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連載

深沢潮「翡翠色の海へうたう」 vol.16

【連載小説】自分の正体を知る兵士の出現に恐れを抱いたわたしは――。深沢潮「翡翠色の海へうたう」#5-1

深沢潮「翡翠色の海へうたう」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

仲間とはぐれ、ひとり彷徨うわたしを助けてくれたのはキンジョーという男だった。しかし、彼とともに逃げたガマに死んだはずの兵士、ヤマダが現れる。小説家志望の私は、勝負作として沖縄戦と慰安婦の物語を書くことを思い立ち、沖縄へと飛んだ。ガマや離島での取材を終え、執筆に対しての意欲に燃える私であったが⋯⋯。

七(承前)

「あいつが敗残兵なのは、みんな、わかっているさ。いくらサージンを着てうちなんちゅのふりをしても、ヤマトグチだ。あいつだって、ばれているのを承知で威張りくさっている。わたしらを、めているのさ」
 キンジョーは、ニシヤマをちらちらと見ながら、ささやいた。ニシヤマは、過ごしやすい場所を、赤子を連れた家族から奪って、横になっている。わたしとキンジョーは、ニシヤマから離れたところに、並んで座っていた。
「友軍には、さんざんひどい目にあわされた。だからあいつが恨めしいし、追い出してしまいたい。みんなそう思っているさ。だけど、あいつは、銃やナイフを持っているかもしれない。年寄りや女子どもばかりでは、どうにもできんね」
 続けて、はあっー、とため息をく。わたしが返事をできないにもかかわらず、キンジョーはこうして話しかけてくる。だが、いまの言葉は、まるでひとりごとのようだった。だからわたしは、うなずかずにいた。「ニシヤマを知っている、危険な人間だからなんとしてでも追い出した方がいい」と、伝えられないもどかしさもくすぶっていた。
 あんたも、とキンジョーは、わたしの方を見る。
「友軍には、嫌な……」
 そこまで言うと、目をそらした。
 キンジョーは、わたしが兵隊たちにどんなことをされていたか、もちろん知っているだろう。だが、そういったことに触れることはしなかった。豚小屋ウワーフルでの出来事も、決して口にしない。ただ、助けてくれる。わたしからなにも奪おうとはしない。むしろ、与えてくれるばかりだ。わたしは、そんなキンジョーを信じて頼っていた。
 即席で作ったランプのかすかなあかりに照らされるキンジョーの横顔には、深いしわがいくつも刻まれており、年齢以上に老けて見えた。その皺は、だいぶ前に病で亡くなった祖父にも、貧しくて働きづめだった父にも同じようにあったような気がする。
 このひとも、きっと、いろんなものを奪われ続けてきたのだ。家族も、家も。
「さ、そろそろ、食べ物もなくなってきた。なにか見つけてこようね」
 立ち上がり、離れていく。わたしは膝を抱えて、キンジョーの背中を見送った。
 だれかが自分を大事にしてくれる、そう思うと、とりあえず、いまは生き延びてみよう、と思えてくる。
 生きていたら、コマチやアケミ、シノブとまた会えるだろうか。
 そもそも彼女たちは無事だろうか。わたしみたいに、だれかに大事にされていてほしい。
 わたしは、小さな島で女たちと踊ったことを思い出し、心のうちで、アリランの歌をうたった。つらら石からしたたり落ちるしずくの音が伴奏になり、なんどもなんどもくりかえしうたう。そして、キクさんの顔を、すい色の海を、思い浮かべた。遠い故郷のこともおもったが、記憶はもはやぼうばくとしかけている。まぶたの裏に映る両親のかおかたち、住んでいた家、村に咲いた花々は、薄い膜がかかって見える。
 すこし眠っていたようだった。目が覚めて喉の渇きを覚え、そばにあった空き缶を手にした。中には、落ちた水滴がためてある。
「おいっ、その水をせ」
 見上げると、着物姿の男が立っていた。はっきりと顔は見えないが、声でニシヤマだとわかる。わたしは、すくみあがり、動けなくなった。するとニシヤマは、わたしの手から空き缶を奪って、中の水を一気に飲み干した。
 大きなげっぷを吐き出したニシヤマは、おまえ、と言うとしゃがんで、わたしのあごをつかんだ。それから自分の方に向かせると、手を放す。
「やっぱりコハルだな」
 わたしはうつむいて目を合わさずにいた。
「おい。あのとき、斬り込みに失敗してごうに戻ったら、馬乗りでやられていたが、コガ隊長のご遺体はなかった。生き残った部隊はどうした? コガ隊長は?」
 わたしは、首を横に振った。
「隊長も、みんなも、やすくにに行ったんだな?」
 わたしは、病棟に残されたコジマはどうしただろうと思いながら、小さくうなずいた。すると、ニシヤマは、ちきしょう、とつぶやいた。
「なんでお前なんかが生き残っているんだ」
 わたしは、その言葉をそのまま返したい思いで、ニシヤマを見つめた。
「くそっ、なんか言えよ。なんだ、その目は。おまえ、ほんとうに口がきけないのか? 歌までうたっていたくせに。おまえ、それ、口がきけないふりだろ。チョーセンピーだってばれたくないんだろ。だがな、お見通しなんだよ」
 ニシヤマは、ちっ、と舌打ちをする。
「まあいい。こうなったら、おまえが生きていたのも、俺のためだろうな」
 そう言うと、わたしの腕をつかんで引っ張った。
「こっちに来て、やらせろっ。それがおまえの役目だろう」
 わたしは抵抗してふんばる。獣のようなうなり声が出た。豚小屋以来の発語だ。だが、それは、声というよりは、ほうこうに近い。意味を成す言葉は出てこない。
「なんだ、おまえっ。やらせないつもりかっ。チョーセンピーのくせにっ」
 ふたりのやりとりは、静まり返ったガマのなかに響き渡った。まわりのひとたちは事態を把握しているはずだが、誰も助けてくれない。
「いい加減にしろっ」
 頰をたたかれても、頑として動かずにいたら、腹に蹴りを入れられた。激しい痛みで、力が抜けると、からだが引きずられていく。ごつごつとした岩肌に尻や足がぶつかってさらに別の痛みが襲ってくる。
 また、穴にされる。
 こんなことなら、死んでしまった方がましだったのではないか。
 絶望に打ちひしがれて、もう抵抗する力が出なかった。わたしは、みんなのいるところから、狭い通路にずるずると引っ張られていく。
「やめなさいっ」
 キンジョーの声が聞こえたと思ったら、ニシヤマがわたしを放し、からだが自由になった。
 目の前に、ニシヤマが倒れている。傍らにランタンが落ちていたが、灯は消えていなかった。その後ろには、キンジョーが鉄の棒を持って立っている。
「頭を叩いたから、気を失ったみたいだ。さ、早くこっちに」
 わたしを立ち上がらせると、ランタンを持って奥にいざない、みんなのいるところに戻る。それからキンジョーはガマのなかにいた二十人あまりを呼び集めた。
「投降しよう」
 キンジョーが言うと、なんだって、とんでもない、どうしてそんなことを言うんだ、とみながざわめいた。わたしも、キンジョーの言葉を、聞き間違いではないかと思った。投降なんて恐ろしいことを、できるはずがない。
「食料を探していたら、男が近づいてきた。その男は、防衛隊から脱走して、投降したって言うのさ。収容所にいるらしいが、アメリカーは、危害を与えるどころか、食べ物をくれるそうだ。けがの手当てもしてくれる。ビラに書いてあることは本当みたいだ」
「おかしいね。なんで、捕虜されたのに、収容所から出てきたのさ」
 中年の女性が強い調子で言った。
「民間人は、捕虜ではなく、保護だって言うんだ。その男は、このガマのみんなを説得するために来たってことだ。アメリカーは、すぐそこにいるそうだ。とにかく、ガマの外で待っていてくれと、その男には伝えた」
「つまり、ここにいることが、ばれているのかね?」
 声のつぶれた老人が、ゆっくりとたしかめる。
「そういうことになるね」
「出て行かないとどうなるのさ?」
 さっきの女性が、こんどは不安そうにいた。
「アメリカーは、このガマを、火炎放射する」
 キンジョーの落ち着いた声は、かえって、恐怖をあおった。みな、言葉を失って、しんとなっている。わたしは、思わずかたくこぶしを握っていた。
「だましているんじゃないか? スパイじゃないのか? 本当に出て行ったら、殺されるんじゃないかね?」
 沈黙を破った女性の声は震えていた。
「わたしらは、兵隊じゃないから、大丈夫さ」
「でも、ここには、兵隊がいるじゃないか。あいつのせいで、出て行ったって、殺されるんじゃないか」
 老人が言うと、そうだ、そうだ、と声があがる。
「それは大丈夫だ。アメリカーは、先に投降したうちなんちゅを使って、ちゃんと兵隊と民間人を分けるし、収容先も違うらしい。それに捕虜になった兵隊も、殺されてはいないようだ」
 キンジョーが答えると、でも、と女性が不安そうな声で言う。
「死なないとしても、女は……無事でいられるのかね」
 キンジョーは、黙ってしまう。豚小屋での記憶がよみがえる。出て行くのがいいのか、ここに残るのがいいのか、わたしには、わからない。
 生き残ってまたりようじよくされるのか、死んでしまった方がいいのか。
 キンジョーもアメリカーからわたしを守るのは、さすがに無理だろう。
「どのみち、敵にやられるくらいなら、手りゅう弾で死んだ方がいいね」
 中年の女性が言うと、大半のひとたちが、うん、うん、とうなずいた。
 そのとき、「デテコーイ デテコーイ」と、大音量の呼びかけが、出入口の方から響いてきた。わたしが立っているところは、その出入口に通じるみちに近く、とくによく聞こえた。
 みなが互いに顔を見合わせて、とまどっている。
「デテコーイ デテコーイ」
 ふたたび、聞こえてくる。
「早く出て行かないとね。わたしはどうなっても、子どもと両親は助けたい」
 子連れの女性は、前に後ろに子どもをくくりつけた状態で、老夫婦をともなって、出入口に向かおうとする。背負われた子どもは、声をあげて泣き始めた。
 そこに、頭に手を当てたニシヤマがやってきた。足元がふらついている。
「きさま、まさか、投降しようってのか。日本人として、恥ずかしくないのかっ。やめろ」
 そう言うと、立ち止まり、着物の懐に手を差し込み、拳銃を出し、逃げようとする女性に向けた。彼女とその家族は、その場に凍り付く。これまで、ニシヤマが島の人たちを撃つさまを見てきたわたしも、息が止まる。ニシヤマは、脅しではなく、本気だ。
 赤子の泣き声だけが響くなか、ニシヤマは、引き金を引いた。
 しかし、弾は出てこず、カチッという音がしただけだった。ニシヤマは拳銃を放り投げる。
「デテコーイ デテコーイ。コレガサイゴ」
 呼びかけを聞いて女性がふたたび動こうとしたとき、ニシヤマが手りゅう弾を取り出し、信管を素早く抜くと、彼女に投げつけた。
 わたしは、思わず目をそらす。耳をつんざくような破裂音が響く。おそるおそる視線を戻すと、女性とその家族が倒れているのが目に入る。
「ははははっ、あーはっはっはっ」
 ニシヤマは気でも触れたような大声で笑った。そして、懐からさらに手りゅう弾を出し、信管をゆっくりと抜くと、真顔になった。
「天皇陛下、バンザーイ」
 叫ぶように言って両手をあげると、手りゅう弾を自分の胸に打ち付けた。
 その瞬間、出入り口からものすごい熱気とガソリンの臭いが襲ってきた。
 熱い。痛い。苦しい。
 自分の服が、髪の毛が、皮膚が、じりじりと焼け焦げる音がする。
 わたしの意識は、遠のいていった。

#5-2へつづく
◎第5回の全文は「カドブンノベル」2020年11月号でお楽しみいただけます。



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