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連載

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど  vol.5

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 第5回「子はそうあって欲しくない」

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 

コツコツ作業するのが好きで、小さいころから慎重派、なのに芸人。
そんなハナコ・秋山が文章とイラストで綴る、ゆるくてニヤリの初エッセイ。
 

第5回「子はそうあって欲しくない」

 息子が歩くようになった。一歳三ヶ月、つかまり立ちからなかなか手を離すことを覚えず、石橋を叩いて渡るタイプの僕の遺伝子の片鱗を見せていた。妻は歩き出す時期を検索しては心配していたが、少しコツを摑むとみるみるうちに歩き出し、ついこの間の外出では小さなクツを履き、向かいたい方向に楽しそうに歩く姿を見ることができて感動した。
 僕は「子育て」についてあまりにも知らないことが多すぎる。世界中の「親」たちの見方が変わる。こんなにも大変なことをしていたのかと。軽んじていたつもりはないが想像できていなかったことを知ると、もっともっときついと世間に言っていいと。それならもっともっと周りも助けやすくなると。こんな苦労のある育児をさも当然かのように成してしまうのは武士すぎる。妊娠期間と一年と少しの子育てのまだまだ未熟な経験からそう思う。
 驚いたことのひとつは「つわりの個人差」だった。いつから持っていたイメージだろうか。ドラマや映画なんかではつわりで妊娠に気付き、どんどんお腹が大きくなって、周りの人たちの気遣いを受けながらも
「平気平気、生まれてくるこの子のためにも頑張んなきゃね!」
 などと言って元気に過ごす……みたいなシーンをよく見ていた気がする。中身がごっそり抜けている。当事者になるまで僕はその中身を知ることがないまま過ごしていた。一例としてうちのつわり体験を聞いて頂きたい。
 妻のつわりは重かった。つわりが落ち着いてくるとされている妊娠十二週ごろには体重が八キロも落ちていたほどだった。吐いても吐いても気持ちが悪いようで、立てば吐くから寝たまま身動きが取れないという状況だった。嗅覚も敏感になっており、僕が持ち帰るにおいにいつも苦しんでいた。部屋の換気も風のにおいが気持ち悪いためできなかったり、体調が良く動ける日にコンビニなんかへ行っても、一歩でも入るとにおいに耐え切れずすぐに外へ出たりと苦労が多かった。食事することもままならない寝たきりの生活や、妊娠によるホルモンの影響などでネガティブな思考になりがちなことも辛かった。
 つわりの症状は様々だったが僕が少ないながらも対処できたのは、「たまごクラブ」の付録であるパパブックを妻が事前に読ませてくれていたお陰である。妻は自分でも予測のできない体の変化に時折
「ごめんね……」
 と謝ることがあった。そんな時は大抵
「大丈夫、パパブックに書いてあった」
 と答えていた。なんでもそう答えると妻は笑っていた。
「たまごクラブ」さんありがとう。
 不思議だったことは、つわり中は食べられるものが日々変わること。噂には聞いていたが本当だった。サンドイッチが食べられたかと思えば、枝豆だけ食べられる日、パピコのいちごだけ食べられる日、と規則性なく変わっていく。なにより難しいのは、いけたものが極端に無理になる場合があること。海苔がいける日があったかと思うと、数日後には海苔の容器が目に入るだけで吐き気がしてしまうことがあった。海苔から目を逸らし
「それ……どこか隠して」
 と言うほどだった。本人も法則がわからず混乱していた。
 食べられそうなものをLINEしてもらって仕事帰りに買って帰ることが多かったが、LINEがない日もあった。そんな時頼れるのは己の読みのみである。スーパーに入りカゴを持ち、精神を落ち着かせながら店内を回る。あれは終わった、これは終わった、すでにブームの去った食材たちが目に入る。その日ピンときたのは冷凍の高菜チャーハン。理由はない。声がした。帰って食べさせる。本人も一口目を食べるまでわからないが食べてみて「いける!」と言われた時は嬉しかった。不思議なもので何度か当てられることがあった(全然ダメな時もある)。
 福岡にいる妻の母から冷凍で手料理が届いたことがあった。ミートソースとドライカレー。日々の予想屋となっている僕からしたら
「今食べるのはさすがに無理っしょ」
 というものだったが、恐る恐る妻は口に入れると
「食べれる……!」
 と涙していた。母の味すごい。久々に本格的な料理が食べられていた。僕も涙が出た。美味しい美味しいと二人で食べた。
 症状が一番ひどい時は水も飲めなくなった。脱水症状の危険性があったり、病院で診てもらったりと不安な日々を過ごしていた。そんな時期も一貫して食べられたものが一つだけあった。ガリガリ君ソーダ味である。命を救われたといっても過言ではない。毬栗頭の少年が恩人である。好きなゲームを買ってあげたい。
 初めての出産も不安ばかりだった。お昼に陣痛が始まり、産院へ向かった妻のもとへ収録を終え合流できたのは夜中零時ごろだった。十時間以上の陣痛をへて、赤ちゃんの心拍が落ちてきてしまい緊急帝王切開。一人きりで待っていた手術中、もしかしたらを想像した時の恐怖は忘れられない。母子共に健康でいることは奇跡に思う。妻、先生方、協力して下さった全ての方々に感謝したい。そして産後休む間もなく始まる育児。
 息子は元気に成長してくれている。どんな子になるだろうか。人前に立つのが苦手でスピーチで半泣きにならないだろうか。人に優しくあって欲しいし、理想はあげたらキリがないだろうが理想通りでなくてもいい。もう少し大きくなったら、夏場に家族でガリガリ君を食べたい。



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