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連載

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど  vol.11

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 第11回「いらっしゃいませを振り絞る」

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 

コツコツ作業するのが好きで、小さいころから慎重派、なのに芸人。
そんなハナコ・秋山が文章とイラストで綴る、ゆるくてニヤリの初エッセイ。
 

第11回「いらっしゃいませを振り絞る」

 父は土産屋を営んでいる。
 岡山県岡山市にある最上稲荷の参道にあるお店で、ゆずせんべいや達磨などの縁起物を主に置いている。母もパートで家にいないため、小学生の頃の僕は、学校が休みの日、父に連れられ稲荷にいることが多かった。
 家の近所と違い、稲荷には一緒に遊べるような同級生はほとんどいなかったが、周りのお店の人たちが可愛がってくれた。特に可愛がってくれたのは、隣でたい焼き屋を営んでいた叔母である。たい焼き屋のおばちゃんということで〝たいばあ〟と呼ばれていた。たいばあのもとへ行けば僕は永久に無償でたい焼きが食べられるというたい焼き界最強の優遇を受けていた。
 最上稲荷が最も賑わう季節はお正月で、三が日には約六十万人の参拝客が訪れるほどである。
 そんなお正月、稲荷はどのお店も一家総出で働いていた。うちも同様、祖父母や(お店と祖父母宅が隣接している)帰省した叔母家族、みんなが変わるがわる店番をしていた。もちろん僕にも声がかかる。しかし、当時まだ大きめの学ランを着て小学校に通っていた僕には難儀なことだった。シャイで緊張しい。「いらっしゃいませ」が恥ずかしかった。四歳上の従姉はチャキチャキ働くもんだから余計に肩身が狭い。それでも「んなことやんねーよ!」と吐き捨てるような度胸もなく、小声店番少年と化していた。
 稲荷でお店を営む家族は、親族たちも大変である。他の家庭とは違い休めない正月を過ごすことになるわけで、今は亡き優しくてかっこよかったおばあちゃんも当時その過酷さに「正月だけ離婚したい」と言うほどだった。
 でも僕は、この「初詣を出迎える側」の正月が好きだった。
 いつもはがらんとしているお店の前の参道が人で埋め尽くされる。お客さんたちの喋り声や各店舗の店員さんの呼び込み。目の前の普段はただの空き地であるのスペースには屋台が出ており、牛串やカステラ焼きの匂いが漂う……活気が充満していてみんな楽しそうだ。それを見るとこっちまで嬉しくなる。店番は、寒かったり緊張したり僕にとって大変なものだったが、その嬉しい気持ちがあったことは忘れない。
 正月の稲荷にはこのように屋台がたくさん出現することも楽しみだった。参道は緩やかで長い上り道になっており、その上り道沿いの空きスペースに点々と、そして一番下の参道入り口付近の広い空き地には数十の屋台が出る。
 うちの店の前を通る人たちもすでに屋台で買ったいろいろなものを持っていた。

 イカ焼き
 タコ天
 焼きとうもろこし
 キャラクターの袋に入った綿菓子
 フライドポテト 
 箸巻き
 スティック状のさつまいもに砂糖をまぶしたやつ
 焼き栗……

 それを毎年見ていると流行が見えたり、新商品に気づけたりと発見があって面白かった。そこで目星をつけたものをあとで探しに行くのが恒例だった。
 店番をしだして数年がたった頃、父が土産屋の端っこの長テーブルひとつ分くらいのスぺースに、暖簾をかけて屋台を作った。感化されたのか自分も屋台をやるのだという。新しいもの好きの父が始めたのは「練り物の天ぷら」だった。サービスエリアなどで見かける、串に棒状の練り物が刺さっているアレである。二十年ほど前の稲荷では見かけないものだった。
 その天ぷらは見事に売り上げ上々で、屋台は忙しくなった。僕も揚げ方を教わり手伝った。その屋台をやり始めて数年後、他の店で買ったであろう「練り物の天ぷら」を持った人が歩いているのを見て父は言った
「どっかの店にパクられとるなぁ」
 その時の父はとても嬉しそうな顔をしていた。
 正月は店を手伝うというのは、高校を卒業し東京へ出たあとも続いた。お笑い芸人になったとはいえ、生活のほとんどはアルバイト。正月は大概バイトも休み、ライブも少ないということで帰省して店を手伝っていた。年越しのカウントダウンは店番中の店頭で迎え、その後どんどんと増える参拝客を接客する。店の奥に置かれている小さなテレビではお笑い番組が流れ続けていた。
 お正月がかきいれどきなのは稲荷だけでなく芸人もだ。稲荷のお正月は大好きだが、手伝いに岡山に帰れているようではダメだった。
 その数年後、幸せなことに元旦の生放送のネタ番組に出るため、岡山に帰れないというよろこばしい年を迎えられることになる。夢の一つだった。あの時店番をしながら出たいと願った、店の奥のテレビの中の番組に出演。念願の出演を終えたフジテレビからの帰り道、想うのは稲荷のことばかりだった。みんな疲れてないかな。天ぷら売れてるかな。
 三が日は無理でも岡山へ帰省する時間はあった。客足が少し落ち着いた正月の雰囲気が残る一月の稲荷を訪れる。あろうことか父は店頭にハナコのポスターをデカデカと貼っていた。ヒーターのそばに座った父が膝をさすりながら言った。
「手伝いに帰って来れんようになったのぉ」
 とても嬉しそうな顔をしていた。が、恥ずかしかった。売れっ子になれたわけではない。まるで「知る人ぞ知るか」の如く貼られたポスターに羞恥心を抱きながらそそくさと店を後にした。隣に挨拶をするとたいばあがいまだにお年玉をくれようとする。たいばあからしたら、友達もおらず退屈そうにしているあの頃の僕のままなのだろうか。僕より小さくなってしまった身体で、いまだに大繁盛のたい焼きやを続けている姿はすごくかっこいい。かっこいよたいばあ。
 長く愛されるお店の如く、お笑い芸人を続けられるように、帰れないお正月が続くように、頑張らなければならない。でもあの楽しそうなお客さんでいっぱいの稲荷でまた接客をしたいという想いもある。今ならあの時より通る声で「いらっしゃいませ」が言える。そのくらいは舞台に立っている。



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