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連載

月村了衛「白日」 vol.8

「信頼は一度失われると二度と買い戻せない」。取引先からのプレッシャーを感じるなか、社の上層部は……。「白日」#2-4

月村了衛「白日」

※この記事は、期間限定公開です。

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「どういうことです?」
 自らの動揺を極力抑えたつもりだが、磯川の鋭い目を完全に欺けたという自信は到底なかった。
うわさですよ。少し気になったものでお伺いしてみたまでです」
「故人とご遺族の名誉に関わりますので、よろしければ出所を教えて頂けませんか」
「これは失礼致しました。どうかお忘れになって下さい。噂というものは本質的に無責任なものですので。私ともあろう者が、不注意でした」
 いんぎんな態度でかわされた。これ以上追及はできない。
「しかし秋吉さん、もし仮に噂が本当だったとすると、これは大変なことですよ。なにしろ黄道学園最大の売りは[引きこもり・不登校対策]ですからね。そのプロジェクト・リーダーのご子息が引きこもりの挙句に自殺した。それも生徒募集開始の直前というタイミングです。本当に大丈夫でしょうね?」
「ええ、大丈夫です」
 しかし磯川は簡単には納得しなかった。
「当初からの計画通り、黄道学園には当校でもエース級の講師陣を充てるつもりでおります。大手の塾講師ともなると、言ってみれば人気商売みたいなものでしてね、万が一不祥事があった場合、彼らが揃ってライバル塾に移籍してしまう可能性すらある。そうなったらおおごとだ。天能ゼミナールにとってカリスマと呼ばれるほどの講師達は大事なタレントなんですよ。この人達との信頼関係だけは絶対に維持しなければならんのです」
「は、それはよく承知しております」
「信頼は一度失われるともう二度と買い戻せませんからね。受験生にとっての夏休みと同じことですよ。これは上司からもきつく言われております」
 磯川が言わんとしているのは、そうした不測の事態に陥った場合、千日出版に対する天能ゼミナールの信頼が失われるかもしれないという警告だ。そうなると、合併の件も破談になる可能性が大きくなる。
「その点はどうかご安心下さい」
 自分自身がまるで安心していないにもかかわらず、秋吉はひたすら「安心」「本当」「大丈夫」を繰り返す。そんな言葉を口にするたび、なぜか幹夫のうつろな顔が脳裏に浮かんだ。
「もし少しでもお心当たりがあるのなら、早急にお教え頂かねば……私の責任ともなりかねませんので」
 口振りはどこまでも丁寧でありながら、磯川はしつように追及してくる。
「梶原本人の話では、引きこもりの事実はないということです。それに警察は今のところ何も言ってきておりません。もしおっしゃるような事実があれば、警察から連絡があることでしょう。その場合はもちろん御社にもすぐにご連絡致します」
「そうですか。ならば安心だ」
 言葉とは裏腹に、磯川は安心とはほど遠い、疑念に満ちた表情を浮かべて帰っていった。
 残された秋吉は、ソファにもたれかかって大きく息を吐いた。
 決して噓をついたわけではないが、正確に伝えたわけでもない。ありていに言えば、消極的なまんである。決して気分のいいものではない。
 切れ者揃いと言われる天能ゼミナール社員の中でも、企画部の主任を任されるほどの人物である。磯川の鋭さは並ではなかった。自分など足許にも及ばない。
 その磯川が、ぼんような自分の弁解を真に受けたとは思えない。いずれなんらかの真実を突き止めるだろう。
 もしそうなったら──
 秋吉はソファから跳ね起きて二番応接室を出た。疲れきった全身が重く、胸が苦しい。それでも急いで六階へと向かう。
 教育事業推進部のフロアに入り、奥に進んで小此木のデスクを見る。不在であった。近くにいた社員に尋ねる。
「部長は」
「梶原局長から電話があったとかで、たった今、くら常務のところへ行かれました」
 なんだって──
 身を翻し、エレベーターホールへと取って返す。
 局長から電話だと──まさか警察からの──
 常務の執務室は十三階にある。エレベーターに飛び乗って十三階のボタンを押す。
 秘書室に入るとかみやま秘書が自席から顔を上げた。
「小此木部長がこちらにおられると伺いまして」
「はい、いらっしゃっておられますが、ただ今常務と──」
「存じております。ここで待たせて頂いてよろしいでしょうか」
「それは構いませんが、一応部長にお伝えしてきます」
 腰を浮かせた上山に、
「いえ、そこまでは……ここで待たせて頂くだけで結構です」
「常務から、もし誰か来たら伝えるようにと申しつかっておりますので」
 表情を変えることなく告げた上山が、隣の部屋へと姿を消す。
 どういうことだ──
 自分、あるいはほかの誰かが飛び込んでくることを予測でもしていたのだろうか。
 秋吉が壁際の椅子に腰を下ろす間もなく、隣室から上山が戻ってきた。
「秋吉課長、お入り下さいとのことです」
 思いがけぬ展開に立ち尽くしていると、再度言われた。
「お入り下さい。さあ、どうぞ」
 わけが分からぬまま中に入る。来客用のソファに座った倉田常務と小此木部長が同時に振り返ってこちらを見た。
「秋吉課長、適当に座ってくれ」
「は、失礼します」
 常務に言われ、ソファの隅に腰を下ろす。常になく険しい顔をした常務が、こちらを見据えて言った。
「さっき梶原さんから電話があってね、それで小此木君に来てもらったんだ」
「いやあ、事が事だけに誰か来るかなと思ったけど、まさか君が押しかけてくるとはなあ」
 小此木は普段と変わらぬ砕けた様子だ。
「まあ、君にも後で説明しなきゃと思ってたんで、ちょうどいいかなと。常務も同意して下さったし」
「それでね、秋吉君。単刀直入に言うと、警察はやっぱりどうも、はっきりしないそうだ。つまり、それだけ確証がないんだね。そこで小此木君に来てもらったんだ。もちろん社長とは真っ先に話している」
 常務は自分に何を言おうとしているのだろう──
 秋吉には話がまるで見えなかった。
 そんな秋吉の困惑を察したように、小此木が倉田に代わって身を乗り出した。
「君も今日は大変だったみたいだねえ。聞いてるよ。お客が次から次へと来てさ。いちいち説明するだけでも大仕事だ。これじゃ本業に差し支える。そうだろう?」
「はい」
 同意するしかなかった。まったくその通りであるからだ。
「ウチとしてもそれは困る。だけど、そうかと言って、警察が結論を出すのをいつまでも待っているわけにもいかない。大体のとこは分かってるわけだから、この際、事故だって発表しようと思うんだ」
「待って下さい」
 思わず声を上げていた。
「そんなこと、こっちで勝手に決めていいんでしょうか」
「発表と言っても、別にテレビや新聞に載せるわけじゃないし、ましてや公式なものなんかじゃない。ただ対外的に、この件について訊かれたら『事故らしいです』って言うだけだよ」
 ようやく悟った。
 常務と部長は、この件をあくまで「事故」として終わらせたいのだ。少なくとも「自殺」とは絶対に認めたくないのだ。
「それは隠蔽になるのでは」
「ならないよ」
 小此木があっさりと言う。
「だって、本当に事故だから。いつまでも結論を出してくれない警察にも腹が立つけど、少なくとも事件性はないってことだけは保証してくれてるわけだし。それで自殺する理由がないんなら、これはもう事故と言っちゃっていいんじゃないかなあ」
「幹夫君が引きこもっていたという事実があります」
「それは父親の梶原君が否定している」
 倉田が断言した。
「それとも君は、梶原家についてご家族以上に知っているとでも言うのかね」
 そう言われると、反論のしようはまったくない。秋吉は倉田と小此木の顔を交互に見る。
 難しいのは、二人とも社長派でも専務派でもなく、中立であるということだ。それも公平で確固たる信念があってのものではなく、どちらかと言えば保身第一の日和見といったスタンスに近い。
 ただ、少なくとも特定の勢力にくみするものではないということだけは言える。いいかげんな印象に反して、純粋に会社のためを思っている可能性さえ完全には否定できない。
 だが──本当にそれだけだろうか。
 もしかしたら、倉田と小此木はすでにどちらかの側についているのではないか。そうだとしたら、ここで発言や返答を誤ると命取りともなりかねない。
 疑い出せばきりがない。疑心暗鬼という鬼は、人の心に闇をく。
 秋吉は頭から闇を振り払うような思いで問うた。
「後で自殺だと判明したらどうなさるおつもりですか」
「別にどうも?」
 小此木が平然と言う。悪意があるわけではない。常に無神経なだけなのだ。
「『あのときは警察はそんなこと言ってなかったけど、今頃になってやっと分かった』とかなんとか言えばいいだけじゃない。現にその通りなんだし」
 言い返す言葉が何も見つからない。
 それどころか、自分がどうして言い返そうと考えているのかさえ分からなかった。
「分かってくれたかね、秋吉君。これで君もだいぶ仕事がしやすくなるだろう」
 駄目押しするように常務が言った。ここで逆らえるような会社員はまずいない。
〈仕事〉か──
 話の焦点はどこまでも自社の利益追求にある。倉田や小此木だけでなく、内藤や磯川のような客達も、神妙な顔でつぶやくお悔やみの言葉は会話の冒頭に位置する形式的な挨拶でしかなかった。そして自分もまた例外ではあり得ない。
 そのことが秋吉を果てしなく疲弊させる。
「ところでさあ」
 伸びをしながら小此木が問う。
「この件で誰か、君に変なこと言ってきたりしなかった?」
 さりげないふりをしているが、小此木の質問の真意は明らかだった。同時に、自分がここへ招じ入れられた意味も理解できた。
 二人は派閥間の対立についての情報を欲していたのだ。自分達の安全保障に役立てるためだ。
 飴屋の顔が脳裏に浮かぶ。彼は誰もが知る専務派の一員だ。
「どうなんだね、秋吉君」
 常務が重ねて訊いてくる。
 飴屋について告げるべきか──
 秋吉はとつに答えていた。
「いいえ、特に誰も」

▶#3-1へつづく
◎第 2 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


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