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連載

藤井太洋「第二開国」 vol.17

リゾート建設が国家を揺るがすポリティカル・フィクション! 藤井太洋「第二開国」#14-1

藤井太洋「第二開国」

※この記事は、期間限定公開です。


前回までのあらすじ

2023年の奄美大島。東京から奄美に戻った昇雄太は地元のスーパーで働き始めた。クルーズ船寄港施設の建設が進む中、祝佳乃とも再会した。だが、祝もプロジェクトに関わる寄港施設が難民受け入れを目的としていたことに住民の一部は反発し、公安警察の間渕らは、反対住民の実力行使を煽動する。クルーズ船を見に、海に出ようとした昇は、間渕らが船の入港を妨害する準備を進める現場に出くわす。昇は妨害の実行犯が喜矢武であると確信する。

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 第九話 開国(承前)

「待たんか、のぼりぃ! 戻ってこんか! なんすっつもいやっとよ!」
 シートに座った昇は、頭上から降ってきたありの怒声に思わず首を縮めてしまう。中学二年生の時に鹿児島からやってきた体育教師のこれまさ先生が竹刀を振り回してげきこうした時と同じ、荒々しい鹿児島弁だ。そんな教師がいたことなど今の今まで忘れていたし、鹿児島に行っていた高校生の頃は自分でも鹿児島弁もどきを話していたというのに、怒鳴られて背筋を伸ばしていた時の記憶は、体が覚えているらしい。
 中学生の時は硬直していたが、今はせいぜいビクッとするぐらいだ。
 いま観測所を出て追ってきたとしても、すでにカヤックに乗り込んでいる昇を捕まえられるわけもない。
 昇はパドルを砂の底に突き立てる。砂に潜ったパドルのフィンをねじらないように注意しながらまっすぐ力を込めると、船底に感じていた砂の抵抗がすっと消えて、カヤックが海峡に滑り出した。
 パドルを両手で握った昇が振り返ると、崖の上に立つ観測所が目に飛び込んできた。展望台の手すりに身を乗り出した有馬が拳を振り上げているのがわかる。真下の崖には、白茶けた表土に、擦り傷のようにオレンジ色の赤土の筋が走っている。ついさっき転がった時の跡だ。
 赤土の跡は五メートルほど続いてから、群生するてつの中に消えていた。思わず、パドルを握っている手を止めて、自分がをしていないかどうかを確かめてしまう。真下に落ちたわけではないが、よく怪我しなかったものだ。
 前傾した昇は、が切り裂く水と、その下に透けて見える砂浜を見つめながら、パドルを動かした。腕を何回か動かしていると、水底の砂地からのぼってくる熱がすうっと引いていく。同時に、黄色味を帯びた白い砂は徐々に青味を帯びていき、エメラルドグリーンに変わっていた。
 正面にはばなれが浮かんでいた。右手は東シナ海に開け、左手の前方には西にし湾の目印となる三つの岩──さんれんたちがみが連なっている。
 カヤックを出した浜から、すでに百五十メートルほど離れていた。ここまで来れば、有馬も追いかけてはこないだろう。
 昇はパドルをぐ手を止めた。何も考えずに浜から離れたが、このまままっすぐ行くと、観測所から見たブイの列にはたどり着けない。昇は首を巡らせて、ブイの列を確かめようとした。
「あれ?」と、思わず声が漏れる。
 とろりとした海面に、ブイらしいものが見えないのだ。
 海峡の向こう側では、ブイを引いていたタグボートが波をけたてて走っていた。それを追ってさねの浜から飛び出したがものアイノコもはっきりと見えている。タグボートのものだと思われるエンジンの音も、海峡の反対側だとは思えないほどはっきりと聞こえている。
 だが、ブイだけがどこにあるのか分からない。観測所から見た時は、江仁屋離から三連立神の方向に並んでいたはずだが──左手の三連立神からゆっくりと視線を動かしていると、海峡の向こう側からやってきた航跡波ウエーキでカヤックが浮かび、視界がぐっと広がった。
 なんのことはない、カヤックに座っていたせいで見える範囲が狭まってしまっていたのだ。
 ばっかだなあ、と言った昇の声は、しやへい物のない海の上を散らばってしまい、自分の耳にも頼りなく響いた。
 大きく息を吸い込んだ昇は、カヤックの船体に響くことを期待して腹から声を出した。
「はげぇ、わんぬフリムンあらんな(まったく、俺は馬鹿だな)」
 船体を響かせたしまぐちは父親世代に遠く及ばないのはもちろんのこと、しげどうの若い言葉よりもずっとぎこちなかったが、心を落ち着ける効果はあった。
 昇は、家を出る前に計算していた数字を思い出した。観測所の標高は百メートルで、そこから見る水平線は三十七キロ先にある。カヤックを習ったおおやまスポーツの先輩は、砂浜に立った状態なら六・五キロ先が水平線で、カヤックに座ると二・五キロメートル先までしか見えなくなると教えてくれた。確かに、三・五キロ離れている無人島、江仁屋離の縁にある真っ白な砂浜は見えなくなっている。水面に顔を出すだけの黒いブイが見えなくなっても仕方がない。
 転覆しないように気をつけて脚を抜いた昇が慎重に立ち上がると、視界の下半分を占めて距離感も怪しくなっていた水面が、広がりを持った空間に変わる。
 先ほど、波間に見えたブイを探しあてた昇は、すぐ近くにもう一つが浮かんでいることに気づいた。
 ジラッと輝いたような気がしたのでじっと見つめると、水面下でロープに結びつけるためのつぎの黄色いプラスチックが屈折して、波の間から見えていたことに気づいた。
 よく見ると、ブイの黒色にはムラがある。塗ってあるのだ。
「これは、まずいだろう」
 思わず口から言葉が漏れる。
 観測所から見たときにおかしいと気づくべきだった。普通、ブイは船から発見しやすいように、黄色やオレンジ色のような、目立つ色で成形される。もちろん目立たない色のブイがないわけではないが、列をなして幅が二キロから五キロほどあるおおしま海峡を横断するような数の「黒い」ブイをあえて用意して並べたのなら、そこには船を港に入れないという意志よりも強い悪意がある。
 船をからめとろうとしているのだ。
 誰かに急いで知らせなければならない。
 昇は不安定なカヤックの上で慎重に背筋を伸ばして、ブイの配置を改めて確かめた。
 ブイの列は、三連立神の最も先端にある岩礁から始まり、南に伸びていた。海の色が変わるところで──おそらく潮の流れの関係だろうが──西に膨らんだブイの列は、海峡の中央あたりで大きく東に向きを変え、江仁屋離に近づいたところで、今度は逆に西側に大きく膨らんでいるようだった。おおきなS字を描いている感じだ。
 タグボートは、二つの膨らみの向こう側でブイの列にロープをかけて、江仁屋離のいそつないであったブイの終端を、東に引っ張ろうとしているようだった。
 海峡を封鎖する線を引きなおしたいのだろうか。
 確かに、もしも〈エデンの園号〉が、海峡に西から入る海峡航路を通らずに、江仁屋離と島の間を通り抜けてきたなら、今ブイが並んでいる封鎖線では役に立たない──ということは?
「こっちから来るのがわかったのか──うわっ!」
 背伸びして江仁屋離と加計呂麻島の間に目を凝らそうとした昇は、大きくバランスを崩してしまった。船体を踏みつけようとして右足を引き抜くが、それが逆効果だった。一度大きく右にかしいだカヤックは、昇をそのまま海に振り落として反対側にくるりと回る。
 ちん──こんな時に。
 海に落ちた程度のことでうろたえるような初心者ではない。パドルと船体はリーシュでつないであるし、あんなに慌ててエントリーしたのに、気がつくとライフジャケットを身につけていた。何より九月の海だ。真夏さながらの日差しのおかげで寒くもない。
 波と波の間には、二十メートル下の海底がはっきりと見えている。ちらりと見えた黒い影は、自分のものだろう。気を抜くと、落ちてしまうと錯覚するほどの透明度だ。
 昇がカヤックに泳ぎ着くと、裏返しになった船首のすぐ先に黒いブイが浮かんでいた。よく見ると、遊泳区域を示すただの標識ブイではなかった。直径一メートルほどの、浮力を用いていけなどを浮かべておくためのブイだ。ブイの下部にある黄色い継手からは真下に、十二ミリ径のロープが伸びていた。
 このロープを切ってしまえば──だめだ。
 ブイに結んだロープを切ってもブイが漂流するだけでロープは海中に残ってしまう。全てのブイに取り付いて切断できれば、ロープは海底に落ちるだろうが、一人でやれる作業ではない。携帯電話が使えないので人を集めることもできない。
 海峡封鎖を止めるには、このロープの下でブイ同士を結び合わせているロープを断ち切る必要がある。そしてそちらの方が簡単だ。全てのブイとブイを切り離す必要はない。
 昇は顔を水につけて目を開いた。水面を上から見ているのとは違ってピントが合わなくなるが、波の隙間からのぞき見るようなやりかたでは水底の様子はわからない。
 ぼんやりとした視界には、真白な海の底を縦に横切る岩礁がぼんやりと見えていて、ウミヘビかウツボかがその下に潜り込む。ブイから真下に垂れたロープの先は、その黒い岩礁と重なっていてどうなっているのかわからない。
 この先のブイに連なっていくロープがあるはずなのだが、よほど深いところに沈めてあるのか、水中眼鏡がなければわからない。
 息継ぎのために顔をあげた昇は、スマートフォンで撮影してみることにした。生活防水だが、この際なら役に立つだろう。
 ライフジャケットの下からスマートフォンを取り出した昇は、本体を逆さまにしてカメラだけを水に差し込んだ。カメラを立ち上げると、液晶画面には白く色補正されたブイの継手とロープがはっきりと映し出された。
 カメラを傾けてロープの先を追った昇は、思わずスマートフォンを取り落としそうになった。
「これは──」
 言葉が続かない。海底を横切っていた黒いものは岩礁じゃなかった。黒い筒だ。
 水深は十メートルほどだろうか。画面を拡大した昇は、そこにいくつかの記号を読み取った。ケーブルそのものの太さを示す数字と、屈曲半径だろうか。二つの、径を示す数字が書かれている。
 画面に見入っていた昇は、その日二度目の名前を──今度ははっきりとしたさげすみの感情を込めて呼んだ。
たけ先輩。これはダメだよ」
 ブイが浮かべているのは海底ケーブルだ。場所から考えると、ユリムンビーチに高速インターネットを引き、うち町に5G通信網をひくために敷設したという通信ケーブルなのだろう。
 こんなものがあの巨大な〈エデンの園号〉に引っかかってしまえば、船が足止めをくらったり、壊れてしまうだけでは済まない。
 サンゴ礁に横たわるケーブルが五十万トンの船に引きずられれば、ようやく復活しつつあるサンゴの森に取り返しのつかない傷をつけてしまう。
 早く誰かに知らせなければならない。
 圏外表示のスマートフォンをライフジャケットのポケットにねじ込んだ昇は、カヤックに乗り込んで猛然と海峡横断の旅に出た。

「エスカレーター、動かしておいてね!」
 船内サービス用のアプリが提供する内線電話にそう命じたぶきクロエは、〈エデンの園号〉の船体の真上にそびえ立つ客室棟を端まで歩いて、水密扉の脇に開けられた通用扉にてのひらを押しつけた。チッという小さな音に続いて、扉が開く。
 念のために、と左右と背後を確かめた矢吹は、二つの船体をつなぐはりを覆うような建物に入り込んだ。正式な名称は梁上ビーム棟だが、ほとんどのスタッフは梁を橋だと言い張ってブリッジ棟と呼ぶ。頭文字も変わらないので混乱することはないし、ブリツジがあるのも事実だ。
 扉の中に足を踏み入れると、内装の様子ががらりと変わった。
 圧迫感を与えるほどではないが天井は配管と通信・電力ケーブルが露出しており、壁はウレタン塗装に抗菌コーティングを施したライトグレー一色。床もカーペットではなくタイルが敷き詰められている。また寄港地の治安部隊が許可なく立ち入れないようにするため、壁も分厚いし窓もない。
 他のエリアが、乗客となる難民たちに、不安のない生活を送ってもらうための快適さを与えるためにしつらえられていることと比べると、十分に官僚的な空間だ。
 目的地のブリッジに歩を進めた矢吹は、残る道のりの長さにため息をついた。
 全長、三百六十メートル、横幅が九十八メートル。人が入れる居住区域の階層は十四階を数え、水面からの高さだけでも七十メートルを超える巨大な船内を移動するのは思ったよりも骨が折れる。
 自転車や電動キックボードを使うスタッフもいるぐらいだが、矢吹は、サービスが始まった時に、ワールドリゾートインスティチュートの賓客が使うことのできるプレミアムスイートに泊まっていた。
 四百台の衛星携帯電話を束ねてインターネット接続できる船内には光ファイバーが張り巡らされていて、矢吹が泊まっていたプレミアムスイートは、テレビやVRの会議室があるビジネスセンターのすぐ脇なので、動かなくても良いはずだった。
 実際には、船のあちらこちらに点在する「現場」へと足を運ぶことになったため、矢吹は一日中船のあちらこちらを歩き回っていた。航海の最終日である今日は、ユリムンビーチに搬入する医療機器の最終チェックと、オープニングスタッフへの最終ブリーフィングを行う予定だったが、全てをキャンセルしなければならなくなった。
 ユリムンビーチの施設と連絡が取れなくなり、港への航路も何者かによって封鎖されているという。
 妨害があることは十分に予想できていたというのに、誰も手を打たなかったのだろうか。
 気のせいか、廊下に響くヒールの音も高まっているような気がする。
 ようやく近づいてきたブリッジ前の水密扉の前には、男女の警備員が立って矢吹を待っていた。二人とも折り目の入った黒のパンツを穿いて、背中に「SECURITY」と大きく描かれた紺色のジャンパーを羽織っている。
 まるでアメリカの刑事ドラマに出てくる捜査員のような野暮ったい制服は、矢吹が決めたものだ。
 もとの警備員の制服は、ジャック=デルマスが従軍していた──入社後に知ったことなのだけど!──くうてい団の礼服をアレンジしたスタイリッシュなものだった。
 矢吹が声をあげたのは、パターンオーダーの型紙を作るために、スタッフになる予定の難民に来てもらった時のことだった。制服の完成図を見た何人かが露骨に嫌な顔をしたのだ。
 聞くと、難民キャンプの警備兵の服に似ているのだという。矢吹はその場で、ジャック=デルマスに電話をかけていた。
 戦乱や虐殺の恐怖から逃げてきた難民たちに、軍隊をイメージさせるものを見せたくない──そう訴えた時、矢吹が八年ちかくかけて身につけたりゆうちようなフランス語は、学校を出たばかりの外国人のようにつっかえていた。
 どうしてそんなことになったのかよくわからない。だが、間違いだらけのフランス語をじっと聞いていたジャック=デルマス社長は、少し怒ったような声で「vous voudrezヴドウエ,Chloéクロエ.(クロエ、好きにすればいい)」と言って電話を切った。
 なぜ怒っていたのかはわからない。見落としていたのか、それとも意見を言うような存在だと思われていなかったのかもしれない。ともかく矢吹は十五分刻みで予定が詰め込まれたカレンダーの中になんとか隙間を作って、制服のデザイン確認に没頭した。
 矢吹は、船長らをはじめとする艦橋乗務員ブリツジクルー、警備員、整備士らの制服から手をつけて、医師や看護師、調理師や、清掃作業員まで、ユニフォームと呼べるもののデザインを全て確かめた。ミリタリー要素を排除するところから始まった作業だが、スタッフになる予定だった難民たちの声を取り入れていくうちに、民族・宗教に配慮したものへと変わっていった。
 二ヶ月間没頭した作業の結果を見たジャック=デルマスは「まるでアメリカの量販店で買いそろえたような服だな」と顔をしかめたが、反対はしなかった。
 思えばあの体験で初めて矢吹は、難民のための活動だということを実感したのかもしれない──だけど、その後、夢中になって取り組めた仕事がなかったことも事実だ。
 特にこの何ヶ月か、あの女──いわいよしが現れてからというもの、このプロジェクトが自分のものだという実感が失われつつある──何考えてるの!
「ばか」と短く吐き捨てた矢吹は、立ち止まる時にかかとを床に打ち付けた。
 男性警備員は矢吹のブリーフケースを受け取って中をあらため、女性警備員はボディチェックを行った。ボディチェックが終わったところで、男性の方がモバイルバッテリーをブリーフケースから取り出した。
「クロエさん、容量オーバーしていますので、こちらで預かります。出る時におっしゃってください」
「あら、ダメなの?」
「申し訳ありません」

#14-2へつづく
◎最終回(第14回)の全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年2月号

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