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連載

全部読んだか? 東野圭吾 vol.6

ベストセラー作家は元エンジニア。科学技術から男女関係まで、東野圭吾が切り込む貴重なエッセイ集。東野圭吾試し読み#3『さいえんす?』

全部読んだか? 東野圭吾

全部読んだか? 東野圭吾――第3回『さいえんす?』


東野圭吾『さいえんす?』(角川文庫)

東野圭吾『さいえんす?』(角川文庫)


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 ◇ ◇ ◇

  疑似コミュニケーションの罠(1)

 何かの出来事に対する他人の意見を知りたい時など、インターネット上の掲示板をよく見る。たとえば現在の最大の関心事は、果たしていつになったらゲレンデに雪が降り積もるのか、ということなのだが、他のスキーヤーやスノーボーダーたちが、この雪不足にどう対応しているのか、掲示板を覗けばよくわかるのだ。結論からいえば、「みんな困っている」ということで、そんな当たり前のことを知ってどうするのかと訊かれれば返答しようがないのだが、とにかくパソコンの前に座っているだけで他人の考えなどをリアルタイムに知ることができるというのはすごいことである。
 しかしこの掲示板、「北海道も今年は雪が少ないです。せっかく新しい板を買ったのに、残念です」なんていう吞気なものばかりではない。悪意に満ちた、誹謗中傷と断じていいような書き込みも幅を利かせている。芸能ネタやスポーツ関連の掲示板がその代表格だ。その芸能人やスポーツ選手本人が読んだら、気を悪くするどころか激怒しかねないようなものも少なくない。そうした書き込みをする人間は半ば常習犯化していて、様々な掲示板を違うハンドルネームを使って渡り歩いているらしい。正常な参加者からはネット荒らしと呼ばれているようだ。
 私は今では読むだけだが、十年近く前に一度だけ、某推理ドラマのファンたちが作る掲示板に参加したことがある。ドラマが終わった後、今日の出来はどうだったかとか、あのトリックはおかしいとか、感想を述べ合うのだ。最初は面白かったが、すぐに撤退した。参加者の間で、ドラマとは関係のない、奇妙な激論が始まったからだ。相手を貶めるために放たれる言葉の数々は、当事者でなくても読んでいて不快になる。
 身分も名前も隠せるというのは、ネットを使ったコミュニケーションの特徴だ。その弊害については、ネットが確立し始めた頃からいわれ続けてきた。しかしこれといった対策はなく、基本的には各個人の良心と常識に任せるしかないという実状だ。ではその「良心と常識」をいかに養うのか。
 インターネットは、個人が世界とコミュニケーションをとれる道をひらいたといわれる。たしかに情報は得られるし、各自が世界に情報発信することも可能だ。しかし行き来しているのは所詮電子データにすぎない。そんなもののやりとりが、本当にコミュニケーションだろうか。そんなコミュニケーションで、人と接する上で必要な「良心や常識」といったものが養われるだろうか。

 出会い系サイトの入会者の男女比は九:一だといわれる。つまり殆どが男だということだ。これでは事実上「出会い」は成立せず、当然入会している意味はなくなる。そのままだと男性会員もやめてしまうので、主催者側はアルバイトを雇う。かつて、ねるとんパーティなどに、コンパニオンガールたちが雇われて参加していたのと同じである。しかしパーティと違って顔を出さなくていい出会い系サイトでは、バイト嬢が美人である必要はない。いやそれどころか、女性である必要すらない。
『地方から上京したばかりの19歳専門学校生です。遊びのこと、いろいろ教えてほしいな。ジャニーズ系男子希望。ちょっとおじさんでも、元ジャニーズ系ならアリ』
 こんなことを書いている本人がじつはおじさん、というのが現実なのだ。アルバイトでなくても、女子高生と親しくなるために女性のふりをして出会い系サイトに参加していた男性が、じつは先方も男だったと知り、激怒して相手を脅迫したという事件も起きている。
 正直いって私には、見ず知らずの人間から送られてくる文章を鵜吞みにする神経が理解できない。携帯電話やパソコンは噓をつかないが、それを使う人間が噓をつく可能性は大いにあるということが、なぜわからないのだろうか。
「そうはいっても、実際に出会い系サイトで知り合ったというケースもあるじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。たしかにそのとおりだ。しかし私が、「出会い系サイトで知り合った」というフレーズを耳にするのは、例外なく何らかの事件が起きた時である。事実、出会い系サイトに関連した刑事事件は激増している。私はその主因は、生身の人間とコミュニケーションをとる訓練を怠ったツケ、と見ている。

 心理学でパーソナルゾーンという言葉がある。これはいうなれば、自分の心理的領地エリアということになる。通常、この範囲内に他人が入ってくると、人は緊張を覚えるという。で、このパーソナルゾーンの広さが、男性と女性では全く違うらしい。男性の場合は一メートルから二メートルもあるのに対して、女性の場合は数十センチもないそうだ。これはどういうことを意味するかというと、男性は少しそばに寄ってきただけで相手を意識するが、女性は無頓着むとんちゃくということになる。やくざや不良少年が肩を揺すって歩くのも、パーソナルゾーンに他人が入るのを牽制けんせいするためだといわれている。
 パーティ会場などで、男性は隣に女性が来ると、必要以上に意識をする。自分のそばに来たからには、何らかの意思があるのではないか(=自分に気があるのではないか)と考えてしまうのだ。しかし無論女性には何の気もない。というより、女性としては、男性に近づいたという意識すらないのだ。両者のパーソナルゾーンの広さの違いが、こうした食い違いを生じさせることになる。これは大抵の男性に当てはまることで、恥をかいた経験のある男性読者も多いはずだ。私だってそうである。しかしそうした経験を何度か積むうちに、徐々に女性との距離感が摑めるようになってくる。
 大事なことは、生身の女性と接しなければ、こういう学習はできないという点だ。携帯電話やパソコンを通じての交際では、パーソナルゾーンという概念自体が存在しない。
 他人との距離感を摑めなければ、どんなことになるか。
 たとえばそんな男性が電車の中で座っているとする。そこへ綺麗な若い女性が乗ってきて、彼の隣に座った。もちろん二人は他人である。しかしこの時点ですでに誤解の芽は出始める。彼は、彼女が自分の横に来たことに深い意味を見つけだそうとする。やがて彼女が居眠りを始め、彼のほうにもたれかかる。こうなれば、彼の思考は一点に向かって暴走する。彼女は自分のことを好きなのだと思い込んでしまう。見ず知らずの仲だという事実は、歯止めにはならない。彼自身が見ず知らずの彼女に恋をしたのだから、その逆もあると信じて疑わない。
 やがて彼は彼女を執拗しつように追うようになる。つまりストーカーへと変貌していく。彼女にしてみれば全くわけがわからない。電車の中でもたれかかった程度のことで、なぜつきまとわれるのか理解できない。
 これは誇張した話ではない。同様のケースでストーカー被害に遭っている女性が少なくないのだ。
 たまたま隣り合わせたというだけでも、そんな危険を招くおそれがあるのだ。ましてや、出会い系サイトで知り合い、多少なりとも会話(メールでだが)を交わした実績があるとなれば、いざ実際に会った時、男性が距離感を全く無視した言動に出るのは自明である。また女性の側にも、危険を察知する能力が養われていなかったりする。結果として、悲劇的な事件に繫がってしまうことは大いに予想できる。
 生身の人間とコミュニケーションをとる訓練の場は、人間社会にとって不可欠だ。だが周りを見渡した時、そんな機会が驚くほど奪われていることに気づき、愕然としてしまう。
 そしてそんな世の中を作ったのは、ほかでもない、我々大人たちなのだ。
 紙面が尽きたので、次回もこのテーマで。
(「ダイヤモンドLOOP」〇四年二月号)

〈このつづきは製品版でお楽しみください〉

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https://www.kadokawa.co.jp/product/200412000332/

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