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連載

月村了衛「白日」 vol.5

上司の息子の突然死。単なる事故ではないという噂がまわる中、その現場を訪れることにした。「白日」#2-1

月村了衛「白日」

※この記事は、期間限定公開です。



前回のあらすじ

千日出版の教育部門で課長を務める秋吉に衝撃的な情報が入った。事業を率いる梶原局長の中3の息子・幹夫の謎の転落死。部署が大プロジェクト――大手進学塾と合併し社を独立、IT企業との提携のもと、最新技術を駆使した〔引きこもり・不登校対策〕を打ち出す新時代の高校を開校――に臨んでいたときだった。幹夫の死は事故ではなく自殺ではという噂が社内で急速に広まる。そして、彼が引きこもりだったという証言を得たと部下らが発言し……。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

   2(承前)

 まじまじと寿を見つめる。声が出ない。
「本当か」
 かろうじてそれだけを喉から絞り出した。
「本当です」
 単純な問いにふさわしい必要最低限の答えであった。
「どうしてそんなことが言える」
「昨夜、七時頃でしたか、その話を耳にして、すぐにがたさんに連絡したんです」
「俺に報告しなかった理由は」
「外に出てご不在でした」
 七時なら確かに社外だった。
「まあいい。それで」
「緒形さんは電話では話しにくいと。直接来てくれるなら話すと言われました。それで私は、直帰の予定にして指定されたレストランに行ったんです。しんそう書店の近くの店です。緒形さんはご自身の知っておられる限り、詳しいお話を聞かせて下さいました。夏休みの前なのに、学校に行ってなかったらしいと」
「どれくらい前なんだ」
「終業式の一週間くらい前からだったそうです」
 一週間か。微妙なところだ。
「テスト休みだったのかもしれないし、最近の子供は受験勉強のために学校を休むって言うぞ。ましてやみき君は中三だ」
「いえ、幹夫君はそうじゃなかったようです」
「どうして分かる」
「近くに住む人が言い争っている幹夫君とお母さんを見たって。その内容からすると、やはり──」
「それを信じたというのか」
「充分な説得力があると感じましたので」
 無言で亜寿香のそうぼうの奥をのぞき込む。同じく無言で、亜寿香はあきよしの視線を受け止めた。
「昨日のうちに電話の一本でもくれりゃよかったのに」
「今朝ご報告しようと思ってたんです。まさかこんなに早く騒ぎになるなんて」
「分かった。ちょっと出かけてくるから、さわもと君は後を頼む」
「後をと言いますと」
 げんそうに沢本が聞き返してきた。
「課の指揮に決まってるだろう。君は課長代理じゃないか。まえじま君は一緒に来てくれ」
 うなずいた亜寿香が室内に戻った。バッグを取りに行ったのだ。
「課長、それでどちらへ行かれるんですか」
 重ねて問う沢本に、
「現場検証さ」
「えっ、まさか局長のお宅へ行かれるつもりじゃ」
「そこまではしない。第一、部長に止められてるしな」
「じゃあ、一体──」
 それには答えず、
「誰かに訊かれたら打ち合わせに出たと言っといてくれ。帰りは未定だ。頼んだぞ」
 背後に亜寿香の足音を聞きながら、秋吉はエレベーターホールへと急いだ。

   3

 かじわら局長の自宅はおぎくぼのマンションで、秋吉は何度も訪ねたことがあった。駅から徒歩十分。青梅おうめ街道からもかんぱち通りからも離れているので、かんせいな暮らしやすい立地と言えた。
 だが目的地は局長のマンションではない。炎天下の住宅街を、秋吉は亜寿香と並んで歩き回った。
「緒形さんの話からすると、現場はあそこみたいですね」
 スマホで地図を見ながら亜寿香が言う。彼女の指差した先には、ビルというより、団地のような建造物がそびえていた。外見は団地に似ていても、一棟だけであるから厳密には団地ではないと思われる。また遠目にも人が住んでいるようには見えなかった。
「とにかく行ってみよう」
 その建造物を目指して進む。細い路地を抜けると、目の前にびついた鎖で厳重に施錠された鉄製の門が飛び込んできた。
 五階建てで周囲は古いフェンスで囲まれており、たいしよくした「立入禁止」の看板が立て掛けられている。その横には、解体予定を記した工事確認表示板が掲げられていた。それによると、解体工事は来週から開始される予定になっている。建物の名称は『おぎくぼ昭和マンション』。おそらくは昭和の中期以降に建てられた民間の共同住宅だ。
 当然ながら敷地内に入ることはできないが、フェンスの向こうはコンクリート敷きになっている。屋上から落ちたのならまず助からない。
「こんなものか」
 秋吉は思ったままを口にした。
「何がです?」
「ここで人が死んだんだ。もっとこう、警察のブルーシートとか、黄色いテープとかが張り巡らされてるもんじゃないのか」
「幹夫君が発見されたのは三日も前なんですよ。もう撤去されたんじゃないですか」
「警察が調べてるって話だったじゃないか。これじゃ、通り一遍のことしかやってないように見える」
「通り一遍って、言い方は悪いですけど、やるだけのことはやったとも言えませんか。その上で事件性がなかったからこそ、警察は現場を保全する必要はないと判断した、とか」
 亜寿香の説の方が合理的であることは秋吉も認めざるを得なかった。
 目の上にてのひらをかざして日光を遮りながら、はいきよを見上げる。やはり人の気配はない。
 秋吉の子供時代、こういう団地タイプの物件はまだ各所に残っていた。最近では、バブルの時代に壊されず生き延びた団地をリフォームして暮らすスタイルがっていると聞いたことがある。しかしここはそんな対象にさえならなかったようだ。
「こちらからは見えませんが、ちょうどこの反対側が駐車場になっていて、幹夫君は屋上からそこへ転落したそうです」
 見えなくて幸いだと思った。血痕が残っていたりしたらと想像すると、それだけでもう耐えられそうにない。
 そんな秋吉の内心を見透かしたように、亜寿香が皮肉めかして言う。
「現場検証に来たんじゃなかったんですか」
「俺は刑事じゃないぞ」
 そう答えるのが精一杯だった。
 ごまかすわけではなかったが、秋吉は目の前のフェンスを指でつつき、
「このフェンスを乗り越えて、幹夫君は中に入ったって言うんだな?」
「私に言われましても」
 冷ややかに亜寿香が応じる。当然の反応だ。
 平静を保ちつつ次に屋上を指差して、
「そしてあそこから落ちた。鍵とかは掛かってなかったのか」
「掛かってたかもしれないし、掛かってなかったかもしれません。そもそも、敷地内には入れないようになってますから、どっちだってアリでしょう」
 亜寿香も頭上を見上げ、考え込むようにして答える。
「見ろ、屋上には転落防止の柵が巡らせてある。うっかり足を踏み外したなんてことはあり得ないぞ」
「それがそうでもないようなんです」
「どういうことだ」
「ちょっと回り込んでみましょう」
 こちらの問いには答えず、亜寿香はフェンスに沿って歩き出した。さすがに暑そうだが、すでに汗だくの秋吉ほどではない。こういうとき、若さとは実に得難いものであったのだと痛感する。四十前の秋吉も社の幹部の前ではまだまだ若手扱いされたりするが、娘の引きこもりの際に心身をすり減らしたせいだろうか、あれ以来体力の衰えを自覚することが多くなった。
 半ばくらいまで雑草に覆われたフェンス沿いに歩いていると、間もなく反対側に出た。
「あっ、あれですよ、見て下さい」
 前を歩いていた亜寿香が足を止める。
 生々しい血の痕、もしくは白いチョークの線で囲まれた人型が見えるかと想像し、秋吉は目を背けかけたが、幸か不幸か、敷地内の木立に隠されてそこまでは見通せなかった。
 精神的な反動か、後ろを振り返ると、新しい低層マンションや民家が見えた。二階以上の部屋からは敷地内が丸見えのはずだ。現にマンションのベランダや民家の物干しには洗濯物が干されていた。ここ数日雨は降っていない。朝洗濯物を干そうとしたら、敷地内の墜死体に否応なく気づくだろう。
「どこ見てるんですか。そっちじゃありませんよ、あそこです」
 亜寿香が指差しているのは地上ではなく、屋上の方だった。
「ほら、あそこ、柵が一部途切れてるでしょう……あ、あっちもです、分かります?」
「ああ、見える」
 彼女の指摘する通り、柵が途切れていたり、折れ曲がっていたりする箇所がいくつか見受けられる。
 亜寿香はスマホを向けて屋上部の写真を撮った。
「解体は何年も前から決まってたらしいんですが、相続のゴタゴタかなんかで、工事に取りかかれず長い間放置されていたんです。緒形さんの話では、勝手に入り込んだ高校生が柵を壊して警察に補導されたとか。なにしろ取り壊しが決まってる建物ですから、特に修理もされずそのままになっていたと」
「ちょっと待ってくれ」
 亜寿香の話を遮って、秋吉は背後のマンションの入口脇に設置されていた自販機に歩み寄り、ペットボトルの緑茶を二本買った。
 言いたいことは何点かあったが、暑さのあまり舌がらびたようになってうまくしやべれそうにない。もしかしたら、舌の異変は単に暑さのせいだけではないのかもしれなかったが、あえて深く考えないように心掛けた。
 一本を亜寿香に渡してから、自分の分を開栓して三分の一ほど一気に飲む。ようやく舌に潤いが戻ってきた。頭の中で考えを整理しながら、さらに三分の一くらい飲む。
「仮に幹夫君がフェンスを乗り越え、無断で中に入ったとしよう。そして屋上まで上がった。落ちたのが夜だとしたら、あしもとは当然暗い。何かにつまずいて柵の切れ目から転落したって不思議じゃない。しかしだよ、なんのためにこんな所に入り込んだんだ。なんらかの目的がなきゃ、夜中にわざわざそんなことしたりするもんか」
 ペットボトルを口から離した亜寿香は、ゆっくりとふたを閉めながら言った。
「なんらかの目的って、課長は一体なんだと思われますか」
「だから言ったろう、俺は刑事じゃないって」
「幹夫君のことをよく知っていた人として訊いてるんです」
 亜寿香の考えが読めてきた。秋吉は心の中で身構える。
「課長には申しわけないのですが、私には自殺くらいしか思いつかないんです、そんな理由なんて」
「確かにそれなら説明がつくかもしれない。だが俺にはどうしても……」
「分かってます。緒形さんに伺ったお話の核心もそこなんです」
 飲みかけのペットボトルをバッグにしまい、亜寿香は余裕に満ちた口調で続ける。
「このマンションには、以前幹夫君のおさなみの子供が住んでいたそうです」

#2-2へつづく
◎第 2 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


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