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連載

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど  vol.2

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 第2回「正直に『はい』と名乗り出た」

秋山寛貴(ハナコ) 人前に立つのは苦手だけど 

コツコツ作業するのが好きで、小さいころから慎重派、なのに芸人。
そんなハナコ・秋山が文章とイラストで綴る、ゆるくてニヤリの初エッセイ。

第2回「正直に『はい』と名乗り出た」

 図工の時間が好きだった。絵を描くのも、工作するのも楽しく、周りに褒めてもらえて得意だという自負もあった。高校受験の時、自分は美術の道へ進むんだと「美術工芸コース」のあった総社南高校を進路に選択。デッサンなど絵の道を進んでるぜ感満載の受験を経て、無事合格し入学した。
 そこで待ち受けるは、まぁなんともベタな展開「全員自分より上手い」だった。絵を描けばちやほやされていた小中学生時代とは一転、人生で経験したことのない焦りを感じた。
 美術工芸コースの同級生に男子は僕を含めて四人。先輩も二年生に一人、三年生に一人と男子の割合が少なかった。僕の「自分には才能がなく美術は向いていないのでは」という不安を軽くしてくれたのは、その同級生四人の男子の内の一人、最初に仲良くなった田中だった。
 田中は体は厚く、眉毛は太く、泥まみれが似合うような快活な男で、美術部だけではなくサッカー部と兼部するという美術好きには珍しいほどスポーティーなやつだった。しかもポジションはキーパー。絵を描くキーパーだった。そんな田中の絵はお世辞にも上手とはいえなかった。彼のタッチは良くいえばパブロ・ピカソ、悪くいえば酔っ払いに無理やり描かせた、気を遣っていえばかしこいゾウが描いたようなものだった。しかし彼からは悔しさは見えても焦りは見えず、その姿勢に僕は救われた。僕たちは学びに来たのだ。はなから上手くなくていい。悔しさはあれど少しは焦りが軽くなった。田中はかっこいい男である。
 他の生徒たちも個性派揃い。嬉しかったのは「美術に興味がある」という同志に囲まれたこと。その環境で美術を学べることは非常に恵まれていた。
 美術工芸コースのカリキュラムには、夏頃に大山合宿という一泊二日の合宿がある。その合宿では全員が油画を描く。生徒たちは作業着であるつなぎを着て、キャンバスとイーゼルを抱え大自然へと散り散りに消えていく。二日間の最後には一箇所に描いた絵を持ち寄り先生による講評を受け終了、といったものである。
 初日。先生からの説明を聞き終えると各々場所を探し始める。僕も自然の中を歩き回り、お気に入りの場所を見つけイーゼルをたてる。まずは下書き、木炭で真っ白のキャンバスに下書きをしていく。はっきりと線を書くのではなくあたりをつけるように。さっさっさっ、と木炭を這わせて絵の構図を決める。下書きが終わるとパレットに油絵の具を出しいよいよ本番。よく見て、感じて、考えて、描いていく。
 デッサンで学んだことは面白い。入学して間もない頃、授業でりんごのデッサンがあった。その時に「りんごは赤い」という先入観について教わった。りんごを描けと言われるとほとんどの人が赤で色を塗ると思う。簡易的に描けというなら問題はないだろうが事実とは異なることを知っておかなければならない。ちゃんとりんごを見れば、黄色いところや黒いところ、茶色や緑やグレーなどいろんな色が見えてくる。形もそうで、丸いと思っていたものは本当に丸いか? 四角いと思っていたものはどのくらい四角いか? 疑いながら「ちゃんと見る」ということは絵の描き方に限らず面白い教えだった。コントのネタの拾い方にも似たような点があるかもしれない。
 絵を描いているとあっという間に時間が過ぎる。二日目を終え集合の合図がかかる。自分なりに今できるまぁまぁな出来だと思った。キャンバスを担いで集合場所へ向かう。二列になるよう上と下に絵が置かれたイーゼルがずらりと並ぶ。三十枚ほどのキャンバスには同じ山で描かれた様々な情景があった。
 並べて初めてわかる。僕の絵は圧倒的に薄かった。うっっっっすかった。恥ずかしい。そんな気はなかった。三十枚ほどの絵を見た時の最初の感想が「てか一枚薄くね?」と全員が思っているであろうほど僕の絵は薄かった。一人で描いていてはわからないことがある。自分の作品の出来を「客観視することの難しさ」。これもまた美術に限らず役にたつ学びであった。あの薄い絵が誰の絵か、ぞろぞろと絵をみんなで並べただけの時点ではまだバレていない。ここから先生が「この絵は?」と聞き、名乗り出て講評を受けるという流れが始まる。端からスタートして、自分の絵は真ん中あたり。その位置もまた絶妙に嫌なものだった。
 本来聞いて学ぶべき他の絵の講評もさほど耳には入らず、ゆっくりと自分の番が近づいてきた。先生が僕の絵の隣に立ち、そのへんで拾ったであろうちょうどいい長さの枝で僕の絵を指す。
「この絵は?」
「……」
 黙ったところで絵は濃くならず、仕方なかった。
「はい」
 正直に名乗り出た。
 先生は表情ひとつ変えず僕の絵をしばらく見つめたあと
「今まで見てきた油画で一番薄いな」
 と言った。三十枚の絵の中どころか卒業生をごぼう抜きにする薄さだった。
「これは……完成?」
 先生の少し戸惑った様子の質問に
「いや、実は陽の光が大変気持ち良くてですね。下書きが終わったあたりで原っぱに寝そべりぐっすり眠ってしまっておりました」なんて言い訳も出ず、これまた薄い「はい」を返した。
 本来油画の醍醐味は色を重ねていくことにある。色の上に色を。人によっては一見出来上がったような状態から全てを色で塗りつぶし、さらにその上から絵を描いたりもする。時にナイフで削り下地の色を出したり、筆ではなくナイフでベタッと色をのせたり。僕のナイフはピカピカなままだった。みんな油画の経験が浅いなりに冒険をしていたのである。慎重すぎる僕は全く冒険が出来ていなかった。絵には性格が出ると思い知らされた。
 慎重さだけではない。油絵の具は安くなく、大量に使うということは大量に買うということ。高校時代の僕の道具代は全て両親が出してくれていた。絵の具のチューブを絞るたび、親の顔が浮かんだのである。遠慮しいすぎる。間違っても心優しいという話ではない。親を頼るなら頼る、頼らないなら頼らない。なんとも中途半端な遠慮と節約精神で大胆に絵の具を使えない小童なのであった。
 大自然の中で二日間かけ、存分に性格の詰まった一枚を描き上げてしまった。講評の終わりまでも耐えられず風で吹き消えてしまいそうな絵を。田中の絵は下手でめっちゃ濃かった。



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