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連載

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」 vol.19

【連載小説】夏休みのあいだ修行をさせてほしいと北海道から来た少女に、青年武士は冷たい態度をとる。榎田ユウリ「武士とジェントルマン」#5-2

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

「修行?」
 声を立てたのは誠だった。栄子と私は目を丸くし、隼人は眉間にしわを刻んで難しい顔をしている。
「手前は、武士になりたいのです!」
 武士に? 小学生の、女の子が?
 いや、それほど意外に思うべきではないのか。今や女性にできない職業はほとんどないわけで……だが武士は職業とは違うだろうし……そもそもかつての日本に女性の武士はいたのか? 私が知らないだけで、いたのかも……。
「異な事を」
 隼人がかすれた声を出した。風邪を引いているわけではなく、しばらく誰ともしやべっていなかったからだろう。
おなは武士にはなれぬ」
「お言葉ですが、そのような決まりはございません。調べました」
 隼人が眉を寄せた顔のまま、誠を見た。誠が「あー、うん、ないな」と答える。
「武家制度規約には、性別について規定はないんだよ。そんなの時代錯誤だろうってことで。国籍についても制約はないし」
「え。では私もなろうと思えば……?」
 そう聞くと、誠は頷いて「日本国内の住民票があれば可能ですよ」とつけ足した。そうか、なれるのか……いや、ならないが。そもそも、興味本位でなるものではない。だいたい私はろくに胡座あぐらもかけない。
「だが現に、女性の現代武士などおりませぬ」
 隼人の口調は頑なだった。
「うーん……いないというか……。それより、ルリちゃんの場合年齢でひっかかるな。武士登録は満十六歳からだから」
「承知しておりまする」
 ルリははきはきと答えた。
「ですから、将来に向けての修行です。剣のけい、礼節、武士としての心構え……ぜひ、仕込んでいただきたいのです。無礼な上、慮外な申し出なのは承知しております。ですが外国の方を受け入れてらっしゃるのであれば……」
 ここでルリが私をちらりと見た。
「手前の滞在も許可していただけるやもしれぬと、それをいちの望みに参りました。なにとぞ、お願い申し上げます」
「アンソニー殿の滞在は……事務局からの正式な依頼であり……」
「仕事はいたします。家の事ならば一通りできます。あ、牛の世話もできます!」
「ここには牛などおらぬ」
しようですが、滞在費もお年玉から……」
「そういう問題ではないのだ。とにかく置くわけにはいかぬ」
「そこを曲げて、どうか!」
 ルリは文字どおり、額を畳に擦りつけて懇願する。心打たれる熱意だが、いくらなんでも無茶な要求だ。小学生に突然訪問され、滞在させてくれと言われても──おそらく普段の隼人であっても断るだろう。
「なにとぞ、なにとぞ……!」
 子供に土下座させている光景は痛々しく、私はハラハラしてしまった。隼人も「頭を上げなさい」と言ったのだが、ルリは言うことをきかない。この礼儀正しい頑固っぷり……もしや隼人と同類なのではないか。
 ぽん、と膝を打つ音がした。
 栄子である。続けて「うん、よし」と言う。
「一週間なら。うん」
 その言葉に、ルリの顔がパッと上がる。額に畳のあとがついたまま「誠にござりますか?」と目を輝かせた。一方で、隼人はいっそう苦い顔になる。
「栄子殿、困りまする」
「子供の願いを叶えるのは大人の務めよね」
「いけません。……そもそも、親御の許しもござらぬ」
「親御さんの許可があればいいのね?」
「それでもよいわけがござらぬでしょう。栄子殿、ここにはそれがしとアンソニー殿しかおらぬのです。男所帯に、子供とはいえ女子が……」
「そりゃそうか。……なら、私もここに寝泊まりします」
「ええっ」
 私と誠が驚き、今度は隼人も「なっ……」と言葉を詰まらせる。
「うん。それがいい。そうしよう。客間でふたりで寝ればいいんだもの。ね、ルリちゃん、あたしと一緒でもいい?」
「あ、はい、それは……ご迷惑でないのならば……」
「よし決まりだ」
「栄子殿、お待ちくださ……」
「あとはご両親に連絡っと。ルリちゃん、ちょっとおいで」
「え、あ」
 栄子は戸惑うルリを引っ張るようにして、部屋から出てしまった。置いていかれた私と誠は、改めて精彩を欠いた隼人と向き合うことになる。誠はともかく、私は一緒に暮らしているというのに、顔を見るのは久しぶりだ。だからといって、ここで「久しぶりですね」だとか「元気でしたか」というのもおかしいし、そもそも元気ではないのはわかりきっている。
 隼人と目が合う。互いに言葉が出なかった。
「驚いたな」
 だから、誠が口を開いてくれた時は、正直ほっとした。
「……驚き申した」
 隼人が目を伏せて答える。それから小さな声で「このような有様で申しわけございませぬ」と謝罪した。誠へなのか、あるいは私への謝罪も含んでいるのだろうか。
「うん、まあ、そういう時もあるさ」
「…………」
「とはいえ、ひどい顔だぞ、おまえ」
「…………」
「一応、イケメン武士の括りに入ってるんだから、顔くらい洗え?」
「……はい」
「しかしあの子、ルリちゃん、か。ほんとにひとりで北海道から来たのかなあ。しっかりしてるよなあ」
「……いささか、無遠慮な子供かと」
「でもまあ、親に連絡したら引き取りに来るさ。動画で見ただけの知らない武士のところに、娘を置いておけるわけがない。アンソニーさんもそう思うでしょう?」
 話を向けられて、私は「はい」と頷いた。栄子がおうようで時に大胆なのはわかっているつもりだったが、今回はいくらなんでも無謀であり、ルリの両親の許諾は取れないだろう。
 栄子とルリが戻ってきた。
 隼人もようやく床から出て、浴衣を整え、布団の上に正座している。ルリの目が少し赤い。どうやら泣いてしまったらしい。
「電話でね、すごく叱られちゃったのよ」
 栄子が言い、ルリは「はい」とうなれた。
「……相すみませぬ……実は……両親には、地元の剣道教室の東京遠征と偽っておりました……」
 やはり、無断で来ていたようだ。それはもちろんいけないことだが、涙ぐむ顔が愛らしくてなんだか微笑んでしまいそうになる。
「いや、実際に東京遠征もあったのよ。でもほかの子は今朝の便で北海道に帰ってるわけ。ルリちゃんだけ、東京の親戚の家に行くからって、残ったんだよね」
「……はい」
「噓をつくなど、もってのほか」
 隼人は冷たく言い放ち、誠は「噓はよくないが、それほどここに来たかったんだなあ」と優しい声を出す。
「で、お父さん、明日こっちに来るって」
「迎えに来るのですね?」
 私が聞くと、栄子は「いや、挨拶に」と答える。隼人が「栄子殿、まさか」とまた眉間の皺を深くした。
「一週間なら、お預かりしますよって言った。そしたら、お父さん、わざわざ北海道から挨拶に来てくれるって」
「……勝手なことを……」
「そうだね。勝手に決めてすみません」
 栄子が畳に手をつき、頭を下げる。
「でも私はこの子の、憧れの武士と暮らしたいっていう夢を叶えてあげたい」
「…………」
 隼人は怖い顔のままで栄子を見た。栄子も隼人から目をそらさない。このふたりが対立するところなど見たことのない私は、ひやひやしてしまう。誠も居心地が悪そうだし、ルリは小柄な身体をさらに小さくしていた。
「ルリちゃん、幼稚園からずっとこの言葉遣いなんだって。クラスの子にからかわれても、絶対やめなかったって。武士は弱い者を助けるんだって、いじめられてる子をかばって、そのせいで自分がいじめられたことも、お父さんが話してくれた。頑固だけど、純粋だって。そんな子が、ここまでして頼み込んでるのに……ダメだなんて言える?」
「……されど」
「責任はあたしが持ちます」
 栄子がきっぱりと言い切った。隼人は黙し、深くうつむいて溜息をつく。
「…………好きにされたらよかろう」
 くぐもった声でそう言ったあと、顔を上げて「ただし」と続ける。
「それがしは、関わりませぬ」
「ルリちゃんは武士として修行したいのに、隼人さんが関わらなくてどうするのよ」
「それがしがつきあう道理はござらぬ」
「あたしに剣道は教えられないよ?」
「ひとりで素振りでもしていたらよかろう」
 不機嫌もあらわに顔をそむける隼人は、ずいぶんと子供じみて見えた。引かない栄子が「その態度は武士らしくないと思うけど!」と強く言った時……。
「ひゃっ」
 声を立てたのはルリだ。
 隼人がいきなり立ち上がったので、驚いたのである。部屋から出ていくのかと思いきや、くるりと私たちに背を向けて、小引き出しのついたたんに向かう。引き出しを開け、なにかを取り出したかと思いきや、
「えっ?」
 今度は私が声をあげた。
 ザクザクという音がした。それはあっというまのことで、誰も止めることができなかったし、ことがすんでからですら、誰ひとり動けなかった。
「やめまする」
 隼人が言う。
 私たちに背を向けたまま、その手には断ち落とした髪が握られていた。
「それがしはもう武士など…………」
 隼人の手から、パラパラと髪の毛が畳に落ちていく。
「俺は、武士など、やめる」
 誰もが身体を硬くしたまま、ただ落ちる髪の毛を見ているしかない。
 隼人は髪をくずかごに突っ込むと、再び布団に潜り込んでしまった。
 私たちはしばしぼうぜんとしていたのだが、やがて栄子がルリの手を取り立ち上がり、私と誠も隼人の部屋を出た。みな黙ったままだった。
 とりあえずルリは客間で待たせ、大人たち三人は家事室で話す。
「アンソニーごめんね、強引に決めちゃって……」
 まず謝罪してくれた栄子に「正直驚きましたが、それより」と私は言う。
「ハヤトがあんなことをするなんて……」
 誠も「まさか、まげを落とすとは」と深刻な顔だ。
「ただあれは……さっきの女の子を受け入れることがどうこうではなく……溜まりに溜まったなにかが爆発したような、そんな印象があったな……」
 誠の言葉に栄子が深く頷き「まさしく、それよね」と溜息をつく。そう、ルリの来訪はきっかけに過ぎなかったのだろう。どちらかといえば、先だっての信夫の件のダメージが大きいのだと思う。
「エイコ、この状態であの子を置いても、可哀想なのでは?」
 あるじがあの調子では、ルリも居心地が悪いだけではないだろうか。私はそう思ったのだが、「できれば、いさせてあげたいんだよね」と栄子は答えた。
「あとで本人に確認するけど……いたいって言うなら、叶えてあげたい。ただ、アンソニーは子供が得意なほうじゃないよね……?」
「確かにそうなのですが、ルリならば大丈夫だと思います。礼儀正しいですし」
「うーん……もしかしたら、あの子がいたほうがいいかもしれないなあ。アンソニーさんと隼人だけより……少なくとも、にぎやかになるだろうし。それに、隼人も今はあんなだが、責任感の強い奴だから、しばらくしたら部屋から出てくるかもしれない」
 誠はそんなふうに言い、私もなるほどと思った。隼人は誰にでも親切だが、とりわけ子供に対してはよく気配りする。
「武士に憧れて、隼人さんをあんなに肯定してくれる子だから……いい影響があると思うんだよね。それにあの子は……」
 途中で言葉を切り、しばし考えてから「とっても可愛いし」と続けた。
 栄子が決めたならば、私はそれに従おう。そもそも私自身、居候なのだ。居候その1が、居候その2を拒む権利などあるはずもない。
 そのまま誠を見送り、私と栄子は家の中に戻った。
 すると客間の隅で、ルリが丸くなって倒れている。驚いて駆け寄ると、健やかな寝息が聞こえてきた。疲れ果てて、眠ってしまったようだ。
「すっごく、緊張してたんだろうねえ」
 栄子が微笑んでささやく。
 客間は冷房が少し強い。私はコットン・ブランケットを持ってきて、ルリにそっとかける。子供の健やかな寝息は、心地よい音楽になり得るのだと、初めて知った。

#5-3へつづく
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