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連載

月村了衛「白日」 vol.25

【連載小説】〈局長出社す〉。役員会議で交わされる、局長含む社長派と、専務派の思惑は。そして黄道学園プロジェクトの行方は。 月村了衛「白日」#6-4

月村了衛「白日」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

 飴屋はさっき「徹夜の会議」に参加したと言っていた。それは専務派の会議であったはずだ。社長派への対抗意識は残しつつも、会社全体の危機に対し、社長派への協力で妥結したのではないか。
 一方の社長側は、専務派の会議の結論など知る由もない。ただ彼らの動きを察知して先手を打ってきたのではないか。
「私は梶原君の強い意志を尊重し、我が社の一大事業たる黄道学園プロジェクトの陣頭指揮を引き続き執ってもらうよう要請した次第です」
 異論を唱える者は誰もいない。立花も西脇も、難しい顔で黙っている。
 やはり彼らは、ここで会社そのものが決定的なダメージを受けては元も子もないと考えているのだ。文科省と民間業者の癒着問題はそれだけのリスクをはらんでいる。
 重大な社会問題としてマスコミに報じられたことが、社内の奇跡的な融合を促した。奇貨と言うべきか、それとも単なる皮肉と言うべきか。
「早速ですが梶原局長、黄道学園に関する今後の方針について説明をお願いしたい」
 流れるが如き手際でもつて、社長が議事を進行させる。
「承知致しました」
 それに応じて梶原が再度立ち上がる。
「拙速の感は免れませんが、私の方で簡単なレジュメを作成致しました。ご覧下さい」
 社長秘書のいまと常務秘書のかみやまがコピー用紙を閉じた薄い冊子を配り始める。
 末席の秋吉も受け取った。
 表紙には『黄道学園 開校に向けての社内体制再構築』とのみ記されている。
 秋吉がページを繰ろうとしたまさにそのとき、梶原が一際大きな声で発した。
「私の至らなさから、本プロジェクトの進行に大きな遅れを生じさせてしまいました。まずは進捗の遅れをばんかいすることが先決であると考え、人事の効率化を視野に入れた大幅な配置転換を実行する決断に至りました。これまで現場での実務、及び折衝には教育事業推進部第一課の秋吉課長が担当しておりましたが、多岐にわたる業務の煩雑さと、今後必要とされるであろう決定権限の重要性等を考慮し、プロダクトマーケティング本部のさな次長にお願いしたいと存じます」
 衝撃などという生やさしいものではなかった。
 自分の知覚が白熱し、断線するような感覚だった。
つつしんでお受けします」
 真田が立ち上がって三方に頭を下げる。
 驚いた様子が感じられないのは、あらかじめ教えられていたからだ。
 プロダクトマーケティング本部は、本部長のせき以下、ほとんどが専務派で占められていると言っても過言ではない。真田も例外ではなかった。その真田をばつてきしたということは、専務派に対する懐柔策以外の何物でもない。
「なお秋吉課長には、推進部第一課が並行して担当していたコミック学参シリーズに専念して頂きます」
 放心のあまり遠い残響のように聞き流しそうになった梶原の声に、秋吉は慌てて立ち上がった。
「待って下さいっ」
 全員がこちらを見る。
「私は、第一課は、これまで全力を挙げて黄道学園の実現に──」
「君は梶原局長の話を聞いていなかったのか」
 西脇本部長が冷徹に告げる。
「黄道学園実現のために必要な人事だとおっしゃっていただろう。今後の業務ははっきり言って君の手に余るんだ」
「納得できませんっ」
 秋吉は飴屋を見る。西脇ではなく、その隣に座す飴屋を。
 彼はただ彫像のような無表情を保っている。やたらと顔の大きい小太りの彫像だ。
 飴屋は自分達の行動を監視していた。警告さえしていた。
 しかし自分は、みきの死や梶原局長の過去について探り続けた。それが最善の道であると考えたからだ。その行為自体が社内事情をことさらに内外へ広めてしまう結果につながるのではないかと、上層部は危惧したのかもしれない。そもそも会社の意に反して独自の行動を取る者など、組織には不要であると判断されても仕方がないと言える。
 あるいは、幹夫の死にはやはり触れてはならない秘密があったのか。
 いずれにしても、飴屋の上司である西脇は、自分を〈危険分子〉と認定して立花に報告したのだ。その結果、梶原も自分を切らざるを得なくなった──
 飴屋の忠告が一つ一つ思い出される。それを無視し続けた結果がこれだ。完全な孤立だ。
「君の気持ちも分かるよ、秋吉君」
 社長であった。
「君と第一課がこれまで頑張ってくれたことは社内のみんなが知っているからね。しかし、コミック学参シリーズも大事な仕事だ。営業部だって将来性のある有望な企画だと評価している。これからはそちらで大いに腕を振るってもらいたい。そのためにも、黄道学園と並行してやるのは難しいという判断なんだ。分かってくれるね?」
 何も言わず着席するのが精一杯だった。
 梶原もやはり彫像のような顔を見せて黙っている。ただしこちらは、深い陰影に沈むギリシャ悲劇の像だった。
 自分は今日まで、この人の背中を目指して走り続けてきた。この人の指示に忠実であろうとした。なのに、こうも簡単に切り捨てられるのか。局長は本心から自分の排除に賛同しているのか。
 そんな想いが後から後から湧いてくる。
 だがいくら見つめても、像と化した梶原の横顔は何も語りかけてはくれなかった。

 その日は退社時間を待たず会社を出た。
 もちろんその前に、口外禁止の念を押した上で第一課の部下達には役員会議の内容を伝えている。
 全員が憤慨しているようでもあり、また予期していたかの如くに従容と受け入れているようでもあった。
 新井はその場にはいなかった。飴屋からいない方がいいと言われていたのだろう。
 沢本は自らを責めているようだった。その小心さと真面目さとが、彼の長所なのだろうと思った。
 そして亜寿香は、ただぼんやりと笑っていた。
 会社を出た秋吉は、じんぼうちようの小さな店で久々に酒を飲んだ。学生時代にはゼミの仲間達とよく通った店だった。
 あの頃の仲間はみなどこに行ってしまったのだろう。
 教師になった者もいる。学者になった者もいる。ライターになった者もいる。鬱病になった者も。死んだ者も。
 共通しているのは、秋吉が仕事に夢中になっている間に、誰とも連絡が取れなくなったということだ。
 俺が悪いのか。俺は自分の仕事にただ誇りを持って──
 ふと思った。
 役員会議の結果について話していたときの亜寿香の顔。
 あれは笑ってなどいなかったのではないか。組織に対する個人の無力を思い知り、うちのめされ、挙句にめてしらけていただけなのではないかと。

 帰宅したのは午後十時をかなり過ぎた頃だった。
 いくら飲んでも酔えなかった。酔うまで無理して飲んでいたらこんな時間になってしまった。
「どうしたの」
 普段と違う自分の様子に、玄関で妻が訊いてきた。
「春菜は」
「もう寝たわ。部活で疲れたとか言って。ねえ、どうしたの、何があったの」
「なんでもない。ただ仕事を外されただけだ」
 一瞬、妻は息を吞んだようだった。
「ニュース、見たわ。文科省の不正認可」
 努めて取り乱すまいとしているのか、声からかすかに動揺と不安とが感じ取れる。
「もしかして、あれが関係してるの」
「してると言えばしてるな……水をくれないか。できればコーヒーも」
「ちょっと待って」
 ダイニングテーブルに着き、出されたコップの水を一息に飲み干す。次いでコーヒーをれている妻に向かって今日一日の出来事を話す。
 妻には極力、最低限の言葉で伝えるつもりだった。そのための言葉も用意していた。
 しかし、話し出したら止まらなくなった。後から後からふんまんが込み上げてきて、しつように語り続けた。
「俺は本当に黄道学園をやりたかった……毎日ひたすら働いた……それだけなんだ……なのに、この仕打ちは一体なんだ……何が人事の効率化だ……なぜ俺が外されなくちゃならないんだ……」
 飲み過ぎたせいかもしれない。これまで溜め込まれていた一切合切が、たがが外れたようにあふれ出た。
 妻はもちろん驚いていたが、時折あいづちを打ったりしながら聞いてくれている。
「一時は黄道学園がなくなるかもって言われてたんだ……でも、梶原さんは会社に来ないし、ご自宅にも行くなって……だから俺は、なんとか幹夫君の自殺の理由を調べようと……」
「──あなたっ!」
 突然、妻が悲鳴のような声を上げた。
 だが遅かった。
 妻の視線の先を振り返る。そこにパジャマ姿の春菜が立っていた。
 一瞬で体内の酒が氷よりも冷たい水へと変わった。
「幹夫君、自殺したの……?」
「目が覚めちゃったのね、うるさかった? 明日も早いからもう一度ベッドへ──」
 キッチンから連れ出そうとする妻の手を振り払い、そうはくになった春菜が詰め寄ってくる。
「ねえ、ほんとなの、ほんとに幹夫君が自殺したの?」
 春菜はすでに泣いていた。大粒の涙が後から後から滴り落ちる。
「答えて!」
 秋吉は答えることができなかった。
 ただ娘を見つめることしかできなかった。
 それで、すべてを察したのだろう。
 春菜はその場に崩れ落ちた。
 駆け寄って抱き起こす。
「春菜、しっかりしろ春菜っ」
「春菜、春菜っ」
 妻と二人、いくら呼びかけても壊れた人形のようにくたりとなって目を開けない。完全に意識を失っていた。
「車を呼べっ。すぐに病院へっ」
 娘を抱えて秋吉は叫んだ。

▶#7-1へつづく
◎第 6 回全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


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