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連載

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど  vol.8

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 第8回「劇場のそばに住んでいた」

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 

コツコツ作業するのが好きで、小さいころから慎重派、なのに芸人。
そんなハナコ・秋山が文章とイラストで綴る、ゆるくてニヤリの初エッセイ。
 

第8回「劇場のそばに住んでいた」

 高校卒業直前でお笑い養成所に通うことを決めた僕には住まいを探す時間がなく、ワタナベコメディスクールのパンフレットに載っていた学生寮に住むことにした。人見知り全開の僕は共同生活に苦しみ、気配を消しながら一年を過ごした。そして養成所卒業のタイミングで一人暮らしをするべく部屋を探した。未だに引っ越しが得意ではない。引っ越しに限らず「契約」も「解約」も苦手である。
 養成所の同期に紹介してもらった不動産屋に足を運ぶ。クッパ城のようなトゲトゲの外装でその建物の上空だけ紫の雲がかかっていた。記憶に自信はない。対応してくれた人は今ならきっと夢中でブレイキングダウンを見ていそうなお兄さんで、萎縮した僕は小柄さに磨きをかけていた。
 条件を伝え、部屋の情報をいくつか見せてもらう。土地勘のなかった僕は当時ライブで訪れることが多かったなか駅のある中央線沿いで探していた。内見する部屋を選びながら、出されたホットコーヒーを飲む。まだコーヒーが苦手だった十九歳の僕が初めてホットコーヒーを飲み切ったのもここだった。
 内見を終え、選んだのは中野ブロードウェイを抜けてすぐの場所にある家賃四万八千円の六畳一間の物件だった。暮らしに多くを求めない僕には十分だったが、中野駅近でこの値段なため変わった部屋ではあった。ウエハース一枚分ほどしかない土足スペースと床との段差、唯一の収納スペースであるロフト(夏場灼熱)、初めて見る蚊取り線香型のコンロ……簡素な部屋だがそれなりに気に入っていたし、何より初めての一人暮らしが楽しかった。
 なかの芸能小劇場がすぐ近くにあるのも嬉しかった。ライブで出演する際、コント道具や衣装を取りに帰るのが楽々だった。ライブを見に行くこともあった。開演十分前に思い立っても間に合うのは最高だった。
 二十一、二歳のころだっただろうか。いつものようにふとライブが見たくなり、なかの芸能小劇場を検索すると、僕の大好きな2700さんとトップリードさんが出演するライブがあると知り見に行ったことがある。東京アナウンス学院関連のイベントだった気がする。そのゲスト枠でお二組が出演されていたはずだ。
 そこで見たトップリードさんのコントが忘れられない。新婚夫婦の朝の日常から始まるコントだった。アツアツな二人のやり取りで笑いが起こる。ドカドカとウケ、最後はさん演じる夫が仕事へ出かけ、それを見送ったにいづまさん演じる奥さん(新妻役の新妻さんになってしまうが気にしないで欲しい)が「幸せ」とこぼして暗転する。そこで会場からは拍手が起こりかけるが舞台は再び明転。そのコントには続きがあった。
 それはその夫婦がマンネリ化してきた数年後のシーンだった。新婚パートの時と変わらぬ生活のルーティンを、夫婦関係が変わったことの温度差で見せさらに笑いが起こる。ウケはどんどんと増していき、同じく夫が出かけて奥さんが一言残して暗転する。先ほど「幸せ」だったその一言は「最低」……だったような、セリフは違ったかもしれないがそのようなニュアンスの言葉だった。
 まだあるかも? という一瞬の客席の空気読みで拍手が起こらない間に、期待通り再び舞台は明転する。そこには力無く正座している奥さんの姿があった。奥さんは静かに喋り出す。その話を聞いているうちに、歳をたくさんとったこと、今座っているのはおそらく仏壇の前で、あの夫は亡くなってしまったのだということがわかる。会場の空気がガラリと変わっていた。新妻さんの演技力もすごく、僕は泣いていた。コントを見ているということを忘れてしまうような空気だった。次の瞬間「まだ死んでないよ」とヨボヨボの夫が入ってきて会場は大爆笑。なんとベタな。待ちうけていたのはドベタだった。その勢いのまま笑いをとり続け、夫が出かけ、見送った奥さんの「幸せ」でコントが終わる。拍手喝采。涙を拭いながら笑っていた。この日の出来事は僕のコントへの憧れを加速させた。コントってこんな気持ちにもさせられるのだと。
 中野の家には四年ほど住んだ。二〇一五年の初頭まで。きくとのコンビから、おかが加わりハナコになったばかりのころである。次の住まいはゆうてんに決まり、引っ越しの工程もある程度終わったころ。管理会社立ち会いの退去チェックが残っていた。荷物のほとんどなくなった部屋で「こんなに広かったっけ」と思った。その感情も退去チェックも、今後何度か繰り返すであろう体験の一度目だった。
 約束の時間が来て、管理会社のスタッフがやってくる。スーツを着た三十代くらいの男性だった。手には資料とボールペン。分厚いノートパソコンが入った黒いカバンを肩にかけていた。少しバタバタとした様子のその人はカバンをドスンと部屋に起きチェックを始める。
「あれ、ここ割れてますね」
 年季の入ったトイレットペーパーホルダーの片側が割れていたのを見てその人は言った。
男「これはなぜ……」
秋山「無理に力は入れてないんですが、トイレットペーパーを補充するとき押し込まないといけない仕様で、その際に割れてしまったんです」
男「そうですか……割れちゃってますもんねぇ」
秋山「……はい(割れちゃってますもんね?)」
 こういうのはすぐに大家に報告しとくべきだったと反省した。そのまま生活できてしまう程度の時はめんどくさがってそのままにしてしまうダメな性格だ。
 男はまた別の場所を見て、
男「ん!? 換気扇の紐が取れてますが……」
秋山「これ換気扇の中で結んであるところがほどけちゃったみたいで。カバーが外しにくかったので(カバーが外せないほど間近にエアコンがある)戻せず紐だけ無くさないようにしてました」
男「ああ……取れちゃってますもんねぇ」
秋山「……はい」
 その調子でもう二つほど「簡単に直せそうだけど直せてなくてすみません」なポイントを指摘されチェックを終えた。請求がある場合は後日連絡すると言われ、最後に鍵を渡してその場を去った。「少しのことでも事前に直したり連絡しておくべきだったのか。失敗した。いくらか請求あるかもだけど、こりゃしょうがない」と思っていた数日後。電話で言い渡されたのは『請求額十八万円』だった。「退去ってこんなにかかるもんなのか!?」と混乱した僕は一応親にLINEで聞いてみた。ただおかしいかどうかを聞きたかったのに、それを見た父はすぐに管理会社に直接連絡したようで、父からの返事は
「おかしいじゃろって言うたら九万円になったで」
 というものだった。怖かった。家がどんな状況だったかも知らない親からの連絡で簡単に値段が動いたことが怖かった。それ以上どうしていいか分からず九万円を支払って終わった。
 その経験があったせいで祐天寺の退去チェックの日は気合いが入っていた。「おかしいことはちゃんとおかしいと言うぞ! そっちがふっかけてくんのは知ってんだ!」ここの取りきれなかった汚れ言われそう、ここの劣化責められそう……など予想をたてしっかり身構えていた。チェックには家を借りる時も対応してくれたおばちゃんが来た。隅々まで部屋を見るおばちゃんの後ろを、眉間に皺を寄せた気合いの入った僕がついて回った。
「うん! 大丈夫! 綺麗に使ってくれてありがとう!」
 その一言でチェックは終わった。予期せぬ出来事に気合いを解けず「ありがとうございました」という返事がいつもより太い声になった。
 残っていた荷物を持って部屋を出た僕は、ゆっくり歩きながら「やさしっ」と呟いた。



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