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連載

深沢潮「翡翠色の海へうたう」 vol.12

【連載小説】この美しい島を、私たちの終の棲家にできたなら――。 深沢潮「翡翠色の海へうたう」#3-4

深沢潮「翡翠色の海へうたう」

※本記事は連載小説です。

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 大陸から来たときに立ち寄った大きな島は、変わらずがれきだらけで、穴だらけだった。わたしたちは、爆弾を浴びておらず無傷だったそれほど広くない民家に落ち着いた。スズキが即席で作り変えた部屋を細かく区切って使わされた。そこにはろくな布団もなく、畳敷きの上に布を敷いただけで、男たちを受け入れなければならなかった。しかも、隣の声がなにもかも丸聞こえだった。アケミは板の廊下、シノブは土間をあてがわれていたから、私はまだましな方なのかもしれない。
 近くには寺があった。わたしたちは、観音様のお膝元で、毎日のように穴にさせられている。
 通ってくるのは、前にいた小さな島と変わらない連中だった。部隊についてきたから、なじみの将校や士官がやってくる。相変わらず夜だけで済むのは大陸のときよりからだが楽だが、あの小さな島とは勝手が違って、交代で井戸に水くみに行くほかは、ほとんど外に出られず、窮屈で居心地が悪い。食べ物も日に日に乏しくなって、一日一回の缶詰食が出ればありがたい、といった具合だ。
 ある日わたしはコマチとミハルを誘って、昼間にスズキの目を盗んで抜け出し、タンディ野蒜を探しに行った。外といっても、一里も行くわけではない。道に迷っては困るから、周辺をうろうろしただけだ。
 外の世界は崩れた建物が目立ち、荒れていたし、遠くに艦砲射撃の音もする。それでも、閉じ込められているよりは、ずっとずっとましだ。万が一、爆弾が当たってもかまやしない。それはそれで運命だ。
 目当てのタンディはどこを探してもなかった。それでも、わたしたちは外に出た開放感で気分がよかった。いっそ、このまま逃げてしまおうかという思いが頭をかすめる。
 わたしがなにげなく小声でアリランを口ずさんだら、コマチもミハルもわたしに合わせてうたった。小さな島でうたって以来、声に出してうたっていなかった。故郷の言葉だけでなく、内地の言葉でも、歌をうたうような余裕は、ここではまったくなかった。わたしたちはひさしぶりにうたうのが嬉しくて、立ち止まってなんどもくりかえした。
 不意に小石が飛んできて、わたしの頭に当たった。振り向くと、十歳にも満たないであろう少年が、こちらをにらんでいる。
「チョウセンピー」
 憎々しげにののしると、走り去っていった。
 小石の当たったところは、かなり痛く、手を当てると、すこしばかり血がついた。わたしは持ち歩いているひまし油を懐から出し、それをコマチに傷口に塗ってもらった。しかし痛みはじんじんと広がっていく。
 わたしはしょせん、逃げたところで、ひどい目にあうのだ、とこれでわかった。スズキのもとに帰るしかない。
 わたしたち三人は、言葉なく、仲間の女たちのいるところに戻っていく。
 それからは、二度と外に出なかった。歌も声に出してうたわない。心のなかでひとりうたうだけだ。
 あの島で、キクさんとうたった日々が懐かしくてたまらない。

 軍医の診察を四回受けたから、ここに移って一ヶ月あまりが経っただろうか。わたしたちはまた部隊とともに移動した。こんどは、トラックに乗せられた。着いたのは、広い軍の壕で、スズキはついてこなかった。
 壕の中は、通路を経て細かく部屋のように分かれていた。足元はぬかるみ、水が天井から滴り落ちて、空気はつねに湿っている。
 わたしたちは、はいせつ物の臭いが鼻をつく狭い一角に押し込められた。仕切りをたてられ、板にむしろを敷いて、ろうそくのわずかな灯だけの薄暗いなか、到着したその日から股を開いた。いくら岩の上に板を置き、むしろを敷いても、背中にごつごつとしたおうとつが当たり、痛くてたまらない。一回一回の苦行は、ここに極まったかのように、しんどかった。
 もう軍票をいちいちもらうことはなかったが、どこに行ってもやらされることは変わらない。大陸の前線にいたときのように、穴のなかで、穴にさせられる。しかもここは巨大な穴だ。
 敵が島を襲い、とうとう姿を見せたと、コハナ姉さんが将校のひとりから聞いて教えてくれた。わたしたちを連れて部隊がここに移ったのも、押しやられてのことらしい。
 コガ隊長はいらち気味で、粗暴になることが多かった。
 からだがぶつかる音が、男が出し入れする音が、荒い息遣いが、閉ざされた空間にやけに響く。組み敷かれ、穴にされながら、うっすらと、とうとう死ぬことになるかもしれないと思う。
 別にそれでもかまわない。生きるも死ぬも隣り合わせにあり、そこに垣根はない。死んでこのくびきから逃れられるなら悪くない。どうせ故郷とは縁が切れた。果てた地で灰になり、土になり、肥やしになるのだ。

 それから三日後か四日後か、昼夜がわからないから、定かではない。爆音がひっきりなしに聞こえるようになり、いよいよ敵が間近に迫ってきた。壕に火炎放射をうけ、たくさんの者が死んだ。
 わたしたちは着の身着のまま、この壕も出ることになった。わたしはせめてもと、キクさんに借りたままの着物を重ねて羽織り、コガ隊長率いる部隊の男たちについていく。とにかく南ヘと自分の足で向かう。
 壕の外は、砲弾が飛び交っていた。耳をつんざくような爆発音に、恐怖で足がすくむ。
 死んでもいいなんて、間違っていた。死が身近になると、絶対に死にたくないと思うものらしい。
 目の前に誰かの腕がちぎれて飛んできた。ひっと、息をんだが、今度はぐにゃっとしたものを踏みつけていた。それは見知らぬ女の死体だった。腹に穴があき、腸が飛び出ている。わたしはその穴に足をつっこんでいた。赤黒い血や内臓や肉片が、べっとりと足首、着物の裾までついている。恐怖で顔がひきつり、気を失いそうだ。
「はやくっ」
 コハナ姉さんに肩をゆすぶられ、自分がたちすくんでいたことに気づく。
 わたしは、足を持ち上げ、け出した。いくつもいくつもそこらじゅうに転がる、ばらばらになった手や足、頭、胴体を蹴り、踏みつけ、越えていくうちに、なにも感じなくなっていった。ただ、そこに生が尽きた肉体が横たわっていて、それは、がれきや倒れた木となんら変わらないように思えてくる。兵隊なのか島の人なのか、男なのか女なのか、大人なのか子どもなのか、いちいち考える余裕などない。ただただ逃げる。
 砲弾を避け、累々と並ぶ死体を踏み越え、必死に男たちについていく。靴が脱げたら途中で死体の靴をもらい、水筒の水を失敬した。自分が生きることしか考えられなくなっていた。
 やがて小さな壕に男たちとともに入ると、そこは病人と島の人たちであふれていた。男たちが懐中電灯を向けると、怯えて震えながら、からだを寄せ合う。
 軍服を着た男たちは、怒鳴り散らし、おどしつけ、おんなどもや老人ばかりの彼らを入口近くに集めた。ニシヤマの声が特に際立って聞こえた。ニシヤマは、島民を仕分け、「狭いから出ていけ」と命じると、ほらっ、ほらっ、とてのひらを前後にふり、自分は奥に入っていく。
「お前たちも、早く来いっ」
 ニシヤマが中から大声で叫ぶので、続こうとしたが、ふと気になって振り返ってみた。するとろうそくに照らされた島の人たちの姿が目に入った。険しい顔でこちらを睨んでくる。
 わたしは、前に向き直り、針を刺されるような痛みを胸に感じながら、細く狭い洞窟を抜け、壕の奥深くにたどり着く。そこでわたしたちは、部隊の男たちとともにひとつところに落ち着いた。女たちはみな無事だったが、何人かの男たちの姿は見当たらなかった。
 すこしして、深手を負った兵隊たちが次々に、壕に運ばれてきた。私たち女は奥から出て、残っていた島の女たちと一緒に、けが人に水を与えたり、包帯を巻いたりした。薬はほとんどなかったが、軽傷の男には、持っていたひまし油を塗ってやった。そして、股を消毒していた薄めたクレゾールで包帯を洗った。
 わたしが右目を傷めた男に包帯を巻いていると、コユキが血相を変えてやって来て、その患者に、コモリ中尉の安否を尋ねた。すると片目の男は、「コモリ中尉は弾に当たって死んだ」と言った。
「アイゴー」
 故郷の言葉を漏らし、泣き崩れたコユキは、ひとしきり涙を流した後、片目の男からコモリ中尉の果てた場所を聞くと、わたしが止めるのを振り切って、壕を出て行った。
 コユキは情が深かったが、まさか後追いをしてしまうなんて。わたしは、深いため息をく。
 さらに、みになったヤマダが切り込み隊の戦友の死を見届けるため壕を出ると知ると、ミハルは、「ヤマトナデシコはついていく」と言って、ヤマダと手を取り合って壕から去った。わたしはもはや引き留める力が出なかった。コハナ姉さんも、ほかの女たちも黙ってミハルの背中を見送った。「ヤマトナデシコになる」と日ごろから口癖のように言っていたミハルの決心が固いのを知っていたからだ。
 それに、ずっと振り回されて何も決める権利を持たないわたしたちは、ミハルが最期を、せめて自分の命のゆくえを、自分で決める自由を妨げたくなかったのかもしれない。
 翌日になって、コユキは弾が当たり腹に穴があいて死に倒れ、ミハルは爆死してからだがばらばらにちぎれていたと、下士官のひとりから聞いた。
 わたしは、自分が踏みつけた遺体や、飛んできた腕のことを思い出したが、不思議なことに、衝撃も受けなければ、悲しくもなかった。
 心の穴がひとまわり大きく、より深くなっただけだ。

 しばらく壕にとどまった。少なくともここにいれば、死ぬことはない。もう股を広げるようなこともなく、わたしたちはひたすらけが人の看護にあたった。
 みな、外から聞こえる銃弾の音に怯え、ただ息をするのに精一杯だった。
 壕の中は、猛烈な悪臭が漂い、うめき声がそこかしこから響き、殺気立っている。けが人は衰弱し、傷口からうじがわく。そのうじを無心にピンセットで取り除いていると、いつの間にか死んでいることもあった。
 食べものも心もとなく、水も豊富にはない。だが、壕からは出られない。
 軍服の男たちは、夜に島の人たちに食料を取りに行かせ、まだ年端もいかない十歳かそこらの少年にまで水をみに行かせた。その少年は、故郷にいる弟に面立ちが似ているような気もするし、わたしに石を投げた男の子とそっくりにも見えた。少年は膝をすりむいており、破れたズボンから見える傷口からはうみが出ていて、とても痛そうだ。忍びなくて、人目を避けて近づき話しかけると、少年は警戒して離れようとする。わたしは慌てて腕をつかみ、膝の傷を指さす。そして、懐からひまし油を出すと、ぎょっとした顔でこちらを見つめている少年に強引に持たせた。

#4-1へつづく
◎第3回の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます。


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