秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 第10回「やめずに立っている」
秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど

コツコツ作業するのが好きで、小さいころから慎重派、なのに芸人。
そんなハナコ・秋山が文章とイラストで綴る、ゆるくてニヤリの初エッセイ。
第10回「やめずに立っている」
スマホの待受けを替えた。画面の中心に縦書きで「ラストイヤー」という言葉のみ。
自分に向けての覚悟の表明であったが、その待受けを誰かに見られた時に心配されたり、その都度説明したりするのが面倒なことに気づきすぐに元の待受けに戻した。
今までも自分の中で「お笑い芸人としてここで結果が出なければ潮時かもしれない」と思ったことが何度かあった。
元々自信なく始めたお笑い芸人。十九歳で養成所を卒業し、事務所には所属できず、アルバイトとフリーライブの生活。大学に通っていたら就職するであろう二十二歳あたりが一度目の潮時ラインだと考えていた。
「二十二歳までに事務所に入れなかったら岡山へ帰って真面目に暮らそう」
そう思いながらオーディションライブに通い続けること二年。ワタナベエンターテインメントへ所属が決まる。二十一歳の頃だった。
所属したものの、ようやくもらえるようになったテレビのオーディションでは全く手応えがなかった。チラッともテレビに出演できない日々が続く。その頃のテレビ局は天竺のように遠かった。出続けていたライブの結果も伸びなくなってきた二十三歳頃、区切り良い二十五歳が潮時ラインとして見えてくる。
「二十五歳までにテレビに出られなかったら岡山へ帰って父の仕事をついで煎餅でも焼こう」
そう考え出した頃「秋山と菊田のコンビに加えて欲しい」と岡部が声を掛けてくる。二〇一四年十月、僕はハナコを結成する。ハナコを結成し、ライブの結果は伸びたものの、やはりテレビのオーディションには受かれない日々が続いた。芸歴五年にもなれば売れていない芸人でも何かしら細かな仕事でテレビに出演経験があったりする。顔がどの有名人に似ているだの、売れてる先輩の苦労人時代の再現VTRに出るだの。そういった出演すら一切なかった。「自分はテレビには無縁な人間だ」と思えてくる。そんな時に決まった初のテレビ出演が「ぐるナイ」の「おもしろ荘」。二〇一五年九月。二十四歳だった。
初テレビ達成以降、少しは増えるかと思ったテレビ出演は一切なく再びテレビ局は遠のいていく。「おもしろ荘」出演から一年弱。救いの手のように決まったのがNHK BS「笑けずり」への出演だった。三週間山奥のペンションに籠って授業と新ネタ審査を繰り返すという番組で、勝ち残れば毎週テレビに出られる。結果的に我々ハナコは最終週の一つ前まで残ることができた。
その後は少し勢いづいたか、フジテレビの「新しい波24」への出演が決まったり、ABCお笑いグランプリの決勝戦へ残れたりと吉報が続いた。そんな二十五歳。順調にも思えたが、食っていくには程遠い仕事量と二十代後半に突入する焦りから次の潮時ラインの気配がし始めていた。
そんな潮時設けたがり秋山は、二十六歳で迎えた賞レース「NHK新人お笑い大賞」でめちゃくちゃスベる。ここで焦った三人は自分たちの売りであるネタで負けていてはならぬと「この後の賞レースは全て優勝する気で準備しよう」と負けから兜の緒を締める。当然である。
そうして迎えた二〇一八年。出場した賞レースでは、優勝、優勝、決勝敗退、とほぼ目標通りの結果を残せていた。その次に控えていたのが「キングオブコント」。コント師の誰もが獲りたいタイトルである。二年前の準決勝敗退がハナコの最高戦績だった。とにかく決勝に残りたかった。決勝に残れば一目置いてもらえる。二〇一八年八月の事務所からの給料は〇円。明細の封筒すら届かず。二十八? 三十? 潮時年齢がチラつく。同級生はもう立派に稼いでいたり。四つ下の弟も仕事を頑張って大人らしい時計をつけていた。その不安を吹き飛ばすかのように決勝進出が決まる。
夢にみた「キングオブコント」決勝戦。もちろん優勝を目指しているのだが、決勝の舞台を見た僕はほとんど満足していた。何度も興奮しながら見ていた「キングオブコント」のセットが目の前にある。「うへぇ」と声を漏らしながら、セットを見渡した。決勝戦の出番は三番目。自分たちのネタに自信はあるが、周りが自分たちより面白い人達だらけなのもよく知っている。そうとなったら審査の勝ち負けよりも、とにかくウケて終わりたかった(準決勝の時点でも思っていた)。舞台袖、これから決勝戦でネタをできるのが嬉しくて、背景の壁に埋め尽くされていた「C」の一つを触った。その姿は単なるコントオタクだった。色々な運や流れが味方し、結果は優勝。出来すぎた結果だった。誕生日から二日後、二十七歳、人生最高の一日を更新した日だった。「お笑い芸人を、コントを、もっと続けてよし」と言ってもらった気がした。
その日からもうすぐ五年が経とうとしている。ありがたいことに色々な仕事を経験させてもらえ、テレビ局も以前よりは身近に感じることが出来る。まだまだ未経験の仕事は多い。学べて楽しく、より知りたくなったこともある。人生最高の一日の更新も何度もあった。
しかし今、またあの潮時ラインがよぎる。実力不足から悔しい思いもたくさんある。当然なのかもしれない。三十一歳。仕事の悔しさの内容を話すにはまだまだ若く、成果はどんどん出さねばならない年頃である。
僕がこの仕事を目指したきっかけはテレビコントに魅了されたことだった。たくさん笑ったし、たくさん救われた。
僕の中のコントオタクが言う。
「あん時みたいなワクワクするコントが見たいなぁ」
それを見せられるのは僕だろうか。それを見られるのはテレビだろうか、それ以外の場所なのだろうか。志を広め、誰と組むか次第で決まると思っている。
ガンジーは言う。
「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい」
僕は名言や格言に影響されやすいチビである。結果が出せないなら続ける資格はなく、他の人のためになる仕事をやった方が世のためである。今まで通りそう言い聞かせる自分と、今まで通りやめてたまるかと気張る自分がいた。
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