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連載

全部読んだか? 東野圭吾 vol.2

俺は逮捕された。計画は完璧だと信じていたのに・・・・・・。名探偵は誰なのか? 予想を裏切り続ける型破りなミステリ! 東野圭吾試し読み#1『鳥人計画』

全部読んだか? 東野圭吾

全部読んだか? 東野圭吾――第1回『鳥人計画』


東野圭吾『鳥人計画』(角川文庫)

東野圭吾『鳥人計画』(角川文庫)


超・殺人事件』刊行に合わせ、
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 ◇ ◇ ◇

 前 兆

 それは、とりたてて記憶に残るほどのことではなかった。その場にいた者が少しばかり奇妙な印象を受けた程度だ。
 昭和六十二年三月、宮様スキージャンプ大会での出来事である。
 時折小雪が舞い、風向計がくるくると向きを変える、ジャンパーにとっては読みにくいコンディションだった。
「二十一番、深町和雄君。日星自動車」
 アナウンスの声に続いて、ブルーのワンピースを着た選手がゲートからスタートした。
 特には目立たない選手である。試合で上位に入ったこともなかった。その選手がクローチング・スタイルで滑り降りてくる。
 そして踏み切った。
 と同時に、カンテ(踏み切り台)横のコーチャーズ・ボックスにいた何人かの監督やコーチたちが声を出した。それは「やばい」であったり、「あれっ?」というものであったり、ごく単純に声を漏らしただけのものであったりした。
 いずれにしても、深町選手のジャンプに対して皆が同じ判断を下したことは間違いがない。
 彼の身体の動きは明らかにおかしかった。飛び出したあと、スムーズに飛行姿勢に移行していかない。ゼンマイ仕掛けの人形が壊れたように、不自然な体勢のまま空中で一瞬停止したのだ。
「ああっ」と叫んだのは深町選手自身だった。両手をばたつかせ、狙撃された鳥のようにもがきながら落ちていった。
 彼の身体はランディング・バーンに叩きつけられ、そして転がった。ブルーのワンピースがみるみるうちに雪にまみれていく。
 しばらく転がったあとで停止し、彼はむっくりと起き上がった。板を外して歩きだす。怪我はないようすで、見ていた者もとりあえずほっとした。
「無事らしいぜ」
 コーチャーズ・ボックスの連中も、トランシーバーで状況を聞いて安堵した。ボックスからはランディング・バーンが見えない。
「何だったんだろうな、今のは?」
 誰かがいった。
「さあ、わけのわからないサッツ(踏み切り)だったな」
「タイミングは良かったんだけどな、突っ込みすぎたのかな?」
「深町か。最近はまあまあ調子を上げてたんだけどな。力んだんだろう」
 彼の転倒について交わされた会話はこの程度だった。ジャンプ競技に転倒はつきものである。コーチや監督たちは、間もなく彼のことなど忘れてしまう。皆、自分のチームの選手のことで頭がいっぱいなのだ。
 選手が次々に飛んでいく。宮の森シャンツェは、いわゆる七十メートル級ジャンプが行われるノーマルヒルだ。八十メートルを越す飛行が見られれば歓声があがる。
 三十番の選手がスタートした。やはり別に特徴のない選手だった。三十六度の急斜面を滑り降りてきて、十一度の踏み切り台に突入する。
 が、彼が踏み切った直後、またしてもコーチャーズ・ボックスで声が上がった。彼の不自然な動作は、先程の深町選手と全く同じだった。スムーズに連続しない、ぎくしゃくした動きを見せた。
 そしてこの三十番の選手も墜落したのだ。
 これもまた、特に話題になることでもない。
 ただ、この選手もやはり深町選手と同じ日星自動車の所属だという点が、コーチや監督たちの気をひいた。
「気の毒に。杉江さんも頭が痛いことだろうな」
 あるコーチがボックスの端にいる杉江泰介たいすけの方を覗きみた。この杉江という男が日星自動車スキー部の監督なのだ。彼は今、眉間に深い溝を刻んで、カンテのあたりをじっと見つめている。
「二度あることは三度あるっていうからな。次の島野にプレッシャーがかかってるんじゃないか」
 冗談めかした口調で誰かがいった。島野というのは、日星自動車に所属する、もう一人のジャンパーだった。
 その島野の順番が来た。アナウンスが流れ、カンテ横のシグナルが赤から青に変わる。
 コーチャーズ・ボックスからは、各チームのコーチや監督が、スタートの合図を選手に出す。杉江泰介は厳しい顔つきで右手を上げ、そして下ろした。
 いい風だった。ちょうど向かい風に変わったところだ。
 ところが――。
 島野の飛び出しは、その前の二人にも増して異常なものだった。踏み切りで伸びたはずの足がまた縮み、それが中途半端な状態で止まったまま、彼の身体は空中にほうり出されたのだ。
 七十メートルよりもはるか手前に彼の身体は落下した。雪煙を上げながら転がり落ちていく。
 今度はもう誰も何もいわなかった。お互いの顔を見合わせただけだ。ただ一人杉江泰介だけが、頰の肉をひきつらせてリフトに向かった。
 日星自動車の三人のジャンパーが、揃って異常な墜落をしたわけだ。
 天候に異変はない。突風が吹いたわけでもなかった。この日転倒したのは、彼等三人だけである。
 ジャンプの試合は、各自二本ずつ飛び、飛距離点と飛型点の総得点で競う。この日、日星の三人のジャンパーは全員二本目を棄権した。
 プレッシャーによる連鎖反応だろうと皆が解釈した。
 それ以外の理由など、誰も思いつかない。
 そしてこの事件は、少し変わった出来事として、一部の人間の記憶にのみ残ることになる。

 事 件

       1

 目の前を何かが横切った。
 杉江夕子は思わずブレーキを踏み、ハンドルを切っていた。雪道ではやってはならない操作で、案の定タイヤが滑り、車体がスピンしかけた。だが運よく車は少し斜めを向いた程度で、道路の中央に止まった。対向車も来ていない。夕子はふうっとため息をついたあと、再び車を発進させようとした。が、この時になってエンストしていることに気が付いた。運転はあまり得意な方ではない。
 スターターを二度回すと、何とかエンジンがかかった。おそるおそる車を動かしてみる。軽四とはいえ四輪駆動だ。何事もなかったかのように進みだした。
 キタキツネかもしれない――さっき現れた小動物のことを彼女は思い出していた。大倉山の方には、キタキツネが来る店という看板を上げた茶店がある。
 曲がりくねった雪道を、夕子は慎重に進んだ。すれ違う車も、後から追ってくる車もなかった。夕子の車の前には、何本かのタイヤの跡が重なり合いながら伸びている。その中に一際新しい線が二本あるのを見て、彼の車に違いないと彼女は思った。
 最後のカーブを曲がると、前方に通用門が見えた。通用門の左半分は閉じられていたが、右半分は車が通れる程度に開けてあった。夕子は少しスピードを緩めながら、この門を通過した。
 ハンドルを右に切ると、間もなく白く巨大なスロープが夕子の前に姿を現した。七十メートル級ジャンプ台、宮の森シャンツェだ。
 右側に札幌オリンピックの記念碑と管理事務所が並んでいる。夕子はその中間のあたりに車を停めた。
 そこにはすでに一台のワンボックス・ワゴンが停まっていた。白い車体の側面に、原工業スキー部と書いてある。中には誰も乗っていなかった。
 夕子は車から降りるとマフラーを首に巻いた。息を吐くと白い塊になって飛んでいく。午後になるとこのあたりは風が強くなるのだ。だからジャンパーたちも午後に飛ぶことは敬遠する。
 管理事務所の窓を覗くと、室内の灯りは点いていたが、いつもみる管理人の姿はなかった。彼女はハーフ・コートのポケットに両手を突っ込み、ゆっくりとジャンプ台に近づいていった。曇り空ではあるが雪面がやはり眩しい。掌をひさしにし、改めてシャンツェの全貌を眺めてみた。
 下の方は広く平坦だが、上に向かって少しずつ傾斜を増していく。また幅も狭くなっている。そして中程に一段高くなったカンテがあり、その向こうに、さらに急角度で空に伸びていく細いアプローチ・バーンが見えた。
 スタート台のところで夕子は目を止めた。そこに彼がいたからだ。白い背景にブルーのワンピースが鮮やかだ。
 飛ぶつもりなのだろうか、と夕子は少し疑問に思った。こんなふうにジャンパーが一人で飛ぶなんてことは、ふつうではめったにない。
 夕子がそのまま見上げていると、スタート台の彼が小さく右手を上げたように見えた。遠くてよくわからない。それでも彼女は手を振って応えてみた。
 彼はそのままスタートした。やはり飛ぶつもりだったのだ。クローチング・フォームを組んで滑り降りてくる。そして彼の姿が一瞬カンテの向こうに隠れたかと思うと、風を切って飛び出してきた。
 変だな、と夕子はこの瞬間思った。いつもの彼の飛躍ではなかったのだ。無論素人の彼女にジャンプの優劣を述べることはできなかったから、これは彼女の直感というべきだろう。
 この直感が当たった。
 彼は彼らしくもない不格好なランディングをすると、何かに苦しむように身体を丸めて滑り降りてきたのだ。そしてその速度が充分に緩まないうちに、激しい勢いで転倒し、雪煙をあげた。
 スキー板とブルーのウェアと白い雪が入り乱れ、やがて停止した。
楡井にれい君」
 夕子は叫び、駆けだしていた。沈黙のシャンツェに、風の音だけがした。

       2

 昨日行われた一九八九年度HTV杯ジャンプ大会の模様を、佐久間公一は比較的正確に記憶している。昨日は休みで、一日中テレビを見ていたからだ。三十歳を過ぎているがいまだに独身で、たまの休みといってもやることがない。佐久間自身はもちろんジャンプの経験はないが、見るのは好きだった。
 大会は宮の森シャンツェで行われた。快晴でやや向かい風の、絶好といえるコンディションだった。
 往年の名選手でもあるテレビ解説者は、今日の試合は原工業の楡井明を中心に展開するだろうと予想していた。このところの楡井の活躍ぶりには目を見張るものがある。それは単に彼の調子がいいというだけでなく、彼のジャンプには従来の日本選手の枠を超えたようなところがあるのだと解説者はいった。
「例えていうならば、和製ニッカネンというところですか?」
 HTVのアナウンサーが訊いた。
「そう。まさに和製ニッカネンですね。そのぐらいの可能性を秘めた選手です」
 解説者は力を込めていった。
 マッチ・ニッカネン――このフィンランド生まれの鳥人の名前をウィンター・スポーツ界で知らない者はいない。サラエボ五輪九十メートル級で金、七十メートル級で銀を取ったのに続いて、カルガリでは新種目の団体戦を含めて三つの金メダルを獲得した。ワールド・カップでも驚異的な勝率を示し、目下のところ向かうところ敵なしの感がある。百年に一人の選手といわれ、他の選手はナンバー・ツーの座を争っているだけという状況だ。
 楡井明はその鳥人に匹敵する才能を秘めているという。このところ不振の日本ジャンプ界にとっては、じつに夢のある話題だった。そして事実楡井は、今シーズンの国内大会では負け知らずだった。海外遠征でも、再三入賞を果たしている。残念ながら優勝はまだないが、二位というのが二回あった。
 それだけの実力者だったから、この試合でも解説者が楡井の勝利を予言しても少しもおかしくはなかった。そして結果はまさにその通りになった。
 他の選手がよくて八十メートル前後に落ち着いているのに比べ、楡井だけが九十メートルラインまで飛んでいった。彼の飛躍は、テレビ画面で見ているだけでも、はっきりと違っていた。飛行曲線の大きさが違う。落下するのではなく、本当に飛翔するように見えるのだ。
 二回目のジャンプも結果は同じことだった。楡井が一回目にK点(極限点)を越えたことで、スピードが出すぎないようにスタート台が下げられたのだが、このことが彼にとってさらに有利に働いた。充分なスピードを与えられずに他の選手が失速していく中、楡井だけは一回目よりも二メートルほど飛距離が縮んだだけだった。着地してテレマーク姿勢をとった後、彼は小さくガッツポーズを見せた。
 ふうん、日本にもすごい選手がいるんだな――佐久間はぼんやりとテレビ画面を眺めていた。
 それが昨日のことである。
 そして今日、その楡井明が死んだという知らせが入った。しかも死因に不審なところがあるという。
 そこで佐久間たちが出かけることになった。
 彼は札幌西警察署刑事課捜査一係の刑事だった。

〈このつづきは製品版でお楽しみください〉

▼『鳥人計画』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/200201000079/


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