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連載

月村了衛「白日」 vol.9

会社でも「いじめ」は存在する。派閥のどちらかに取り込まれたが最後、もう逃げ場はない。月村了衛「白日」#3-1

月村了衛「白日」

※この記事は、期間限定公開です。



前回までのあらすじ

千日出版の教育部門で課長を務める秋吉。大手進学塾・IT企業と協業し新会社を設立、引きこもり対策を謳う高校を作る大プロジェクトに臨んでいたが、局長の中3の息子・幹夫の謎の死で一時中止に。彼も引きこもりで自殺という噂の中、調査する秋吉の周囲で人事課の飴屋が不穏な動きをする。社長派と専務派が対立する社内。幹夫の死の真相は不明だが、事故と発表する方針を秋吉に伝えた常務と部長。彼らが気にするのは自社の利益追求と派閥情報だった。

詳しくは 「この連載の一覧
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   4

 常務の執務室を出て教育事業推進部に戻りながら、あきよしは自問自答を繰り返した。
 この部長とくら常務の追及に対し、あめの接触について隠してしまったのはなぜだろう──
 自分は決して専務派ではないし、専務派に取り入ろうとも思っていない。また社長派に反感を抱いているわけでもない。
 強いて言えば、どちらか一方にくみするような行為だけは避けたいと考えている。
 おそらくはそのせいだ──秋吉は自らに言い聞かせる。
 常務と部長に、専務派の暗躍について告げ口をしているかのように解釈されることを恐れたのだと。
 そう、怖かった。二つの派閥のどちらかに取り込まれたが最後、もう逃げ場はない。すなわち、社員のおよそ半分をはっきりと敵に回すということだ。そんな事態だけは避けたかった。
 娘のはるがいじめから引きこもりとなってしまったとき、父親としてできる限り話しかけてみた。本当に必死だった。そんな状況下で、危うく口走りそうになり慌ててみ込んだ言葉が一つだけある。
 会社でのいじめは、学校でのいじめの比ではないということだ。
 秋吉はそれを、日本人の本質に根ざすものではないかと考えている。なんなら、人間の本質と言ってもいい。あきれるほどに陳腐で、どうしようもなく普遍的な現象だ。それゆえに逃れるすべはない。社会のどこに行っても、〈それ〉はいつも付いてくる。そしていかにも悪気なさそうに、醜悪な舌をぺろりと出してみせる。自分の名前が『いじめ』でないと、けなに主張して恥じないのだ。
 六年前、専務派だった役員の一人がかつにも社長派に寝返ったと取られかねない判断をしてしまった。詳細は知らない。伝え聞くところによると、決算処理を巡る案件に関することであったという。その役員は、専務の自宅の玄関で土下座までしてびを入れ、釈明したらしい。それでも専務の怒りは解けず、かと言って社長派へのくら替えも認められず、博多事業所への転勤を命じられた。彼は結局、定年を目前にしながら依願退職して会社を去った。
 日本の企業社会では、似たような事例はいくらでもある。暗黙の了解事項として、誰も口にしようとはしないだけなのだ。近年はSNSの発達もあって、内部告発に踏み切る者も増えてきたが、それは己の人生を棒に振るリスクを冒すことでもある。家族を持つサラリーマンにとっては悪夢以外の何物でもない。
 関わらないこと。見て見ぬふりをすること。それこそが生き残るすべである。そしてそれは、おそらく新会社に移っても変わらない真理なのだ。
 新会社と言っても、せんにち出版のグループであることには違いない。少なくとも創立から数年は千日出版取締役会の強大な影響力の下にあると容易に推測される。そうでなければ、そもそも社長がこのプロジェクトを認めるはずがない。一つ間違えば、新会社での処遇に大きく影響してくるであろうことは想像に難くなかった。
 今さらながらに身を震わせて、秋吉は教育事業推進部のフロアに入った。
 定時はとっくに過ぎている。書籍・雑誌部やコミック部と違って、居残っている者はほとんどいなかった。それでもほんの数日前までは、新会社設立への意欲に燃えて、残業に励んでいる者も決して少なくなかったのだ。
 がらんとした室内のせきばくが将来の暗示にも感じられ、秋吉は一層肩を落として自席へと向かった。
「どうでした、課長」
 呼びかけられて振り向くと、仕事中だったらしいさわもとが立ち上がった。
「まだ残っていたのか、沢本君」
「ええ、かじわら局長から電話があったらしいと聞いて、どうにも気になりましてねえ」
「よく知ってるな」
「こんなときですから、もうあっという間に伝わりますよ」
「じゃあ、他のみんなは」
 室内を見回しながら尋ねると、
「それが、一斉に帰っちゃって」
 沢本は不安そうな面持ちで、
「あいつらも気にならないはずはないだろうに……あらを中心に何か話してるみたいでしたから、居酒屋にでも集まって今後の相談でもしてるのかもしれません」
「そうかもしれんな」
 苦い思いであいづちを打つ。明らかによくない兆候であった。部下を掌握できない管理職など、役立たずの代名詞に等しい。
「それで、どうだったんです、局長の電話は」
「常務や部長からの又聞きになるが、警察はやっぱり何も言わなかったそうだ」
「またですか。警察は一体何をやってるんでしょう」
「知らんよ。それでな、社としては、今度の件は事故ってことで押し通したいそうだ」
「そうですか。あ、でもそれって、後で万一事故じゃないってことになったら、ちょっとまずいんじゃないですか」
「俺もそう思う。だが、局長自身がみき君は引きこもりじゃなかったと言っているらしい」
「だったら、やっぱり事故でいいんじゃないですか」
 沢本はあんしたようにそう言ったが、すぐにまたあおざめて、
「こんな言い方するとなんだか不謹慎というか、失礼なんですけど、それ、本当に信用できるんですか。もしかして、局長が体裁を気にして──」
 そのとき、ドアの方から声がした。
「おう、まだいたのか。教育は定時で上がるもんだって聞いてたが、二人とも熱心だな」
 営業部の五十嵐いがらし部長補佐だった。
「あっ、五十嵐さん」
 沢本は秋吉に言いかけていた言葉を慌てて吞み込み、五十嵐に一礼する。
 秋吉も軽く頭を下げながら、
「珍しいですね、五十嵐さんがこっちへいらっしゃるとは」
 五十嵐自ら六階へ足を運んでくることは滅多にない。何かあれば、こちらから営業部へと説明に行くのが常であった。
「なにしろ社にとって大変なときだからなあ。俺も梶原さんにはよくしてもらったクチなんで、なんとなく君らと話したいと思ってのぞいてみたんだ」
「そうでしたか」
 沢本と並んで低頭する。しかし到底素直に信じられるものではない。
 五十嵐は社長派として知られていたからだ。
「梶原さんは本当にお気の毒だった。立派な息子さんだったのになあ」
「まったくです」
 反射的にこうべを垂れる。それだけは同感だった。
「さぞお力落としだろう。まさか事故で亡くなるなんて。世の中、まったく何があるか分からんよ」
 はっとしたが、視線を上げないよう注意する。
 五十嵐は「事故」であると念を押しに来たのではないか──そんな疑念が湧き起こった。
「どうだ、よかったら、久々に一杯やらないか」
 ごく自然な流れで五十嵐が誘ってきた。実際に五十嵐は、梶原を襲った運命の無情にやり切れぬ思いを抱いているのかもしれない。
「申しわけありません、今朝から娘が熱を出しておりまして、ただの夏風邪だろうと思うんですが、早く帰ってきてほしいと妻から電話が……」
 なんとかそれらしい言いわけを口にすることができた。ここで五十嵐と酒席を共にしたら、社長派に取り込まれるとまではいかなくとも、社内でそう見なされる危険がある。
「そうか、それは心配だな。早く帰ってあげるといい」
「本当にすみません。また近いうちにお付き合いさせて下さい」
「私もまだ仕事が残っておりまして」
 すかさず沢本が続けた。自分だけ付き合わされる羽目になることを恐れたのだろう。
こうどう学園のプロジェクトが止まっているからって、急に別の仕事を振られましてね。みんなはいつも通り帰っちゃうし、もう大変ですよ」
 沢本はいかにも分かりやすくぼやいてみせる。
「ああ、聞いてるよ。漫画入りの参考書だっけ? ウチの若いのが『あれは意外と行けるんじゃないか』なんて言ってたよ」
「そう言って頂けると励みになります」
「営業部としても期待しているから頑張ってくれ。だがあんまり無理はするなよ。こんなときに過労死なんてされちゃ、会社としては泣きっ面に蜂だ」
 不謹慎な冗談を口にして、五十嵐は片手を振りつつきびすを返した。
「じゃ、お疲れ」
「お疲れ様です」
 秋吉は沢本と並んで五十嵐の背中に向かって頭を下げる。
 顔を上げると同時に深いため息をついてしまった。こちらを横目に見た沢本が、「同感です」とでも言うようにうなずいた。

 帰宅すると、キッチンに食欲を優しくそそる香りが漂っていた。
「おかえりなさーい」
 すでに食卓に着いていた娘と、食器を並べていた妻が笑顔で迎えてくれた。
 心身は疲労の極みにあったが、こうして家族と食卓で向き合うと、温かいものがじんわりと込み上げてくるのを感じる。
 今夜のメニューはミートボールと冷たいパスタ。それにトマトサラダ。いずれも春菜の大好物だ。
 春菜が楽しそうに今日の出来事を話してくれる。妻が相槌を打ったり、コメントしたりする。秋吉には分からない言葉や人名も多々含まれていたが、妻子のおしやべりをそばで聞いていられるだけで充分だった。
 特に引きこもりだった頃に比べると、別人のように元気を取り戻した娘の様子には、しみじみとした幸福を実感するのであった。
 唐突に──その娘を会社で口実に使ったことを思い出した。やむを得ない状況であったとは言え、罪悪感に近いぼうとくの意識を感じる。
「どうしたの、お父さん」
「えっ、何が」
 娘に呼びかけられ、ミートボールに突き刺そうとしていたフォークを止める。
「なんだか怖い顔してる。さっきまでは全然そうじゃなかったのに」
「お父さんは疲れてるのよ」
 妻がとつにフォローを入れる。
「もうじき四十だからなあ。でも、会社じゃ若い、若いって言われるんだよ。この前なんて、なんとかっていう俳優に似てるって言われたし」
 おどけてみせると、二人は声を上げて笑った。
 よかった──内心で冷や汗を拭い、再びフォークを動かした。
「お父さん、お仕事大変だもんね」
 春菜がわけ知り顔で言う。
「へえ、春菜に分かるのか」
 なにげなく言ったのがよくなかった。
「分かるよ。だって、お父さんの作ってる学校ができたら、私、絶対入りたいもん」
 口に放り込んだミートボールが、突然氷塊へと変じたようだった。
「そうか、じゃあお父さん、もっともっと頑張らないとな」
 我ながらぎこちない笑顔を作って応じると、春菜は心配そうに言った。
「大丈夫? 頑張りすぎて体を壊したりしたら元も子もないんだから」
 娘はいつもながら鋭かった。
「大丈夫さ。だって、お父さんは若いから」
 駄目押しの冗談でごまかした。
「あ、お母さん、明日のお昼なんだけど──」
 秋吉に構わず、春菜はパスタをフォークに巻きつけながら無邪気に話題を変えた。
 安堵の息をひそかに漏らし、秋吉は湯吞みを取って口に運んだ。

 翌日出社した秋吉は、昨日同様に何人かの来客をさばいてから、文芸編集部へと赴いた。
 千日出版の文芸編集部は第一から第四までの部署に分かれているが、秋吉が訪れたのはノンフィクションを扱う第四部だった。
 目当ての男は自席で本とコピーの山に埋もれていた。「さん」と声をかけると、彼は大儀そうに顔を上げ、次いで驚いたように細い両眼を見開いた。

▶#3-2へつづく
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