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連載

藤井太洋「第二開国」 vol.1

【藤井太洋「第二開国」】リゾート建設が国家を揺るがすポリティカル・フィクション!#10-1

藤井太洋「第二開国」


これまでのあらすじ

2023年の奄美大島。大手スーパーを退職し奄美に戻った昇雄太は地元のスーパーで働き始めた。西古見に大型クルーズ船寄港施設の建設が進む中、祝佳乃と再会した。一方、寄港施設開発に関する潜入捜査を進めていた公安警察の間渕は昇に接近する。祝は寄港施設は本当は難民を助けるためのものだと昇や間渕に明かす。町民に寄港施設についての説明会が開かれるが、徳田の演説で生まれた施設受け入れの流れを、矢吹が不用意な発言で台無しにする。

第七話 ビキ

 紫がかった木製のダイニングテーブルに二人分の食事を並べたのぼりゆうは、父の座る方の皿を確かめた。
 先にちやわんに盛っておいた白米は軽く冷めている。アジの干物からは中骨とヒレ、ぜいごを取り除いてある。父のえん力は落ちていないので、小骨は飲み込めるはずだ。目玉焼きには塩を後から振りかけてある。薬の多い高血圧が認知症と重なると厄介だから、少量の塩でしっかりと塩気を感じられる方がいい。
 最後に昇は、玉ねぎとゴーヤがたっぷりと入ったしるわんに触れて、熱すぎないことを確かめた。
 Uターンした昇が朝食を作れるようになった頃、熱い味噌汁を勢いよく飲み込もうとした父が口の中を火傷やけどしてしまったのだ。認知症の怖さを思い知った瞬間だった。
 昇は、リフォームしてベッドを置いた部屋で朝食を待つ父を呼びに行く前に、ドアの手前に置いてあった、ポスターの筒が入った段ボール箱を片付けた。
 今年のはじめに転んで骨を折った父の、だいたいこつを固定するボルトが抜けたのはゴールデンウィークにさしかかるころだった。四カ月の間にすっかり細ってしまった筋肉はまだ戻ってきていないため、つえをつくスペースが必要なのだ。
 本当は手すりがあればいいのだが、電電公社の職員住宅をリフォームしたこの家の壁には、体重を支えるような手すりなどつけられない。
 父の動線が片付いていることを確かめた昇が、ベッドを置いた部屋に「ごはんだよ」と声をかけると、鉄フレームのきしむ音に続いて、大きなきぬれの音がした。
 父がすぐに動き出したことに満足した昇が、自分が座る席に腰掛けると、「おはよう」と言って父が入ってきた。
「おはよう」と昇が返すと、杖を置いてから腰掛けた父は、脇にけてある段ボール箱に目を留めて、顔をしかめた。
「また選挙か?」
 ちがうよ、と答えた昇は一本取り出して開いてみせた。
「八月踊り。今年は九月の十五と十六日だって」
「二ヶ月後か。行きたいな」父はふとももに手を置いた。「杖なしで歩けるようになってるかな」
「リハビリをさぼらなければ、大丈夫」
 顔をしかめた父は、にやっと笑ってテーブルに肘をついた。
「そういえば、雄太は、どっちにつくか決めたのか?」
 父の具合を知りたくなった昇は、顔を背けて父の言葉を聞き、ふた呼吸置いてから「ごめん。いま、何か聞いた?」と聞き返した。調子が悪い時は自分が声をかけたことすら忘れているのだが、今日はすぐに返事があった。
西にしのクルーズ船の話だよ。難民にユリムンビーチを貸すか、追い返すかでめてるんだろう。雄太は、どっちにつくのか決めたのか?」
 イントネーションは若干異なるが、はっきりとした標準語で父は聞いてきた。島言葉をりゆうちように話せる父だが、内地の学校に行けそうだった昇のために、家では標準語を話していたのだ。
 ぼんやりしているときは島言葉に戻ってしまうことが多いのだが、今日はそうとう調子がいいらしい。
「いいや。決めてないし、決めても誰にも言うつもりはないよ。客商売だから」
「客商売? アマンコープなら関係ないだろう」
 味噌汁の椀を手に取った父は、箸でアマンコープの方向を指した。
「だいたい、社長のえいいちがユリムンビーチを誘致してることぐらい、みんな知ってるじゃないか。がユリムンだから自分もアマンコープで買うとか、違うからかぶりで買うとか、考えられん。ほんとにそんな客がいるのか?」
「いや──どうだろう」
 昇は、商売がある、と答えたことを後悔した。
 にはアマンコープのほかに、鹿児島のスーパーマーケットチェーンが出資してできた冠屋スーパーがある。鹿児島のチェーンはバブル崩壊のあおりを食って潰れたが、店主と町民の頑張りで店は残った。スーパー然としたアマンコープでは扱っていない商品も置いてある。昇も時々買い物に行くのだが、生活必需品のしなぞろえと価格は、アマンコープが圧倒的に優っているから、オーナー社長の考え方が気に食わないからといって、アマンコープに行かないというのは考えにくい。
 それでも昇は、最近見かけなくなった顔がないだろうかと思い返してみた。
「いないと思うよ」
「そうだろう? だから、雄太は好きにすればいいんだ。どっちを選んでもいい。意見が割れているようだけど、相手をなじらなければいいんだ」
 昇に食事のマナーをしつけていた時と同じように、背筋を伸ばして飯碗を左手で持ち上げ、飯を口に運ぶ父の手つきは確かなものだった。これほどしっかりとした父を見るのは何日ぶりだろう。昇は、この数日間疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
あんとく戦争の時は、ひどかった?」
「朝の豆腐、どこで買ってたか覚えてるか?」
 予想していなかった父の返事に、今日も調子は良くないのかと失望しかけた昇だが、とりあえずきちんと答えることにした。
わたり商店でしょ」
 NTTの社員寮から、川沿いに四十メートルほど下っていったつじにあったよろず屋だ。朝、目を覚ました昇が真っ先にすることは、ボウルを持って渡商店まで歩いていき、六十円を置いて、軒先の一斗缶から豆腐をすくってくることだった。
「覚えてるよ。東京から帰ってきたら、店がなくなっててびっくりしたけど」
「あれな。八年前に畳んだんだよ。雄太がお使いに行く前は、僕が渡さんとこに買いに行ってたんだけど、安徳選挙の時はまつ商店で買ってたんだ」
「へえ」
 松田商店は渡商店があったところから二十メートルほど先の雑貨屋だ。道のりはわずかしか変わらないし、同じ豆腐屋が持ってきているので、味も値段も変わらない。それでも店を変えたということは、父がなんらかの意思を示したということだ。父は、それほど熱心ではないがとくとみを支持していた。
「松田商店は、徳富さんの支持者だったんだね」
「そうじゃない。松田さんちはやすさんの親戚だよ。僕は、徳富さんの事務所に出入りしてるけど、べったりじゃないよ、って知らせるために、豆腐を安田派の店で買ってたんだ。住宅の前には見張りが立ってたからね」
「めんどくさいね」
「ほんとうにひどかった。盗聴器の話、雄太は覚えてるか?」
「安徳のころは、まだ生まれてないんじゃないかな」と、昇は返した。
 父が安徳戦争の話をするときには必ず出てくる体験談だ。
 仕事をようやく覚えた父は、プッシュホンへの切り替えをするために訪れた家の保安器の中に、盗聴器を見つけたのだという。回線から、タバコの箱ほどの大きさの盗聴器を取り外した父親は困り果てた。本来なら職場で報告するべき事案なのだが、盗聴されていた家が徳富派なら、安田派の熱心な支持者である父の上司は、報告を握りつぶして、盗聴をだいなしにした父を恨むだろう。
 逆にこの家が安田派ならば、汚い徳富派の工作をふいちようして、見つけたのが父だと言って回るかもしれない。
 警察も、選挙管理委員会も、こと選挙となればあてにはならない。
 はっきりしているのは、父が盗聴器を見つけたという事実はどちらかの陣営に利用されてしまうということだけだった。それで父は盗聴器を家に持ち帰り、母に見せたあとでゴミに出したのだという。
 父が、そこに昇がいなかったことを覚えていないのが残念だが、自分自身が三十年後に、今の西古見のクルーズ船誘致騒動で起こったことを誰かに伝えきれる自信はない。
 そんなことを考えていると、食事をする父の手が止まっていた。
「父さん」と声をかけると、父は握っていた箸をちらりと眺めて、かすかに震える指で箸置きに置いた。それから昇の顔を見つめた。
「雄太、もう身体からだはいいわけ(体調はよくなったのか)?」
 父が唇をほとんど動かさず響かせたのは、きつい島言葉だった。
 話のできる時間は終わったのだ。
「僕は、大丈夫よ」と、昇も子供時代のように島言葉のイントネーションで答える。「父さんの方が、気をつけんばよ(気をつけなければいけないよ)。はぎん骨がくっついたばかりだからよ(脚の骨がくっついたばかりでしょう)、リハビリすとぅぐれんば、歩けんくならんど(リハビリをがんばらないと、歩けなくなるよ)」
 父はテーブルに立てかけた杖をじっと見て、うなずいた。
「わかった」
「疲れるかもしれんけど、今日はたつさんところでリハビリしてもらっていいかい」
「わじゃわじゃしてて好かんのだけどや」
 ぼんやりとしている時の父は、考えもせずに好き嫌いを口にする。手を焼くことは確かだが、考えていることを口にせず、我慢を重ねていつのまにか不機嫌になりがちだった父よりも付き合いやすい。
「ごめんねえ、父さん。辰巳さんとこは午前中だけちょ。午後は〈あまくまネット〉が迎えに来るから、晩ごはんまで食べて帰ってきてね」
 父は腕時計に視線を落とした。
「今日は遅いわけ?」
 昇は不意に感動を覚えた。
 ぼんやりしている時の父が、自分のスケジュールを理解してくれたのだ。
「今日は島に配達に行くちょ。戻りは最終のフェリーになるから、九時は回るよ」
 そうか、と言って頷いた父は、ほとんど口をつけていない朝食に視線を落として「遅いわけ?」と繰り返した。
「今日は加計呂麻島に配達に行くちょ」
 昇も同じように繰り返して、朝食の皿をひとつずつ片付けていった。
 その姿をぼんやりと眺める父の表情からは、どんな感情も読み取ることができない。だが、昇の心はいつもよりも軽くなっていた。
 久しぶりに話せたのだから。
 昇は繰り返した。
「今日は、加計呂麻島に配達に行くわけよ。帰りは遅くなるからや、九時は回るはずど。晩ごはんは〈あまくまネット〉で食べてから帰ってきてね──」

>>#10-2へつづく ※8/19(月)公開
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「カドブンノベル」2019年9月号収録「第二開国」第 10 回より
○第 1 回から第 9 回は「文芸カドカワ」でお楽しみいただけます。

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