menu
menu

連載

全部読んだか? 東野圭吾 vol.4

「事件の結末は、あなた方に決めていただくしかありません」セレブ御用達の名探偵。調査の腕はお墨付き、でも使い方には要注意。東野圭吾試し読み#2『探偵倶楽部』

全部読んだか? 東野圭吾

全部読んだか? 東野圭吾――第2回『探偵倶楽部』


東野圭吾『探偵倶楽部』(角川文庫)

東野圭吾『探偵倶楽部』(角川文庫)


超・殺人事件』刊行に合わせ、
「全部読んだか? 東野圭吾」フェアを開催中です。(~2/29まで)
期間限定で角川文庫の全作品11点の冒頭試し読みを実施します。
東野圭吾の試し読みはここだけ!

 ◇ ◇ ◇

  偽装の夜

       1

 乾杯は、緊迫したような、そのくせ少し気恥ずかしいような雰囲気の中で行なわれた。音頭取りは、太っちょの営業部長の役目と数時間も前から決められている。大役を無事終えた営業部長は、白いハンカチで額の汗をぬぐいながら座布団の上にすわり直した。
「お疲れさまでした」
 横から小さく声をかけたのは三十過ぎの長身の男だ。銀行マンといっても通用しそうなほど見事に、濃紺のスリーピースをぴっちりと着こなしている。ただ眼光の鋭さだけは、ごまかしきれない。男の名は成田なりた真一しんいち、大手スーパー・マーケットを経営する、正木まさき藤次郎とうじろうの秘書だった。
「どうだったかな?」
 と営業部長は成田に訊いた。「何もミスをしなかったかな?」
「はい、お見事でした」
 成田は口元に笑みを浮かべた。「まるでダ・ビンチの絵のように完璧でしたよ。一分の隙もない」
「ありがとう」
 営業部長は満足そうだった。
 二月のある日、正木藤次郎の喜寿を祝う会が、正木家の和室に五十名あまりを集めて盛大に開かれた。主催者は藤次郎の娘婿であり、副社長でもある正木高明たかあきである。高明は藤次郎の隣りにすわり、さかんに酌をしていた。
 高明に限らず、正木家の親族の男は、ほとんど皆、何らかの形で藤次郎の会社関係の仕事に就いているといえた。それだけに名実ともに藤次郎の独裁政権といってよく、この会社で勝ち残っていくためには、まず藤次郎の眼鏡にかなう必要があった。
 乾杯の音頭を取った営業部長も、藤次郎には甥に当たる。
「そこでおえら方は、このチャンスに社長に自分を売り込んでおこうって寸法さ」
 末席でビールを飲んでいた若い男が、隣りの同年配ぐらいの男に小声で話しかけた。彼らはどちらも、それぞれの上司の鞄持ちとして出席させられているのである。
「なんといっても、人事の最終決定は社長の一言でなされるんだからな」
「副社長でも、まったく頭が上がらないって話だ」
「上がるもんか。ほら、副社長の隣りに和服の女性がすわってるだろ? あの人が社長の娘で、副社長は婿養子なのさ」
「専務も社長の息子なんだろ?」
「こっちは実子だ。ただし副社長夫人とは異母姉弟なんだな。二番目の奥さんとの間にできた子どもが、専務の正木友弘ともひろ氏というわけだ。最初の奥さんは、病気で亡くなったらしい。おそらく社長のモーレツぶりに、身体がもたなかったんだろうな」
 二人の若い男は、会場の隅から正木藤次郎の方を覗き見た。白髪の、小柄で瘦せた男が藤次郎である。その横にいる、中肉中背で少し腹の出っぱった男が高明だった。脂で光った額が、精力的な印象を与えている。
 高明の反対側には、白いドレスを着た三十前後の女が料理を口に運びながら、藤次郎と高明の話に耳を傾けていた。髪をアップにし、時折見せる笑顔や、何気ないしぐさに妖艶さを漂わせている。
「誰だい、あの美人は?」
 一方の男が訊いた。
「知らないのかい? 社長の奥さんだよ、新妻だ。三番目ってことになるな」
「奥さん? えらく年が離れているじゃないか」
 喜寿というぐらいだから、藤次郎は今年七十七になる。
「すべては金の力さ。あの奥さんも、社長の寿命はよくもってあと十年、というぐらいの計算はしているんじゃないか」
「なるほど。しかし二番目の奥さんが亡くなったという話は聞いていなかったけど、離婚したのかな?」
 すると相手の男は、さらに声を落として言った。
「別居したって噂は去年からあったけどな。ただ、離婚したとなると、大変な額の慰謝料を請求されただろうな。三億、いや五億は下らないだろう」
 ヒューと相手の男は口を鳴らした。
「雲の上の数字だ。しかし社長の資産からすれば、何分の一かなんだろ?」
「それはそうだがね。噂によると、社長はあれでなかなかケチンボなんだそうだ。だから当然の額とはいえ、涙が出るほど悔しかっただろうと思うよ」
「あの新妻が、五億円の買い物だったわけだ」
「価値観は人それぞれだからいいけどさ、五億出して、自分のモノのほうが使えないんじゃ涙も出ないだろうな」
「七十七だろ? その可能性は高いぜ」
 クックックッと二人の若い男は、淫猥いんわいな含み笑いを漏らした。
 
 この会の進行係を任されている成田は、プログラム表と腕時計とを見比べると、わずかのズレもないことを確認して頷いた。この程度のことで手違いがあるようでは話にならないと思っている。
「ごくろうさん」
 肩に手をかけてくる者がいた。背は低いが、がっしりした身体つきの男だ。声にも響きがあって、いかにも押し出しの強い印象を与える。男は成田の前に、とっくりを差し出した。
「恐縮です、正木専務」
 成田は正座したまま分度器で計ったような正確な会釈をすると、手元の盃を取り上げて正木友弘の酌を受けた。
義兄にいさん、なかなか熱心に親父の相手をしているな」
 友弘は、藤次郎のそばにくっついたままの高明の方を見て言った。あざけりと悔しさの混じったような響きがある。
「副社長は、いつでも熱心なお方ですから」
 すると友弘は妙な含み笑いを漏らした。
「いつでも熱心か、なるほどな。なにしろ親父がちょっとへそを曲げると、副社長だろうが専務だろうが、すぐに首を切られかねんからな」
 友弘は成田の肩をもう一度叩くと、とっくりを持ったまま他の客の方に行った。
 たしかに――と成田は彼の後ろ姿を見ながら思った。たしかに社長は専務の首くらいなら簡単に切るかもしれない。その程度の代わりはいくらでもいると、藤次郎はつねづね成田にも言っているのだ。だいたい今の幹部クラスは、ほとんどコネで上がってきた者ばかりで、実力で勝ち残ってきたのではないからだ。
 だが高明はその中にあって、異質な存在だった。正木家とは何のつながりもないが、その才覚を藤次郎に認められ、彼の右腕として娘婿に迎えられたのだ。友弘は実の息子だが、わしの次は高明だ――これは藤次郎がいつも言っていることだった。

 藤次郎の正妻である文江ふみえが乗り込んで来たのは、会も半ばを過ぎ、場の雰囲気もかなりくだけたものに変わってきた頃だった。末席近くの襖が突然開き、和服に身を包んだ太目の女が、睨みつけるようにして宴席を見渡したのだった。
 彼女の顔を知っている者はもちろん、知らない者も、彼女の迫力に圧倒され言葉を失った。
 文江は全員が固唾かたずを吞んで見守る中を、ゆっくりと藤次郎に向かって歩き出した。実の息子である友弘が、「かあさん」と声をかけたが、見向きもしなかった。
 彼女は藤次郎の前まで行くと、彼の顔をじっくりと眺めてから、その場で正座した。
「何の用だ?」
 藤次郎はあぐらをかき、盃を持ったまま低い声で訊いた。顔の肉ひとつ動かさないのはさすがだった。
 文江は、ハンドバッグの中から奇麗に折りたたんだ紙を取り出すと、それを自分の前に置いた。
「あなたから頼まれていたものです。お届けに上がりました。離婚届です」
 ざわっと場が乱れ、それからすぐに静かになった。
「おかあさん、何もこんな時に……」
 高明が横から口を挟みかけたが、藤次郎が、「かまわん」とそれを制した。そして、「成田」と自分の秘書の名を呼んで、文江が出した紙を顎で差した。
 成田はかしこまった態度で出て行くと、その紙を取って藤次郎に渡した。藤次郎はそれを開いて、しばらく眺めていたが、やがて納得したように頷くと、
「これを明日、さっそく出して来てくれ」
 と成田に渡した。そして文江の方を向いて言った。
「よく届けてくれた。慰謝料のほうは、間違いなくおまえの口座に振り込ませてもらう」
「お願いします」
 文江は無表情のまま、頭を下げた。
「せっかく来たんだ。料理でも味わって行ったらどうだ? 今日は格別のネタが揃っているんだが」
「いえ、私はこれで……」
「……そうか」
 文江はもう一度頭を下げると、すっと立ち上がり、全員が見つめる中をしっかりとした足取りで下がって行った。襖が閉められ、彼女の姿が見えなくなってからも、硬直した場の雰囲気はそのままだった。
「成田」
 藤次郎が呼んだ。
「はい」
「わしは少し部屋で休むが、宴会は続けろ。酒をもっと頼め。今日は少しぐらい遅くなってもかまわん。場を盛り上げるんだ。この程度のことでおろおろしているようでは話にならんぞ」
「承知しました」
 成田は返事しながら、社長も結構こたえているらしいと内心面白がっていた。

 文江の出現で場は一気に冷えたが、料理と酒を増やし、カラオケを始めれば、また徐々に元の状態に戻り、一時間も経った頃には充分な盛り上がりを見せていた。高明が成田のところへ来て、そろそろお開きにしたらどうかと耳打ちした。成田の腕時計は九時になろうとしていた。
「社長はお呼びしなくてよろしいですか?」
「いや、呼んだほうがいいな。一言もらうとしよう。君、すまないが呼んできてもらえないか?」
「わかりました」
 成田は宴会場を出ると、長い廊下を歩いて藤次郎の書斎に向かった。
 部屋の前に立つと、成田は二度ドアを叩いた。重厚な響きが拳から身体に伝わる。だが部屋の中からは返事がなかった。
 ――おかしいな。
 成田はノブを捻ってみた。しかしドアは開かない。鍵が掛かっているのだ。
「社長」
 彼は少し大きい声を出して呼んでみた。藤次郎は最近耳が遠くなってきている。もし眠っているのだとしたら、少々の音では目を醒まさないだろう。
 それでも返事がないので、成田は宴会場に引き返した。そしてまだ終わらないカラオケ大会に、うんざりした顔をしている江里子えりこに近づいて事情を話した。
「そうなのよ、最近耳が遠くってイライラしちゃう。やっぱり年ね」
 江里子はアップにした髪を押さえながら成田を見上げた。
「鍵は、お持ちですね?」
「持ってるけど……いいわ、あたしも一緒に行くから」
 彼女も立ち上がって、成田の後に続いた。
「ねえ」
 長い廊下を歩いている途中、江里子は成田の耳元で囁いた。「あの計画……どうするの?」
「場所を考えてください。誰が聞いているかわかりませんよ」
 成田は真っすぐ前を向いたまま言った。
「大丈夫よ、誰もいないわ。――前の奥さんとは無事離婚することになったし、あたしが正式の妻になったら、すぐにやってくれるんでしょう?」
「すぐはだめです。怪しまれるだけですからね。半年、いや一年ぐらいは辛抱したほうがいいでしょう。そのぐらい経ってから、病死に見せかけて……と考えています」
「一年? 長過ぎるわ」
「我慢のしどころですよ。ここを乗りきれば、一生遊んで暮らせるんですからね」
「あなたと……ね」
「声が大きいですよ」
 成田は江里子をたしなめた。藤次郎の部屋が近づいたのだ。
「それでは奥様、お願いいたします」
 彼は江里子に場所をゆずった。彼女はウインクをして見せたあと、鍵穴にキーを差し込んで回した。カチッという、鍵の外れる音が聞こえた。
「あなた……」
 そう言いながら江里子はドアを開けたが、室内に目を向けた途端、「ヒッ」という息をつめたような声を発していた。そしてそれとほぼ同時に、成田もその異様な情景を目の当たりにしていた。江里子の身体は小刻みに震え、それに誘発されたように成田の膝も痙攣けいれんを始めた。
 書斎の中央には人間の身体がぶら下がっていた。そしてそれはゆっくりと揺れて、時折成田たちの方に顔を向けるのだ。
 その時背後から近寄って来る足音が聞こえて、続いて高明の声がした。
「どうしたんだ、社長はまだお休みなのかい?」
 高明は成田たちの後ろに立って、室内に目をやった。そしてその瞬間、声にならない悲鳴を喉の奥から絞り出した。

〈このつづきは製品版でお楽しみください〉

▼『探偵倶楽部』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/200312000311/

「全部読んだか? 東野圭吾」フェアを開催中!

KADOKAWAアプリやTwitter、Instagramで貴重な著者サイン本が当たる!
>>キャンペーン詳細はこちら


紹介した書籍

MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年3月号

2月10日 配信

怪と幽

最新号
2020年1月号

12月19日 発売

小説 野性時代

第196号
2020年3月号

2月13日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP