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連載

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」 vol.8

体罰疑惑が、武士が教える剣道教室で発覚。体罰か、それともいじめか!? 榎田ユウリ「武士とジェントルマン」#2-3

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

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2.知らぬが(  )、言わぬが(  )

「すごかったのです」
「ほー」
「あの緊張感──私の日本語ではうまく伝えられませんが、せいひつな冬の朝、美しい湖を訪れ、厚さのわからない氷の上を歩くかのごとく」
「いや、めちゃめちゃ伝わってくるし」
「最初はこう、竹刀の先でチョンチョンと軽く触り合っているだけでなかなか打ち合いが始まらず、なにをしているのかと思っていたのですが──距離を計っていたわけです!」
「うんうん」
「間合い、と言うそうですね! その間合いを理解しようとする小さな動き、それがつまり竹刀の先で少しだけ触れ合うあの行為なわけです。こちらが打ち込める距離ならば、もちろん相手も打ち込めるわけですから。間合いというものがどれほど重要か……少しではありますが、私も理解できたような気がします。そして、言葉では説明しきれない瞬間が訪れ……あとはもう、電光石火lightning speedです。正直、私にはどちらが早くどちらを打ったのか、まったくわかりませんでした」
「あー、わかんないよねー、剣道の試合。ほかの競技に比べて、審判すっごく難しいって聞くもん。……で、どっちが勝ったの?」
 最後の質問部分は私ではなく隼人に向けられた。栄子に問われた隼人がいつものごとく平坦な口調で「それがしが勝ち申した」と答える。
 伊能家のティータイムである。
 家政婦の栄子がやってくる日の恒例で、彼女の仕事が一段落すると、三人で茶の間に集まってお茶と菓子をいただくのだ。栄子にとっての休憩時間であり、また諸連絡を私と隼人に伝えるための時間でもある。作り置きして保存した料理のうち、早めに食べたほうがいいものはなにか、温め直す時のコツやポイントなど、もろもろの連絡事項を聞いておく。もちろん無駄話も大いにある。今日はたっぷりのミルクティーとショートブレッドと英国風だが、煎茶にようかんという日もあれば、中東風のミントティーもあった。栄子のレシピはワールドワイドだ。
「勝ったの! さすがだねえ、隼人さん」
「たまたまです」
「ふたりには、どれくらいの実力差があるのですか?」
 私が聞くと、隼人は「それほど違いませぬ」と答えた。
「ただ、頼孝は最近稽古をさぼりがちでしたので、いくらか鈍っていたのでしょう。あるいは、アンソニー殿がいらしていたので、私に花を持たせた……つまり、勝たせてくれたという可能性も……」
「ヨリちゃんはそういうことしないでしょ」
 ショートブレッドをサクッと齧って栄子が言った。これは栄子が先ほど焼き上げたもので、まだ粗熱が取れたばかりの出来たてである。
「チャラチャラしてるように見えて、実は相手をよく見てる子だもん。隼人さんとは長いつきあいだし、なにをされたらイヤなのかは知ってるはずだよ」
「……確かに」
「ふたりはいつからの友人なのですか?」
「初めて会ったのは……正式に武士として登録した場でしたので、十六かと」
「そういえば、頼孝はとても有名な武将の子孫だそうですね。私でも知ってる人物でしょうか」
「んー、知ってるんじゃないかなあ」
 答えてくれたのは栄子だ。
のぶなが。戦国時代の超メジャー武将だね」
「ああ、はい。江戸幕府を築いたとくがわいえやすより、少し前の人ですね」
「そうそう。ゲームやアニメのキャラクターにもよく使われる有名人」
「彼はそんなすごい先祖を…………む、これは……」
 質問の途中だったが、私は思わず目をみはった。
 ショートブレッドがあまりに美味だったからだ。クルミ入りでとても香ばしい。バターの風味がしっかりきいていて、だが軽やかさは失われておらず、サクサクというよりホロホロとした独特の食感がある。
「素晴らしい。英国で食べていたものより美味かもしれません」
「うふふ~。ありがとう」
「栄子殿の菓子は、どれもプロ級にござります」
 隼人が誇らしげに言った。
「こうして作っていただくと、時折ご近所にもわけるのですが……あまりに美味しいので争奪戦が起きるほどです」
 自分の剣道の腕を褒められた時より、よほど嬉しそうだ。栄子もそれを聞いてニコニコしている。ちなみに茶の間は和室であり、隼人は胡座あぐらという座り方をしていて、私も真似ている。さらに言うと、栄子も胡座である。我々はチャブダイという、可愛らしい響きの円形ローテーブルを囲んでいて、その上にマグが三個とショートブレッドが置いてあるわけだ。
「ミルクティーとの相性が抜群ですね。この、少しもろい感じがたまらないのですが……なにか秘密が?」
「秘密ってこともないけど、米粉が少し入ってるよ」
 なるほど、ライスフラワーを入れるとこうなるのか。フィンガー型ひとつをあっというまに食べてしまった私は、二個目をまみながら「ヨリタカですが」と話を戻す。
「すごい侍の子孫なんですね」
「そうそう。まあ、すごいのはヨリちゃんじゃなくて信長だけど。えーと……隼人さん、あの子はかいばらはん系だっけ?」
「いえ、八男、織田のぶよし系だったかと」
 そっか、と栄子が再び私を見る。
「実のとこ、信長の子孫って名乗ってる武士は何人もいるんだよね。なにしろ戦国大スターだから。でも本当かどうか微妙な人も多いわけ」
「偽者もいると?」
「そうそう。家系図が残ってても、その家系図が本物なのかっていう問題があるからさー。ヨリちゃんとこはどっかの大学の教授のお墨つきで、実家から古文書なんかも出てるから、しんぴよう性はかなり高い」
「本物かどうかの公的な判断は、誰がするのですか?」
「誰もしない。よね?」
 栄子が隼人を見て、隼人は無言で頷く。とくに証拠は必要なく、名乗った者勝ち、ということなのだろうか。
「ちょっと待ってください。それでは、次々に偽者が現れてしまうのでは……」
 栄子は上目使いに考えていたが、やがて「まあ、ある程度はね」と答えた。
「やっぱりメジャーどころの血筋だって言いたくなるみたい。でも、さすがに適当すぎる家系図だと専門家から嘲笑されるし、本物の皆さんから白い目で見られるからねえ。徳川宗家や御三家なんかは、ばっちり明確な証拠あるし。……あ、でも、あのへんは武家登録してなかったりするよね?」
「左様ですな」
「え、なぜですか?」
「名家中の名家ともなれば、わざわざ登録する必要ないってことなんじゃない? それに、あんまりメジャーどころがいると、派閥でめそうだし」
「……人が集まるところ、派閥はどうしてもできまする」
 ぼそりと隼人が呟く。どんな組織でも派閥問題はあるらしい。
「出自を正確に示さなくていいのならば、本当に武士といえるのかも怪しくなるのでは?」
「──なにをもって武士とするか、は難しいところだと存じまするが」
 隼人がマグカップを置き、居住まいを正す。
「現代武士においては、『かつて武家だった家の者』という定義になっております。登録の際は家系図の提出が求められるものの、先刻申しました通り、そのしんがんを問うことはされませぬ。確かに、厳正さに欠けるとは思いまするが……」
 隼人に代わって、栄子が「ニセ家系図まで用意して武士になりたがる人なんか、もういないわけよ」と言った。
「二十年くらい前は、武士ブームがあったけどねー。その時の武士……ええと、一時的な、流行してる時だけの、そういう武士ね。彼らはほとんどいなくなっちゃったもの。今は珍しいから、隼人さんと電車とか乗るとすっごい見られるじゃない?」
「ええ、それは私も体験しました」
「お金になるわけじゃないし、むしろボランティアに時間割かなきゃならないし、髷結って袴はいて、珍獣みたいにジロジロ見られてさあ。しかもヨメ来ないのよ?」
「いや、栄子殿、結婚している武士も……」
「少ないよね。しかもほとんど名家か金持ち。最初からアドバンテージがある家」
「…………ごほ……いずれにせよ武士とは……これは、それがしの考えにすぎませぬが……その家系や先祖もさることながら、本人の中に武士の魂があるかどうかが重要なのではないかと」
「魂、ですか」
「はい」
 サムライスピリット、というわけだ。しかしこれまた、私にとっては実像がぼんやりしている。
「その『武士の魂』とはどういう意味なのでしょうか」
「武士道を求めてやまぬ心かと」
「では武士道とは……」
 と聞いたところで、玄関の呼び鈴が鳴った。ごめんください、という男性の声も届く。
 隼人が玄関に向かい、ほどなく戻ってきた。
「栄子殿、お手数ですが客間にお茶をお願いできまするか。小学校のなか先生がお見えに。アンソニー殿も、よろしかったら客間へ。先生を紹介いたします」
 了解、と栄子は立ち上がり、私も客間に向かった。田中先生の話は少しだけ聞いたことがある。このあいだ見学した剣道教室は小学校の体育館で行われており、その担当教諭が田中先生なのだ。私が見学していた時は職員室でほかの仕事をしていたようで、会ってはいない。
「初めまして、ハワードさん。田中翔馬しようまです」
 にこやかな挨拶をくれたのは、四十前後の男性だった。
「初めまして、タナカ先生。どうぞアンソニーと呼んでください。先日、剣道教室を見学させていただきました。子供たち、みんな元気にレッスンしていましたね」
「はい、隼人先生には大変お世話になっています。子供たちはアンソニーさんのこともしきりに話していましたよ。六年生の女の子なんか、イケメンが来て嬉しかったと」
「男の子たちは、私がシリモチをつく話をして笑ったんじゃないですか」
「そんなことはありません……と言いたいところですが、その通りです」
 田中先生はそう言って笑う。眼鏡をかけており、少し下がった目尻が優しそうだが、体格はなかなかがっちりしている。聞けば、高校生までは柔道に打ち込んでいたそうだ。
 栄子がお茶を持ってきたあと、田中先生の表情が少し硬くなり「実は」と本題に入る。
「本日お伺いしたのは、隼人先生にお聞きしたいことがあるからなのです。私としても、こんな質問はしたくないのですが……」
 なにやら深刻な様子に、私は退出したほうがよさそうに思ったのだが、田中先生は「いえ、いてください」と言う。
「先だっての剣道教室でのことなのです。その場にいたアンソニーさんにもご意見をお伺いしたいと思っています。隼人先生、もりそらくんなんですが……あの日、変わった様子はなかったでしょうか」
「宙、にござりますか」
 隼人は教室の子供たちを名前で呼んでおり、「くん」や「さん」もつけない。
「あの日は、少し遅刻してきました。アンソニー殿と同じ頃に来たかと」
 もしかしたらあの子だろうか。体育館に入る時、礼をしなければいけないと私に教えてくれた眼鏡の男の子だ。
「とりわけ変わった様子はなかったと思いまする。ただ、宙はあの年頃にしては、とても落ち着きがあり、聞き分けのよい子ゆえ、なんと申しますか……」
「ええ、わかります。あの子はしっかりしていて、感情の起伏が大きくないので内心がうかがいにくいんですよね……アキラなんかだと、少し元気がないだけですぐわかるんですが」
「はい」
「回りくどくお話ししても仕方ないので、単刀直入にお伺いしましょう。今日、体育の授業の前の着替えの時、宙くんの身体にあざが見つかったんです。背中に……ちょうど、竹刀で叩かれたような跡が」
 私も隼人も黙った。田中先生が何を言いたくてここに来たのかもう理解できたからだ。
「その痣を見つけた児童から聞いて、私は宙くんとふたりで話しました。彼は、最初は知らない、どこも痛くない、と言い張っていたのですが……やがて諦めたような顔で、『剣道教室でやった』と」
 誤解のないようにお願いしたいのですが、と田中先生は続ける。
「宙くんが言ったのはそれだけです。剣道教室でやった、と。打ち合いの稽古でやったのか、あるいは誰かにやられたのか……そういうことは一切言いませんでした。ですから私は──剣道教室の担当教諭として伺わなければなりません。隼人先生。剣道教室で、体罰は行われているのでしょうか?」
まさか!No way!
 よく考えれば、私が口を出すべきではなかった。これはあくまで隼人の問題であり、私はたまたまあの日の剣道教室にいただけなのだから。けれど、ほとんど反射的にそう口にしてしまったのである。
「失敬。しかし、ハヤトがそんなことをするはずありません」
 田中先生がちょっと驚いた顔になる。無理もない。私はまだ日本に来たばかりであり、隼人と知り合って半月も経過していないのだ。それなのになにがわかると? 実のところ、口走った私自身びっくりしているほどだった。だがそれは顔に出さないまま「短いつきあいでも、わかることはあります」とエクスキューズを付け加える。
「彼は礼儀正しく、人の気持ちを思いやることができます。外国人である私にも、日々細やかな気遣いを見せてくれているのです。自制心が強く、決して短気ではありません。体罰などあり得ない。まして子供の背に攻撃するなど、考えられません」
「あ……は、はい。私も、そう思っています」
 田中先生はすぐに同意してくれた。
「そうですとも。このあいだなど、部屋の隅で四つんいになっているのでどうしたのかと思ったら、小さなに話しかけていました」
「蜘蛛に?」
「……アンソニー殿」
「掃除中に見つけたようで、『すまぬが、どいてくれぬか。これからそこをクイックルしたいのだ』と。そんな人が、子供に暴力など……」
「アンソニー殿、そのへんで」
 ぼそり、と隼人が言った。顔が少しむっとしていて、あ、これはされたくない話だったろうかと気づく。蜘蛛との会話を私がたまたま聞いていたことを、隼人は知らなかったらしい。田中先生は「隼人先生らしいです」とほほんだ。
「私も隼人先生のお人柄は承知しています。聞くまでもないと思ったのですが……確認だけはしなければと……申し訳ありません」
「いえ、私のほうこそ失礼いたしました」
 私も頭を下げながら再び謝罪した。
「こういった事態が起きてしまえば、確認を取ることはタナカ先生の大事な仕事でしょう。たかが同居人が口を挟んでしまい、すみません」
「そんな。同じ屋根の下に住んでいれば、家族も同然でしょう。……隼人先生、アンソニーさんは良い方ですね」
 田中先生の言葉に、隼人が「はあ」と珍しく覇気のない返事をした。やはり少し怒らせたかもしれない。大の男が蜘蛛と話していたという話は、武士である隼人にとって、いわゆる『恥』というやつなのだろうか。恥をかくことを、日本人はとても嫌うとどこかで読んだ記憶がある。『The Chrysanthemum and the Sword』だったろうか。
「ええと、一応ご本人の口からも確認しておきたいのですが……その……」
「それがし、子供に手を上げることはいたしませぬ」
 そういえば、当事者の隼人がほとんど発言していなかった。改めて、自分のでしゃばりすぎを反省する。
「ありがとうございます。そのように報告します。私も、なにか別の原因があると思うんです」
 お茶をひとくち飲んだ後、田中先生は語った。
「ですが見ている限り、クラスでは変わった様子はさほどなく……友達とも仲よくやっているようです。剣道教室ではどうでしょうか」
「とくに変わった様子はないかと。昨日も熱心に竹刀を振っておりました」
「そうですか……頼孝先生もなにもおつしやってませんでしたか?」
「はい」
 ふたりのやりとりを聞きながら、私はあることを思い出していた。小学校の体育館でそれを見た時は、よくある光景としか感じなかったので忘れていたのだが──今回の件に関係しているかもしれない。
「そのソラくんというのは、目のぱっちりした、小柄な子でしょうか。黒縁の眼鏡をかけた……」
 そうです、と田中先生が答える。
「この春、五年生になりました。しっかりしていて、うそをつくような子ではないのですが……」
 私に礼儀作法を教えてくれた子だ。確かにしっかりしていたし、軽々しく噓をつくようにも見えなかった。
「恐らく、私が思っている子供と一致していると思います。剣道教室が終わってすぐくらいの時です。彼が何人かの子供に囲まれているところを見ました。穏やかな様子とは言いにくく……こう、ちょっと小突かれたりしていました」
「え」
 田中先生の表情が険しくなる。
「それはつまり、いじめられていたと?」

#2-4へつづく
◎第 2 回全文は「カドブンノベル」2019年11月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2019年11月号


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