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連載

月村了衛「白日」 vol.33

【連載小説】課長である自分の資質と処遇について、眼前で議論が進む役員会議。声をあげたのは、あの男だった。連載最終回! 月村了衛「白日」#8-4

月村了衛「白日」

※本記事は連載小説です。
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 虚を衝かれたように役員達が一斉に彼を注視する。
「皆様のご判断の参考となりますか分かりませんが、せんえつながら私からお伝えしておきたいことがあります」
 もとのファイルを取り上げ、悠然と飴屋は続ける。
「本件に関しまして、人事査定の一環として私は関係各署で情報収集に努めて参りました。その結果、秋吉課長に関しても多くの情報が集まりました。社内からだけではなく、関係する各取引先企業からもです」
 飴屋はこちらを見ようともしない。
 西脇も知らぬ顔で放置している。と言うよりむしろ頼もしげに、ずんぐりとしたこの部下の発言を聞いている。
 飴屋め──一体何を言うつもりだ──
「特にビジネスパートナーたる天ゼミの皆様の声は、総合事業企画本部を中心に細大漏らさず拾っております。事の性質上、取材手法等は明かせませんのでご了承下さい。個別の例で申しますと、天ゼミ総合事業企画本部第二企画部のしま部長は『千日出版事業推進部第一課秋吉課長の誠実さには敬意を表する』と評されておりました。同じく二企のいそかわ主任はこう申しておられます。『これまで千日出版との事業計画を推進してこられたのは、ひとえに秋吉課長の能力によるところが大きい。今後パートナーシップを維持するためにも、秋吉課長は不可欠である』」
 ぜんとする。秋吉の知る磯川は、たとえお世辞であってもそんなことを口にするような性格ではなかった。
「またジュピタック広報室のないとう室長代理に接触しましたところ、『秋吉氏ほど信頼できる人物はいない。秋吉氏が誠心誠意プロジェクトに取り組んでいる姿に、弊社一同、深く感銘を受けている』とお話し下さいました」
 それも噓だ。内藤は間違ってもこちらのことを『秋吉氏』などとは呼ばないはずだ。飴屋による要約のせいだとしても、ジュピタックの窓口として秋吉が最も頻繁に会っていたのは、広報室の内藤ではなく、技術部のかまというエンジニアであった。
「それだけではありません。だいにちどう文具、こよみ電機、ルナ・デザイン事務所、なかぞら商事など、他社の皆様も口々に同様のことをおっしゃっておられました。こう証言が重なりますと、しんぴようせいに関しましては問題ないと言わざるを得ません。控えめに申しまして、秋吉課長は取引先から多大な信頼を寄せられているものと思われます」
 腹心の部下を見つめる西脇の顔面に当惑の色が浮かぶ。
 飴屋はさりげない手つきでファイルを閉じ、
「繰り返しとなりまして申しわけありません、慎重の上にも慎重を期して情報の収集に当たっておりますので、その手法についての詳述は避けますが、秋吉課長を本プロジェクトから排除するのは、今後の進行にとって大きなマイナスとなるというのが、私の調査に基づく結論であります」
 座したまま倉田が一喝する。
「何が結論だ。君はそんなことを言える立場か」
「いいえ、左様なことを言える立場にはありません」
「だったら──」
「ですが、今は言うべき局面であるかと心得ます」
 飴屋は謹厳そのものといった態度で──しかしその目にはいつものいたずら小僧のような光をたたえ──一同を見回した。
「私の職分は、ひとえに社の利益に貢献するであろう人材の情報収集にあります。『社の利益に貢献する』。それ以外の価値観は人事課長たる私にはありません。失礼は重々おび申し上げます。自らの職に忠実であるためにも、身のほどもわきまえず、あえてご報告申し上げました次第でございます」
 馬鹿と言ってもいいほど丁寧に一礼し、飴屋は着席した。
「飴屋君の報告が常に信頼できるものであることは、ここにおられる方々もよくご存じかと思います」
 落ち着いた様子で社長が発する。異論は出ない。
「ならば、西脇本部長の提案を採用してもよろしいのではないでしょうか」
 弾かれたように立ち上がった西脇が全員に向かって頭を下げる。
 会議の流れはそれで決した。

 終了後、役員達が思い思いに散会していく。
 秋吉はファイルを脇に挟んで廊下を歩む飴屋に駆け寄り、呼び止めた。
「待てよ飴屋」
 足を止めて振り返った飴屋に、
「なんだ、あれは」
「なんだって、何がだい」
「さっきのあれだ。どうして俺をかばったりした」
「馬鹿馬鹿しい。かばってなんかいるものか」
 その表情は、常になく大真面目なものだった。
「あの場で言った通りだ。僕は自らの務めを果たしただけさ」
「ふざけるな。磯川さんや内藤さんの話、あれはなんだ。デタラメもいいとこじゃないか」
「社内の証言だけだとお偉方を説得するのは難しかった。だから多少脚色させてもらっただけさ」
「多少って、おまえ……」
 言葉もないとはこのことだった。
「もしばれたらどうするつもりなんだ」
「それくらいの防御策は用意してある。でなきゃゲシュタポなんてとてもじゃないが務まらないよ。それにね……」
 嫌な間を置いてから、愉快そうに飴屋は言った。
「天ゼミの磯川さんのアレ、『今後パートナーシップを維持するためにも、秋吉課長は不可欠である』ってやつ、あれだけは本人の言ったまんまだから」
「えっ」
 あの磯川さんが──?
 ぼうぜんとしている秋吉に対し、飴屋は続けた。
「社の内外を問わず、君の仕事ぶりが評価されてるのは本当だ。それに関しては責任を持って断言できる。こう見えても、僕は自分の仕事にはうるさいタチなんだ。君が気にすることは何もない」
「冗談じゃない。気にするなと言われても気になるさ」
「君もいいかげんしつこい奴だな」
「しつこいのはそっちだろう」
「何度も言わせるな。君が黄道学園に命を懸けてるように、僕も自分の仕事に誇りを持っている。そう言えば分かるか」
 その言葉に秋吉は、知らずして他者を侮り、予断を持っていた己を悟った。
「すまない……ありがとう、飴屋。おまえは──」
 礼を述べようとした秋吉を、飴屋は強い口調で遮った。
「やめてくれ。気持ち悪い」
 だがすぐにいつものあいまいな笑みに戻り、彼は続けた。
「何度も言わせないでくれよ。僕は仕事で君の仕事を厳正に評価した。その上で、社にとって君の力が必要だと思ったから報告した。それだけだ。だからこの先、もし君が大した仕事もできないと判断したら、そのまま上に伝える。覚悟しとけよ。なにしろ僕はゲシュタポだから」
 秋吉に何か言ういとまさえ与えず、飴屋は長い廊下を去っていった。

『エテルノ』に入った秋吉は、いつものテーブルについてカフェオレを注文してから、スマホを取り出し、亜寿香の番号を選択して発信した。
〈はい、まえじまです〉
「俺だ。さっき会議が終わってね」
〈聞いてます。なんかいろいろあったみたいですね〉
「その件で話したいことがある。誰にも言わず、一人でエテルノに来てくれないか」
〈分かりました。後ほど伺います。それではご免下さいませ〉
 亜寿香の口調が微妙に変わった。近くに人が来たのだろう。
 およそ十分後、亜寿香が入ってきた。
 秋吉の向かいに座り、コーヒーを注文する。
「前置きは抜きで話す。よく聞いてくれ」
 心なしか緊張の面持ちで身構える亜寿香に、すべてを告げる。
 昨日の梶原家での出来事。そこで判明した幹夫の死の真相。
 緊急役員会議の内容。黄道学園事業推進部の設立。その部長に自分が抜擢されたこと。
「部長昇進、おめでとうございます」
 亜寿香は型通りに祝福の言葉を述べた。しかし、沢本が後任の第一課長に指名されたことに触れたとき、彼女の表情が微かにこわるのを秋吉は見逃さなかった。
「沢本君ならコミック学参シリーズの仕事に適任だろう」
「私もそう思います」
「問題は新部署のメンバーだ。人選は俺に一任されている。そこでだ、前島君」
「はい?」
「君には新部署の課長をやってもらいたいと思っている。もっとも、君が望むなら千日本体に残って課長補佐から課長代理に昇進できるよう取り計らう。人事課も沢本君も異論はないだろう。どちらでもいい。選ぶのは君だ」
 まっすぐに秋吉の目を見つめ、亜寿香はしばし考えてから答えた。
「新部署に連れていって下さい」
「本当にいいのか」
「新会社の課長と本体の課長代理なら、格としては同じくらいでしょう。むしろ教育事業なら、新部署の方が将来性は上だと思います」
 それに……と亜寿香は、口も付けていない冷めたコーヒーをスプーンでかき回しながら付け加えた。
「私達はこれまで黄道学園の設立を目指して頑張ってきたわけですから、やっぱりそっちをやりたいです」
「分かった」
「それより課長」
 スプーンを置き、亜寿香が顔を上げる。
「課長こそ本当にそれでいいんですか。局長も社長も、最後まで幹夫君のことについては公にしなかった。つまり、見方を変えれば課長を新部署の部長に据えることによって口を封じたとも言えるわけでしょう」
「そうだね。あくまでも見方によっては、だが」
「確かに局長は黄道学園や教育事業から身を退くことによってけじめを付けました。でも、いくら言い繕っても隠蔽には違いありません。それに、文科省関連の疑惑も完全に晴れたわけじゃないんでしょう? 社長も専務もおんなじです。そんな人達の敷いたレールの上で、黄道学園の理想が実現できるものでしょうか」
 早速来たか──
 怖れていた痛烈な一撃。予想以上の鋭さだ。
 しかし自分は、これを彼女に期待していたのではなかったか。
「実を言うとね、君に電話する前、俺は何度も局長に会って直接話そうと思ったよ。だけど、できなかった。昨日の局長は、全部の痛みを背負っていると直感したからだ。俺だって人の親だからね」
「でも、そんなのって……」
「まあ聞いてくれ。その上で局長は俺達に後を託してくれたんだ。この世の中、一〇〇パーセントの白も一〇〇パーセントの黒もない。だったら、そのはざで俺達ができることをしようじゃないか。出発点のレールが汚れていても、その先を正しく延ばしていくことはできる。レールの上を走るのは俺達じゃない。子供達だ。黄道学園の生徒達だ。乗客にレールの汚れは関係ない。俺はそう考えることにした」
 亜寿香は再び俯いた。冷え切ったコーヒーカップを取り上げ、口に運ぶ。しかし、やはり口を付けずにソーサーに戻した。
「なるほど、それはアリですね」
 見込んだ通りだ。亜寿香はしたたかに笑っている。
「よし、決まりだ」
 彼女の強さは頼もしくもあり、またある意味、羨ましくもある。
「君には早速メンバー選抜の素案作成を頼みたい。ほとんどは現第一課のメンバーで足りるだろうが、精鋭中の精鋭で固めるんだ。磯川さんと連絡を取る必要もある。打ち合わせの再開だ。公式な発表は待っていられないから、極秘裏に進める」
「お任せ下さい。そういうの、得意ですから」
 亜寿香の口許に浮かぶ不敵な笑みを確認し、秋吉は伝票をつかんで立ち上がった。
 店を出るとき、スマホに着信があった。妻からだった。
 不安を覚えつつ、すぐに応答する。
「俺だ。どうした」
〈あなた、春菜が──〉
 話を聞いて、胸の中に湧き上がっていた暗雲が霧散していくのを感じる。
 心配そうにこちらを見ていた亜寿香の表情にも、安堵の色が広がった。

 帰社した秋吉は、溜まった雑務をこなすことに専念した。
 定時に会社を出て、せいおう病院へ直行する。
 残照の中、ツクツクボウシが鳴いている。夏の終わりが近いのだ。
 妻からの電話で、春菜が起きて待っているという。
 心の準備が必要だった。それと、目一杯の勇気だ。娘と心から向き合う力だ。
 春菜には、残らず正直に話そうと思う。亜寿香に話したときよりもさらに詳しく。
 沙織のこと。幹夫のこと。
 幹夫君、俺は俺にできることをやった──これからもやり続ける──それが君の希望とそう違っていないことを願っている──
 それに、悟のこと。
 悟と出会えたのは幸運だった。沙織にとっても、そしておそらくは春菜にとっても。
 春菜は受け止められるだろうか。不安がないと言えば噓になる。
 いいや、今は娘を信じることだ。
 病室に入ると、ベッドの上で半身を起こしていた春菜と、その傍らに立っていた喜美子が振り返った。
 秋吉は娘に向かって、ゆっくりと足を進める。
 ツクツクボウシが鳴く窓の外の夕闇で、何かが白くひらめいた。
 鳥の羽ばたきだ。一瞬背後の窓を振り返った春菜が、再び秋吉の方を見て、深く静かに微笑んだ。

   了

※本作は、加筆修正のうえ小社より単行本として刊行予定です。
◎第 8 回全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

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