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連載

月村了衛「白日」 vol.31

【連載小説】これから社内がどう動いていくのか、予測すらつかない。上司が課長である自分に伝えてきた内容は……。 月村了衛「白日」#8-2

月村了衛「白日」

※本記事は連載小説です。
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 翌朝出社した秋吉を、エントランスホールで真っ先に捕らえたのは、意外にもであった。
「宇江さん……?」
 驚いている秋吉を目立たぬ壁際へと誘い、宇江はささやくような声で言った。
昨夜ゆうべ会社に連絡したろ? 今日出社するって」
「ええ、でもそれは推進部に……」
「それだけで充分だ。俺の耳にも入ったってことは、もちろんあめの耳にも届いてるってこった」
 社内派閥が張り巡らせた網の目の細かさには改めて驚かされる思いだが、今の秋吉にはもはやどうでもいいことだった。
「娘さんの具合は」
「まだ入院中です」
「そうか、心配だろうな」
 春菜の容態について細かくは答えなかったし、宇江もまた表情を曇らせただけでしつこくは訊いてこなかった。下手な慰めもない。それが宇江の心遣いであると理解している。
「マスコミの方だがな、梶原局長の線からは手を引いたみたいだぜ。各社、しお審議官とつながりのある財団法人の方へ戦力を投入してるらしい」
「本当ですか」
「ああ。だがこれで局長が完全にシロかというとそうでもない。要するに、これ以上局長の周辺を洗っても何か出てくる見込みがないから、ほかを当たろうってわけだ」
 梶原局長の告白を宇江は知らない。しかし考えてみるまでもなく、幹夫が自殺した理由が判明しても、それは局長の過去における潔白を証明するものではない。
「各社の腕利きが揃って見切りを付けたんだ、今さら俺がつついたところで、何も出てきやしないだろう。俺も一旦手を引くことにするよ。でも完全に局長を信じたわけじゃない。幸か不幸か、同じ社内だ。気長にやるさ」
 立ち尽くす秋吉の肩を叩き、宇江はひようぜんと歩み去った。
 折を見て、宇江には昨日の件について話さねばなるまい。
 これから社内がどう動いていくのか、事ここに至っても秋吉にはいまだ予測すらつかなかった。

 教育事業推進部第一課のフロアには、どこか気の抜けたような雰囲気が漂っていた。第一課が黄道学園プロジェクトから外されるとの内示を得た後なのだから、当然と言えば当然である。
 自席に着くと、例によってさわもと寿が真っ先に近寄ってきた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
 互いに朝の挨拶を交わす。
「春菜ちゃんのお加減、いかがですか」
「心配ないよ。ありがとう」
 沢本の問いに、偽りの微笑みを返す。家族の微妙な問題について説明する気力が今はなかった。沢本も亜寿香も、それは察してくれているようだった。
 ふと思った。〈家族の微妙な問題〉。それこそ梶原家と同じではないかと。
 秋吉には梶原の心情が、また少し理解できたようにも感じられた。
「課長」
 亜寿香が心持ち声を潜めて告げる。
「さっき総務の同期から耳にした話なんですが、今日の午後あたりにまた役員の会議が開かれそうだと」
「そうか」
「今社長室に、専務と局長が集まっているそうです。たぶん事前の調整なんじゃないかと思います」
 改めて亜寿香を見る。
 どことなく間の悪そうな沢本に比べ、亜寿香はすっかり冷静さと機敏さを取り戻しているようだった。その精神のきようじんさには心から感服する。
「分かった。ありがとう」
 二人は一礼してそれぞれの席に戻ろうとする。
「あ、ちょっと待ってくれ」
 急に思い立って呼び止めた。
「はい?」
 振り返った二人に、
「ウチは黄道学園の仕事から外された。決定事項だからそれはもう動かせない。そのことについて、よかったら君達の存念を聞かせてくれないか」
「存念、ですか」
 げんそうな沢本に、
「そうだ。君達は今後、社内でどうしていきたいのか、とかさ」
 亜寿香が冷笑的に言う。
「課長らしくないですね。と言うより、違うんじゃないですか、それって」
「どういうことだ」
「私達に訊いてるようで、実はご自分に訊きたいんじゃないですか、本当にこれでいいのかって。黄道学園をやれないんなら、せんにちにいたってしょうがないんじゃないかって」
 以前にも増して亜寿香の言葉は辛辣だった。同時に、秋吉自身すら意識していなかった真意をより正確に見抜いていた。
「未練ならあって当然ですよ。第一、課長は春菜ちゃんのこともあるし──」
 そこで亜寿香は口をつぐんだ。
 娘が登校拒否児童であったという経験があるから、黄道学園の理想に固執する──そう言おうとしたのだろう。それはまったく以て間違っていない。
「すみません、言い過ぎました」
 謝罪する亜寿香の横で、沢本が常になくきっぱりとした口調で告げた。
「僕はもう頭を切り替えました」
 亜寿香が意外そうに沢本を見る。
「黄道学園をやれないのは確かに残念です。でも、コミック学参だって会社にとっては必要な仕事でしょう。いえ、会社だけじゃなく、社会や子供達にとってと言ってもいい。こんなこと言えるのは、僕が課長みたいな辛い経験をしてないせいかもしれません。課長のお気持ちは僕だって分かっているつもりです。ですが、今はほんとにそう思ってます」
 今度の件は、沢本にとってもよい機会であったのかもしれない。
 なぜか安堵している自分に気づき、秋吉は人知れず驚いた。
「引き留めて悪かった。ありがとう。とても参考になったよ」
 再度一礼した二人は、早足で自席へと戻った。
 未練ならあって当然、か。その通りだ。
 これでいい──これでいいんだ──
 パソコンをち上げ、コミック学参シリーズの仕事にかかる。まずは全体の再チェックだ。進捗が遅れている部分はないか。あればその原因は何か。担当者は。関係者は。管理職の仕事は多い。今は与えられた務めに集中するのみだ。
「秋吉君、秋吉君」
 顔を上げると、いつの間に出社したのか、珍しく自席にいるこの部長が手招きしていた。
 すぐに立ち上がってそちらへ向かう。
「おはようございます。昨日は個人的な事情でまた欠勤してしまい、申しわけありませんでした」
「いいよいいよ、そんなこと。それよりどうなの、娘さんの具合」
「は、おかげさまで体の方はなんともないようで」
「そう、よかったねえ」
 問題は体などではなく心であると小此木も知っているはずなのだが、宇江や亜寿香達と違ってこちらを気遣っている様子などじんうかがえない。単なる社交辞令でしかないのは明らかだった。
「ところでさ、今ちょっといいかな。君と話しときたいと思って」
「は、構いませんが」
「じゃ、ちょっと移動しようか」
 小此木は近くにいた社員に「社内にいるから、何かあったらスマホに電話して」と言い残し、フロアを出た。
 秋吉は何も訊かずその後に従う。
 空いていた会議室ではなく、応接室に入った小此木は、自らドアを閉めて上座に座った。
「まあ、座ってくれよ」
「失礼します」
 命じられるまま下座に座る。
「こんなときだ、回りくどい話は抜きにしよう。この前の役員会議の後、僕、常務に呼ばれてさ。なんでも君、ウチの偉いさん方にだいぶにらまれてるそうじゃないか」
 なんの話か、おおよその見当がついてきた。
「第一課が黄道学園のプロジェクトから外されたのはそのせいだって常務は言ってたよ。いやいや、別に君を責めてるんじゃないよ。しかしね、こうなっちゃ、ウチにいたって君の目はもうないも同然だ。君のこと、恨んでる社員も結構いるって話じゃないか。正直、今だってかなり居づらいんじゃないの? このままだと新会社に移行しても君が肩身の狭い思いをするだけだろうし、いっそのこと、新天地を目指した方がいいんじゃないかって、常務も凄く心配されててねえ」
「つまり、私に辞職しろと」
「いやいやいやいや、誤解しないでほしいんだけど、別にそんなこと言ってるわけじゃないから。ただ僕もね、君の将来について考えちゃうわけよ。君はまだまだ若いんだしさ。もしかしたら、もっと君の実力を活かせる場所がどっかにあるんじゃないかと思ってね」
 自ら「回りくどい話は抜きにしよう」と言っておきながら、部長の話はこの上なく回りくどかった。
 来たるべき新体制において自分達の責任を問われないよう、今のうちに危険な要素を排除しておこうというわけだ。
「まあ、ウチもこの先どうなるか分からないし、今なら退職金もこっそり有利にできるって。ホントだよ、常務が総務に口をきいてくれたんだから。常務がそこまでしてくれるなんて、羨ましい限りだ。君はツイてるよ、新会社が分離する前で。これがもう少し遅ければ、いくら常務だってここまではとてもできないところだった」
 白々しいにもほどがあるが、本人はそのこつけいさに気づいていない。だが秋吉もこれまでの社会経験から、現実では往々にしてこの種の手合いと遭遇することがあるものだと承知している。
「私のことをそこまで考えて下さって感謝するばかりです」
 面倒なのでごく常識的な謝辞を口にする。
「分かりました。明日か明後日あさつてにはお返事させて頂きます」
「えっ、そんなに早く?」
 小此木は喜色をまるで隠せていない。
「はい。妻にも伝えねばなりませんので、少しだけ考えさせて下さい」
「うんうん、ゆっくり考えてね」
「では失礼致します」
 小此木を残して応接室を後にする。時間の無駄もいいところだ。
 自席に戻って仕事を再開する。
 午前十一時過ぎ、卓上の内線電話が鳴った。社長室からだった。すぐに受話器を取り上げる。
「はい、推進部一課、秋吉です」
〈社長室、いまです〉
 社長秘書の今居であった。
〈突然で申しわけありません。本日午後二時より、特別会議室にて緊急役員会が開かれることとなりました〉
 亜寿香の情報通りである。
〈異例ではありますが、今回も秋吉課長に出席して頂くよう、社長から指示がありました。もし先約がございましたら、申しわけありませんが丁重にキャンセルして頂き──〉
「いえ、予定は入っておりませんので、大丈夫です」
〈左様ですか。では午後二時、特別会議室、よろしくお願いします〉
「承知致しました」
 秋吉は受話器を置き、パソコンに視線を戻す。しかしモニター画面に表示されている内容は、もう欠片かけらも頭に入ってこなかった。
 今日あえて出社したのは、なんらかの手段を用いて上層部と接触を図るつもりであったからだ。しかし向こうから思わぬ機会を与えられた。
 渡りに船と喜ぶ気持ちには無論なれない。
 今居の言ではないが、たかだか課長級の自分がまたも役員会議に出席を命じられるとは、異例と言うよりほかはない。それも社長の命令でだ。
 いずれにしても正念場が思いもかけぬ形でやってきた。
 秋吉はひそかに己自身に活を入れる。
 迷いはない。覚悟はとっくにできている。

▶#8-3へつづく
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