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連載

深沢潮「翡翠色の海へうたう」 vol.8

【連載小説】島での暮らしは、隠していたはずのわたしの心をむき出しにして…。深沢潮「翡翠色の海へうたう」#2-4

深沢潮「翡翠色の海へうたう」

※本記事は連載小説です。

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え物が食べたい」
 遅い朝食を食べながら言い出したのは、コユキだった。
「おかずにあきた」
 シノブが加勢する。
「自分たちで作れないだろうか」
 アケミが続き、コハナ姉さんが、そうだ、とうなずく。
タンディ野蒜が峠の方にあったのを見たから、探しに行こう」
 近くの海岸くらいまでは外出が許されたので、コハナ姉さん、コユキ、アケミ、シノブの四人が裏の峠の野原へ行き、野草のびるを摘んできた。
 キクさんは不思議そうにコハナ姉さんが野蒜を洗う様子を見ていた。
「野蒜を食べるんですか?」
「故郷のおかずを作るの。しいから、キクさんにもわけてあげる」
 コハナ姉さんが答える。
 洗った野蒜を細かく刻み、油みそを加えて作る簡単な和え物はすぐにできあがった。
 わたしたちはみずから作った和え物を、飯とともに食べた。半島では野蒜をよく食べたことが懐かしい。この苦みと辛みがいいのだ。しかし、トウガラシが入っていないのが残念で、いまひとつの味だった。トウガラシがほしいと以前キクさんに頼んだが、手に入らなかった。それでも、わたしたちは野蒜の和え物をすっかりたいらげた。
 キクさんは、和え物をひとくち試して、顔をしかめた。その仕草が大げさに見えて、みんなが大笑いする。いつまでもむせるようにしているので、あわてて水を飲ませた。
「まずい?」
 コハナ姉さんに聞かれたキクさんは、答えにくそうに困った顔をしている。
「トウガラシがないとね。キクさん、お願い、また探して」
 ミハルが言うと、キクさんは、はい、とうなずいた。

 この小さな島での暮らしは、わたしの心をむき出しにする。押し隠していたものが、忘れようと努めていたものが、あらわになってしまう。
 スズキは横暴ではないし、昼間に浜辺を散歩できるなど、大陸での暮らしに比べればほんのすこしだけ自由もあった。また、将校と基地隊の下士官のみを相手にするので、人数は大陸よりも少ない。男たちの年齢が比較的高く、顔なじみにもなるからか、激しい暴力を受けることもすくなかった。前線ではないことが大きいのだろうか。
 潮風が吹き抜け、光に満ちあふれすい色に透き通る水をたたえた海を眺めながら、穏やかな波がさざめく浜辺を歩いていると、汚され続けたからだが、なにも感じなくなった心が、かすかにやわらかく生き返る。
 故郷にどうせ帰れないなら、この美しい海に囲まれた島に、骨をうずめればいい。
 気候もよいし、なにより仲間の女たちもいる。
 わたしも女たちも覚悟して言いあうが、心からそう思っているわけではない。
 郷愁をごまかしているだけなのだ。
 こんな生活はたまらないと叫びたくても、その感情を押し殺してなきものとしている。
 男たちのなかには珍しく優しい将校もいて、「すこしでもからだをやすめなさい」と自分の故郷や親兄弟の話だけをして帰ることもあった。
 その一方、獣のようにわたしのからだをむさぼったり、乱暴だったりする将校や下士官もいた。そういった男にじゆうりんされると、消えてしまいたくなる。
 大陸ではなにもかもをさせてやり過ごしてきたのに、人間らしいほのかな安らぎのあるここでは、かえって自分の境遇が耐え難いのだ。
 辛いことがあった翌日、わたしは、から元気を出した。そして「野蒜を摘もう」と女たち何人かを誘って峠に行った。
 峠からは、碧い海原がよく見え、その濃い海の色を目にすると、故郷の海が思い出される。どこに行っても、なにをしても、郷愁がぬぐえない。それは日に日に強くなっていった。
「ここから見える海は、故郷まで広がっているのかな」
 わたしはつぶやいて、眼下の海へ向かって小さくうたう。

아리랑 아리랑 아라리요
아리랑 고개로 넘어간다
나를 버리고 가시는 님은
십리도 못가서 발병난다

 すると、いつものように、女たちも声を合わせた。
 潮風に、顎で切りそろえられたコマチの髪がなびき、細い首が露わになっている。コマチは男の前で故郷の言葉をつぶやき、げつこうした男に髪をざっくりと切られてしまったのだ。
 コマチを見ていると、わたしのかなしみは、ふたたび絶望へ、より深い絶望へとうつろっていく。
 アケミがおいおいと泣き出すと、つられてミハルも嗚咽をはじめ、どうこくが広がる。わたしだけは、乾ききった心で、ただうたい続けていた。
 すると峠の向こうに軍服を着た男の姿が見えた。コマチが、ひっと息をむ。
「あの男が、わたしの髪を……」
 わたしはうたを即座に止め、コマチの手を引いてきびすを返した。アケミとミハルも続き、わたしたちは一目散に丘を下り、瓦屋に向かった。
 赤瓦の家に帰っても、この運命から逃れることなどできないのに、わたしたちには、そこしか行く場所はなかった。
 いちど、穴に落ちたら、ずっと落ち続けるしかない。
 その穴の傾斜がゆるやかであるだけで、しょせん、穴は穴なのだ。

#3-1へつづく
◎第2回の全文は「カドブンノベル」2020年4月号でお楽しみいただけます。


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