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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.37

【連載小説】坂口はトランシーバーを手に寮の屋上へ向かう。 緑瞳の少女と寡黙な少年の恋が世界を変える物語! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#5-2

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

 彼は以前から、将来は実家の会社に入ると言っていた。親の跡を継ぐというよりは技術職が希望で、入りたい部署にも明確なイメージがあるようだった。
 軽い口調で、綿貫は「消去法だよ」と答えた。
 それから、用意していた文面を読み上げるように続けた。
「車椅子で就職活動をするのは、想像するだけでおつくうだ。ならそんなものすっ飛ばして入れるところが良い。他にどうしてもやりたいことがあるなら別だが、オレはわりとうちの仕事が気に入っているんだよ。なら楽な方を選ぶさ」
 綿貫の声は、とくに悲しげでもなかった。だから僕も、彼の話を悲しいものとしては受け取らなかった。
「僕は別に、うちの仕事が好きなわけじゃない。嫌いなわけでもない」
「やってみれば好きになるかもしれない」
「うん。実は、そんな気がしている」
 なんだって一所懸命に打ち込めば、やりがいも誇りもみつかるだろう。少なくとも僕は父さんを尊敬している。あの人の仕事を否定したいわけじゃない。
「他にやりたいことがあるのか?」
「あるよ。でも、無理やりにみつけてきただけなのかもしれない」
「へえ。つまり?」
「なんていうのかな。反抗期みたいなもので、ただなにかに反発しているだけなんじゃないかって気がするよ。本当の好き嫌いじゃなくて、なんとなく用意された道みたいなものに進みたくないだけかもしれない」
 話していて恥ずかしくなるけれど、僕の悩みというのは、つまりこれだった。僕自身がやりたいことに確信を持てない。純粋な感情を置き去りにして、もっと子供じみた自己主張だけで進路を決めようとしているのではないかという気がする。
「いいじゃないか、別に反発しているだけでも」
「そうかな?」
「君のその反発より、素直な夢や目標の方が上等だなんて誰が決めた? 重要なのは感情の成り立ちみたいなものじゃないだろ。どちらを選んだ方が、より将来の後悔が少ないのかってことだけだろ」
「でも、その後悔が少ない方がわからないから悩んでいるんだよ」
「誰にだってわからないよ。そんなものは」
「じゃあどうやって決めればいい?」
「コイントスでもすればいい。それが嫌なら、想像力を働かせるしかない」
 想像力、と僕は胸の中で反復する。
 でも一七歳の僕の想像は、どこまで未来に届くだろう。いったいどれだけ後悔を避けて通れるだろう。
 どれほどもできないのだ、という気がする。どうせ、思いもしない形で後悔は生まれるんだろう。なら後悔の総量を減らすんじゃなくて、それを受け入れられる方を選びたかった。悲しい、苦しい、失敗した。でも。でも、なんだろう? わからないけれど、とにかく最後に、後悔に対して反論できる方を。
「そろそろ時間だろう?」
 と綿貫が言う。
 時計をみると、もう五分ほどで午後九時になるところだった。
「うん。ありがとう」
 学習机の引き出しを開ける。そこには赤いトランシーバーが入っている。
 僕の制道院での生活は、中等部のころから大きくは変わっていない。でも、茅森良子との関係は多少なりとも変化している。
 昨年の夏ごろから、僕は茅森を避け始めた。
 それと同時期に、彼女とのあいだに、新たな習慣が生まれた。

 白雨寮の寮長には、ひとつの特典がある。
 それは、寮の屋上の鍵を管理できる、というものだった。
 白雨寮の屋上は、基本的には立ち入りが禁止されているが、毎朝掃除だけはきっちりと行う。寮長は朝の掃除全体を監督する義務があるため、それで屋上の鍵を手元に置くことになる。
 僕は毎夜、その鍵を使い、赤いトランシーバーを片手に屋上に出る。
 白雨の屋上からは紅玉寮がよくみえた。規則的に並ぶ窓のうち、二階の、右から二番目が茅森の部屋だ。彼女はその窓辺に立って、トランシーバーのコールを鳴らす。
 ──紫雲に行って、個室をもらえばいいのに。
 と彼女は言う。でも僕は白雨が気に入っているから、この寮を出るつもりはない。
 今夜もまた、午後九時ちょうどにトランシーバーが鳴った。
 そのトランシーバーは、昨年の誕生日に、茅森からもらったものだった。

4、茅森良子

 坂口たかふみと誕生日のプレゼントを贈り合うようになったのは、中等部の三年生からだった。きっかけはさいなことだ。当時の私はある翻訳小説を探していた。その小説はすでに絶版になっていて、古本でしか流通していなかった。それをたまたま坂口が持っていたのだ。私は買い取るつもりだったのだけど、彼は誕生日プレゼントだと言って私に押しつけた。
 私よりも坂口の方が、誕生日が早かったものだから、プレゼントを贈り返すには翌年を待たなければいけなかった。高等部に進級し、坂口の誕生日が目の前に迫ったとき、私はずいぶん悩み込んでしまった。誕生日プレゼントなんてものを用意した経験は、小学生のころの数度だけだ。どうやら私はプレゼントを選ぶのが苦手らしいとそのときになって初めて気づいた。
 休日に街に出て、ずいぶん色々な店をみて歩いたけれどしっくりくるものがなくて、途方に暮れていたときにみつけたのがトランシーバーだった。
 その一対のトランシーバーは活発な赤色をしていて、フォルムが丸っこくてわいらしかった。そしてほんの小さな、主張のない文字でメーカーの名前が入っていた。
 私はそのメーカーを知っていた。綿貫じようの家の会社だ。なんだか運命じみたものを感じて、加えるなら綿貫に関係しているプレゼントであれば坂口も気に入るはずだという目算もあって、そのトランシーバーをプレゼントに選んだ。
 けれど坂口は少し困った様子だった。トランシーバーが彼からもらった本に比べればずいぶん高価だったことが理由だ。そこで私たちは、一対のトランシーバーをひとつずつ持ち合うことにした。
 その年の夏ごろから、私たちは、夜九時になるたびにトランシーバーの電源を入れるようになった。
 初めは生徒会選挙のことで、彼に相談があったのが理由だった。当時はまだ私が生徒会長になる前で、ふたりであれこれと悪だくみを話し合った。
 私と坂口はほとんど完璧なコンビだと思う。私は荻さんの代でさらに発言力を増した紅玉寮をそのまま引き継ぎ、坂口は人数では最大の白雨寮とこつ寮を中心に清掃員組織を広げて強い影響力を持ちつつあった。しかも坂口は、意図して私に反感を持つ生徒を清掃員に加えた。私が「できるだけ率直な、私に対するネガティブな意見を集めて欲しい」と頼んだことが理由だった。
 清掃員には、私と坂口しか知らない側面がある。それは私の生徒会をより強固なものにするための、アンケートの回収場所という側面だ。
 表向きはそんな素振りなんてみせやしないけれど、私たちは情報を交換し合い、互いをく利用してそれぞれの立場を盤石なものにした。半世紀前のイタリアで政治家とマフィアが手を組んでいたようなものだ、とたとえるとなんだか私たちのバッドエンドが目にみえているようであまり良い気はしないが、この体制のおかげで今の制道院に私の敵はいないと胸を張って断言できる。私に反対する組織のトップが、私の最大の理解者なのだから、無敵だ。問題は坂口が、清掃員たちからの見え方を意識して私と仲の悪いふりをはじめたせいで、廊下ですれ違うときなんかに少し寂しい思いをすることくらいだ。そのぶんトランシーバーでつながり合える時間は有効に使う。
 私は寮の部屋の窓辺に立つ。紅玉寮は白雨寮よりも高いところに建っているから、あちらの寮の屋上を見下ろせる。坂口の姿はみつからなかった。でも、彼がそこにいるのは間違いない。トランシーバーを耳に当てているところを他の生徒にみられるわけにはいかないから、物陰に身を潜めているのだろう。
 スイッチを入れるとざらりとしたノイズの次に、彼の声が聞こえる。
 私たちは同じ周波数を共有している。

「今の生徒会の方針に、具体的な問題はないと思う」と坂口が言った。「紫雲の生徒は、やっぱり君を嫌っている。でも攻撃できる材料はみつけられていない。はたには例年の生徒会との違いがよくわからない、というくらいで、そんなことは問題にならない」
 私はトランシーバーに向かって、ふん、と息を吐き出す。
「制道院の生徒会としては、ずいぶん新しいことをしているつもりだけどね」
 たとえばこれまで、生徒会が主導して校則を書き換えたことなんてあっただろうか。少なくとも私がよく知っている、去年や一昨年の生徒会は、学校の決定事項に対して反論することさえなかった。でも私は違う。相手が誰であれ、必要であれば戦う。
 トランシーバーの向こうで坂口が笑う。
「もちろん、実際はずいぶん違う。でも違いを知ろうとしない人たちには、なにをしても同じにみえる」
「紫雲の他の寮は?」
「論点は同じだよ。けっきょく、君が生徒会長になっても変化の実感がない、という点が大きい。白雨や黒花はもっとわかりやすい改善を望んでいる」
「寮の環境のこと?」
「うん」
 私は紅玉以外の寮を知らない。だから実感に乏しいけれど、紫紅組とモノクロ組には設備面でも格差があると聞いている。
「寮への不満は、アンケート調査の予定があるよ。学校との交渉のきっかけにできるかもしれない、くらいのものだけど」
「白雨のアンケートは僕がまとめるよ。生徒会が学校に通せそうなものを混ぜて、点数を稼いでおけばいい」
「ありがと。でも、半分は素直な意見を出して」
「わかった。じゃあ本題に入ろうか」
 彼が清掃員の集まりで回収してくる生徒会への不満だって、本題のひとつではあるけれど。私はとくに反論せず、「わかった」と答えた。
 最近は坂口と、脚本のことばかり話している。
 以前清寺さんの書斎で読んだ「イルカの唄」を、私の記憶を頼りに書き起こしているのだ。とはいえいくつかの印象的な台詞せりふを別にすれば、大まかな出来事の羅列くらいしか覚えていないものだから、大半は創作し直すことになる。テストの点でみれば国語だって私の方が少し上なのに、文章を書くのは坂口の方がずっと上手いように思う。だから一行ずつ相談しながらノートを埋める。
「じゃあ、今日はシーン七から」
 と、トランシーバーの向こうの坂口が言った。
「イルカの唄」はわかりやすいストーリーがある脚本ではない。おさな馴染なじみの数人が成人してから再会し、海辺の一軒家で共同生活を始める物語で、当たり前ともいえる日常的な出来事が主題になる。
 シーン七では、ふたりの女性が夕暮れの海辺で過ごす時間が描かれる。
ゆうが海面を照らしている」と私は記憶を頼りに話す。「ふたりは並んで砂浜に座っている。もしかしたらビールを飲んでいたかもしれない」
「それで?」
「片方の思い出話を、もう片方が聞いている。それだけなんだけど、でも、理解が難しいシーンだった」
 私は窓辺を離れてベッドに腰を下ろし、トランシーバーに向かって長い説明を始める。
 作中の女性は共同生活を始める少し前に、祖父を亡くしている。彼女と祖父は、仲が悪かったわけではない。私には一般的な「祖父との関係」を上手く想像できないけれど、気兼ねのない孫とおじいちゃんという印象だった。
 だが彼女は中学生のころに、祖父の趣味に疑問を抱く。彼は釣りを好んでいた。一方でイルカの星に暮らす人たちの大多数は、釣りのような動物の命を使った娯楽を悪だと考えているようだ。彼女もその考えに賛成で、祖父に釣りは残酷ではないかと相談する。
 彼はこんな風に答える。
 ──僕はある程度、自分が残酷な人間であることを受け入れている。だから残酷だと言われても、なにかをめる理由にはならない。でも君が望むなら、君のためだけに釣りを止めてもいい。
 言い回しはずいぶん違ったように思う。もっと柔らかな印象の台詞で、孫を「君」なんて呼びはしなかったはずだ。私が再現する台詞は、なんだか硬い雰囲気になってしまうのが問題で、坂口にはそのフォローを期待している。でもとにかく、作中の祖父はこういった意味の返事をする。
 彼女は「じゃあ私のために釣りを止めて」と告げ、祖父はそれを受け入れる。
 ──でもね。倫理は胸の中だけで飼いなさい。外に出すと、どこかで意味を失くすものだから。
 彼はそう言って、会話を締めくくる。
 この台詞の意味が、私にはよくわからなかった。
「どう思う?」
 尋ねると、坂口はトランシーバーの向こうでしばらく沈黙していた。それからゆっくりと話し始めた。
「倫理を外に出しちゃいけないっていうのは、わかる気がするな」
「どうして?」
「台詞にある通りだよ。たぶんそれは、どこかで意味を失くすものだから。スポーツフィッシングが悪だというのは簡単だけど、食料を得るための漁業まで悪にしてしまうのは難しい。でも僕には、そもそも生きるためであれば他の生き物を犠牲にして良いという考え方が、倫理的には理解できない」
「みんな菜食主義になれって話?」
 私がそう尋ねると、坂口は短く「違う」と答えた。
「植物の命が動物の命よりも下だっていうのも、僕にはしっくりこないよ。けっきょく人間からみて、どれだけ自分たちに似ているのかってことしか話題にしていないんじゃないかな」
 つまり、魚類よりも哺乳類の方が人間に近く、植物よりも魚類の方が人間に近い。だから多くの人は、自然とその順番に感情移入する、という話だろう。
「別に、それが悪いってわけじゃないでしょう?」
「もちろん。でも、根っこの気持ちの悪さは残るよ」
「根っこっていうのは?」
「なんだろう。殺して良い命と殺してはいけない命を、区別するのが気持ち悪いってことかな」
 私は坂口に反論したいわけではなかった。
 でも彼の考えをより正しく理解したくて、話を進める。
「菜食主義には、犠牲の量という視点もあるよ」

#5-3へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年5月号でお楽しみいただけます!


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