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連載

月村了衛「白日」 vol.32

【連載小説】辞職覚悟で迎えた正念場の役員会議。そこで提案されたのは、思いもよらない組織改編だった。 月村了衛「白日」#8-3

月村了衛「白日」

※本記事は連載小説です。
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   13

 午後一時五十分。昼食を済ませた秋吉は、緊張しつつ特別会議室に入った。
 今回も末席に座し、すでに続々と入室してくる顔ぶれを確認する。これまでと同様、社の最高幹部だけが集まっている。
 その中にまたも飴屋の顔を見つけ、思わず声を上げそうになった。
 あいつ──
 こちらに視線を向けることもなく、涼しい顔で座っている。
 同じ課長級ではあっても、ゲシュタポを自称する飴屋は、毎回特別に出席して自らつかんだ情報を幹部達に報告しているのかもしれなかった。
 まさにゲシュタポと言うしかない。あらきたもりをはじめとして、多くの社員が彼をおそれるわけだ。
 午後二時ちょうど、はる社長と梶原局長が連れ立って入ってきた。
 室内から話し声が消える。
「度重なる緊急の会議にお集まり頂き、役員の皆様に感謝申し上げます」
 社長の発声により、会議は始まった。
きゆうきよお集まりを願いましたのは、前回の会議ではかった黄道学園プロジェクトの新体制について新たにご報告すべき問題が生じましたからであります。昨夜官邸筋に近い某所から入った情報によりますと、文科省には隠された不祥事が数多くあり、マスコミの追及が今後厳しさを増すのは避けられないだろうということです。梶原局長が潔白であるのは先日も申し上げた通りですが、局長は問題の塩田審議官とは旧知の間柄であったこともあり、実名であらぬ噂を書き立てられるリスクは到底無視できないという結論に至りました」
 一同の間にざわめきが広がる。
 しかし秋吉は役員達とは異なる部分に引っかかりを覚えていた。
 宇江の情報と違っている。彼は確か、マスコミは「梶原局長の線からは手を引いた」と語っていたはずだ。
「黄道学園は曲がりなりにも教育事業であり、そういう形で梶原局長の名前が出るようなことになれば致命的な事態となりかねません。そこでたちばな専務を交えて梶原局長と話し合った結果、梶原局長には黄道学園プロジェクトのみならず、教育事業全体から身を退いて頂くこととなりました。これは本人の強い意志でもあります。協議の末に決定した事項を覆す形となり、私としても極めて遺憾でありますが、ここは情勢の変化を鑑み、皆様にご理解を願う次第でございます。さて、梶原局長の異動に伴う後任人事ですが、教育事業局のながさき次長を局長に昇格ということでご賛同頂きたく存じます。今後長崎新局長には、大変でしょうが、黄道学園の新たな顔としてマスコミの前に出て大いにアピールに努めて頂きたい」
 社長の傍らで、梶原はどこまでもしゆんげんな表情で控えている。
 長崎は本来なら梶原に次ぐ教育事業局のナンバーツーだが、専務派であるため社長派の梶原とは反りが合わず、黄道学園のプロジェクトに関してはこれまで距離を置いていて、ほとんど表に出ることがなかった。そのような人物を教育事業局と黄道学園プロジェクトのトップに据えるという。
 秋吉はようやく理解した。
 局長から昨日の一件について報告を受け、プロジェクトから退きたいと相談された社長は、もはや慰留は不可能と判断した。すでに自分が知ってしまっているからだ。ここで反対すると、自分や梶原がどういう行動に出るか分からない。
 しかし決まったばかりの新体制を修正するには相応の理由と根回しが必要となる。そこで文科省の不祥事うんぬんを持ち出し、梶原を降ろす口実に使った。長崎次長の局長昇格という条件を提示して、専務とも話をつけたに違いない。先のさな次長ばつてきと合わせ、専務派に対して考え得る最大限の譲歩である。つまり、立花専務もまた事の真相を把握しているのだ。
 秋吉は大きく息を吐いた。周囲も同様であったから、その吐息は誰にも見とがめられずに済んだ。
 今日秋吉は、社長や梶原をはじめとする役員達に直接訴えるつもりで出社した。会社員として許されぬ行為によるペナルティは承知している。小此木などに言われるまでもなく、もう会社にいられないものと覚悟していた。
 それでもすべては相手の出方次第と思っていたが、まさか梶原が先に自らの意志を表明し、社長も承諾済みであったとは。
 秋吉の吐息は安堵でもあり、また困惑でもあった。
 この時代、安定した職場を捨てることを決意するのは容易ではない。ましてや、最愛の娘が病床に横たわったままでいつ退院できるかも定かでないというときに退職するとは、我ながら常軌を逸していると思う。
 それでも、秋吉にとって他に選択肢はなかった。そうしなければ、幹夫や悟に合わせる顔がないと感じたからだ。
 そして、誰よりも──春菜。
 娘に対して、恥ずかしくない父親でありたい。娘に対して、胸を張れる父親でありたい。ただひたすらそう思った。
 いや、そんな言い方は気恥ずかしい。少なくとも自分には、梶原のような苦悩を背負い込む勇気はなかった。それだけのことだ。
 今日の出社に当たっては、もちろん妻の喜美子にも打ち明けている。
 最初は反対していた妻も、すぐに考えを変えてくれた。春菜が起き上がって自分達に説明を求めてきたとき、正面から向き合って話すことができなければ、今度こそ春菜がどうなるか、容易に想像できたからだろう。
 またしんそう書店のがたにも電話している。「御社ではくたびれたロートルの中途採用枠はあるか」と尋ねたら、「くたびれ具合にもよるが、ベテランは歓迎するよ」と言ってくれた。「ただし千日ほどの給料は出ないだろうけど」とも。
 意気込んでいた分だけ、なんとなく間を外されたような気分ではあったが、覚悟は依然変わっていない。梶原局長が退いたとしても、社長ともども一度は幹夫の死の真相をいんぺいしようとした事実に変わりはない。否、今も隠蔽したままだ。独立するとは言え、千日出版の影響力が強く残る会社で教育事業を続けてよいものかどうか、秋吉は未だ量れずにいた。
 こちらの当惑など構う由もなく、社長は声を張り上げて説明を続けている。
「……またプロダクトマーケティング本部の真田次長から申し出があり、プロジェクト関連の案件があまりに多岐にわたるため、現場処理が追いつかない、ついては、長らく当該事業を担当してきた秋吉課長と事業推進部第一課に協力を要請したいということでした」
 その文言に意表をかれて顔を上げた。
 居並ぶ面々も、不可解そうな視線をこちらに投げかけている。
「もともとプロジェクトの迅速化を目的とした再編でありましたことから、社としても一課の復帰には異論のないところと考えます。となれば、秋吉君とそのチームにはむしろ真田次長と共同で現場に対処してもらうのがベストでしょう」
「よろしいでしょうか」
 くら常務が手を挙げる。
「なんでしょう、倉田さん」
「真田次長のご苦労は心からお察し申し上げます。しかし秋吉君はなんと言っても課長でしかない。権限の問題からも真田次長と対等に動くのは無理があるのではと」
「ご指摘、ごもっともと存じます」
 いんぎんに社長が答える。
「そこで西にしわき本部長に相談したところ、彼が妙案を考えてくれました。西脇さん」
「はい」
 メモを手にした西脇管理統括本部長が立ち上がる。組織上、管理統括本部は人事課の上に位置している。
「現在、一課はコミック学参シリーズの企画も抱えておりまして、それでなくても手が足りない状態です。そこで思い切った職務の再編を行なうこととしました。先日の会議で再編を決定したばかりですので、厳密には再編の修正という形を取ることになるかと思いますが、まず秋吉課長を解任致します」
 えっ──
 衝撃は常に予期せぬ方向からやってくる。だから身構えることさえできずに食らってしまう。
「後任には沢本課長代理を昇格させて課長とします。今後一課は、沢本新課長の指揮の下、大幅に人員を入れ替え、コミック学参シリーズに専念してもらいます。さて次に、真田次長の実行部隊となる部署として『黄道学園事業推進部』を新たに起ち上げます。この新部署はそのまま新会社に移行して学園の運営に当たることになりますので、部長には秋吉君が適任かと思われます。これならば緊急の際にも真田次長の代行が務まりますし、プロジェクトの全容を知り尽くした秋吉君とそのチームならまさに打ってつけかと存じますが、如何いかがでございましょうか」
 部長──この俺が──
 あまりのことに一瞬頭が白く焼き切れたようになったが、すぐに察しが付いた。
 視線を巡らせると、こちらを見つめている梶原と視線が合った。よくは見えなかったが、梶原は微かに頷いたようだった。
「よいご提案だと思いますが、前回の緊急役員会議で秋吉課長の能力不足が問題視されたばかりのはずですが」
「常務は何か誤解なさっておられるのではないでしょうか」
 澄ました顔で西脇が応じる。
「あのとき話し合われていたのは、あくまでプロジェクトの効率化であって、秋吉課長個人の能力や人格ではありません」
 噓だ。西脇は「今後の業務ははっきり言って君の手に余るんだ」と言っていた。専務派である西脇は、専務の意図を忠実に代弁しているにすぎない。
 一方の倉田は、自らの勇み足から小此木を使い退職を促したということもあり、後には引けなくなっているのだ。
「そもそもだね、プロジェクト推進のため新部署の設立は分かるとしても、秋吉君は……私の受けている報告では、彼は社内で何やら不審な動きをしていたというじゃないか。そのため部下の人心も掌握できず、一課ではたびたび騒ぎになったと聞いている。資質に問題ありと判断されてもやむを得ないんじゃないでしょうか。厳しいようだが、それが健全な企業組織のり方というものであると考えます」
 情報源は小此木か。しかし一課のフロアで騒ぎになったのは事実なので、常務の熱弁に頷いている役員も少なからずいる。
「確かに……そうですね、常務のお言葉にも一理あろうかと存じます」
 西脇自身も歯切れ悪く言葉を濁し、専務の方をちらりと見てから着席した。
 元来西脇は神経質なまでに社内の規律にうるさい人物である。だからこそ管理統括本部長の地位にまで上り詰めたのだというのが衆目の一致するところであった。
 そんな西脇が、組織の方針に背くような動きをしていた自分に対して好意的であったとは考えにくい。常務の指摘の方こそが、西脇の本音に近いと思われた。
 専務は大きく頷いている。
 自分の復帰と昇格は、やはり専務にとっては社長との駆け引きにおける結果の一つでしかなかったのだ。『黄道学園事業推進部』を発足させるにしても、会議のすうせいによってはその部長に別の誰かを抜擢したとしても問題はない。むしろここで常務の顔を立てることによるメリットを取るだろう。
「皆様にお聞き願いたいことがございます」
 挙手しながら立ち上がっていた。
 一同の視線が自分に集中するのを痛いほど感じる。
「秋吉っ」
 常務と専務が同時に批難の声を発しかけたが、それを制するように社長が言った。
「まあまあ、せっかく当人がいることだし、ここは彼の言い分を聞いてみようじゃないか。なんだね、秋吉課長」
「発言をご許可頂き感謝します。ご指摘のありました通り、私は確かに部下を掌握できておらず、管理職として資質に問題ありと言われても仕方がありません。また社内の和を乱すような行動を取ってしまったことも事実であります。しかし私がそのような行動を行なっていたのは、ひとえに真実を明らかにすべきであると──」
 一気にそこまでしやべってから、全身の細胞が活動を停止した。
 自分はここへ「幹夫の死について明らかにすべき」と訴えるためにやってきた。そのために職を辞することになっても構わないと。
 真実を明らかにせずして黄道学園の理想を推し進める資格などないのだと。
 だが、本当にそうだろうか。
 梶原は悲しげにこちらを見つめている。自らを憐れんでいるのか。それともこちらを案じているのか。
 教育事業から身を退くという形で、彼はすでに責任を取った。だがそれで終わらせていいのだろうか。
 いいや──
 局長はすでに罰を受けている。息子の死という、親に与えられる最大の罰だ。
 一番大事なことを自分は忘れていた。
 すなわち、「幹夫が何を望んでいるか」だ。
 ここで自殺の原因をぶちまけたとして、それは黄道学園という理想を跡形もなく粉砕することにしかならない。
 幹夫はそれを喜ぶだろうか。
 違う。自分の知る幹夫は、そんなことを望んでいない。
 妥協による理想の実現か。真実による理想の粉砕か。
 むなしく空転する思考によって、指一本動かすことができない。
 どうしたら──
「どうしたんだね、秋吉君」
 絶句したままのこちらに対し、社長が不審そうに言う。
「『真実を明らかにすべき』とか言っていたが、それは一体どういうことかね」
 どこまでも温厚に聞こえる口調であった。
 社長はすべてを知った上で発言している。だがその言葉は、決してうわべだけのものとは思えなかった。何もかも吞み込んだ上で、最後の決断を委ねているのだ。ある意味、この上なくろうかいで、またこの上なく慈愛と諦念とに満ちた態度であった。
「それは……」
 こんしんの力で舌を動かす。
「それは、社内が動揺していた理由であって、梶原局長が出社され、自らお話しになられました。つまり、私が望みますのはプロジェクトの円滑なる進行であって、そのためには自らの処分もやむなしということでございます」
 なんだ、という拍子抜けしたような周囲の呟きを聞きつつ着席する。
 常務も専務も、苦笑しつつ椅子に身を沈める。
 そのとき──
「皆様、少々よろしいでしょうか」
 許可を待たずに立ち上がったのは飴屋人事課長であった。

▶#8-4へつづく
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