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連載

月村了衛「白日」 vol.26

【連載小説】会社では心血を注いできたプロジェクトから外され、家庭では娘が倒れてしまった課長・秋吉は、ある決意をする。 月村了衛「白日」#7-1

月村了衛「白日」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

千日出版で課長の秋吉。大手塾らと新会社を設立し引きこもり対策を謳う高校を作る計画が、梶原局長の息子・幹夫の謎の死で中断。幹夫は自殺と噂がまわる。社内は以前から梶原ら社長派と専務派が対立し、秋吉は人事課の飴屋に警告される。梶原と文科省との癒着疑惑が持ち上がるが、梶原は否定。秋吉はプロジェクトから外されることに。失意のままに自宅で幹夫の自殺のことを話していると、娘の春菜に聞かれてしまう。春菜はショックで気を失った。

詳しくは 「この連載の一覧
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   10

 夜間緊急外来のある最も近い病院にはるを搬送し、当直医に診察してもらう。あきよしは若い当直医に春菜の〈病歴〉について説明した。
 それを聞いた医師は、貧血等を除き身体的な異常は認められないため、やはり心因性のものだろうと言った。その夜は念のため各種検査のほか、意識の戻らぬ春菜に点滴が施され、翌朝せいおう病院に移送された。
 頼みのあお医師は、その日は休診で別の医師がてくれた。秋吉夫妻とは顔みの医師である。正式な診断は担当医である青木医師の判断を待たねばならないが、当分入院する必要があるだろうという話であった。
 春菜は依然意識不明のままだった。それだけみきの死がショックであったのだ。
 無理もない。かつていじめに遭い、登校拒否に陥ったとき、大人とは違う優しさ、温かさで励ましてくれたのが幹夫であった。幹夫とおりの兄妹を、春菜はどれだけ慕っていたことか。
 その幹夫が自殺したと突然知ってしまった春菜の心が、音を立てて折れたとしてもおかしくはない。それはきっと、絶望的で、致命的な音であったはずだ。春菜の心と体の隅々にまで、高くうつろに響き渡ったに違いない。
 一度折った骨はどうしても強度に欠け、再び折れやすくなるという。人間の心は骨と違い折れるたびに強くなるなど、無責任くうなスローガンでしかない。
 ベッドに横たわる春菜を見つめ、秋吉はどこまでも己を責めた。いくら責めても責めたりない。かつであった。酔っていたとは言え、自宅のダイニングキッチンでくどくどと見苦しく愚痴を吐き続け、あまつさえ幹夫のことに触れてしまうとは。そしてそれを春菜に聞かれてしまうとは。
 すべて俺のせいだ──
 は入院に必要な品々を取りに自宅へと戻った。
 今は秋吉が一人で付き添っている。会社にはすでに欠勤の連絡を入れた。
 やけに明るい病室で、春菜はこんこんと眠り続ける。
 窓辺から入る日差しはこんなにもばゆいのに、春菜は明るい世界へと飛び出していくこともなく、ただ目を閉じて眠りの底に沈んでいる。
 かけがえのないこの娘が、再び目を開けて起き上がってくれるのか。もしやこのまま二度と目覚めることがないのではないか。
 混乱のあまり、不吉な想像だけが際限もなく湧き起こる。秋吉は膝の上に置いた拳を握り締めた。
 そんなことがあるわけない。春菜はきっと目を覚まし、照れたように笑いかけてくれるはずだ。「お父さん、あたし、また寝過ごしちゃった」とぼやきながら。そして続けてこう言うのだ、「お父さんも早く会社に行って。早くこうどう学園を作って。いじめとか、そういうのがない学校を」と。
 そうだ、春菜は確かこう言っていた──「あたしだって入りたいと思ってるんだから、お父さんの作る学校」。
 ベッドのかたわらに置かれた椅子に座ったまま、秋吉は目を閉じて考える。
 黄道学園プロジェクトをち上げるに当たって、参考例とした先行のフリースクールなどはいくつもある。
 それらの学校は、いずれも先進的で人間的な目標を掲げていた。
 居場所のない子供達に、心から安心できる居場所を提供する。
 何も押しつけることなく、ありのままの子供達を受け入れ、彼らのやりたいことを応援する。ときには彼らがやりたいことを探すための手助けをする。
 子供の自己決定権を最大限に尊重する。子供の場は子供自身が作るものだからだ。それにより、何より大切な自立心をかんようする。
 また、多様性を広く認める。子供達がお互いの違いを認識することは、彼らが生きやすく、自分の個性を発揮しやすい場の創出につながっていく。
 どれをとっても素晴らしい発想で、大いに成果を上げていた。秋吉も目を見張らされたものである。
 自分もこんな学校を作れたら──そう強く願ったものである。
 しかし、一般の認識は想像以上に頑迷で保守的だ。ろうで排他的であるとさえ言っていい。それを指摘できるのは、曲がりなりにも秋吉自身が不登校に陥った子の親であり、教育の現場と関わり合ってきたからだ。そうでなければ、「現状の学校のどこが悪いのか、何が問題とされているのか」ということすら理解できなかっただろう。
 不登校児を抱える保護者達であってもまず危惧するのは、「勉強や進学率においては一般校に劣るのではないか」ということだ。
 問題を理解していても、学歴社会への盲信はそこまで浸透しているのだ。子供の社会復帰や伸び伸びとした成長を願いながらも、どうしてもそんなことを考えてしまう。
 現実に社会的格差は広がる一方であるから、その不安は当然であるとも言える。「子供の個性を伸ばすと言っても、将来生活できるような才能があるかどうか分からないじゃないか」というわけだ。
 だからフリースクールの長所、特色を理解しながら、二の足を踏んでしまう保護者は少なくない。
 彼らの「普通」「真っ当」「他の子供と同じに」という概念や希望を変えさせるのは容易ではない。先人達は皆その克服にてつもない苦労を余儀なくされてきた。
 そこで考案されたのがてんのうゼミナールとの共同プロジェクトだ。従来のフリースクールではなく、正式に認可された学校。そしてそれを可能とするのが、ジュピタックの技術力なのだ。
 発案者はほかならぬかじわら局長その人だ。秋吉はまさに目から鱗が落ちていく感覚を味わった。
 強い指導力を発揮して、新事業に挑んでいく。その姿のなんと頼もしかったことか。
 何があってもこの人についていこう。そう心に誓ったものである。
 局長の構想は、一般校からの転校に踏み切れずにいる保護者達の背中を必ずや押してくれるものとなる。
 ひたすら関係各社の調整に費やした今日までの仕事を想う。春菜へのいじめと不登校に苦しんだ日々を想う。
 自分には先人達のような信念も能力もない。そんな自分が今日までやってこられたのは、自分が春菜の父親であったからだ。子供と苦しみをともにしてきた親であったからだ。そうでなければ、もっと早い段階で投げ出していただろう。
 秋吉は目を開けて娘を見た。
 寝息さえ立てず、静かに眠っている。
 春菜が目覚めたとき、世界を少しでも希望のある場所にしておく──それこそが親の務めではないか。
 最初から分かりきったことだった。なのに自分はそれを怠った。会社での地位が派閥がと、そんなものに気を取られて。
 既成の概念を打ち破る。その覚悟がなければ、たとえ黄道学園を開校できたとしても、子供達の心は開けない。
 もっと早くやるべきだったんだ──
「あなた」
 背後で妻の声がした。家から戻ってきたのだ。
「春菜はどう?」
「まだ眠っている」
 立ち上がって喜美子を振り返る。
「出かけてくる。後は頼むよ」
「どこへ行くの、こんなときに」
 不安そうな妻に、努めて明るく言い残す。
「春菜の世界を作りに行くんだ」
「え?」
「いや、それは言い過ぎだったかな」
 自分の首をひねるようにして言い直す。
「春菜の世界に続く道の基礎工事だ」

▶#7-2へつづく
◎第 7 回全文は「カドブンノベル」2020年7月号でお楽しみいただけます!


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