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連載

深沢潮「翡翠色の海へうたう」 vol.11

【連載小説】この美しい島を、私たちの終の棲家にできたなら――。 深沢潮「翡翠色の海へうたう」#3-3

深沢潮「翡翠色の海へうたう」

※本記事は連載小説です。

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 私は、あずまやの近くのカフェテラスに入った。そこでなかむらさんと待ち合わせていたのだ。約束の時間にはまだ早かったので、ふーちばーピザを頼み、テラスから海を眺めて待った。麗しく優しい海はいくらでも見ていられる。
 ふーちばーとは沖縄産のヨモギのことだ。濃厚なチーズと香り豊かなふーちばーがたっぷり載ったピザはしく、私は一枚をペロリと平らげた。ランチセットについた食後のアイスコーヒーをすすりながら、つい先ほど聞いたキクさんの話をはんすうする。
 キクさんの話してくれたことは、私が想像していたものとは良くも悪くも異なっていた。私は最初から、彼女たちの不幸な姿ばかりを思い描いていたが、キクさんの目に映った女性たちの姿は、明るく、楽しそうだった。
 考えてみたら彼女たちも船で一緒だった韓国人の女の子たちや私と同じ人間だ。笑ったり、うたったり、踊ったりするのは当然なのに、なぜ私は、彼女たちの不幸な姿だけしか見ようとしていなかったのか。
 彼女たちの小説は、描かれるべき形が私の中で決まっていたが、それでいいのだろうか。
 アイスコーヒーを飲み終えたころ、仲村さんが現れた。彼は瘦せた初老の男性で、役場の元職員だ。ボランティアで島の戦跡を案内してくれるのだが、まずは、慰安婦を見たことのあるつねいちさんの家に連れて行ってくれることになっていた。仲村さんはなにかと恒一さんの手伝いをしているらしい。
 恒一さんは、カフェテラスのすぐ裏の、親族の住む敷地の一角にある平屋の一軒家にひとりで暮らしている。当時は、少年義勇軍に属す軍国少年だったという。
 訪ねると、恒一さんは私と仲村さんを居間に通し、お茶を出してくれた。それから安楽椅子に深く座った。八十九歳の恒一さんは、脚が弱くなっているようだが、体格もよく、かなりしゃんとしている。ぱりっとしたシャツにスラックスといった格好で、補聴器をつけてはいるものの、言葉も明瞭で、年齢を感じさせない。穏やかな表情は、キクさん同様、こちらの緊張を解いてくれる。
 恒一さんとはす向かいになる形でソファに腰を下ろすと、すぐ横の壁には㋹といわれる特攻艇の写真がびようで張ってあった。特攻艇は木製で、いま見ると信じがたいほどちゃちなつくりだ。
「当時、その特攻艇を隠すためのごうを朝鮮人軍夫が掘った」
 恒一さんが語り始める。
「慰安婦だけでなく、朝鮮人の軍夫のこともはっきりと覚えている。慰安婦のことは、とくに軍の演芸会で見た姿が忘れられない。着物姿でうたったふたりは、色白で目を見張るほどきれいですらっとしていた。私は、一目見て大好きになった。彼女たちの歌声は、情感豊かで、軍人も島民も、みんなが大喝采した。日本語のアリランは、郷愁を誘ったんでしょう。涙ぐんでいる兵士もいた」
 彼女たちは島にある峠が故郷に似ているとして、アリラン峠と呼んだという。そしてそこは、のちに軍夫たちも通った場所だった。軍夫たちは、朝鮮人の慰安婦が去ったあとに、特攻艇の秘匿壕を掘るためと、それに伴う雑役を担うために朝鮮半島からこの島に連れてこられた。彼らも同じように峠でアリランの歌を母国語でうたったが、軍人が通ると即座に日本語の軍歌に替えたそうだ。
 三月二十六日に海岸に米軍が現れた。恒一さんはそのとき、真っ黒な軍艦に埋め尽くされた海をとても狭く感じたという。米軍の上陸部隊はすぐに海岸を占領し、ムラまで進撃する一方、艦砲射撃を繰り返した。そしてたった一日で島の大部分を占領し、日本軍は島の中央に退却した。集落は吹き飛び、山林は焼け、島じゅうがあかあかと燃え盛った。軍事施設も特攻艇も壊滅的な打撃を受け、逃げまどった島民と軍人は、山間部の洞窟やざんごうに隠れた。
 そこで恒一さんは、日本兵による殴る蹴るの暴行や、食事を抜くせっかんなど、軍夫が人間扱いされていなかったのをその目で見たという。戦時中は、日本人が一等、沖縄人が二等、朝鮮人が三等国民とされていた。
 米軍上陸後、投降することを厳しく禁じられていた島民や兵士、軍夫は、飢えと恐怖に耐えながら、隠れ続けた。そんななか、畑からくすねたさつまいもを隠し持っていた者と、食料収集に出させられたが時間内に戻らなかった者、合わせて七名の軍夫が後ろ手に縛られ、兵士により銃殺された。そのとき現場で穴を掘って彼らのなきがらを埋めたのも軍夫たちだった。また、壕掘や人足の必要がなくなり足手まといになった朝鮮人軍夫たちを、山の中に自ら掘らせた穴に日本軍が監禁した。それらの出来事は、島民に目撃されていたという。
 軍夫のみならず、島民も軍に食料を取り上げられたり、壕を追い出されそうになった。恒一さんも自ら死ぬことを迫られ、危うく逃れたそうだ。米軍に投降したのが見つかり、日本軍に虐殺された島民もいる。

 私は恒一さんの家を出たあと、のぼせたようになっていた。まるで湯あたりしたときのようだ。この島で起きたことがすさまじく、話にあたってしまったのかもしれない。
 自販機で冷たいペットボトルのさんぴん茶を買って飲み、一息ついてから、仲村さんの運転する白い軽トラックに乗った。
「戦争中にここで起きたことを本土の人にもっと知ってほしい」
 仲村さんは、伝えたい思いがほとばしって、早口になっていた。
 着いてみると、アリラン峠は、海がよく見えるということ以外、拍子抜けするほど特徴のない場所だった。自然のままに茂る林を両脇に、道には雑草が生え、それほど広くない。ただ、この光景は、当時とそう変わっていないだろうと思われた。そして、このありきたりな峠に故郷を重ねたことが、かえって慰安婦や軍夫たちの強烈な望郷の念を物語っていた。
 私は、通り抜ける風を感じ、汚れなく美しいこんぺきの海を峠から見下ろしながら、先ほど聞いたキクさんの歌声を思い出し、心のうちでアリランのメロディを奏でていた。それから、若い女性の柔らかい声や汗にまみれた男性たちの野太い声をそこに重ねてみようとする。
「この島で起きたことはテレビ番組で取り上げられたり、ドキュメンタリー映画になったり、記事に書かれたりしていますが、現場にも人が来られるように、慰霊碑を作りたいんです。朝鮮人慰安婦や軍夫のことが忘れられないように」
 残酷な歴史の事実と、たしかにここにいた彼女たちを記憶しておくために、私も役に立ちたい、と強く思う。彼女たちの物語を書いて、なんとしても世に出さなければならない。
「さて、フェリーが出るまで、まだ時間があるでしょう。車で島を案内しますよ。行きたいところはありますか?」
 私は仲村さんの言葉に甘えて、特攻艇の秘匿壕跡を見てみたいと答えた。
 軽トラックは海沿いを走り、海上に延びる道路に入って行った。するとまもなくして道路と平行に激しく切り立った崖が現れた。崖に沿っていくと、間隔をあけていくつもの大きな穴が、ぼこっ、ぼこっ、とあいていて、海に面して連なっている。
「この穴が、秘匿壕跡です」
「思ったよりも、不ぞろいなんですね」
 離島の岩肌は、七十年以上経っても、むきだしで傷跡をさらし続けている。まだなにも癒されていない。
「最後に気持ちのいいところに行きましょうか」
 仲村さんはそう言って、島の西側にあるビーチに連れて行ってくれた。
 そこは、美しい、という形容がはまりすぎるほどはまる海岸だった。まさに、ひとびとが沖縄をイメージするときに思い浮かべる、エメラルドグリーンの海と白い砂浜が目の前に広がっている。人も少なく、グラビア撮影がどこかで行われていても不思議ではない。
 この透き通る海の色と遠浅の砂浜に、秘匿壕跡も、慰安所跡も、まったく調和しない。同じ島に、これらが同居するいびつさがいたたまれない。それでも、やわらかな潮風と海に反射する陽光のきらめきは、そのいたたまれなさすら、抱き包んで慰めてくれる。
 フェリーの時間が迫り、ビーチに別れを告げ、船着き場に向かった。仲村さんにお礼と挨拶をして、フェリーに乗り込む。船室に入り、窓際に席を取る。ガラス越しに小さくなっていく島のかたちを目に刻む。やがて島は見えなくなり、ひたすら海原が続く。
 私は深く座りなおし、背もたれに頭と身体を預けた。

#3-4へつづく
◎第3回の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます。


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