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連載

深沢潮「翡翠色の海へうたう」 vol.6

【連載小説】この痛みをたくさんの人に伝える小説を――決意も新たに私は島へと向かい……。深沢潮「翡翠色の海へうたう」#2-2

深沢潮「翡翠色の海へうたう」

※本記事は連載小説です。

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 遅くまで起きていて、取材した詳細をタブレットに打ち込み、今後訪ねる場所についての予習をした。そのため、翌朝はスマートフォンの目覚まし音に気付かず、すっかり寝坊してしまった。おかげで乗るはずだった離島行きの船の出発時間には間に合わない。
 こういうかつさが嫌だ。大学入試の当日も寝坊をしたし、慌てていて筆記用具も忘れてしまった。
 私は、肝心なところで失敗する。なんというか、ださい。
 落ち込んでいる私に、朝食がわりにと、比嘉さんがおにぎりをくれた。そして、スーツケースも預かってくれるという。離島に一泊して戻ってくるのだが、大荷物を置いて行けるのは、とても助かる。比嘉さんの心づかいがありがたい。
 気を取り直して、南部まで遠出することにする。次の高速船は夕方で、それまで時間もあるので、昨日訪ねきれなかったの平和祈念公園に行ってみることにしたのだ。
 バスターミナルからいとまん行のバスに乗った。車内はそれほど混雑しておらず、座席につくことができた。摩文仁や祈念公園のことをひととおりタブレットで調べたのち、ぼんやりと外を眺めながら、おにぎりを頰張る。低い建物ばかりが並ぶ街道やさとうきび畑が続く光景を見ていると、遠足かなにかに行くようで心が和む。今朝の失態も気にならなくなってくる。
 糸満でバスを乗り替え目的地についた。平和祈念公園には修学旅行の際に来たことがあるはずだが、あまり覚えていない。高校生の頃は戦争に関心がなかった。いや、正直言って、この題材に決めるまでは、沖縄戦はおろか、戦争についてほとんど興味がなかった。
 晴天の日曜日である今日は、見学者が多いようで、広々とした敷地に人の姿が散らばっている。
 平和のいしじでは、布の帽子や麦わらをかぶった中高年の集団が、女性ガイドさんの話を熱心に聞いていた。私はかれらの背後にさりげなく近寄り、ガイドさんの説明を盗み聞きする。
 平和の礎にはおびただしい数の戦没者の氏名が刻まれており、遺族などの申請によって、毎年あらたな名前が加わっているという。ガイドさんのひとことひとことに、皆が静かにうなずいていた。
 中央の「平和の火」がともされている広場からは、摩文仁の丘陵や海岸線が望める。空は青く、入道雲が遠くに見える。だが、白い砂浜に穏やかな波といった、頭に刷り込まれたいかにもな沖縄の海とは違い、切り立った崖がところどころに見え、青緑色の海は波が荒く打ち付けて勇ましかった。
 ガイドさんとともに集団がいなくなっても、私はしばらく岸壁を眺めていた。
 それから韓国人慰霊塔に向かい、大きな慰霊碑の前で手を合わせる。
 どうぞ、安らかに。よい小説が書けるようにお力添えください。
 心のうちで唱えた。
 その後、都道府県別にずらっと並ぶ戦没者慰霊碑のあいだを抜けて、丘をくだっていく。
 花が供えられた軍司令官の立派な慰霊碑があるかと思えば、手入れもされず横倒しになり、まわりに草がぼうぼうと生えている、個人が建てたであろう慰霊碑もあった。戦局の悪化とともにしゆから南下した第三十二軍司令部の洞窟跡や、大小のガマも見られる。
 ここは、まさに戦地だったのだということがうかがい知れた。私は、そのところどころで手を合わせて祈った。
 岩肌が続く海岸は、濃厚な潮の香りが満ちている。サーファーがあちこちにいる平和な景色を目の前に、両手を軽く広げて深呼吸した。摩文仁の丘を下りながら、ずっと息を詰めていた。いまようやく酸素をぞんぶんに吸えたような気がした。
 頰に風を感じながら、七十数年前へ思いをはせる。
 米軍に追い詰められて、どれだけのひとが命を落としたのだろうか。
 あらためて海岸線をぐるり眺めると、岸壁がえぐりとられたようにへこみ、大波がしぶきをあげてぶつかっていた。
 これまで、自分は本当に無知だったと思い知る。学校の歴史の授業で時間を割いて詳しく習った覚えもない。そもそも近現代は駆け足で事象を覚えただけのような気がする。だから私と同じように、沖縄戦について詳しく知らない人は多いはずだ。
 この島の痛みをなんとか伝えたい。
 そんな小説が書けたなら、私の人生も開けるはずだ。
 難しくても頑張ろう。
 あらためて気持ちがたかぶるのだった。

 とまりとうに向かい、とまりんから午後四時発の高速船「クイーンざまみ」に乗った。八月最後の日曜日とあって、船内は老若男女で混んでいる。時間ぎりぎりに乗った私は座席にありつけず、デッキに出た。
 熱帯低気圧の影響で波は高かったが、目の前に広がる海は晴れ渡った空を映して鮮やかにあおく、強いの光を反射し輝いている。白い波しぶきが水面の碧さと美しいコントラストを描いていた。
 船ばたからしばらく水面を眺めていると、とうがときどきやってきて、船が大きく揺れる。バランスを崩し、船べりにつかまると、目の前に水面が迫ってくる。まぢかで見ると水は透き通っているのに、底が見えない。奥にはなにがあるのか、探ってみたくなる。
 湿った風に吹かれながら、海鳥の姿を目で追うと、本島がじょじょに小さくなっていく。
 韓国語が聞こえてきて、声の方を向くと、若い女性二人がスマートフォンでお互いを撮りあっていた。かたやサングラスをかけてティーシャツにジーンズ、かたやキャップをかぶりコットンのシャツに短パンといういかにも南の島の観光客然としたかつこうで、おそらく大学生くらいではないだろうか。
 はしゃいでいる姿が微笑ほほえましくて見つめていると、キャップをかぶっている方の女の子と目が合った。私は、笑みを崩さずに、女の子たちに一歩近づく。
「写真、撮りましょうか?」
 日本語で言ったが、意味は通じたようで、キャップの女の子は、サンキューと答えて、私にスマートフォンを渡してきた。
 ポーズをとるふたりの写真を数枚撮ってスマートフォンを返す。
「アリガトウゴザイマス」
 片言で言って、バイバイ、と手を振り、ふたりは船室に入っていった。
 私は、ふたたび海原に目をやった。
 あの子たちは、朝鮮半島から沖縄に来て、離島に行く。戦時中に来た女性たちと同じだ。きっと年齢もさして変わらない。
 だけど、あまりにも境遇が違う。
 そう思うと、胸がきりきりと痛んできた。
 潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで目を閉じ、ひとときの間をおいて、ふう、と息を吐ききる。風が強まり、髪が乱れて顔にかかるのが鬱陶しい。船も揺れ始め、立っているのがおぼつかなくなった。
 むかむかとしてあがってくるものがあり、私は大慌てでデッキから離れ、トイレに駆け込んだ。二度、三度と吐き、胃の中のものはすべて出きってしまった。泊港を発って五十分後、島に着いたときは、ふらふらだった。
 船着き場を降りると、正面に犬の像があった。映画にもなった有名な犬らしいが、日本犬だろうか。なかなか愛らしい顔だ。その像の奥には、遊具を備えた児童公園があるが、誰も遊んでいない。船を乗り降りするひとたちは結構いたが、ダイバーや海水浴客のようだった。ここは車で一周しても三十分足らずの小さな島で、人口は三百人に満たないというが、ダイビングや海水浴のハイシーズンらしく、人の姿はけっこうある。
 まだ少しふらつくので、船着き場ですこし休み、体調を回復させてから、海岸線に沿った道を歩いた。舗装され、道沿いには芝生が植えられている。左手に望める浅瀬は水色と緑色のあわいに近く透き通り、白っぽい黄土色の砂浜が続く。日が長い夏の日らしくまだちらほらと海水浴客がおり、小学校高学年ぐらいの男の子が浮き輪で泳いでいたり、カップルが仲良く砂浜に寝転んでいたりする。平和でのどかな光景は、まるでこの島だけときがゆっくりと流れているかのようだ。穏やかな波の打ち寄せる音が耳に心地いい。風はふんわりとしてやわらかく、さわやかだ。
 遠く沖合は、低くす太陽の光できらめいている。このせいひつな海岸に軍艦がびっしりと並んだ様子はたやすく想像できないが、ここに米軍が最初に上陸した。
 スマートフォンのグーグルマップの指示に従い、海沿いから民家が並ぶ平坦な道を入り、石塀のあいだを歩く。
 すぐにたどり着いた民宿はネットにあったとおり、築年数が古かった。ここは、宿泊料が島で一番安かったし、八十すぎのおばあさんが営んでいるから、戦時中の話を聞けるかもしれないと期待した。
「あの……戦時中、この島には、慰安所がありましたよね? 慰安婦を見たことはありましたか?」
 私は単刀直入に尋ねた。
「そうね、わたしは外地にいたから、わからない。だけど、その人たちの世話をしていたキクさんがいますよ。明日にでも訪ねてみたらいいね」
 おばあさんは、慰安所跡の近くにあるキクさんの家の場所を教えてくれた。
 案内された部屋は四畳半の和室だった。カフェテラスで休んだものの、まだなんとなくすっきりとしないうえに、朝からの移動の疲れも覚えていた。私は、畳んであった布団を敷き、とりあえずからだを横たえた。するといつの間にか眠ってしまっていた。
 夕食の時間になって起こされ、食堂でカレーライスを食べた。高校生ぐらいの女の子三人と、四、五歳の男の子を連れた若い夫婦が一緒だった。一人で食べているのが奇異にうつるのか、女の子たちがちらちらとこちらを見ていて居心地が悪く、半分くらい食べて部屋にひっこんだ。すきっ腹にカレーというのもきつかった。
 民宿の入り口にあった販売機で買ったさんぴん茶を飲みながら、タブレットを操作して情報をさらい、資料をたしかめているうちに、辺りは暗くなっていく。古い蛍光灯のひもを引っ張ってあかりけると、何度か点滅して明るくなった。
 私が目を通した資料によると、慰安婦たちが来たときのこの島の様子はいまとまったく違っていた。
 戦局はいよいよ苦しくなり、沖縄への米軍の上陸に備えて、すでに二か月前から阿嘉島は特攻艇の秘密基地となっていた。島民は島から出ることを禁じられ、立派な家屋は軍に接収され、将校たちの住居とされた。住み慣れた家を追い出された島民は、山の上の掘立小屋などに追いやられるか、三世帯、四世帯でひとつところに暮らすことを強いられた。
 彼女たちが軍事物資として運ばれてきたときには、全島民を超える数の特攻隊員がすでに来ており、多くの住民が徴用に駆り出されていた。そんな殺伐とした空気のなか、慰安婦たちは一部の島民から風紀が乱れるとして拒まれた。
「島の娘が犯されないように、そのために来たのだ」と軍から説得され、島民はしぶしぶ慰安所設置を受け入れた。慰安所に近づいてはならないと厳命されていたというが、島民の彼女たちへのまなざしは厳しいものだったに違いない。
 私は、よし行こう、と立ち上がり、民宿を出て、船着き場の方に戻る。
 日はとっぷりと暮れており、街灯がなく民宿やペンションから漏れる光程度しかないため、かなり暗い。
 右手から聞こえるしおさいとともに歩いていると、がさごそという音が左手の路地の奥から聞こえてきた。驚いて足を止め、目を向けると、黒っぽい影が走り去っていった。おそらく鹿じかだろう。島にはかなり多くの鹿がいると記事で読んだ。
 ふと空を見上げると、無数の星が輝いていた。明るさもまちまちな大小の星々がきゆうくつなまでにびっしりと夜空を埋めている。
 わあ、と思わず声が漏れる。
 彼女たちも、美しい星空を眺めたのだろうか。つらい生活のなか、空を見上げて心が癒されていたならいいな、と思う。
 圧巻の光景に見入っていると、目が慣れてきて、星あかりは案外明るいということを初めて知った。ほどよくさざめく波の音とともに、私はまた歩き始めた。

#2-3へつづく
◎第2回の全文は「カドブンノベル」2020年4月号でお楽しみいただけます。


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