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連載

深沢潮「翡翠色の海へうたう」 vol.5

【連載小説】私は本気だ。すべてを捨ててこの作品にかける―― 深沢潮「翡翠色の海へうたう」#2-1

深沢潮「翡翠色の海へうたう」

※本記事は連載小説です。



前回のあらすじ

小説家志望の私は、三十路という年齢と、なかなかデビューできないことへの焦りを感じていた。そんな中、友人とのやりとりをきっかけに、沖縄戦と慰安婦を舞台にした小説ならば勝負作が書けると思い立ち、取材のため沖縄へ飛ぶ。/半島出身のわたしは、前線で兵隊たちの相手をさせられていた。逃げようにも逃げられない大陸での日々はある時突然終わりを告げ、六人の女とともに、南方の島へと連れて来られた。

「そろそろ行きましょうか」
 まつさんに声をかけられるまで、私は説明板の前で考え込んでいた。
「あの、つかぬことを伺いますが」
 そこで息を継いだ。
「はい、なんでしょう」
「えっと、あの……」
 しかし、次の言葉が出てこない。松田さんは、私を見つめて待っている。
「この説明板の……」
 ガイドを依頼する際に、沖縄戦を小説に書くために戦跡をめぐる、としか説明していなかった。意気込んで取材の手配をしたものの、いざとなると、「慰安婦」という単語を口にするのはためらわれたのだ。
 しかし、ここは、きちんとたしかめておかなければ、と思う。
 妙な間が空いたためか、松田さんがかすかに首をかしげた。
 私は、んっ、んっ、とせきばらいをしてから、思い切る。
「女性たち、というのは?」
 声をひそめて言った。
 松田さんは、一瞬、意外そうな顔になった。
「気になりますか?」
「あ、はい。すこし……」
「女性たち、というのは慰安婦のことです。扱いが難しいので、そのことについてはこちらからはあまり触れないんです。以前は説明があったのですが、いまは直接的にわからないような表現になっていますから、気づく人も少ないですね。さっき訪ねたアブチラガマにもいました。軍の陣地ごうだったときには、かやぶきの木造二階建ての小さな慰安所がつくられていたようです。そこでは朝鮮人の慰安婦と、沖縄出身の慰安婦が数人ずつ目撃されています」
「壕の中にまで……そして朝鮮の女性と、沖縄の女性が……」
「アブチラガマのあとに入ったガラビ・ヌヌマチガマでは、野戦病院だったときに、朝鮮人の慰安婦が地元の女性や学徒たちとともに、患者の便器や尿器の始末をしたり、食事や水の世話をしたりしていたそうです。沖縄戦は軍民一体でしたからね」
 私は、ガラビ・ヌヌマチガマのぬかるんだ地面を踏んだときの、ぬるぬるとした感触を思い出した。見学中、ときおり足をとられ、長靴が泥だらけになった。かつてゴミ捨て場とされてしまっていた場所はとくにひどくて、沼のようだった。
 彼女たちも、足をすくわれながら病人の世話をしたのだろうか。
 地元の女性や学生たちと助け合っていたのだろうか。
 いったいどんなまなざしを向けられていたのだろう。
 取材をして小説を書くのは初めてで、勝手もわからない。沖縄に知人もおらず、編集者が世話をしてくれるプロの作家でもない私につてなどなく、インターネットを駆使して手探りで取材を調整した。我ながらこの短期間に頑張って行程表を作ったとは思うが、どうしても万全とはいかない。それでも、行ってみればどうにかなると、はやる気持ちに任せて来たが、やはりもっと準備しておけばよかった。
 ガマに入ったとき、そこにそんな女性たちがいたことを事前に知っていれば、感じることも違ったのではないか。
 私はおどろおどろしい雰囲気が漂う第三十二軍司令部壕の入り口を見やりながら、アブチラガマの中の湿った空気、ごつごつとした岩肌を思い出してみる。だが、平和ないまこのときに、晴れた空の下、自由を享受している自分が、日の光の届かない地中奥深くで繰り返し性を奪われる女性たちの姿を思い描くのは難しい。
 明日からの取材先については、いまいちどインターネットの情報をさらっておこうと思った。

 市内の宿泊先まで松田さんに送ってもらった。ここは、女性専用ゲストハウスで、朝晩の食事を付けても宿泊代が安かった。一軒家で、住宅街のなかにある。今日と一日あけて明後日あさつて、泊まる予定だ。
 チェックインをしたのは六畳の和室だった。本来は相部屋だが、ひとりで使うことができた。私は、荷を解いてすぐに汗だくのからだをシャワーで流してさっぱりとし、ようやく一息つく。畳の上にからだを投げ出し、手足を広げて伸びをすると、疲れがじわじわと襲ってくる。
 まぶたを閉じたそのとき、充電していたスマートフォンに着信があった。画面をたしかめると、会社の同僚のいいづかさんからだった。
 嫌な予感がしたが、電話にでる。
わいさん、よかった、つながって。何回かかけたんだけど」
「すみませんでした」
「あのね、明日だけでも、出勤できない?」
「明日って、日曜日ですよね? ちょっと……」
「無理してでも明日は出た方がいいと思うんだけど。みんな今日も休日出勤したし、明日も出るのに」
 飯塚さんの口調がきつくなっていく。
「納期が近いのに有休取るとかありえないって、もとチーフも切れてる。だから、せめて明日だけでも出てくれたら助かるんだけど。ていうか、あたしたちもぎりぎりで困ってるんだけど」
「でも……」
 会社のひとたちには、沖縄に来ることは言っていない。
「でも、もなにも、勝手すぎない? みんな出勤するのに」
「すみません、どうしても大事な用事があるんです」
「もしかして、どっか旅行とかしているわけ? だって月、火、休むってことは四連休でしょ。お盆休みもあったのに、また休むなんて、信じらんない」
「遊びではないんです」
 思わず言い返していた。
「はあ?」
 飯塚さんは、わざとらしいくらい聞こえよがしにため息をくと、もういいわ、いい、と続ける。
「元木チーフ、怒るだろうね。知らないから」
 そう言って、飯塚さんは通話を打ち切った。
 スマートフォンを投げるように布団の上に放り、まぶたを閉じる。
 会社に有給休暇を申請したときの元木チーフの顔が頭に浮かんだ。唇の端をぴくぴくと震わせ、神経質にまばたきを何度も繰り返していた。
「ずいぶん急だな。困るんだよ、納期が近いときに休まれると」
「ただでさえ、人手が足りないのに」
「飯塚君たちの負担が大きくなるじゃないか」
 嫌味っぽくねちねちと言われたが、私はめげなかった。以前なら気に病んで遠慮したが、もはや周りの人はどうでもよかった。
「どうしても、お願いします。家庭の事情なんです」
 多少の作り話は許されるだろう。
「タイミングが悪いんだよ。タイミングがっ」
 元木チーフは吐き捨てるように言った。その仕草はあまりにも高圧的で、かんに障った。
「有休は権利ですよね? 私、ずっと取っていなかったので」
 そう言うと、しぶしぶと認めてくれた。
 もしかしてこのことが原因で会社にいづらくなるかもしれないが、そのときはそのときだ。
 私は腹をくくった。そもそも、私が半年前から勤めている、アプリを制作する零細IT企業は雇用環境が悪すぎる。残業や休日出勤も多く、小説を書く時間も、心の余裕もなかなか持てない。だから、万が一辞めることになったって未練はない。
 私は本気なのだ。大事なのは、小説、だ。会社のことは、忘れよう。
 起き上がり、タブレットをバッグから取り出し、今日取材したガマや壕の様子を記すことにした。
 しばらく作業を続けていると、ゲストハウスのオーナーのさんが、食事ができたと知らせに来た。
 わたしはタブレットへの入力をめ、食堂に向かう。
 食卓には、一人前の夕食が用意されていた。ゴーヤチャンプルーに野菜サラダ、ごはんにしる、デザートとしてサーターアンダギーがひとつ、お盆に載っている。
「みなさん、素泊まりで、今日は河合さんだけね」
 比嘉さんは、冷たいお茶をグラスにいでくれながら言った。朗らかな人当たりで、年齢は四十前後だろうか。
「河合さんは東京からでした……ね? 沖縄は初めて?」
「高校生のときに修学旅行で来たきりです」
「そう。じゃあ、いろいろ楽しんでいってくださいね。今日はどこに行きましたか?」
「今日は、その……ガマに入りました。私、戦跡をいろいろと見て回ろうかと思っているんです」
「個人旅行の方が戦跡めぐりとは、珍しいですね。どうしてまた?」
「えっと……」
 初対面の人に小説の取材だと答えるのはなんとなく恥ずかしい。プロの作家ならまだしも、私はまだ何者でもないのだから。
「ごめんなさい。立ち入ったことを聞いたでしょうか?」
「いえ、大丈夫です。私、実は、取材で来たんです。小説を書いているんです」
 口に出したのは初めてだ。家族にも友人にも言ったことはない。こうして表明してみると、自分で自分を誇らしく思えるから不思議だ。
「小説? すごい! なんだか、かっこいいですね」
 比嘉さんは満面に笑みを浮かべ、興奮気味に言った。しかしその笑顔はまぶしすぎて、後ろめたくなってくる。私は比嘉さんから視線を外し、でも、とつぶやく。
「まだプロではなくて、作家志望にすぎないんですけど」
「文章が書けるってすごいですよ。私なんて、書くの苦手だから、SNSすらめったに投稿しない。それに小説って、誰でも書けるわけじゃないですから」
「そんなことないです」
 けんそんしてみるものの、内心では褒められてまんざらでもなかった。
「小説、読むのは大好きです。娘と本を貸しあったりします」
「娘さんがいらっしゃるんですね」
 比嘉さんはスマートフォンの待ち受け画像を見せてくれた。そこには、比嘉さんと一緒に振袖姿の女の子が写っていた。ふたりははっきりとした目元がよく似ている。
「かわいいですね。こんな大きなお嬢さんがいらっしゃるんですか? お若く見えますけど」
「ありがとう。河合さんは……独身?」
「はい、独り身です。ふだんは、会社で働いています」
「働きながら小説を書いているんですか? 夢があっていいですね。それで、どんな小説を? 取材っていうことは、沖縄が舞台のもの?」
「はい、戦時中の沖縄が舞台で」
「それで、戦跡めぐりなんですね。ジャンルは、ミステリー? それとも恋愛もの?」
 私は答えあぐねて、夕食の膳に視線を落とした。すると比嘉さんは、はっとした表情になる。
「食事が冷めちゃいますね。質問攻めにしてしまってごめんなさい。どうぞ召し上がって」
 いただきます、と私は箸を取った。
「ごはんのおかわりは、カウンターの炊飯器から自由によそってください。それから、食べ終わった食器はそのまま置いておいていいですから」
 比嘉さんは、ごゆっくり、と言って食堂から出て行った。

#2-2へつづく
◎第2回の全文は「カドブンノベル」2020年4月号でお楽しみいただけます。


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