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連載

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」 vol.3

『日本のヤバい女の子』著者による、思考実験エッセイ はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」#3

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」

>>第2回 ベビーカーが「ベビーカー様」なのはダメじゃないんじゃない

第3回 男の子がコスメと生きるのはダメじゃないんじゃない



 ──その男の子はイオンモールの女子トイレに併設されたパウダールームにいた。小学1年生くらいだろうか。母親らしき女性が化粧を直しているのを熱いまなざしで眺めている。女性がポーチから小さなスティックを取り出したとき、彼の熱は最高潮に達した。

「お母さん、それって口紅?」
「そうだよ」
「きれいだね」
「塗ってみる?」
「男がそんなの塗ったらおかしいよ」
「え! 別におかしくないでしょ。塗りたかったら塗ればいいんだよ」

 私は自分自身もお昼ごはんに食べたうどんによってすっかり落ちてしまった口紅を直しながら、内心興奮していた。こんなにも素晴らしい教育の現場に居合わせることってある? ツイッターにポストすれば速攻で「うそまつ」(主に他人の発言を虚偽だと断定しするときに使われるインターネットスラング)とリプライが来るレベルの体験である。でも残念、噓松じゃありません。

 ……と、感動のあまりふざけていたのだが、ふと我に返った。もちろんお母様にはベストアンサー賞を贈りたい。しかし気になるのは、たった6~7歳の男児から発せられた「男が口紅なんて塗ったらおかしいよ」という言葉だ。(ちなみにこの会話はかなり省略しているため、本当に母と息子なのか、本当に女性と男児なのか、私の目にそう見えているだけなのではないかと気になる人もいるだろうが、今回は彼らのかけ合いから「母と息子」と判断して話を進めさせてもらう。)

 子供は「社会が何となく笑って小突き回しているもの」を全て感じ取り内面化する。この女性の驚きようを見ると、彼女にとってわが子の言動は想定外だったのだろう。つまり、男児は母親のあずかり知らぬところで「男が化粧するのはおかしい」という情報を仕入れてきたことになる。
 家庭内か、親戚の集まりか、駅か、通学路か、町内会か、テレビか、ラジオか、ゲームか、学校か、塾か、クラブか、とにかくどこかで何らかの刺激に触れ、彼は「多くの人が笑ったり苦い顔をしたりしている……。ほうほう、男が化粧するのはおかしいのだな」という結論を導き出したのだ。どこで触れたのかは分からない。情報たちは投げ出され、蒸発し、空気となって彼を取り囲んでいる。

 いったいどんな空気かというと、ちょうど次のような感じだ。

 ──その男性は電車の7人掛けシートに行儀よく座っていた。20歳前後だろうか。大学生らしきカジュアルな服装だ。彼の手はひざに乗せたかばんに添えられ、指先は10本とも、紺色のラメ入りのネイルカラーに彩られている。つやつやと手入れされた銀河が10個。彼は手持ち無沙汰そうに、時おり自分だけの銀河を窓から差す光にきらきらと反射させて眺め、やがて降りていった。空いた座席を横目で見ながら、隣に乗り合わせた60代くらいの夫婦がひそひそささやき合う。

「さっきの、男? 女?」
「男じゃない? 骨格が男だったよ」
「でもマニキュア塗ってたぞ」
「男のくせにね」

 私はべろんべろんにげたまま放置している自分のネイルを見下ろしながら、内心白目をむいていた。こんなにも分かりやすくイヤな現場に居合わせることってある? またしてもツイッターにポストすれば「噓松」と言われそうな体験である。いっそ言ってほしい。でも残念なことに、噓松ではなかったのだ。

 彼らの発した「男のくせにね」という言葉は気化して他の似たような言葉と混ざり合い、空気中をただよってあらゆる街へ流れ込み、イオンモールのパウダールームへ行き着いた。小学1年生の男の子を今にも取り囲もうとしている見えない膜を、あの若いお母さんの化粧ポーチから繰り出されるチークブラシがはらい、コットンがぬぐい去り、リップスティックが塗りつぶしたのは幸運だったと言える。



 とはいえ、昨今「メンズコスメ」なんて、もはや新しくも何ともないんじゃないの、と私の中のシティ・ガールが懐疑的につぶやく。まあ、確かにそうかも。とりあえず百聞は一見にしかず、と私は架空のシティ・ガールとともにいくつかの百貨店へ向かった。
〈メンズビューティー〉〈メンズコスメティクス〉と冠した売り場をそぞろ歩くと、気の利いたじゆうしやだつに並べられた、ソフィスティケートされた容器の数々。ほら見ろ、とシティ・ガールが勝ち誇って言う。

(ほら見ろ、メンズコスメなんてもう市場にあふれ返ってるんだから。好きなものを選んで、好きなだけ使えばいいじゃん。ああ、でも、コスメティクスといっても基礎化粧品とフレグランスが大半だね。ネイルカラーやアイカラーやリップカラーを専門的に置いているお店もあるけど、まだまだメンズコスメは女性の化粧品に比べて、少ないんだ。もっと自由になればいいのにね……。)

 ここまで聞いてから、私は頭の中で彼女の脳天にチョップを振り下ろした。いや、お前だお前。進化してないのはお前だ。
 一般的に、男性は女性よりも皮脂の量が多いとされる。だからスキンケアの成分を男女で分けるのは合理的である。だけど爪やアイホールや唇のように狭い面積に男女差が顕著に現れるだろうか。絶対現れない気がする。現れないなら、現在世の中に溢れ返っている「女性用」と定義された化粧品は男性の身体からだに対応可能なはずだ。それなのに「基礎化粧品以外のメンズコスメは少ない」と感じることは、「特に何も明記されていない化粧品は女性のもの」「男性は男性用に作られた化粧品しか使ってはいけない」という先入観の証明に他ならない。

 このシティ・ガールはごうまんだ。小さな子供に制約を感じさせてしまう責任が大人にあることは理解しているが、ある程度成長した人間は自分で好きな情報をつかみ取れると思っている。自分だって「特別な記載のないコスメは女性用」という偏見に無自覚にとらわれているのに、その気になればいつでもニュートラルな空気を吸えると信じて疑わない。「誰も気にしてないでしょ」と片付けて空気中の成分に注目しない。そのくせ、男の子の絵を描いたりするときにはまつを強調しなかったり、爪を赤く塗らなかったりするから厄介だ。シティ・ガールの言う「好きなだけ使えばいいじゃん」は、イオンモールで聞いた「塗りたかったら塗ればいいんだよ」よりも圧倒的に視座が低い。私は百貨店の地下フロアの片隅でチョップし続けた。むかつくシティ・ガール(というか私)の頭は一発ごとにベコベコにめり込んでいった。

 *

 それにしても、なぜ現代社会では多くの男性が化粧をしないことになっているのだろう。
 平安時代から室町時代まで、公家や武家の男性は高貴さのあかしとして白粉おしろいやお歯黒、眉の化粧をしていた。戦国時代には武将たちが合戦へ赴くためのメイクを施した。江戸時代になると化粧を用いて忠誠心を示すための組織構造が瓦解し、戦場へ出かける必要がなくなり、公家や天皇家を除く男性たちはスキンケア以外の化粧文化から遠ざかり始めた。そして明治政府がついに公家の男性に対しても、お歯黒や眉の化粧を禁止する。明治4年には断髪令が発布され、富国強兵の名の下に男性は化粧と切り離されていった。
 そしてチーク(明治末期)、リップ(大正初期)、西洋風の細い眉(大正末期)、アイシャドウ(昭和初期~戦後)などの現代のメイクアップにも通ずるポイントメイクは、もはや男性とは関係のないものとして日本中に広まっていった。第二次世界大戦が終結すると「パンパン」と呼ばれるセックスワーカーの女性たちから西洋風の真っ赤な口紅が流行し、その後ピンクのファンデーション、ピンクの口紅が生まれ、改めて色鮮やかなアイカラーが普及していった。
 男性が化粧から切り離されている間に化粧品のカラーバリエーションは無限に膨れ上がり、最終的には「顔や身体に色を塗る行為」そのものが女性とだけ強く結び付けられていったのかもしれない。

「顔や身体に色を塗る行為」といえば、私はチリの映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキー氏の映画『エル・トポ』(1970年公開)を思い出す。
 一人息子と共に馬にまたがり荒野を旅するガンマン、エル・トポは、山賊に占領されたフランシスコ修道院を訪れる。修道院は破壊し尽くされていた。性欲を持て余した山賊は修道士の青年たちを銃で脅し、チークダンスの相手を務めさせ、踊りながらキスを強要する。さらにカソックを剝ぎ取り、腰に布を巻きつけ、頭にベールをかぶせ、彼らのあごを摑んで唇に赤い血を塗りつける。四つんいにさせた修道士に馬乗りになり、山賊たちが笑い狂うところで場面は終わる。
 この狂気的なシーンが単純に「へテロ的セックス」を示唆しているのであれば女性に、「神への侮辱」を示唆しているのであれば聖母マリアに、修道士の青年たちは見立てられた。唇に塗られた赤い血は明らかに口紅であり、男性から女性、それも「セックスへの強い関与を予感させる女性」への転換を意味している。要するに、「アバズレ」と笑うためにわざわざ唇に赤い色を載せたのである。「男性なのに女性のように身体を飾り立て、自分と同じ男性に性的におもねっている」もしくは「貞淑な聖母マリアなのに、真っ赤な口紅を塗りセックスの要素を加えられている」という点が、彼らにとってのちようしようポイントだ。この荒くれ者たちにとっては、「口紅(顔や身体に色を塗る行為)」=「女」=「自分に性的な可能性を開放している存在」なのだ。

 戦後70年も過ぎ、『エル・トポ』公開から50年近くった現在にも、もしかするとこの

「顔や身体に色を塗る行為」=「化粧をすること」=「男性に性的な可能性を開放した女性になること」

 という図式がうっすらと残っているのかもしれない。だから化粧品を使用する男性に対して「男のくせにね」という言葉が放たれるのかもしれない。
 すなわち、

近代的な化粧とは、女性の顔を色で飾ったり、血色を良く見せたりする手段である

女性が顔を色で飾ったり血色を良く見せたりするのは、男性へのセックスアピールのためである

男性は男性にセックスアピールする必要はないのに、「化粧する男性」はそのイレギュラーな行為をしている

「化粧する男性」はおかしい

 という論調である。
 ちなみに「男性は化粧をしてはいけない」という制約は「女性は化粧をしなくてはならない」という制約とほぼ同義だ。
 すなわち、

近代的な化粧とは、女性の顔を色で飾ったり、血色を良く見せたりする手段である

女性が顔を色で飾ったり血色を良く見せたりするのは、男性へのセックスアピールのためである

女性は男性にセックスアピールしなければならないのに、「化粧しない女性」はその常識的な行為をしていない

「化粧しない女性」はおかしい

 ということになる。

 こう書いてみると「女性は男性にセックスアピールするとは限らない」「女性のセックスアピールは男性にのみ向けられるとは限らない」「男性が男性にセックスアピールするとき女性の形を模すとは限らない」「化粧は誰かのために施すものとは限らない」「男性がいわゆる女性のものとされているものを身につけることは別にイレギュラーではない」という、人間が文化的な生活を送るために必要な理性が全て失われた、地獄とまがう世界観になってしまった。

 こんなディストピアを脱却し生き抜くためには、相当な情熱が必要となるに違いない。あるいは、軽やかな清涼感やポップでアッパーな高揚が生きのびるヒントとなるに違いない。
 なんと、ここに超お手軽に気合いを注入し、クールな気分を演出できる、思わずスキップしたくなってしまうくらいゴキゲンな魔法の道具があるんですよ。これを使えばあら不思議、女だろうが、男だろうが、誰でも好きなものに変身できるというわけ。
 宇宙人風にも、獣風にも、ヤンキー風にもなれるし、いわゆる子供っぽく、いわゆる男っぽく、そしてもちろんいわゆる女っぽくもなれる(もしなりたければね)。あなただけに特別に教えてあげましょう。本当は人に言ってはダメだってきつく口止めされているから、絶対誰にも言わないでね。
 化粧品っていうんですけど……。

つづく


カドブンノベル

最新号 2020年1月号

12月10日 配信

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