嫌い」
 ずいぶん今さらだ。そんなこと、同じクラスの連中なら全員が知っている。たぶん隣のクラスも知っている。でも。彼女は続ける。
「でもちょっと、恰好良い」
 うん。僕もそう思う。
 茅森良子は恰好良いのだ。その立ち居振る舞いも言葉のひとつひとつも。いつだってぴんと意地を張って生きている。正しくプライドを持つことを自分に課している。あんな子に出会ったのは初めてだった。あんな、ヒーローみたいな子に会ったのは。
「初めは、なにかずるをしているんだと思ってた」
「寮のこと?」
「うん。悪い奴だと思ってた」
「清寺時生の推薦は、ちょっとずるいかもしれない」
 うちの学校にとって、清寺の名前は大きすぎる。制道院は歴史ある名門校だ。著名人だって何人も輩出している。でも彼のように、海外の大きな賞まで獲得した人物というのは他には思いつかない。
「私、今年の一学期が人生でいちばん勉強した」
「そう」
「でも、なんにも勝てない。ずるい」
 それは別に、ずるくはない。茅森だって努力している。一〇日間で懐中電灯の電池をワンセットだめにするくらい努力している。疲れた顔もみせずに。
「でもたぶん、茅森はトランペットを吹けないよ」
 トランペット? と桜井は、戸惑った風につぶやく。
「あいつだって、初めからなんでもできるわけじゃないんだ」
 できないことを、ひとつずつできるようになろうと努力してきたから、今の茅森良子がいる。それはまったくずるくない。
「知ってるよ。そんなの」
 彼女は苦笑してみせた。
 小学生のころの桜井真琴は、なにもかもを持っているような子供だった。頭が良くて、明るくて、優しくて、運動もできて、可愛くて。男子の半分は彼女に恋していた。桜井は特別なのだとみんなが信じていた。ひとつの神話みたいな子供だった。
 僕はたぶん、その神話に恋していた。完璧な人間が好きだった。でももちろん、桜井は神話ではなかった。
「私、坂口くんにテストで負けても、悔しくなかった」
「そう」
「制道院じゃ、ともの方が賢かったけど、それも別によかった」
「それで?」
「どうして茅森さんだけ、許せないんだろう」
「どうして?」
 桜井は顔をしかめる。
「わからないけど、でも。茅森さんは私の大切なものを、馬鹿にしている気がする」
 それは? と僕は小さな声で尋ねた。
 聞き取れなかったのだろうか、意味がわからなかったのだろうか、桜井が「え?」とささやく。僕は言い直す。
「なにが大切なの?」
 彼女はなにも答えなかった。トランペットを熱心に吹くときみたいに、眉間にしわを寄せていた。その顔は小学生のころから変わらずチャーミングだった。
「僕だって、同じだったよ。四月の自己紹介で茅森が総理大臣になるって言ったとき、やっぱり馬鹿にしていたよ。きっとあいつにとっては、大切なことなのに」
 できるはずないだろ、とか。そんなことをして何になるんだ、とか。僕はなんにも知らないのに、勝手にわかった気になって胸の中じゃ否定していた。
 桜井は彼女に似合わない、聞き取りづらい声で言った。
「実は、茅森さんを好きになりかけていた」
「それはよかった」
「でも、あの子は私と友達になりたいって言った」
「そうなの?」
「うん。ずるい」
「かもね」
 暮れかけた太陽が、木の影を引き伸ばしていた。いつの間にか街灯にはもう明かりがともっている。先頭を歩くふたりは、足を止めてこちらを振り返っている。その顔もよくみえない。夜が近い。
 隣で、ふうと桜井が息を吐き出す。
 彼女が怒ったように歩調を速めて、僕もそのあとに続いた。

 拝望会のルートは安全に歩ける道を辿ってうねりながら、山中にある制道院から南西の方角の海岸を目指す。そのあいだに、ふたつの尾根を越える。
 脱落が許される宿泊施設は、ふたつ目の尾根にあった。自然公園に隣接した、多くの学校が課外授業で使う施設だった。
 宿泊施設まで到着すれば、あとは下り坂ばかりで海岸沿いの幹線道路に出られる。その道路を少し西に歩けば鉢伏山だ。鉢伏山には最後の難関になる、三〇〇段の石段がある。でも拝望会のルートには、もうひとつの難関があった。それは山中の新興住宅地から宿泊施設へと至る、二キロを超える長く急な上り坂だ。
 夕暮れ時の空は、目まぐるしくその色を変えた。ずいぶん薄まった水色の空の西側が赤く染まると、小さな鳥の影が群になって飛んだ。あれは、なんという鳥だろう。一〇〇羽も二〇〇羽もいるような群だった。それから空の赤みが膨らんで面積を広げ、波が引くようにまたしぼむ。天頂からは濃紺色の夜空が降りてくる。夕暮れ空と夜空の狭間は白に近い黄色だった。雲ばかりが強く輝いていた。やがてその輝きが消えるころ、僕たちは宿泊施設へと続く坂道の入り口に到達した。予定時刻より少し遅れている。
 坂道の入り口には、なかなか立派な道の駅がある。日中はこの辺りで採れる野菜なんかを売っているはずだが、もう営業時間は終えていた。入り口に自動販売機が四台並び、その光がまぶしかった。
 自動販売機の前にはベンチがあり、何人かの制道院の生徒がたむろしている。その中のひとりを、桜井が呼ぶ。
「朋美」
 八重樫朋美。彼女はじっとこちらをみている。
 ほんの短い時間、桜井が僕の方を向いた。その表情は、暗くてよくわからなかった。
「じゃあね」
 短く言い残して、桜井は八重樫の方へと歩く。彼女の班の女子四人も、そちらに合流するようだった。小学生のころから、桜井は自然とグループの中心にいる。今だって、きっと紅玉寮に所属していることとは無関係に、彼女には友達が多い。
「デートは楽しかったか?」
 なんて風に、野見が声をかけてくる。
 僕は顔をしかめて答える。
「わりと」
 桜井と歩くのは、だいたいが気まずいばかりだったけれど、そう悪くもなかった。小学校の、放課後の教室で一緒に勉強をしていたとき、ふとみつめた彼女の横顔が綺麗だったことを思い出した。
 僕は野見に尋ねる。
「回収したお菓子、いくつかもらっていいか?」
「お前の取り分は好きにしろよ。もう食うのか?」
「いや。借金を返す」
 拝望会のあいだの、僕の仕事は「清掃員」の料金を取り立てるだけではなかった。反対にお菓子を差し出す相手もいた。
 むらこうろう。茅森が、うん寮の票を削り取るために、生徒会選挙に立候補させたがっている高等部の一年生。僕は何度か彼に賭けゲームを挑み、すべてに敗北している。

 生徒会選挙は、来月の一五日に行われる予定だ。
 立候補の締め切りは今月いっぱいで、もう一週間を切っていた。
 おぎさんを生徒会長にする茅森の計画は、大枠では順調に進んでいる。拝望会の経路選択制の件は学校の内外で話題になった。加えて荻さん自身の人気が意外に高く、想定よりも多くの票を集められそうだとのことだった。
 一方で、紫雲への対抗馬の準備は難航している。やはり説得力のある立候補者の筆頭は高等部一年の首席でせいげつ寮に所属する津村浩太郎だ。でも彼が首を縦にふる様子はない。説得材料といえば賭けゲームくらいだけど、彼に勝てるプレイヤーというのはそうそういない。
 茅森はもちろん、予備の計画も用意している。青月寮の、生徒会に興味があるひとりに声をかけ、立候補の約束を取りつけたらしい。
 制道院の生徒会選挙では、会長と副会長の二名が選ばれる。対して他の役員──書記や経理は新たな会長と副会長が話し合って任命することになる。
 紅玉からは、いなかわという人が副会長に立候補する。青月の交渉相手は、生徒会長に。どちらかが当選すれば、もう一方が落ちたとしても書記か経理に引き上げる、という約束を交わしているそうだ。
 副会長の本命は毎年紅玉の寮生で、おそらく今年も稲川さんが当選するだろう。青月の寮生にしてみれば、生徒会長に立候補するだけで書記か経理に選ばれるわけだ。生徒会の役員になっていれば、大学への推薦でずいぶん有利になる。悪い話ではない。
 でもやはり、紫雲への対抗馬は津村浩太郎でなければ少し弱い。予備の対抗馬ではどれほど紫雲の票を食えるのかわからない。荻さんが思いのほか票を集めそうだということを差し引いても、現状の見立てではどうにか五分といったところらしい。僕は清掃員の票を荻さんに集める準備を進めているけれど、それだって十何票かが動くだけで、状況を決定的に変えられるほどではない。

 津村さんは、ベンチから少し離れた壁にもたれかかり、スポーツドリンクのペットボトルに口をつけていた。
 僕はなれない愛想笑いを浮かべて彼に声をかける。
「お疲れ様です」
 街灯の青白い光に照らされた津村さんは、つまらなそうにこちらに目を向けて「なんだよ」とつぶやく。
「約束の、お菓子を持ってきました」
 僕はクッキーをふた箱とチョコレートをひと箱、それからポテトチップスの袋を差し出す。
「あとにしろよ。邪魔だ」
 僕だって邪魔だ。リュックはもういっぱいだ。
 でも反抗的な態度は取らない。
「わかりました。では、夜に」
 ああ、と彼は小さな声で頷く。
 僕は続けて尋ねる。
「立候補の件、考えていただけましたか?」
「何度も断ってるだろ」
「紫雲に勝てるのは、貴方だけです」
「知るか。初めから、負けてるとは思ってねぇよ」
 その通りだ。津村さんは、紫雲に負けていない。
 紫紅組に入れるのは、家柄と成績が共に揃った生徒だけだ。津村さんは成績の方しか持っていないから青月にいる。でもその成績は紫雲のだれよりも上だ。だから津村さんの立候補には価値がある。他の誰にも代わりはできない。
「じゃあ、またゲームで」
「お前じゃオレに勝てないよ」
「はい。そうでしょうね」
 そしておそらく、津村さんでは綿貫に勝てない。

#4-4へつづく
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