menu
menu

連載

深沢潮「翡翠色の海へうたう」 vol.13

【連載小説】島を出たわたしたちは、戦いの最前線に向かい――。 深沢潮「翡翠色の海へうたう」#4-1

深沢潮「翡翠色の海へうたう」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

小説家志望の私は、なかなかデビューできないことへの焦りを抱えていた。そんな中、勝負作として沖縄戦と慰安婦の物語を書くことを思い立ち、取材のため沖縄へ飛ぶ。/ひとときの安らぎを得た南方の小さな島を離れたわたし。戦火は拡大しつづけ、前線からともに生き延びてきた仲間たちが、ひとり、またひとりと死んでいく。故郷への思いを支えに、わたしはなんとかこの苦境を生き延びていたが⋯⋯。

七(承前)

 わたしとコマチはあふれるほどふん尿にようが入ったバケツを両手に持ってひきずるように運ぶ。アケミとシノブが手にしているバケツには切断した患者の手足が入っている。そのなかには、わたしにコンペイトウをくれた下士官の左足も含まれていた。
 わたしたちはこれらを捨てるために、ガマの外に出た。コハナ姉さんは、足りなくなっていた水を島民と一緒にみに行っていた。わたしたちは、明るいうちは敵に見つかるからと、戦闘がむ日暮れを待って地上に出ることにしたのだ。バケツの中身を捨てる場所は壕の近くにあり、水が湧く泉はすこしばかりはなれている。
 急こう配を上るのに、前日までの雨で足元はぬかるみ、バケツは重く、あやうく滑りそうになったがもちこたえた。けれども、わたしに続いて最後尾にいたコマチはよろめき、バケツの中身をこぼし、自分でかぶってしまった。
 コマチは膝を折り、アイゴー、と泣き崩れる。
「もういやだっ。いつまで続くんだろう……」
 しゃくりあげながら言った。わたしは足を止めて振り返り、わずかに平らな場所を見つけてバケツを下ろすと、コマチを抱きしめ、背中をさすった。
「姉さん、汚れちゃう。大事な服でしょう?」
 コマチがつぶやいたが、わたしは彼女が落ち着くまで抱き続けた。
 見知らぬ人のぞう、患者の血、自分の汗。そして糞尿。キクさんから借りたままの着物には、ありとあらゆるものが染みついてしまった。これらをれいに洗い流せる日は来るのだろうか。そんな日を想像することはできそうにない。
「早く、早く」
 先に上っていったアケミが戻ってきて、声を潜めつつ、わたしたちを促した。わたしとコマチはたちあがり、ふたたび上り始める。コマチがわたしのバケツを片方、空となったものと交換してくれてちょっと楽になった。
 四人がそれぞれのバケツの中身を廃棄場所にあけていると、突然あたりが昼間のように明るくなった。敵の照明弾だ。
 すぐさまバケツを放り投げ、草むらまで逃げ、低く身を伏せて隠れる。するとまもなくして、ぴゅーっという艦砲射撃の音が聞こえ、続いて砲弾が爆発した。どのあたりかはわからないが、それほど離れていない場所に落ちたようだ。
 コマチと手を握り合い、息をみ、じっとしていると、何度か照明弾があがっては激しい爆発音が続き、地ひびきが届く。唇が震え、歯がかちかちと音を立てる。目の前は草が茂っているだけの景色なのに、たしかにすぐそこにある恐怖で、からだがこわばっていく。
 そのうちに照明弾があがらなくなり、闇夜にたちもどり、完全な静寂が広がっていく。それでもわたしたちは、しばらくそのままそこにとどまった。
 どれくらい身を潜めていただろうか。おそらく二時間は我慢して隠れ続けた。目が慣れてくると様子がうかがえるようになる。けれども念のためさらに小一時間ほど隠れた。
 カエルの鳴き声がしきりに聞こえてくる。わたしたちは、もういいだろうと、四人かたまって壕までの道を引き返す。身軽な方が逃げやすいと、放ったバケツを捜すことはせず、手ぶらだった。急ぎ足ながらも、息を殺し、なるべく気配を消して歩いた。しかし、月明かりに照らされた道中に横たわる遺体は、ずっとそこにあるもので、新しくはない。爆弾が落ちたのは、案外遠くだったのかもしれない。
 緊張がゆるむと、喉が渇いてたまらなくなった。
「水を飲んで帰ろう。コハナ姉さんも水汲み場にまだいるかもしれないし」
 わたしの提案に、みながうなずき、方向を変え、カーに向かった。水汲みに出たことのあるシノブに道案内してもらう。
 泉のそばまで来ると、何人かが横たわっているのが見えた。
「もしかして」
 わたしたちは、足を止め、顔を見合わせた。みな、口にしないが、倒れている人の中に、コハナ姉さんがまじっているのではないかと不安でたまらない。
 息を止め、目を凝らしてみるが、倒れているのは、黒っぽい影のようで、服も見分けがつかない。男か女かももちろんわからない。それらは人形みたいに見える。
 コマチが先んじて駆け寄っていく。アケミとシノブも続く。わたしはなぜか、動くことができなかった。三人は、倒れているひとりひとりの顔をたしかめている。ひとり、ふたり、三人目で、コマチが、わーっと叫んで、伏せって動かないからだを揺さぶる。
「姉さんっ、姉さんっ」
 アケミとシノブもしがみつき、三人が泣きくずれた。
 わたしもゆっくりと近づいていく。コハナ姉さんは、うつぶせで、目を開けたままこと切れていた。背中に弾の破片が突き刺さり、だれかをかばうように抱いている。よく見ると、コハナ姉さんの下にいたのは、わたしがひまし油をあげた少年だった。彼は、眠るようにして死んでいる。そして、少年とコハナ姉さんのまわりには、軍票が散らばっていた。
 軍票を一枚拾うと、猛烈な怒りが込み上げてきた。
 花札をし、たばこを吸い、酒を飲んで明るくうたい踊るコハナ姉さんの姿がまぶたの奥に浮かぶ。わたしたちをいつもまとめていたコハナ姉さん。美しい小さな島の土になる、肥料になると言っていたのに、こんなつまらないところで息絶えるなんて。
 わたしは軍票を勢いよくちぎり、そのへんに捨てる。もう一枚、また拾い、破いて投げる。三枚目を手にしたところで、シノブがわたしを制した。
「なにをしてるの。姉さんが稼いだ大事なものでしょ」
 わたしはシノブに向かって薄く笑った。わたしの手元にはとっくに軍票なんてない。どこでなくしたかも覚えていない。
「こんなもの……」
 それ以上は言わず、シノブが軍票をかき集めるのを眺めていた。シノブは軍票を大事に持ち歩いている。軍票をお金に替えて、故郷で店をやるのだと、しょっちゅう数えていた。
「コハナ姉さんは大陸で子を産んだって、あたしにだけは話してくれた。ひきはなされたけど、生きていたらこの子くらいになってるって。姉さん、あたしに、必ず子どものもとに帰るんだよ、ってなんども言ってた」
 アケミはそう言うと、少年のからだをさすって、アイゴーと大粒の涙を流している。
 わたしはため息を吞み込むと、少年のズボンのポケットをまさぐり、ひまし油の瓶を取り出し、モンペの中にしまった。それから、少年の頭をなで、故郷の弟のことをおもったが、弟の顔を思い出すことはできなくなっていた。
 悲しさを感じられず、ひたすら空虚だった。乾いた怒りで、身も心も疲弊しきってしまっている。
 泉の水を手ですくい、ごくごくと飲む。どんなに水を飲んでも、渇きは収まらない。潤うことなく、心の穴から水が流れ出て行く。
 コマチ、アケミ、シノブもわたしに倣って飲んだ。それから互いに言葉を交わすことなく、転がっていたおけを拾い、そこに水を汲み始める。
 わたしたちは、コハナ姉さんをそこに残し、桶いっぱいに汲んだ水を持って、壕に帰った。

#4-2へつづく
◎第4回の全文は「カドブンノベル」2020年10月号でお楽しみいただけます。


「カドブンノベル」2020年10月号

「カドブンノベル」2020年10月号


MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年12月号

11月10日 配信

怪と幽

最新号
Vol.005

8月31日 発売

小説 野性時代

最新号
2020年12月号

11月11日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP