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連載

月村了衛「白日」 vol.6

転落死した上司の息子。その現場となったマンションには、以前ある人物が住んでいたという。「白日」#2-2

月村了衛「白日」

※この記事は、期間限定公開です。

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「幼馴染み?」
「ええ、幼稚園からずっと一緒だった男の子で、幹夫君はよくこのマンションの屋上でその子と遊んでいたそうなんです。二人が小学校二年生のとき、ここの取り壊しが決まり、その子はどこかへ引っ越していきました。幹夫君はとても悲しんで、大声で泣いてたって、緒形さんの息子さんが」
「その息子さんも、二人と仲がよかったのか」
「いいえ、同学年というだけで、そこまで親しくはなかったそうです。幼稚園も違っていたということですし。ただ、二人がとても仲よしだったことだけは強く印象に残っていると」
「なんて名前?」
「緒形さんは実名は出されませんでした」
「その幼馴染みの子と幹夫君とはその後……」
「分かりません。緒形さんが息子さんに訊いてみたところ、少なくとも交流は途絶えていたようだったということでした」
 秋吉は黙って残りの茶を飲み干した。補給したばかりの水分が頭頂部からすぐに蒸発していくようで、どうにも考えがまとまらない。
「一旦引き揚げよう。駅前のカフェにでも待避しないと、このまま焼け死んでしまいそうだ」
 亜寿香も素直に同意する。
「そうですね。事件の現場で長々立ち話してると、不審者と思われて通報されかねませんから」
「やめてくれ。そんなややこしい事態になったら目も当てられん」
 現場はもう充分に見た。秋吉は自販機の横の回収箱にペットボトルを投げ入れ、もと来た道を引き返そうとして足を止める。
「どうかしたんですか」
「大事なことを忘れていた」
 マンションに向かって両手を合わせ、めいもくする。
 幹夫君──
 最初に拝むつもりでいたのに、自分で思っている以上に動転しているようだ。フェンスの周囲を回ったとき、献花などが一つも目に入らなかったせいかもしれない。
 すまない、幹夫君──どうか安らかに眠ってくれ──
 目を開けると、隣で亜寿香が同じように手を合わせていた。
 秋吉は背後の自販機でオレンジジュースを買い、フェンスの側にそっと置いた。
「よし、行こうか」
 亜寿香を促して歩き出す。
 荻窪駅前まで戻り、適当な店に入った。
 メニューも見ずにアイスコーヒーを頼んでから、出された水を一気にあおる。それにしても暑い日だ。亜寿香はアイスティーを注文していた。
 ふう、と息をついてコップを置くと、亜寿香はスマホで何やら検索しているようだった。
「これ、杉並区のホームページなんですが、さっきのマンション、梶原局長のご自宅と同じ学区です」
 差し出されたスマホの画面をいちべつして、
「それくらい、君なら昨夜のうちに調べたと思っていたけど」
「はい、調べました。でも直接ご確認したいだろうと思って」
「それはありがたいね」
 言葉におのずと皮肉が混じる。
 ことあるごとに自分の有能さをアピールしたがるのが亜寿香の特徴だが、少なくとも自分とは波長が合わないようになっているらしい。
 それは亜寿香の方でも察しているとは思う。しかし課長と課長補佐という関係上、お互い気づかぬふりをしている。それなのに、こんなときにまたしても表面化させてしまい、亜寿香も間が悪そうだった。
 言い過ぎたか──さすがに秋吉も後悔を覚える。何もかも暑さのせいだ。
「前島君、さっきの話だけどね」
 ばつの悪さを強いて頭から払いのけ、おもむろに切り出す。
「論点を整理してみよう。要するに、昔仲のよかった幼馴染みをしのんで、幹夫君はあのマンションに行った可能性があるということだね」
 亜寿香はこだわる素振りなど欠片かけらも見せずに肯定した。
「その通りです」
「幹夫君は普段からあそこへよく行ってたのかな。例えば、何か嫌なことや、辛いこととかがあったりしたときに」
「そこまでは緒形さんも……だけど、あり得るとは思います。幼馴染みの子への思い入れがどの程度かにもよるでしょうけど」
 そこへウエイトレスが注文したドリンクを運んできた。
 秋吉はストローの包装紙を破きながら考える。
 やはり、どう考えても──
「幹夫君は責任感の強い少年だった。今どき珍しいくらいのな。仮に彼がなんらかの理由で自殺しようと考えたとき、家族や隣人に迷惑のかかる自宅マンションからの飛び降りは絶対に避けるだろう。他のマンションやビルも論外だ。では学校はどうだろうか。これもダメだ。級友達に与えるショックが大きすぎる」
 ストローに口を付けようとしていた亜寿香が顔を上げる。
「課長が幹夫君に感謝していたことは知っています。故人をおとしめるつもりはありませんが、幹夫君のこと、過大に評価しすぎなんじゃないでしょうか。死を意識した人間、それもまだ中学生の子が、人の迷惑をそこまで考えたりするなんて、私にはとても……」
「君がそう言うのももっともだ。だけどね、幹夫君は本当にそういう子だったんだ」
「じゃあ、幹夫君がいじめられていた可能性は? 当てつけとか、告発とかの意味で自殺するケースはよくあります」
 秋吉はゆっくりと首を左右に振る。
「それも考えられない。幹夫君はクラスの学級委員でね、常に周囲を気遣っていた。いじめられているクラスメイトを助けることがあっても、彼がいじめられるなんて──」
「全部課長の思い込みじゃないですか」
 亜寿香があきれたように声を上げる。
「まるで昔の少年漫画みたい。いえ、私が子供の頃だって、そんなパーフェクトな優等生が出てくる漫画なんてありませんでしたよ」
 反論はない。自分でも話していて信じられないくらいだ。
 しかし──実在したのだ、梶原幹夫は。
「何をおっしゃりたいんですか」
 アイスコーヒーのグラスを見つめたまま黙っている秋吉に、亜寿香が問う。
「いやね、つじつまが合うような気がしたんだ。幹夫君みたいな少年が自ら死のうと思ったとき、あそこなら誰にも迷惑をかけることはない。なにしろ取り壊しの決まっている廃墟だからね。小学校二年のときに別れた友達のことをどこまで想っていたかは知らないよ。だけど、死ぬのに最適な場所としてあそこを思いつくきっかけにはなったと思う」
「それって、幹夫君は自殺だと考えてるように聞こえるんですけど」
「だがあの子が自殺するとは思えないのも確かなんだ」
「一体どっちなんですか」
「それが分かれば苦労はしないよ」
「でも、引きこもっていたのは事実なんですよ」
「そうは言ってもたった一週間じゃないか。夏休みが始まって以降は家にこもっていたって不思議じゃない」
 我ながら無責任でいいかげんな言い草だと思った。しかし、ほかに言いようはない。
 結局は推論ばかりで、具体的な根拠は何一つない。現場周辺の様子は分かったが、それだけだ。
「自殺じゃないと言いながら、お話を聞いてるといよいよ自殺に思えてきます。課長だって、本当は自殺だと思ってるんじゃないですか」
 そう指摘され、秋吉は言葉を失った。
 違う、俺は──
 冷房の効いた店内で、亜寿香は静かにアイスティーを飲んでいる。
 秋吉は目の前のグラスをつかみ上げると、ストローは使わず、アイスコーヒーをブラックのまま二口で飲み干した。グラスを必要以上に満たした氷のため、量はごく少なかった。消費税が上がって以降、世間は世知辛くなる一方だ。
「社に戻ろう。午後に外せない用が入っている」
「私もです」
 二人同時に立ち上がる。秋吉は伝票をつかんでレジに向かった。

 せんにち出版の本社ビルに入った途端、秋吉のスマホが振動した。
「はい、秋吉です」
 すぐに応答すると、この部長の声が飛び込んできた。
〈ああ、秋吉君、今どこにいるんだい〉
「申しわけありません、ちょうど帰ってきたところです。今、一階のエントランスに──」
 質問しておきながらこちらの返答には興味がないと言わんばかりに、小此木は一方的に喋り出した。
〈さっき梶原さんから連絡があってね、警察から報告があったそうだよ〉
「それで、警察はなんと?」
 目礼して先に行こうとしていた亜寿香が、足を止めてこちらを見る。
〈それがねえ、どうにもはっきりしないそうだ〉
「はっきりしない、とは?」
〈現場に争った形跡はなかったから事件性はないみたい。そこに関しちゃウチとしてはホッとしたって言ったら言葉は悪いけど、まあそういうことだ。家庭にも学校にも問題なし、遺書とかそういうのもないし、自殺する理由はないっていうから事故なんだろうが、警察もはっきりとは言わないらしい〉
 スマホを耳に当てたままエントランスホールの隅に移動する。亜寿香も電話の内容が気になるようで一緒に寄ってきた。
「問題がなかったというのは本当ですか」
〈え、どこのこと?〉
「家庭にも学校にも、のところです」
〈ああ、そこは梶原局長も認めてるから本当だろう。幹夫君が自殺なんてするような子じゃないってことは、君もよく知ってる通りだよ〉
 思いもかけず、さっき自ら亜寿香に語ったばかりのことを言われた。
「ええ、それは……」
〈あ、それから、ご子息がお亡くなりになったのはやっぱり夜中だったみたい。正確な時刻は聞いてないけど、幹夫君が家を抜け出したことはご家族の誰も気づかなかったって〉
「そうですか……」
〈ともかく、警察はもう少し調べてからまた連絡するって言ってるそうだから、我々としては、それを待つしかないんじゃないかなあ〉
 心配そうに小此木は言っているが、何を心配しているのかは分からない。
〈秋吉君、君もいろいろ気になるだろうとは思うけど、もうちょっとだけ我慢してくれ。梶原さんも、警察から連絡があり次第連絡するって約束してくれてるんだ〉
 分かりました、と答えて電話を切った。
「部長からですか」
 早速訊いてきた亜寿香に、その場で通話の内容を説明する。
「それって、なんだか変じゃないですか」
「君もそう思うかい」
「だって、なんのために夜中に抜け出してあんなとこへ行ったんです?」
「何か考え事がしたくて、思い出の場所へ行った……というのはどうかな」
「やっぱり変ですよ。昼間ならともかく、夜中になんて」
「そうだよなあ」
「それに、たとえ一週間とはいえ、不登校の時期があるのに、父親である局長がそのことに触れないなんて」
 亜寿香の指摘する通りだと思った。
 最寄り駅の九段下から歩いてくる間に噴き出した汗が、急速に引いていくのを感じる。
「警察はなんて言ってるんですか、その点について」
「部長は何も言ってなかった」
「自殺の理由がなかったって、警察はちゃんと調べてくれてるんでしょうか」
「夏休み中だからな。クラスメイト全員を個別に当たったとも思えない。旅行中の生徒だっているだろうし」
「課長……」
「分かってる。後で部長にもう一度確認してみるよ。とにかく戻ろう」
 エレベーターホールに向かい、ドアが開いていた一台に乗り込んで六階へ上がる。
 第一課のフロアに向かって歩いているとき、側面の通路から声をかけられた。

#2-3へつづく
◎第 2 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


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