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連載

月村了衛「白日」 vol.28

【連載小説】上司の息子は、なぜ死んだのか。彼の幼馴染の少年の態度に胸を打たれ、行動を起こす決心をする。 月村了衛「白日」#7-3

月村了衛「白日」

※本記事は連載小説です。
>>前話を読む

「僕の父は当時、近くの工場で働いていました。場長と何かでケンカして、別の工場に移ることになったんです。それで千葉に引っ越して……幹夫君とは手紙のやりとりとかもできたはずなんですけど、まだ小さかったから、そこまでは考えつかず……」
 注文したドリンクが運ばれてきた。秋吉はアイスティー、敦史と悟はコーラだ。しかし誰も手を付けようとはしない。
「敦史君から話を聞いて、僕もいろいろ思い出しました、あの頃のこと……毎日がめちゃくちゃ楽しかった……敦史君の話では、幹夫君、ほんとに昔のまま大きくなったみたいですね。誰にでも優しくて、思いやりがあって……」
「ああ、それは私も保証する」
 秋吉は心からの同感を表明した。
「僕、工業高校に進学するつもりで、それで少しでも学費を稼ごうと思ってバイトしてるんです。あ、バイトといっても中学生だから、父親の手伝いみたいなもんですけど。今日までいろんな奴に出会いました。でも、幹夫君みたいな奴はいませんでした。そう、ちょっとできすぎじゃないかっていうくらい、マンガにもそんな奴いねえよっていうくらい、ほんとにいい奴だったんです」
 それが記憶の美化であるとは思わない。なぜなら、秋吉は幹夫が本当にそういう少年であったことを知っているからだ。
「だから僕、幹夫君の家に行きます。幹夫君の家に行って、おじさんやおばさんに直接訊こうと思います。一体何があったのかって。そうしないと僕は、僕は……」
 胸が詰まってしまったのか、悟の言葉がそこで途切れた。
 どうやら悟は、幹夫以上に真面目で直情型らしかった。そして何より思慮深い。初めから梶原家をちようもんに訪れるつもりで、それにふさわしい制服姿でやってきたのだ。
 敦史は無言でストローの袋を破り、コーラを飲み始めた。よけいな口を挟まないのが敦史にとって精一杯の〈大人の〉態度なのだろう。その判断は正しいと秋吉は評価する。
 二人の様子をつぶさに観察し、秋吉は改めて決意を固めた。
「私のような社の人間は、今まで幹夫君のご遺族に会うことさえできなかったんだ。だが君達なら、誰にも文句を言われない」
 いや、それも言いわけだ──
 秋吉は己を厳しくしつする。
「正直に言おう。私は今までいろんなものを怖れていた。大人だからだ。大人だから理不尽なことに対して何も言えなかった。私は自分自身で、いつの間にか自分達の理念を踏みにじっていたんだ」
 その意味がよく分からないらしく、二人は互いに顔を見合わせている。当然だろう。少年達に言っているというよりは、自分に対して言っていた。
 次いで悟と敦史に向かって頭を下げる。
「私も同行させてほしい。せめて幹夫君にお線香の一本もあげたいんだ。考えてみれば常識じゃないか。それすらも見失ってた。このままじゃ本当に駄目になってしまう。私も、会社も、みんなが目指す理想の学校も。だから私も、君達と一緒に行きたい。どうだろうか」
「もちろんです。僕達だけで行くより、会社の人がいてくれた方がいいと思う。敦史君はどう?」
 悟の問いかけに対し、敦史は何事か考え込みながら答えた。
「もちろんいいよ。でも、オレは行かない方がいいと思う」
「えっ、どうして」
「どうしてって……悟は分かるよ。だってこのためにわざわざこっちまで来てくれたんだし。第一、幹夫の親友だったんだ。おじさんやおばさんも会ってくれると思う。あ、おじさんはまだ会社かな。まあそれはともかく、秋吉さんが行くのも分かる。もともと秋吉さんが幹夫のことを調べてたのがきっかけなんだし。でも、それだけに……」
 敦史が言わんとしていることの察しがついた。
 この少年は、外見や態度からうかがえるものとは正反対に、繊細な判断力が働くらしい。
「きっとさあ、おじさんにもおばさんにも言いにくい話があると思うんだ。言いにくいから、ここまでいろいろこじれたわけだろ? それを聞きに行こうってんだから、サトサトと秋吉さんだけで行った方が、向こうもまだ話しやすいんじゃないかなって」
 面倒を避けるための言いわけではない。大人の弁解は今日まで散々聞いてきた。だからそんなものは聞けば分かる。敦史の言葉には、自分なりに事態を考察するしんさにあふれていた。
 悟もそのことを察したらしい。
「分かった。秋吉さんと僕とで行ってくるよ。ありがとう、敦史君」
 敦史は照れたように無言でうなずく。
 テーブルの上に置かれていた伝票をつかみ、秋吉はレジへと向かった。

 悟と二人、JR中央線でおぎくぼへと向かう。車中、悟はほとんど話さなかった。
 初対面の大人といるからではない。亡くなった友人と、失われた過去に想いを馳せているようだった。
 荻窪駅を出たとき、悟は駅前の光景をまぶしげに見回していた。
 悟がこの町を去ってからほぼ七年。東京にはこの七年間で景観が一変した町も多々あるが、荻窪はそこまで変わっていないはずだ。それでも幼少期以来、久々に見る懐かしい町の光景は、悟に大きな感慨をもたらしたのだろう。
「さあ、行こう」
 少年を促して歩き出す。梶原家までの道は、悟も覚えているようだ。
 パランティア荻窪は駅から十分ほどの距離だが、炎天下を歩くのはやはり辛い。秋吉はすぐに汗だくになったが、中学生の悟は平然としている。緊張が増してきたのか、むしろ青ざめているようにさえ見えた。
 不意に──頭上を何かが横切ったような気がして空を振り仰ぐ。
 鳥かと思ったが、何もいない。ただどこまでも白熱した光が広がっているばかりである。
 この暑さでは、鳥も自由に羽ばたけまい──
 わけもなく、秋吉は一人心で納得する。
 年々ひどくなる一方の暑さが、あらゆるものから尊厳を奪っていくのだ。
「変わってないなあ」
 パランティア荻窪の前に立ったとき、さすがに悟は嘆声を上げた。梶原局長は新築時にこのマンションを購入したと聞いている。また一昨年くらいに大規模修繕も済んでいるはずだ。子供の時間は、大人のそれよりもはるかに長い。悟の目には、そのマンションが七年という時を超えて現出したように見えたのかもしれない。
 オートロックのパネルに向かい、梶原家の部屋番号を押す。
〈はい〉
 応答があった。梶原夫人の声だった。
「ご免下さい。千日出版の秋吉です」
〈秋吉さん……〉
 その声の調子から、動揺している夫人の表情が目に見えるようだった。
「突然で申しわけありません。このたびはご愁傷様です。幹夫君にお線香をあげさせて頂きたいと思い、お伺い致しました」
〈あの……お気持ちは嬉しいのですが、私どもと致しましては、その……〉
 言いにくそうにしてはいるが、その後に続く文言は聞かずとも予測できた。
 やはり門前払いか──
 予想されたことではあった。ことに今は、塩田審議官の事件がかまびすしく取りされている状況である。夫の梶原局長から「誰とも話すな」と命じられているとも考えられる。
 だがそのとき、
「おばさん、僕です、斉藤悟ですっ」
 秋吉を押しのけるようにして、悟がオートロックのカメラレンズに向かって叫んだ。
「覚えてますかっ、幹夫君の友達だった悟ですっ。幹夫君が亡くなったって聞いて、千葉から来ました」
〈悟君……? 本当にあの悟君なの?〉
「はいっ。お願いします、どうか少しだけ話をさせて下さい」
 数秒の間があって、正面口のドアが開いた。
 マンションの中に入り、エレベーターに乗り込んで四階のボタンを押す。
 悟がいなければ、到底中へは入れてもらえなかっただろう。際どいところだった。このときばかりは運命の巡り合わせに感謝する。
 かつて何度も通った梶原家のドアの前に立ち、ドアフォンのボタンを押した。
 すぐにドアが開き、夫人が顔を出した。
「ご無沙汰してます、おばさん」
 悟が深々と一礼する。
「悟君、大きくなって……」
 その成長した姿に、夫人は感無量といった面持ちでうっすらと涙を浮かべている。
 秋吉が我に返って挨拶をしようとしたとき、夫人は二人を中へと招じ入れた。
「どうぞお入りになって」
「失礼します」
 エアコンの効いた室内へ上がる。そのままリビングへと進むと、そこで髪の長い少女が待っていた。
「本当だ、悟君だ……」
「え、もしかして、沙織ちゃん?」
 驚いている悟に対し、沙織はこくりと頷いた。
 沙織は現在小学校五年生だ。すると、悟が転居した当時は四歳前後であったことになる。
「よく覚えてたね、僕のこと」
「だって、お兄ちゃん、よく悟君のこと話してたから……昔のビデオだって何度も観たし……」
「昔のビデオって?」
「お兄ちゃんと悟君が一緒に遊んでるとこ。お父さんが撮ってたの」
「そうか、そんなのがあったのか」
「うん。お兄ちゃんと悟君、なんだか双子みたいに仲良くて、いいなあって、あたし、いつも思ってて……」
 加世子も頷きながら悟を見つめている。
 悟と幹夫はやはり相通じる空気を持っているのだ。もしかしたら夫人も、息子が帰ってきたように感じているのかもしれない。
「悟君が来てくれて、お兄ちゃん、きっと喜んでると思う……」
 沙織はすでに泣き出しそうになっている。
 加世子が慌てて秋吉に言う。
「仏壇はあちらです。声を掛けてやって下さい」
 秋吉と悟は、四畳半の和室に通された。そこに、真新しい仏壇が据えられていた。
「幹夫君……」
 仏壇に置かれた幹夫の遺影を目にして、悟が今さらながらに絶句している。
 写真とは言え、成長した幹夫の姿を見るのは、悟にとって初めてなのだ。
 秋吉は率先して仏壇の前に座り、線香に火をともして供え、両手を合わせる。それから目で悟を促した。
 悟も線香をあげて、手を合わせる。
「ごめんね……もっと早く来られなくて……もう一度、昔みたいに君と遊びたいって、僕もずっと思ってたのに……」
 それは、あまりに少年らしい素朴な述懐であった。素朴で、真摯で、哀悼に満ちている。加世子も、沙織も、等しく胸を打たれたようだった。
 涙声でつぶやいていた悟が、顔を上げて加世子を振り返った。
「幹夫君、僕の住んでたマンションの屋上から落ちたって聞きました。一体どういうことなんですか」
 秋吉が止める間もなかった。
 焼香という行為によって幹夫の死を実感したせいか、悟は強い口調で単刀直入に加世子をただした。

▶#7-4へつづく
◎第 7 回全文は「カドブンノベル」2020年7月号でお楽しみいただけます!


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