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連載

藤井太洋「第二開国」 vol.4

リゾート建設が国家を揺るがすポリティカル・フィクション! 藤井太洋「第二開国」#10-4

藤井太洋「第二開国」

 加計呂麻島を一周した昇がスバル・サンバーで実久集落に到着したのは、午後七時を回った頃だった。
 駐車場に車を停めた昇は、すでに店を閉めているあたる商店の軒先に、頼まれていた生鮮食品の入ったクーラーボックスを置いて、掲示板に役場から頼まれた八月踊りのポスターを貼ってから、蒲生の家に立ち寄った。
 庭にテーブルを出していた蒲生は、昇の顔を見るとテーブルの下から陶器の焼酎のボトルを持ち上げて、飲んでいかないかと誘った。
「ありがたいですが、今度にします。お水だけいただきます」
「運転があるもんな」
 ボトルを引っ込めた蒲生はグラスに氷水を作って、テーブルに置いた。
「昇さんは、まだ態度を決めてないの?」
「ええ」と昇は頷いた。ユリムンビーチのことに決まっている。「父親のこともあるし、お店にもまだ立つわけですし」
「アマンコープは関係ないでしょう。店長のとくさんからして開港派の真ん中にいるのは、みんな知ってるよ。雇い主の側に立つのは自然だし、反対したって、クビになることはない」
 だれよりもユリムンビーチの情勢に詳しいはずの蒲生が、父とほとんど同じことを言うのが面白い。
「まあ、そうですけど」
「だいたいさ、一緒にカヤックに乗ってきたかのうさんもアマンコープのパートでしょ。彼女はオープン反対派だったよね」
「よくご存知ですね」
 昇は苦笑した。古仁屋から二時間三十分もかかる向かい島の端っこに住んでいる蒲生だが、知らないことなどないかのようだ。
「蒲生さんは安心ですね。役場の周辺は、相変わらずユリムンビーチの推進派のようですから」
「どうだかね。まだ説明会が終わって二週間だ。これから実態を知る人も多いわけだし、わからないよ。役場のディスプレイは見た?」
「もう動いてるんですか。準備しているのは知っていましたけど」
 ダイバーズウォッチをちらりと見た蒲生は、そうか、と呟いた。
「ごめん、今日からだった。朝から加計呂麻を回ってるなら、見てないね。ごめんね、僕は飲ませてもらうよ」
 自分の前にグラスを置いた蒲生は、氷を入れ、焼酎を注いだ。ぽったりとした肌の古びた陶器ボトルにはラベルも貼られていないが、とろりと流れ落ちてグラスを埋めた焼酎の甘やかな香りは、二十年以上は寝かせてあるしゆのものだ。
 グラスを掲げた蒲生は、三十度か、四十度ほどはある焼酎をすいと口に含んで、飲みくだした。
「──っ、うまいねえ」
「お強いんですね」
「そんなことはないよ。で飲むのは一口だけさ」
 蒲生は、一口分だけ焼酎が減ったグラスに水を注いだ。
「その飲み方──」
「ああ、お湯割りでやるんだってね」
「ええ。父が晩酌するときはそうやって、飲んで減ったところをお湯で埋めて飲んでいました。最後はただのお湯になるんですけど」
「酒がもつたいいわけじゃないよ」
「わかってますよ」
 蒲生はもう一口飲んで、さらに水で埋めてから言った。
「ユリムンのことだけど、決めるの、急ぐことはないよ」
「ありがとうございます」
「施設の詳細を確かめて、どんな人が来るのかを役場のディスプレイで確かめて、自分たちの生活がどう変わるのか考えてからでも遅くない。そもそも決めなくたっていい」
「そうします」
 昇は氷水の入ったグラスに口をつけた。
「なんとなくですけど、鎖国ビキになる気はしません──」
「昇さん」
 さえぎった蒲生の声には、普段感じない鋭さがあった。
「その言葉は、やめたほうがいい」
「ビキですか」
 目に力を込めたまま、蒲生が頷いた。
「名前をつけるなとまでは言わないよ。反対派、ユリムン派、受け入れ組、鎖国組。その辺りは仕方ない。でも、ビキはやめてほしい。意味は知ってる?」
贔屓ひいきですよね」
「そうだよ。ユリムンビキと、鎖国ビキだよね。よくない」
「……わかりました。はい、わかります」
 まだ、開港を支持するかどうか決めていない昇だが、心情的にはユリムンビーチの開港派に傾きつつあることに、ビキという言い方で気づいていた。
 鎖国ビキ、と口にする時、反対派と言う時には感じない重いものが腹の下に渦巻くのだ。敵意や憎しみなのはわかっているが、それを認めたくはない。
「ありがとう」
「いえ、叱ってくれてありがとうございます。古い言葉なんですよね。どうして、そんな言い方が広まったのかわからないんですけど──あ」
 昇は、一つの可能性に思い当たった。
「安徳戦争の時に使ってた人が、また使い始めたのかもしれないですね」
「安田ビキと徳富ビキか。どうだろう。記録には残ってないと思うな。僕が聞いたことがあるのは明治初期だよ。やんちゆ解放運動というのがあって──知ってる?」
「家人は、もちろん知ってます」
 江戸時代、さつ藩が課した八公二民の重税に耐えられなくなった農民たちが、税を肩代わりしてくれた地主などに身売りして生まれた債務奴隷のことだ。
 差別がないと言われる奄美大島だが、血筋の善ししが語られないわけではない。今でも「家人筋」という言い方や、りゆうきゆう王朝につながりを持つという意味の由緒人ゆかりちゆと呼ばれる家もわずかに残っている。学校で習うわけではないが、社会的な活動に目覚めた中学生が郷土研究をすると必ず出くわすテーマだ。
「佳乃は──祝さんは、中二の夏の自由研究で、自分の家があった西方の由緒人が何名いて、どれぐらいの家人を抱えていたのか調べてましたよ」
「そりゃ、怒られたでしょう」
「ちょっとだけ」
 祝がこっそり見せてくれた大学ノートには、発表には書かなかった由緒人の現在の家名と住所が並んでいた。もしもそれを公開していたらどんな騒ぎになっただろう。蒲生は笑い声をあげた。
「まったく彼女らしい。とにかく、北部はそうでもなかったらしいけど、瀬戸内町のあたりや加計呂麻島は特に多かったんだよね。身分解放が決まる直前のそうでは、五家族の由緒人が、二百人ぐらいの家人を抱えていたらしいよ。一番多いところは六十人も住まわせていたらしい」
「二百?」と昇は声をうわずらせた。
 古仁屋に面した瀬相には〈フェリーかけろま〉が入港する桟橋がある。なにかと便のいい場所なので、過疎が進む加計呂麻島には珍しく、三十世帯、五十名ほどが暮らしているのどかな村だ。
 毎週のように配達で集落を回る昇は、六十人も住まわせていたという由緒人がどの家なのかすぐに見当がついた。県道から奥まった筋にひらけた百坪ほどの庭を、サンゴの石積みで囲んでいるくらさんのことだ。裏山に向かって広がるサトウキビ畑の休耕地と商店を保有していた老夫婦は、十年ぐらい前にUターンしてきた次男坊に畑や地所の管理を任せて隠居している。敷地の一角にモダンな住宅を建てた次男坊は、畑をパッションフルーツ農園に作り変え、高価な果物を農協の頭越しに都会に送り出している。
 倉さん一家はアマゾンの買い物をアマンコープに届けさせているので、アマゾンで買った物を届けるのも昇の役割だ。縁側で受領の判子をついてくれる夫人がいつも差し出してくれる麦茶のことを思い出していると、蒲生が苦笑いした。
「倉さんのこと考えたでしょう」
「いえ、ええと……はい」
「忘れた方がいいかもね。加計呂麻島の集落は薩摩藩の締め付けが厳しくなった年に、集落で話し合って、一斉に島役人の家人になった場所もある。なんだかんだ言っても一つにまとめた畑を大勢で世話した方が効率は上がるから、身請けできるだけの財産を築いた後も、家人にとどまったケースもある。あとは自分で調べてよ。Iターンに教えられるのも面白くないでしょ」
「いえ、そんなことはありません」
 これは正直な気持ちだった。アマンコープから車で十分ほどで行ける町立図書館には郷土資料もあるし、何を聞いても二時間話し続けてくれるほど郷土史に詳しい学芸員も常駐している。だが、蒲生の説明はわかりやすいのだ。
「いつもありがとうございます。助かってますよ」
「それならいいけど」蒲生は膝を組み替えて昇に体を向けた。「ビキの話だったよね。悪いけど、これこそやまとんちゆが上から目線で語る精神論だよ」
「またまた」
「嫌になったら、勝手に帰っていいからね。フェリーの時間は?」
「最終の予定です」
「やっぱり一杯飲んでいきなよ。運転はひじりさんとこの兄弟に頼むからさ」
 蒲生は古酒の入った陶器のボトルを持ち上げて、半分ほど氷水が残っていた昇のグラスに焼酎を満たし、そのまま自分のグラスにもぎ足した。
 テーブルは、海に沈もうとしている太陽に照らされてオレンジ色に染まっていた。氷が揺れる昇のグラスは、昇自身の影の中で夜になり始めた空の色を映し出していた。
 よく冷えた水割りを口に含みゆっくりと飲み干すと、返ってきた息が甘い香りでくうを満たす。
 蒲生は、昇の喉を滑り落ちた焼酎が胃袋をぽっと温めたのを確かめたかのように、口を開いた。
「瀬戸のなだ。五十年ものだよ」
「初めてそんな古酒を飲みました。ありがとうございます」
「一人じゃ飲みきれないから、また飲みに来て」
 蒲生は自分のグラスに口をつけて、喉を湿らせてから口を開いた。
「ちょっと歴史の話になる。明治四年から七年にかけて、戸籍制度が奄美大島にもやってきて、島民もみようを名乗ることが許された。ほとんどの人たちが漢字一文字の姓を選んだのは、薩摩藩が武士相当の身分を持つ由緒人に与えた姓が一文字だったからだ。がわ工事の資金を寄付したしば家、西さいごうたかもり島妻あんごとして娘を差し出したりゆう家を筆頭に、むれとみのう西にし家と続く。江戸時代が終わる頃には、島役人の中でも力のある四十ほどの由緒人が一文字姓を名乗っていた。それを立派な姓だと思ってたんだ」
「え? そうなんですか」
「昇さんも誤解してた?」

>>#10-5へつづく ※9/9(月)公開

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「カドブンノベル」2019年9月号収録「第二開国」第 10 回より


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