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連載

月村了衛「白日」 vol.29

【連載小説】「本当に自殺したんなら、きっと何か理由があったはずです」。そして家族から明かされた真実は……。 月村了衛「白日」#7-4

月村了衛「白日」

※本記事は連載小説です。
>>前話を読む

「あの子、何かあると、よくあそこへ行ってたのよ。あ、あのマンションね、悟君が引っ越してすぐ、取り壊しが決まって立ち入り禁止になってたの。でもね、あそこはあの子にとって特別な場所だったの。勝手に入り込んで、考え事をしていたみたい。悟君との思い出がよっぽど大切だったのね」
 目頭を押さえながら加世子が答える。
 その返答に、悟も胸を衝かれたようだった。
「では問題の夜も、幹夫君はマンションに入り込んで考え事をしていた、というわけですね?」
 秋吉が質問を引き継ぐと、加世子は小さく頷いた。
「そうじゃないかと思います」
「そのとき、幹夫君が何について考えていたか、お心当たりはありませんか」
「それは……」
 加世子が言葉を濁す。
 秋吉は確信した──夫人には心当たりがあるのだ。
 だが常識としてこれ以上追及するわけにはいかない。この局面で、またも〈大人〉の分別が頭をもたげた。
「おばさん、幹夫君は自殺なんてするような奴じゃない」
 唐突に悟が語気を強める。
「僕は今もそう思ってます。なのに、なんだかみんな自殺ってことにしようとしてる。それでいいんですか」
 加世子は顔を伏せて何も言わない。
「僕は我慢ができません。本当に自殺したんなら、きっと何か理由があったはずです。幹夫君は何を悩んでいたのか、僕はそれを知りたいだけなんです。お願いです、おばさん。何か知っていることがあったら教えて下さいっ」
 加世子はやはり答えない。
 部屋の隅に控えていた沙織が悲痛な声を上げる。
「お母さん、もういいじゃない、教えてあげて」
「沙織……」
 夫人が顔を上げて娘を見る。
「悟君に教えてあげて。そうじゃないと、お兄ちゃんは」
「駄目よ、沙織」
「お母さんっ」
「あなたは黙ってなさいっ」
「いやよ、あたし、黙らないっ」
 泣きながら沙織が母親に抗議する。
「お母さんが言わないならあたしが言うわ。お兄ちゃんはね──」
 そのときだった。
「何をやっているんだ」
 深く落ち着いた、それでいてとどろき渡るようなだいおんじようが室内に響いた。
 振り返らずとも分かった。
 この家の主、梶原だ。ふんみなぎらせ、仁王のように一同を見下ろしている。
「局長……」
 秋吉はうめいた。よもやこんな早い時間に局長が帰宅しようとは。
「秋吉君、君は社会人なのだろう。だったら少しは常識をわきまえたまえ」
 無理を言って上がり込んだ身としては一言もなかった。
「おじさん、お久しぶりです」
 悟がぜんとして立ち上がった。
「君は?」
 げんそうに質す梶原に対し、悟はひるまず名乗った。
「昔、幹夫君とよく一緒に遊んだ斉藤悟です」
「悟君か」
 梶原はすぐに思い出したようだった。悟の存在は、梶原にとってもそれだけ忘れ難いものだったのだろう。
「ずいぶん立派になったじゃないか。あの頃は君も幹夫も、あんなに小さかったのに……一緒に遊んでいるのを見ると、双子の子犬か小熊のように見えたなあ」
 彼の目と声に、帰らぬ過去を追想する父親のあいせきが滲んでいた。
「おじさん、長い間連絡もせず、すみませんでした」
「いや……」
 さっと頭を下げた悟に、梶原は少々たじろいだようだった。連絡をしなかったのは梶原家の人々も同じであるから無理もない。
「話したいことはいっぱいあります。だけど一番最初に訊きたいことがあります。みんな幹夫君が自殺じゃないかって疑ってます。僕には信じられません。でも、本当に自殺なら、理由があったはずなんです。僕はそれが知りたいんです。あの幹夫君がそこまで思いつめた理由。それは一体なんだったんですか」
「悟君、君は確かに幹夫のよい友達でいてくれた。そのことには今でも感謝している。だがこれは家族の問題だ。君にだって分かるだろう。世の中には他人が立ち入っていい問題とそうでない問題とがある」
 悟もさすがに黙らざるを得なかった。
 梶原の言葉は、完璧な正論である。誰にも反論はできない。
「悟君、悪いが今日のところは一旦引き上げてくれないか」
 梶原は一転して優しい口調で諭すように言う。次いで視線を秋吉に向け、
「秋吉君、君の非礼は大目に見よう。すまないが今日はこのまま悟君を送ってあげてくれ」
「お断りします」
 きっぱりと告げた。
「なんだと」
「今日は覚悟を決めて参りました。どんなお叱りでも甘んじてお受け致します。しかし、私も局長にお聞きしたい。そんな対応で、幹夫君が納得してくれるものでしょうか。子供達に寄り添う黄道学園の理念に沿ったものであると、本心から言えますか」
「秋吉っ、おまえは……」
 梶原の全身が激情にわなないた。
 秋吉は続く叱咤ととうを覚悟する。
「もうやめてっ」
 沙織であった。
「あたしが言うっ。お兄ちゃんはね、あの晩、お父さんとケンカしてたのっ。お兄ちゃんは自分も黄道学園に入るって言ってたのっ。お父さんの作る学校に入るって言ってたのっ」
 秋吉は混乱した。どうにも理解が及ばない。
 それがどうしたというのか。同じことは春菜も常々言っている。けんや自殺の理由に結びつくとは思えない。
 梶原はすでに制止することも忘れ果てたかのように黙っている。
「なのに、なのに……お父さんはダメだって……絶対に許さないって……黄道学園は落ちこぼれの行く学校だ、そんなところには行かせないって……」
 なんだって──
 きようがくなどという言葉では到底追いつかない。それは圧倒的な衝撃となって秋吉を打った。
 加世子が声を上げて泣き出した。
 悟はまだ意味が分からないのか、こちらと梶原とを交互に見ている。黄道学園の理念についてよく知らないからだ。
 知っていれば、幹夫がいかに黄道学園に賛同していたか、そして自らも進学を希望することがいかに自然であったか、すぐに理解できただろう。
 そうだ──梶原幹夫とは、確かにそういう少年であったのだ。
 だが、父親はそれを否定した。黄道学園の理念を声高に主張し、プロジェクトを推進してきた責任者であるはずの父親が。
「幹夫は、模試でもトップクラスの成績だった……全国の有名進学校はどこでも合格できるレベルだったんだ……」
 うなだれた梶原が、別人のように力なく呟く。
「なのにあいつは、一般の名門校には行かない、黄道学園に行くと言い出して……分かってたんだ……あいつは私の仕事を理解し、尊敬してくれてた……でも私は、どうしても息子には……」
 なんてことだ──
 ありとあらゆる事象が、音を立てて符合する。
 黄道学園の理念。
 梶原の沈黙と休職。
 ひたすら梶原を表に出すまいとした社長の行動。
 尊敬に値する上司であった梶原のへんぼう
 意図はともかく、真実を追究しようとしていた自分の更迭。
 それを梶原が了承した理由。
 そして──梶原幹夫という少年の性格。
 何もかも当然の帰結ではないか。
 もっと早くに察するべきだった。確かに幹夫なら、自らも黄道学園への入学を強く希望するに違いない。
 春菜のように。黄道学園の理想を信じて。どこまでも純粋に。
 唯一予想できなかったのは、梶原局長が〈一般の父親〉と同じ理屈を持ち出してきたことだった。
 幹夫は父と同じく〈出来〉がよすぎた。だから父親は、息子に従来のエリートコースを歩ませようとした。
 純粋な親心であったろう。だが息子は反発し、激しい口論となってしまった。
 父親の理想を信じる少年にとって、父の言葉はどれだけの絶望を招いたことか。
 今日まで自分達が一丸となって打破しようとしてきた偏見を、局長は自ら肯定した。
 それも最悪のタイミングで、最も知らせてはいけない人物に告げてしまった。
 最愛の息子である幹夫に、「黄道学園は落ちこぼれの行く学校だ」と。
 秋吉は今やはっきりと知った。
 幹夫が自殺した理由。
 そして局長がその理由を隠そうとした理由を。

▶#8-1へつづく
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