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連載

全部読んだか? 東野圭吾 vol.10

東野圭吾の冬は、スノボー、締切、スノボー、スノボー、締切、締切。「おっさんスノーボーダー」大暴走! 自虐も止まらない爆笑エッセイ。東野圭吾試し読み#5『ちゃれんじ?』

全部読んだか? 東野圭吾

全部読んだか? 東野圭吾――第5回『ちゃれんじ?』


東野圭吾『ちゃれんじ?』(角川文庫)

東野圭吾『ちゃれんじ?』(角川文庫)


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 ◇ ◇ ◇

  おっさんボーダー誕生秘話

 スノーボードを始めることにした。というより、もう始めてしまった。思えば、ここにいたる道のりは長かった。
 スノーボードは、一九六〇年代にアメリカのミシガン州で始められた、とされている。しかししばらくの間はマイナーな存在であった。私にしても、高校・大学時代、かなり頻繁にスキーに出かけたが、それらしきものを目にしたのはたった一度きりである。しかもそれは現在のスノーボードとは全く違っていて、大きさはスケートボードぐらい、足も固定しないという代物だった。どこかの若者がそれを使って遊んでいたのだが、もしかしたら手製の板だったのかもしれない。
 私が初めて本格的にスノーボードを操っている人物を目にしたのは、スクリーン上においてだった。『007 美しき獲物たち』という映画だ。この映画の冒頭に、お馴染みジェームズ・ボンドがスノーモービルで敵から逃げるシーンがあるのだが、途中でスノーモービルを破壊されたボンドは、なんと落ちていたモービルの片方のそりに乗り、雪上をサーフィンのように滑って逃げるのだ。BGMにはザ・ビーチ・ボーイズのカバー曲が流れていた。あの時のスタントマンは、いうまでもなくプロのスノーボーダーだったのだろう。私は衝撃を受けた。世の中にはすごいことをやろうと考える人間がいるものだなと感心した。
 しかしその後長い間、私がスノーボードを意識することはなかった。就職後はスキーに行くことも少なくなり、「最近はスノボーをしてるやつが時々いるんだけど、あれ、邪魔でしようがないよ」とスキーヤーたちがこぼしているのを聞いても、他人事のようにしか思えなかった。
 だがスノーボードの人気が高まり、スキーヤーとボーダーの比率が逆転しそうだとまで聞くと、次第に無視できなくなってきた。頭に浮かぶのは、ジェームズ・ボンドのあの格好いい滑りっぷりである。いつかやってみたい、と思うようになっていた。
 とはいえ、物事には限度というものがある。いくら何歳から始めても大丈夫だといわれても、四十に手の届くオッサンには無理だろうと思ってしまった。かくして、やってみたいという気持ちは、やってみたかった、に変わっていったのである。
 ところが運命(大げさだが)というのはわからない。ある夜、銀座で飲んでいたら、隣の席にいた人物から話しかけられた。私より年上に見えるその男性は、『スノーボーダー』という雑誌の編集長だった。彼が私に声をかけてきたのは、同じ出版社から私が小説の新作を出すことになっていたからだ。宣伝ついでに付け加えれば、その新作とは現在発売中の『レイクサイド』である。
 私は新作への礼などどうでもよかった。これは自分にとって最後のチャンスではないか、と突然閃いたのだ。私はその編集長のM氏に、ぜひスノーボードに挑戦したいのだ、といってみた。ちょっと酔っ払っていたM氏だったが、私の申し出に、じゃあ今度お誘いしますよ、と気軽に応じてくれた。
 あまりにも簡単に話が決まったので、逆に不安になった。酒の席での話、と片づけられそうな気がしたからだ。私は念を押すことにした。
「僕は本気なんですよ。いいんですね。酔った勢いでいってるんじゃないんですよ。本当に誘ってくださいよ。この件を適当に流したら承知しませんからね」
 半ば脅しである。それくらい私は必死だったのだ。とろんとした目をしていたM氏も次第に真顔になっていった。
「わかりました。こっちも本気でお誘いします。その証拠として、新しい板を東野さんにプレゼントします。それでどうですか」
「えっ、本当ですか」
 これには思わず頰を緩ませた。プレゼントします、という言葉を聞くのは大好きだ。
 その夜はそれで別れたが、やはり私は不安だった。あんなことをいっていたが、結局冗談ということで済まされるんではないかと思った。ところがそれから数日後、本当に板が送られてきたのである。これにはびっくりした。しかも『レイクサイド』の担当であるT女史からも連絡があった。
「Mから話を聞きました。スノボーを始められるそうですね。では『レイクサイド』が完成したあかつきには、打ち上げを兼ねてスノボーツアーをいたしましょう」
 全くの偶然だが、T女史はかつてM氏の部下で、スノーボード合宿なるものに参加させられたことがあるのだという。したがってなかなかの腕前らしいのだ。
 ひょんなことから意外なニンジンをぶら下げられた私は、その日から『レイクサイド』の執筆に全力を投入した。他社の編集者からは、あんなに忙しいといってたくせに、どうして書き下ろしなんかをしている時間があったのかと不思議がられたが、じつはそういうからくりだったのだ。
 無事に原稿を書き上げた私は、作品の感想を述べるT女史の言葉を適当に聞き流し、「それで例の件はどうなっていますか」と催促した。
「もちろんMも楽しみにしています。今からですと、三月ということになりそうですが」
 私は唸った。そんなにのんびりしていたら、今シーズンはそれ一回で終わってしまうではないか。私は『レイクサイド』の最終校了はいつかと尋ねた。二月二十七日です、という答えだった。
「では二十八日はいかがですか」
「えっ、次の日ですか」
 さすがにT女史はのけぞった。
「ぼやぼやしていたら雪がなくなっちまいますよ。善は急げです」
 こっちのやる気が伝わったのか、T女史は大きく頷き、「ではそのセンで計画してみましょう」といってくれた。
 さて計画が具体化してくると、こっちはもう遠足前の小学生気分である。友人知人に今度スノーボードに挑戦するぞと吹聴して回った。羨ましがられるかと思ったが、そんなことは全くなかった。たとえば友人たちは徹底的に私を脅した。
「いいトシしてよくやるな。俺の知っている女の子はスノボーで腰の骨を折ったぞ」
「ゲレンデから救急車で運ばれるのは、スキーヤーよりボーダーのほうが圧倒的に多いらしいぜ」
「スキーとは比較にならないぐらい転ぶそうだ」
「転んだ拍子にエッジで頭を切った奴もいる」
 家族はまた馬鹿の気紛れが始まったという反応である。
「あんたのトシから始めたって、あともう何年もできないじゃないの」(姉)
「そんな苦難の道を選ぶより、優雅な釣りでもどうだい」(義兄)
「えっ、何するて? 何ボー? 鉄棒?」(母)
 編集者は当然、内心反対という顔つきだ。
「どうか怪我だけはしないでください。指と手だけは守ってください。怪我するとしてもうちの締切が終わってからにしてください」(某社編集者)
 それでも一応全員、「まあやるからにはがんばって」と形だけかもしれないが、最後にはエールを送ってくれたのだった。
 で、いよいよ初体験の日がやってきた。行き先はガーラ湯沢である。同行してくれたのはT女史と彼女の上司S編集長だ。『レイクサイド』は無事前日に校了となっていた。二人とも晴れ晴れとした顔をしている。
 私は四十四歳、S編集長は私より一歳下、T女史の年齢は伏せておくが、三人合わせて百二十歳を超えるのはたしかだ。おそらく今日ゲレンデで出会うグループの中では、ダントツに平均年齢が高いだろうなどと新幹線の中で話す。
 御存じの方も多いだろうが、ガーラ湯沢は新幹線を降りたらそこはもうスキー場である。先に送ってあった荷物を受け取り、更衣室で着替えたら、あとはゴンドラに乗るだけだ。ところで私はM氏から板しか貰っていないので、ほかのものはすべて御茶ノ水の有名スポーツ店で揃えた。店にいた客の中では、明らかに私が最年長であった。
 ゲレンデに着いたら、早速レッスン開始だ。インストラクターは鈴木さん。二十八歳のなかなかの二枚目である。無茶苦茶もてるんだろうなあ、などと考えながら、準備運動にとりかかる。ストレッチが主だ。
 ボードの装着方法、転び方、ゲレンデでのルールなどをまずは教わる。このあたりスキーと同じだ。続いてボードに片足だけ装着した状態での移動。これをスケーティングという。さらに坂の上り方。じつはこのスケーティングと坂上りでかなりへばってしまった。体力の六十パーセント以上を費やしたといっても過言ではない。
 基本的なことをそこそこ練習すると、リフトに乗りましょうかと鈴木さんが提案してきた。ろくに滑れもしないのに無謀な気もするが、とにかく坂上りをするのが嫌で、乗りましょう乗りましょう、と賛同した。
 ペアリフトだったので、私は鈴木さんと一緒に乗った。途中、年齢を訊かれたので正直に答えたら、鈴木さんは一瞬絶句した後、「いやまだまだ大丈夫ですよ」となぐさめてくれた。内心では、えらい奴らを教えることになっちゃったなあ、と後悔していたかもしれない。
 リフトを降りたらいよいよ本格的に滑る練習だ。その内容を詳しく書いても仕方がないだろう。要するに、滑ったり、曲がったり、止まったりする練習である。私もS編集長もよく転ぶ。滑ろうとして転び、曲がろうとして転び、止まろうとして転び、転ぼうとする前に転ぶという有様だ。しかしこれが楽しいのである。四十四歳と四十三歳のおっさん二人が、雪だらけになって転がっているのだから、面白くないはずがない。ちなみにT女史はすいすい滑っている。時折止まって、我々を見たりしている。私とS編集長の当面の目標はT女史ということになった。
 二時間のレッスンを受けると、どうにかこうにかターンらしきものができるようになってきた。自分でもかなり意外だった。
「おっおっおっ、すべっとるすべっとる、おっおっ、曲がった曲がった、おっおっ、また曲がったまた曲がった、いけてるがないけてるがな、スノボーしてるがなスノボーしてるがな、オッサンがスノボーしてまんがな」
 まさかこんなふうに口に出していたわけではないが、心の叫びは大体こういう感じである。遅れてやってきたM氏もカメラを構えながら、「いやー、初めてでそれだけ滑れれば上出来ですよ」といってくれた(注・お世辞が含まれていることに気づかぬほど鈍感ではない)。
 結局夕方まで滑った。汗びっしょり、全身くたくたである。温泉につかり、ストレッチをしていたら、あまりの快感に気を失いそうになった。
 夕食後、M氏に誘われて夜の街へふらふらと出かけていった。ウイスキーの水割りを飲みながら、昼間にビデオ撮影してもらった自らの滑りを観賞する。画面の中で私は殆ど転んでいる。しかしたまには滑っている。そしてターンもしている。
 私の頭の中では、またしてもジェームズ・ボンドの素晴らしい滑りが蘇っていた。いつになればあんなふうに滑れるのか、そんな日は果たして来るのか。
 まあいいだろう、とりあえずは第一歩を踏み出したのだ。

(二〇〇二年三月)

〈このつづきは製品版でお楽しみください〉

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https://www.kadokawa.co.jp/product/200701000258/

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