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連載

月村了衛「白日」 vol.23

信頼できない上司、暴走する部下、情報戦の様相を呈す社内派閥抗争……。秋吉を更に衝撃的な報道が襲う。 月村了衛「白日」#6-2

月村了衛「白日」

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   9

 その夜、関東一円を覆った雨雲は都心部を中心に激しい雨となって連日の熱波に焼けた地上を洗った。
 翌日の未明に雨はやみ、おかげでいつもよりは心持ち涼しい朝となった。そのせいか、秋吉家では一家揃って寝過ごしてしまい、秋吉は娘と向かい合って慌ただしくトーストとベーコンエッグの朝食をとった。
「いってきまーす」
 一足先に食べ終えたはるが、部活用のスポーツバッグを肩に掛けて元気よく飛び出していく。
 それを見送った秋吉は、この上ないあんを覚えると同時に、何か心にのしかかるような不安を感じた。
「悪い癖よ」
 自分の表情を見て取ったのか、妻が先回りするように言う。
 これまで悪いことがありすぎて、少しでも良いことがあると、不吉の到来を案じてしまう。妻に指摘された通り、〈悪い癖〉以外の何物でもないのだが、頭では分かっていても心がそうなってしまうのだ。
 現に妻自身もそう晴れやかな気分でないことは、流し台に向かうその後ろ姿から察せられた。
 何事も気の持ちようだと自らに言い聞かせ、秋吉は出勤の途についた。
 雨上がりの朝らしく、空はどこまでも高く澄んでいたが、気分はやはり重く沈んだ。今日はてんのうゼミナールとの会談があるというのに、準備らしい準備もできなかった。出たとこ勝負で臨むつもりであったが、いざ当日となると、気が重いどころではない。それでなくても最大限に気を遣わねばならない相手なのだ。
 磯川のいかにも切れ者らしい横顔を思い浮かべる。その上司の島頭部長となると、どれほどごわいか想像もつかなかった。
 ため息をつきつつも、地下鉄に揺られながらいつもの習慣でスマホを取り出し、ニュースサイトのヘッドラインを眺める。
 トップに表示された文言を目にした瞬間、公共の車内であることを忘れて叫び声を上げそうになった。
[文科省 特区戦略校認可に便宜供与か]
 息を吞んで全文に目を通す。
 そこで報じられていた内容は、文部科学省しおやす審議官に関するぞうしゆうわい疑惑であった。
 読み進むにつれ、視界がどんどん暗く狭まってくるような息苦しさを覚える。
 癒着が疑われる贈賄側は滋賀県の学校法人で、黄道学園のことではなかった。
 しかし塩田審議官こそ、黄道学園認可の際に大きく関わっていた人物であった。現に秋吉自身も、かすみせきの文科省に足を運んだ際、塩田に直接挨拶している。また梶原からは、長年の付き合いであるとも聞かされていた。
 あしもとが大きく揺れていた。それは車体が揺れているせいか。それとも己が揺れているのか。
 せんにち出版に関係のない事案とは言え、ここまで詳細に報じられているということは、相当程度の確証があるからだろう。今朝は寝過ごしたため新聞に目を通すどころか、テレビのスイッチを入れることさえしなかったのが悔やまれた。
 倒れないようにつりかわを握り締め、急いで他の新聞社系ニュースサイトを閲覧する。どこも大きく報じていたが、黄道学園について触れた記事は見当たらなかった。
 とはいうものの安心できるものではまったくない。むしろ、記事を読んだ限りでは塩田審議官にはまだまだ疑惑がありそうだった。
 その中に黄道学園が含まれていないと言い切れるだろうか──
 だんしたに着いた。途中のコンビニで新聞各紙を買い込み、会社へと急ぐ。
 一階エントランスの空気にそれほどの変化はなかったが、六階はもう大騒ぎだった。
 教育事業推進部のフロアに入ると、すぐに飛んできた亜寿香が挨拶も抜きに報告する。
「課長、たった今、天ゼミから連絡があって、今日の予定はキャンセルしたいと」
「そうか」
 うめくように答え、自席へと向かう。
 事態はいやおうなく急変した。天能ゼミナールとしては、しばらく静観の構えを取りたいということだろう。判断を下したのはおそらく磯川レベルではない。少なくとも部長級以上だ。慎重にして賢明。天ゼミサイドは事態をそれだけ重く受け止めているという意思表示でもある。
 課の全員が自分を注視している。部長はまだ出社していないようだ。あるいは、六階には立ち寄らずに最上階へと直行したのかもしれない。
「みんな、聞いてくれ」
 秋吉は立ち上がって声を張り上げた。
「この様子では、みんな今朝のニュースに接したことと思う。塩田審議官のニュースだ。読めば分かる通り、ウチに関する記載はない。つまり、現在のところウチが不正行為に関与した証拠はないということだ」
「ですが、それは単にまだ見つかってないだけかもしれないじゃないですか」
 はしぐちだった。
「その可能性もある。だからと言って、我々がどうにかできることじゃない」
「できることもあるんじゃないですか」
「言いたいことは分かるよ。君は梶原局長のことを言っているんだろう?」
 動揺を示しながらも橋口がうなずく。
「ええ、はい……そうです」
「それに関しては、私も限界だと思う。こうなった以上、局長に説明して頂かねば社内はもう収まらない。ついてはこれから〈上〉に行って直接話してくるつもりだ」
 室内が瞬時に静まり返った。
 そんな目で俺を見るな──俺は殉教者でもなんでもない──
「いいか、何かはっきりしたことが分かるまで我々の仕事に変わりはない。みんなそのつもりで各自の仕事に取り組んでもらいたい」
 そう言い残し、フロアを出る。
 エレベーターホールに向かっているとき、スマホが振動した。
 からだった。
〈もう知ってるよな、あのニュース〉
「これから常務に会いに行くつもりです。この部長もたぶんそっちにいると思うんで」
〈その前にこっちへ寄ってくれ。ちょっと話しておきたいことがある。きたもりもいるが、他には誰もいないから心配するな〉
「分かりました」
 スマホを切り、エレベーターに乗り込んで四階のボタンを押す。
 正直に言って、少々ほっとした気分であった。役員と話す前に宇江と相談できるのは心強い。
 さながらトーチカのごとく積み上げられた資料に囲まれた文芸編集第四部の一角に踏み入ると、周辺の主である宇江が振り返った。
「宇江さん……?」
 その顔色を見ただけで、秋吉は異変を察知した。
 宇江があごで秋吉の背後を指し示す。同時に快活な声が響いた。
「やあ、おはよう」
 驚いて振り返る。壁際に置かれたアンティークな椅子に座っていたのは、飴屋であった。
 凝然と目を見開く秋吉に、飴屋は間の悪そうな、それでいてあいきように満ちた口調で言う。
「いやあ、昨日えらそうなこと言ったばかりなのに、またまた申しわけない。なんせ夜になってから事態が急変したものでさ」
 飴屋を見つめる秋吉の背後から、宇江が済まなそうに言う。
「騙すつもりはなかったんだ。信じてくれ。おまえに電話した直後に飴屋が勝手に入ってきた。北森の奴、裏切りやがったんだ」
 改めて周囲を見回す。確かに北森の姿はない。
「そりゃ北森君がかわいそうだよ。彼だって将来ある身なんだからさ。裏切りとかじゃなくて、せめてったって言ってあげてよ」
 フォローなのかジョークなのか分からないようなことを、飴屋が大真面目に口にする。
「北森君も気まずいだろうから、君が来る直前に帰したよ。途中で出くわしたりしないかこっちもヒヤヒヤしたけどね」
 裏切った? 北森が?
 何が起こっているのかまったく分からない。
 こちらの表情を読んだのか、飴屋が淡々と話し出す。
「夕べ、北森君は塩田審議官のニュースをつかんだのさ。君もよく知っての通り、塩田さんはいくそうしや時代から梶原さんとつながってる。このまま捜査が進めば梶原さんの名前が出てくる可能性は否定できない。事ここに至ればもう会社全体、いや社会問題だ。大局的に考えた結果、北森君は僕に相談してくれたというわけだ」
「日本語ではそれを裏切りって言うんじゃないのかね」
 飴屋に憎まれ口を叩いた宇江は、次いで秋吉に向かい、
「つまり北森は、俺達とつるんでるより、早めに旗色を鮮明にしといた方が得策だと考えたってわけさ」
 分からないでもない。北森でなくても、局長を不自然にかばい続ける社長派に明日はないと考えるだろう。また、専務派ににらまれたままこれ以上動き回るのは危険であるとも。
「だがな秋吉、各社あれだけウチについて調べてたのに、紙面のどこにも書かれていない。つまり、疑惑と言えるほどの確証はなかったと考えていい。確かに塩田はあっちこっちからカネをもらってたらしいが、梶原さんは関係してないってことも充分にあり得る。むしろ俺は、そっちの可能性の方が高いんじゃないかって感触を得てる。そのことを伝えたくて電話したんだが……」
 秋吉が答える前に飴屋が口を挟む。
「宇江さんの勘は僕も信頼してますよ。なんたってウチのノンフィクション部門のエースですもんね。だけど、会社としてはそうも言ってられないんですよ。全社員の命運が懸かってるわけだから。そう考えたからこそ、北森君も昨夜のうちに僕に連絡をくれたんだ。おかげで僕まで徹夜の会議に駆り出される羽目になったんだけどね」
 言われてみると、飴屋の両眼は徹夜明けらしく腫れぼったく充血していた。
「それはご苦労だったな、飴屋」
 自分でも、意外なまでに冷静な声が出た。
「状況が変わったということはよく理解している。飴屋、おまえは今まで、会社に不都合なことを表に出さない、つまり隠蔽という方針で動いてたな? そうなんだろ?」
 飴屋は何も答えない。
「なのに俺達が危なっかしい動きをしてるんで、おまえは俺達を監視せざるを得なかった。下手に情報が漏れないようにな。それだけじゃない。もし可能ならば、社長派の追い落としに利用できないか。そう考えていたはずだ。だがこうなったら社長派も専務派もない。つまり飴屋、おまえと俺は、敵でもなんでもないというわけだ」
「どちらも同じ社員ということかな」
「そうだ」
 秋吉は出口に向かおうとして、足を止めた。
「俺はこれから常務のところへ行く。もし会えるようなら社長に会う。おまえも一緒に行くか、飴屋。目的は一致しているはずだ」
「うん、そうだな」
 腰を浮かしかけた飴屋は、何を思ったか、再び座りこんだ。
「やめとこう。どんなとばっちりが来るか知れたもんじゃない。安全第一が僕の信条だ」
「そうか。ならいい」
 次に宇江に向かい、
「宇江さんは引き続き情報を集めて下さい。まだ終わったわけじゃない。何が出てくるか分かりませんから」
「ああ、任せとけ。事がこれだけオープンになった以上、こっちも正面から取材できるってもんだ」
「お願いします。それでは」
 堂々と退室した──つもりであったが、両足はやはり震えていた。

▶#6-3へつづく
◎第 6 回全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


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